九:勝敗結果
机に乱雑に並ぶ空の酒瓶。
ざっと見る限りその数は両手では数えきれなかった。
(…意外とイケるんだ私)
エナガ自身嗜む程度は飲むが、流石にここまで飲むのは初めてだった。
多少の酔いは自覚しているが、不思議なことに泥酔には至っていない。
正直言ってまだまだ余裕なくらいだ。
一方喧嘩を売ってきた相手はというと。
「……ぅ、っく」
誰が見ても分かる通りべろんべろんに酔っている。
文字通り酒に呑まれている名前も知らない相手は背後の仲間の声援を受け、酒の入った杯を握りしめながら何とか倒れまいと必死だった。
「あの、もう飲むのやめた方がいいよ。このままだと急性アルコール中毒になるから」
「煩い!誰がお前なんかに……っ」
散々嫌がらせをしてきた相手ではあるが、流石に本当に倒れてそのままぽっくり逝かれてはたまったものではない。
そうした思いから気遣うも、馬の耳に念仏。
馬鹿にされたと思ったのか、逆上してこちらを睨みつけてくるではないか。
しかも先程以上に杯を握る手に力がこめられている。
(なんか嫌な予感……)
悪い予感はよく当たるとは言ったものだ。
案の定相手は手にした杯を勢いよく持ち上げるのを目にした瞬間、エナガは思わず目を瞑り、次にくるであろう痛みを最小限に抑えるべく身構えた。
沈黙すること数分。
意外にも衝撃はこなかった。
(あ、れ……?)
酔っ払い過ぎて的が外れたのだろうか。
それにしては杯が落ちた音は聞こえない。
恐る恐る目を開くと、事態は思わぬ方向に流れていた。
「りょ、凌統さん?!」
「全く…酒に呑まれた上に八つ当たりとはいただけないね」
「――くっ」
ごとり、と凌統により手首を握られ自由を失った男の手から杯が机に落下した。
余程強い力で制止されたのだろう、男は解放された後もなお無言のままもう片方の手で利き腕を押さえ痛みに耐えている。
目の前で机に突っ伏している相手に少しやり過ぎではと再度凌統を見ると、気にするなとばかりにしれっとしていた。
ここで漸く自分たちに良くない方向に傾き始めていることを感じ取った残りの仲間は逃げようと後ずさりをしようとするも、
「おや、どこへ行くつもりですか?」
「「「り、陸遜様…っ」」」
虚しくも陸遜により逃亡は叶わなかった。
これに驚いたのは何も彼らだけではない。
被害者のエナガもまた陸遜の存在に思わず目を見開いた。
「自分たちの都合であの者を巻き込んでおいて、その癖分が悪くなったら逃げようなど…卑怯だと思いませんか?」
「――っ」
完全に逃げ道を塞がれた男らは最初の元気はどこへやら。
打ちひしがれ完全に戦意を喪失している。
助けられた側のエナガでさえその有様を見るに、こんな大物二人に挟まれ気の毒に思うも、ここでふとある問題に気がついた。
助けてもらったこと自体に文句を言うつもりはない。
むしろ、感謝してもしきれないくらいだ。
だが、助けてもらったということはすなわち、エナガ自身の力で問題を解決したわけではないということ。
いつも誰かに助けてもらえるわけではない上、異世界の住人である彼女にはこの世界において昔からの親友や家族もいない。
帰れる保証もないこの状況でこれから先、独りで何とかしなければならない事態も当然生じてくる。
だとすれば、度胸がなくとも言わなければならないことは相手にはっきりと言わなければ問題を先延ばしにするだけで現状は変わらないだろう。
むしろこの手の陰湿な仕打ちは更に過激なものへと変化する可能性がある。
ここではっきりいわなければ。
卑怯な考えだが、陸遜たちがいる今なら相手が逆上しても心配はない。
更にいうなら、最悪呂蒙に頼みこみ部署を替えてもらうという手段もある。
これだけ保障されているのだ。
使えるものは何でも使っていかなければならない。
それがここでやっていくための第一歩にも繋がる。
「あのさ」
内心不安と恐怖で気を抜くと震えそうな声を極力悟られないようにしながら、エナガは男らに向き直る。
「私は普通に与えられた仕事をこなしていただけで、あなたたちの迷惑をかけるようなことはしていないつもりだよ。それでも私に不満があるならこんな回りくどいことしないで直接言ってほしいんだけど」
「「「「―――っ」」」」
「一応先に言っておくと、私の存在が気にくわないとかそういうどうにもならない身勝手な苦情は一切受け付けないから」
妙な言いがかりをつけられる前に先手必勝。
予想通り相手の行動はどうしようもない理由によるものだったらしい。
陸遜と凌統に監視され思うような発言が出来ないのも相まっての不満もみられるようだが、この二人が納得できるほどの相当な理由がないことは目に見えて明らかだ。
ならばこれ以上彼らといる必要はない、のだが。
ちらりと二人の救世主に視線を送ると、彼らもまた何かを察したのか男らを事実上解放し、エナガを連れだしてくれた。
◆ ◆ ◆ ◆
