4:涙の数だけ
エナガが大学の図書館から異世界に跳ばされて戻ることが叶わないまま一週間が経過した。
当初すぐになんとかなると考えていたエナガだったが、一日一日と過ごしていくうちに気持ちに余裕がなくなっていった。
与えられた仕事を無心にやることで内から湧き起こる不安をやり過ごしているというのが現状で、見るに見かねた呂蒙により半ば強制的に休みを取らされ、さらには部屋に閉じこもっていては健康に悪いとの配慮で初めての外出を許可され、気晴らしにと市場を散策しているわけだ。
そういうわけで、今は仕事着ではなく、乱雑に束ねていた髪を下ろし、この世界に迷い込んできた時の服装だった。
活気に賑う市では様々な者たちが行き交っているため、変に目立つかもしれないという危惧はほぼ杞憂に終わっている。
そこは大して問題ではなかったのだが…。
(やっぱそう簡単に気持ちはきりかわらないよね)
深刻に考えないようここ最近は我武者羅に働いていたが、ここにきて緊張の糸が切れたようで、気分は一気に急降下していく。
足を踏み出す度に沈んでいく心を叱咤するも、上げた視線は数分も経たないうちにいつの間にか地面へと向けられている。
どうやらそれだけでは浮上出来ないところまで落ち込んでいるらしい。
こんな調子だとこの人混みではいずれ誰かにぶつかってしまうのも時間の問題だ。
下手にぶつかってそれが難癖を付けたがる相手でもしたら後が厄介である。
(ああもう、完全にマイナス思考に入ってる…)
ともすれば溢れ出そうな涙を懸命に堪えるが、限界がきているようで留め切れなかった雫がつうっと頬を伝う。
いい年をして公衆の面前で泣き面を晒すのはかなり情けない。
ならばいっそ一回思いっきり泣いてしまった方がすっきりするのではないのだろうか。
今ここで無理に我慢するよりも気持ち的側面においてはある意味一つの解決策にも思えた。
(少しくらいなら……)
帰ると約束した時間帯までまだ大分ある。
零れた涙を拭うと、エナガは人目を避けるようにそっと市場から抜け出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
朝にエナガが外出してからあと数時間ほどで半日が過ぎようとしていた頃。
もうじき帰って来るはずの刻限になろうかという時間だというのに一向にその気配が見られないため、呂蒙は道にでも迷ったのではないかと危惧を抱き始めていた。
城下のすぐ近くの市を見に行くくらいだから一人でも然程問題はないだろうと高をくくっていたのが間違いだったのか。
それにしても。
「少し遅いな」
「呂蒙殿、どうかなされたのですか?」
エナガのことに気を取られ過ぎていたせいか自室に自分とは別にもう一人、陸遜が訪れていたことを失念していた。
先の会話とはかみ合わない発言をした呂蒙を陸遜が気遣ったというわけである。
なんでもない。
そう言おうとしたところで呂蒙は再び黙考すると、
「頼みがある」
そう陸遜に言ったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
市場から少し離れた小高い丘の上。
エナガは顔を両腕で隠してそこに寝そべっていた。
あれからどれくらいの時間が経過したのか。
一人落ち着ける場所を見つけた途端抑えていた感情が一気に溢れ出し、涙が枯れるまで泣きつくしていたため、エナガには分からなかった。
(…そろそろ帰らないとヤバイかも)
おもいっきり泣き散らしたせいか、目元はひりひりと腫れて夕闇の中では近づけばきっとばれてしまうだろう。
出来れば帰る前に冷やしたいところだが、予想以上に長居をしてしまったため帰宅を優先しなければならなそうだ。
ただでさえ無理を言って住まわせてもらっているのだからこれ以上呂蒙には迷惑はかけられない。
泣き腫らした顔を見たら見たでまたいらぬ心配をかけてしまうかもしれないが、顔を合わせないように部屋に戻り少し腫れが引いてから遅くなったのを詫びればいい。
「とにかく急いで帰らないと」
ぐだぐだと迷っている時間はないのは分かりきっている。
そう思ってエナガが泣いたことによる鈍い頭痛と気だるさに耐えてむくりと起き上がった時だった。
「あなたがエナガ殿、ですか?」
「え?」
まさかこんな場所で名前を呼ばれるなど思っても見なかったエナガは、自分が泣き顔で酷くみっともない状態であることも忘れて思わず声のした方に振り返った。
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