5:気になるモノ


昼の活気から夜独特の色合いを見せ始めた市場の中、陸遜はいた。

目的は一つ。
ある人物を探すため。
その人物とは一週間ほど前から呂蒙のもとで暮らし始めたエナガである。

帰る気配をみせないエナガを探しに行くにも呂蒙自身手が離せない政務があるため、仕事が終わった陸遜に頼んだというわけだ。
とはいえ、ここで一つ問題があった。

陸遜はエナガの容姿を全くといっていいほど知らない。
話こそ聞いてはいたものの、実際彼女がどういう人物なのかは会ったことがなかったため分からないのだ。

会っていない。
これには少々語弊がある。

面と向かってこそ会ってはいないが、“男としての”エナガとは廊下などで何度かすれ違っている。
そうはいうものの、立場が立場なだけにお互いはっきりと相手の顔をまじまじと見ている暇などあるわけがなく、すれ違ったとしても、エナガの方は大抵顔が見えなくなるくらい大量の書簡を抱えているという状況のためこれまた微妙な面識なのである。

果たして陸遜はエナガを見つけることが出来るのか。

運良くエナガが初めて出会った時着ていたあの見慣れない服装で出かけたのを知っていた呂蒙は、彼女の身なりの詳細を伝えたのだった。
それはあの人混みの中、それだけでも十分な情報になる。

かくして陸遜はエナガを無事見つけることに成功したのだった。


「エナガ殿ですか?」

「あ、はい。あなたは?」

「陸遜と言います。呂蒙殿の代わりにあなたを迎えに来ました」

「ご、ごめんなさい。態々私なんかのために…」


心配させるどころか迎えまで…。
自分は一体何をやっているのか。
泣くだけ泣いてさあ立ち直ろうとして早々の失態とは…情けないにもほどがある。

申し訳なさでいっぱいのエナガを見て陸遜はふとあることに気がついた。
少し嗄れた声と赤く腫れた目元。


(泣いて…いたのでしょうか)


「本当にごめんなさい」

「あ、いえ…。別に私は」


怪訝な顔を見せた陸遜に、エナガは機嫌を損ねたのかと勘違いをしたようだ。
誤解をしていることは瞬時に分かったのだが、それを解くには今度は逆にエナガの機嫌を損ねることになるかもしれない。
言い難そうなその雰囲気に今度はエナガが何かを察したらしく、苦笑気味に話出した。


「ああ、これね。さっきまで思う存分泣いてたから目が腫れちゃって。でも、その分すっきりしたからもう大丈夫」

「そう、ですか」

「だから――」


もう帰ろう。

その意思を暗黙の内に感じ取った陸遜はこの場でそれ以上追及することをとりやめ、二人は帰るべく歩き始めた。








◆ ◆ ◆ ◆ ◆








「………」

「………」


帰路の中二人の会話は弾むどころかこれでもかというほど皆無だった。
共有しているのは見知ったばかりの間にある特有な気まずさのみ。
下手な話を振ったところで後に続く言葉のやりとりが上手くいかないことを分かっているため、その気まずさに耐えながら一歩一歩事務的に足を進めていた。

そうした状況の中、陸遜はエナガとの先程のやりとりを思い起こした。
傍から見ても泣いたとわかるくらい泣き腫らしていたエナガ。

それほどまで泣く理由とは。

それこそいらぬ世話というものだが、湧き起こる好奇心も混じった疑問はそうそう消えるものではない。
とはいえなら直接本人に聞いてしまえという思慮に欠けた行為をする気はない。


「なんかみっともないところを見せてごめんなさい」


沈黙を破った言葉は気まずさ故か、それとも他に何か意図があるのか。
様子を見るからに当のエナガにはそうした素振りは何ら見られなかった。


「みっともないだなんて、そのようなことはありません」

「そうかな…でも陸遜さんに手間をかけさせたのは事実だから」

「エナガ殿…」

「本当に何かお詫びが出来たらいいんだけど…今の私は居候の身だから一文無しだし……」


一人ごちるように呟くエナガ。

居候。

この事実もまた陸遜にとって引っかかる一因となっている。
一週間前、蝶が窓からふらりと室内に入るようにエナガは呂蒙のもとに身を寄せた。
不審に思いそれとなく呂蒙に尋ねてみたところ、放っておけない妹みたいなものだと苦笑交じりに告げられただけ。
あの時の呂蒙の様子から、そして現にこうして面と向かってその人となりを見ることで、エナガへの疑心は自分の杞憂だということを確信した。

だが、それを除外してもエナガという存在は出自を含め多くの謎がある。
知りたいと思うのは単なる人並みの好奇心か。
それとも心底に未だある疑念故か。

沈黙する陸遜に何かを感じ取ったエナガは徐に話題を変えた。


「そう言えば私のこと呂蒙さんから聞きましたか?」

「呂蒙殿に…ですか?」

「その様子だと知らないみたいですね」

「はい。呂蒙殿からはあなたを探しに行くよう頼まれただけですから」

「そう、ですか…」


暫しの逡巡の末。
意を決したようにエナガはその口を開く。


「私は今から一週間前、この国とは…、この世界とは場所も時代も違う別の世界からきたんです」

「別の……」

「信じるかどうかは陸遜さんの判断に任せます。でも、嘘は言っていません」

「………」


俄かには信じがたい事実に陸遜はまたも黙り込む。
論理的に考えればありえるはずもない現象だが、改めて隣を歩くエナガの身なりや彼女の言葉には虚構の色はなく、それが真実のように思われた。

ふいに夏場特有の湿気の含んだ生暖かい風が撫でるように二人の間を過ぎった後、漸く陸遜は己の答えを口にした。


「全てを信じることはできませんが、少なくともあなたが嘘を言っていないことだけは分かりました」


信じるとも信じないともとれる言葉。
だがそれもまた信憑性の薄い自分の言葉に対する正直な答えなのだとエナガは思った。
ある意味律儀だともいえる陸遜の応答に苦笑をもらす。


「それにしても私などに言ってしまってもよろしいのですか。…おそらく気づいているかと思いますが、仮にもあなたを疑っていた人間に秘密をばらすのは軽率なのでは?」

「突然現れた人間を疑うのは普通だから、…多分私が陸遜さんでも疑うかな。それは悲しいことだけど、仕方がないと思うから」


寂しげな、それでいて悲観の色を見せずまっすぐなその瞳は陸遜に不快を与えることはなかった。
それは自分とは異なる世界の住人に対する好奇心故なのか、はたまた別の異なる何かであるかは定かではない。
いずれにしてもこのエナガという人間に対して興味を覚えるのは事実だった。

それからいくらか他愛のない会話をし、出会った当初の気まずさは既に消え去った頃、二人は無事帰途に着いた。



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