食堂を出て暫く歩いた後、真ん中を歩くエナガが突然その場にしゃがみこんだ。
「おい、大丈夫か?」
「どこか具合でも悪いのですか?」
飲み過ぎて気分でも悪くなったのかと心配する凌統たちを余所にエナガが発した言葉は、
「もうダメかと思った…」
「「は……?」」
それはもう突拍子もないものだった。
さきほどまでの毅然とした態度はどこかに置いてきたようにへなへなと床にしゃがみこんだエナガに二人はあっけにとられた。
「エナガってさ、度胸あるんだかないんだか分からないねぇ…」
「私にはないですよ。本当もういっぱいいっぱい…」
凌統はエナガに合わせるようにしゃがみこむ。
顔色をみたところ体調は問題なさそうだ。
その証拠に目が合ったと分かると心配をかけたと慌てて謝罪を述べてきた。
必死さ故に身振り手振りも交えて話しだすエナガに、凌統は分かったから落ち着けと彼女の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
「わっ、ちょっと困るんですけど。折角まとめてたのに…」
「まとめるも何も最初からぼさぼさだっての。仕事、頑張ってる証拠でしょ」
「それでも気にはします!」
「はいはい。わかったからそんな怒らない怒らない」
「怒ってない!」
傍から見れば兄弟のようにじゃれ合うようにも見える。
隣にいる陸遜もまたこの二人を見てふとそんな感想を抱いた。
と、同時に胸中に複雑な思いが沸き起こる。
凌統にいいようにからかわれている相手。
服装こそ官吏のそれであるため、遠目で見た時は誰であるかは分からなかった。
だが、近づいたらすぐに相手が誰であるか分かった。
「エナガ殿と凌統殿は仲がよろしいのですね」
「そういうわけじゃなっ……あ、えーと」
「やはりエナガ殿でしたか」
「…はい。もしかしてすぐ分かりましたか?」
「ええ、まあ」
最初こそ勢いで顔を上げたエナガだったが、指摘してきた相手を確認するなり口を開けたまま固まると、今度は困ったように視線を泳がせた。
そして、改めて紡がれた言葉には先程のような雰囲気はみられない。
凌統に対する態度と自分に対する態度。
どちらも相手に対する敬意や親しさは感じられるも、どことなく違うように感じられる。
不思議とそれが妙な違和感となって陸遜の中で引っかかった。
これには、陸遜だけでなくエナガの横でいまだ彼女の髪を撫でまわしている凌統もまたそれを感じ取っていた。
「あのさ、なんで軍師さんも“さん”付けなわけ?」
「それ呂蒙さんにも言われたけど…って凌統さんもそうじゃないですか」
「それは置いといて、一つ下の姫を呼び捨てで今更どうかと思うけどね」
「それは本当ですか?」
エナガが反応するより早くこれに二重の意味で驚いたのは陸遜だ。
実のところ、少なくとも自分と同い年、もしくは年下だとばかり思っていた。
更に生活環境が大いに異なるとはいえ、最低限の礼儀を重んじているはずのエナガが孫家の姫である尚香を呼び捨てにしているとは…。
思わず声を張ると出遅れたエナガが慌てて弁解し始めた。
「尚香、…ではなくて、姫には呼び捨てで呼んで欲しいって言われたからで、勿論プライベート、私的な時だけのつもりですし、公の場とかではそれなりの対応をしていますよ」
「確かに、姫ならそう言うかもしれませんね」
「それに凌統さんだって、好きにしていいって許可をもらったので…まだ多少抵抗はあるますけど」
成程、そういうことだったのか。
ならば話は早い。
「エナガ殿」
「えっと、何ですか?」
「エナガの好きなように接してくださってかまいませんよ」
「え、…あの、別にそんなつもりはなかったんですけど」
「前にも言ったはずです。好きなように呼んでかまわない、と」
「う、……そういえば」
あの時は話が流れて終わり、エナガ自身も然程気にするには至らなかったのだが。
こうして他の面々と何だかんだ言いつつも、向こうの世界の知り合いのように言いたい放題やっている。
そう考えるとここで無理に我を張るのは筋違い、ある意味逆差別にあたるのではないだろうか。
「じゃあお言葉に甘えて、改めてよろしく…陸遜」
「ええ、こちらこそ」
「…あー、自分から話を振った手前言うのは気が引けるんですが、見てるこっちが恥ずかしいんですけど」
「え?!嘘っ?!私また何かおかしなことやらかした?」
ぐるり、と効果音が聞こえるくらいの勢いで振り向くエナガに陸遜はくすりと笑う。
それを見た凌統は凌統でやれやれと肩をすくめて溜息を吐いた。
「ちょっと、やっぱり私のせいってこと?」
「そんな深刻な顔しなくていーから。なんつーか、まああんたらしいんじゃない?」
「確かに、エナガ殿らしいと言えばらしいですね」
「陸遜まで…」
間に挟まれてからかわれたエナガがいじけるように再び撃沈したのは言うまでもない。
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