2:生きるために


自分は今夢を見ているのだろうか――。

そう問いかけたくなるくらいエナガの置かれた状況はとんでもないものだった。





闇が消え真っ先に視界に映ったのは机に積まれた本の山。
戻ってきたのかと思えばそうではない。


「なんで、外が見えるの……」


自分は地下の研究書庫にいたはずだ。
なのにここには窓があり、まぶしいほどに光が室内に注ぎ込んでいるではないか。
そこから見える景色はエナガにとって全く馴染みのないもので、書庫ではないどころか大学内でさえないということを暗に示している。
急激に変わった状況に追いついていけないエナガの思考をさらに鈍らせるに至ったのは、それまで呆然として気づかなかった背後の人物の存在だった。


「お前……」
「あ……」


声のした方に振り返るとドアを開けたまま驚きで目を見開いている男が一人。
背格好からしてエナガよりも一回りほど歳が上といったところだろうか。
それだけをみれば大して驚きようのないことではある。
が、残念ながらそれだけではない故にエナガもエナガで心身ともにフリーズしていた。

おかしいのだ、服装が。
武器こそ持っていないものの、身に纏うのは歴史の教科書で見たような無骨な鎧で、一昔どころか最早どこぞの仮装展にでもいそうな感じで到底大学という公共の場に堂々といられるようなものではない。

暑さと地獄の試験三昧の現実逃避が行き過ぎた故の幻覚か。
その考えこそ現状から目を背ける現実逃避そのものであることにエナガはすぐに気づかされる。


「何者だ?」

「え、私?!」

「お前以外に誰がいるんだ」

「そ、そうです…ね」

「間者、にしてはかなり間抜けではあるが…それにしても――」

「カンジャ…?」


聞き慣れない響きの単語に一瞬別の漢字が思い浮かんだが、言われ様からしてそれは違うものだと分かった。
それよりも彼の口から出た次の言葉の方がよっぽど衝撃を与えるものだった。


「目の前に一瞬で人が現れるとは――」


暑さで幻覚でもみているのではないか。
先程エナガが思ったことを今度は男がぼそりと口にした。


「ちょ、ちょっと待ってください。現れるだなんて…、私はあの暗闇から抜け出したんじゃないんですか?」

「暗闇?馬鹿を言うな。今は昼だぞ」

「いや、そうじゃなくて…私はさっきまで図書館で参考文献を探していて、それでいきなり足が勝手に動いて変な所に――」

「とにかく落ち着け。どう考えてもお前の言ってることは支離滅裂だ」

「これで落ち着いていられる方がよっぽどおかしいですよ!それに私は嘘なんてついていません!」


動揺しているのは事実であるため否定こそしないが、人を陥れるような讒言を言っていないとエナガは食って掛かるように男に詰め寄った。
その気迫に男の方もいささかたじろぎを見せ、目の前のエナガを宥めるべく分かったと対面上彼女の話を肯定し、落ち着きを取り戻したところで再度事の次第を聞くことにした。






 ◆ ◆ ◆ ◆






「冗談じゃないんですか」

「残念ながら冗談じゃない。それに俺からしてみればお前の言っている事の方が冗談に聞こえるぞ」

「………ですよね」


この部屋の主である呂蒙と名乗る男の話を聞くと、悲しくもこの場、否、“この世界”においてエナガの方が冗談ととらえられてもおかしくないといえる。
あの後、冷静さを取り戻したエナガは呂蒙と話をしていくうちに、自身の置かれた状況の深刻さを思い知らされた。
今までの会話で言えることは、ここはエナガがそれまで慣れ親しんできた国はおろか、時代さえも異にする場所であるということ。

見知らぬ場所で人に尋ねる典型的パターンに則ってここはどこかと尋ねてみたところ、返ってきた返答が『呉』という普通ではまず在り得ないものだった。
夢でも見ているのかと思ったが、照りつける夏特有の肌にじりじりとくる陽射しや話の途中で出された紅茶の味はとてもリアルで、どうみても夢の中とは言いがたかった。
それでもなお現実と受け止めきれず呂蒙にくってかかるも、望む答えは得られず今に至る。
そうなると最早現状を肯定するより他はなく、趣味の悪い夢であって欲しいと頭の片隅で願いながらもエナガはこれを現実として受け入れたのだった。


「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ?」

「それは……」


現状把握の後、次なる問題はこれだ。
今のエナガは彼女の世界でいう住所不明無職のホームレスということになる。
まさかこの世に生を受けて自分がそのような立場に身を窶すことになるとは…。
ショックでどうにかなってしまいそうになるが、悲嘆したところで親なり親友なりが助けてくれるわけでもない。
働こうにも身分を保証するものもないのだから雇ってくれる温情のある人間などいないに等しい。


(いや、ちょっと待って――)


いるではないか。

自分の身の上を知り(信じているかはこの際置いておくにして)、かつどうにか頼み込めば何とかなるかもしれない人間が。
…目の前に。


「呂蒙さん」

「…無理だ」

「そこを何とか!私で出来ることなら何でもやりますから!」

「あのな…」


お願いします、とそれはもう拝み倒す勢いで必死な思いのエナガ。
なにしろ今後の衣食住という生存権がかかっている。
何としてでも確保しなければならないため、形振りなど構っていられなかった。

かくして、エナガの半ば脅迫にも似た懇願に頭痛を覚えた呂蒙はわかったと、折れたのだった。
手段はどうであれ無事居場所を手に入れたエナガは帰る方法が見つかるまでという期限付きで呂蒙のもとに世話になることになった。








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