八:売られた喧嘩


ホームシックになりつつも住めば都。
あれやこれやと仕事をこなしていくうちに何故か凌統以外にも甘寧や二喬、仕舞いには孫策を始め孫策や孫権など孫呉の重鎮とも顔を合わせるようになった。

流石にこれ以上ばれることはないだろうと高を括っていた男装は……エナガの予想に反して会う前から露見していた。
聞けば出所は凌統とのこと。

確かに他言するなと言わなかったが、気づいたところでどうしようもない。
それに、エナガ自身知り合いには偽りの自分ではなく本当の自分を見てもらいたいという気持ちがある。
意外にもあっさりと認められ、周囲に溶け込むことができたのは彼女にとって非常にありがたいことと言える。

芋蔓式にずるずると目上の人物らと知り合いになってしまったこの状況に、驚愕すると同時に偶然にも程があり過ぎる巡り合わせに後で竹箆返しがくるのではと内心気が気でないエナガであった。

そして。
嫌なことほど良く当たるといわれるが、エナガの予感も又然り。
理不尽で陰険な仕返しが待っていた。


(これって完全な嫌がらせだよね?)


疑問形だが、気持ち的にはほぼ肯定といえる。

いつもの仕事に加えこの陰湿な攻撃により、気力の消耗が甚だしいエナガは昼食後の中休みの現在、机に突っ伏していた。
積み上げられた書簡がバリケードの役割を果たしているためその姿は背後からでないととらえることはできない。

以前ならこの時間は呂蒙らとたわいない会話をして過ごしていたが、今はその余裕さえ与えられないくらい一方的に仕事を押し付けられているためそれも叶わない。

正直最初の内は女々しくも夜は泣き寝入りをしていたが、今はむしろ、理不尽な仕打ちに散々泣いた自分が馬鹿らしく感じるほどだ。
自分の弱さに呆れると同時に相手への憤りの念が生じてきているのもまた事実である。
要するにいろいろと限界にきていると言える。


(とにかく早く首謀者を見つけて……気力が残ってたら、ボコしてやる)


一連のやり口をみるに、恐らく複数班の犯行だろう。
机の落書きに上から盥、物の盗難に背後での嘲笑の声、仕舞いには一方的に次から次へと意図的に押し付けられる仕事。
年を疑いたくなるくらいの幼稚な嫌がらせではあるが、現実に被った被害である。

最短の解決策はあるにはある。
別にエナガがこの職場で働き続ける必要なはい。
よって事の次第を呂蒙に告げてさっさとおさらばしてしまえばいいだけのことだ。

しかし、その選択は最終手段でありかつ敵前逃亡となりエナガにとって屈辱以外のなにものでもない。
だからこそこうして今のいままで耐えているのだ。


(まあやり返すだけの度胸がないってのもあるんだけどね…)


むくり、と気だるげに起き上がる。
そろそろ中休みも終わりの刻限だ。
これから夕方までは目の前の山を少しでも減らすことに専念するしかない。
続々と室内に戻ってくる同僚の気配を感じながら、両頬を軽く叩くとエナガは再び仕事にとりかかった。























「な、なんとかノルマ終わった…」


気力を振り絞った甲斐もあってか本日中に処理しなくてはならない仕事は粗方片付いた。
集中力が切れると同時に誰もいなくなった室内に鳴り響いたのは腹の音。
よくよく外を見ると先程まで茜色だった空はいつの間にか夕闇に呑まれていた。


「道理でお腹が空いたわけだ…。夕食、食べに行ってこよう」


流石に昼に摂取したエネルギーは既に集中力に使い果たされている。
緩慢な動きで立ち上がったエナガが向かう先は、言わずもがな食堂だった。












 ◆ ◆ ◆ ◆













混雑の時間帯も過ぎたため、エナガが食事にありついた頃には人も疎らで残っている者の多くは食事を終え、酒を呷っている。
そんな中エナガは一人黙々と夕食を食べていた。
疲労は溜まりながらもやりとげた充実感が勝り食も順調に進んでいる。
しかし、エナガの平穏な時間は頭上からの声によってぶち壊されることになる。


「こんな時間に食事とは余程仕事ができないんだな」

「…………」


ちらりと視線を上に向けると、同年代の男らがニヤニヤと不快な笑みを浮かべエナガを見下ろしていた。
恐らく彼らがこの非常に不快極まりない嫌がらせの首謀者なのだろう。

成程、やけに仕事が捗ると思ったら横やりという名の嫌がらせがなかったせいか。

状況からしてまずい立場に立っているとどこかで自覚しながらも、エナガは他人事のように考えていた。
正直これ以上関わり合いになりたくない。
だが、態々自分を見つけて声をかけてきたこの迷惑者たちはそう簡単に見逃してはくれないらしい。
それどころか逆に何かよからぬことを企んでいるのは間違いない。


(なんでこうなるのかな……)


徹底的に無視を決め込むエナガに相手が不愉快になったのは言うまでもない。
そして、事態はエナガの思わぬ方向に展開していく。














その夜、陸遜は隣を歩く凌統とともに人が疎らになった通路を歩いていた。
久し振りに呂蒙と飲みに行くというわけだが、実のところ未だ和解の余地がみえない凌統と甘寧の仲を少しでも改善しようというのが目的だった。
もちろん当事者二人はこのことを知らない。
そのため、目的の酒場まで気付かれないよう呂蒙は甘寧を、そして陸遜は凌統をそれとなく誘うこととなったというわけだ。

とはいえ、無事凌統を誘うことに成功したものの、その後の展開を考えるとあまり楽観はできないというのが現状ではある。
おそらく、平穏に酒を交わし合うだなんてことは今の段階では無理だろう。
考えれば考えるほど溜息をつきたくなるが、不審に思われるのでそれもできない。

後先が思いやられるとはこのことだと陸遜が一人考えていると、食堂を通りかかった時点で突然凌統の足が止まった。


「あいつ…っ」

「…凌統殿?」


騒ぎの先に目を向けると、渦中にいたのは知り合って間もない男装の彼女。
眉を顰め、無言になる凌統を不審に思った陸遜もまた、食堂の一角の集団に目を向けた。

長机に向かい合い酒を飲む二人。
見たところ飲み比べというわけだろう。

手前側の男の背後には味方がいて頑張れだの負けるなだの声援を送っている。
だが、相手の方は一人無言のまま酒の入った杯を口にしていた。
成り行きこそ分からないが、どうみても好ましい雰囲気ではないことは確かだ。

凌統の視線の先にいる人物は察するにあの二人のどちらか、恐らくは巻き込まれている側の方だろう。


(あの者は……)


どこかで見たことがあるような気がする。
しかし、かの者に直接面と向かって会ったということはないのだが…。

気にはなるものの、野次馬気分でふらふらと覘きにいくほど愚かではない。
そう思った矢先、凌統が動いた。


「すいません、ちょっと先に行ってくれませんかね?」

「それは構いませんが…」

「あそこにいる奴、俺の知り合いなんですよ」

「ああ、やはり」

「多分軍師さんも知ってると思いますよ」

「私も、ですか?」


まさか凌統に指摘されるとは。
そう言われると自分だけ我関せずでそのまま先に行くわけにはいかない。

騒ぎの方に駆けつける凌統に続き陸遜もまたエナガらのもとへと足を運んだ。



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