十一: 損得勘定
「どうかしましたか?」
時間の経過とともに眉間に刻まれる皺が増えていくエナガに陸遜が気づかないはずもなく。
まだ食事を食べ終わっていないエナガに気を遣い今の今まで口を開かなかったのだが、その間にも難しげに曇っていく表情に問いかけた。
「なんというか、これって陸遜に全くメリットがないよね?」
「“めりっと”?」
「利点がないってこと」
「そうですか?」
そんなことはないといった風情でエナガを見返す陸遜に、ますます理解できないエナガは訝しむ。
朝、言われた通りの場所に早めに着いたつもりが、向こうはそれ以上に早かった。
待つ予定の自分が待たせた方になってしまい一日の始めから出端を挫かれた気分のエナガに追い打ちをかけるもの。
それは昨日どんなに尋ねても教えてくれなかったペナルティーそのものだった。
さあなんでもこいとばかりに身構えるエナガに告げられたのは命令でも何でもなく。
「それでは行きましょうか」という一言というわけで。
最初こそ拍子抜けするも、場所を移すだけかと思い直し再度気を張ると陸遜から苦笑交じりの笑顔をされた。
昨日といい今日といいいつになったら教えてくれるのか。
業を煮やしたエナガはこれ以上はぐらかさないでと陸遜に詰め寄った。
すると、昨日あれほど口を閉ざしていた陸遜がなんてことはないただの散策だと口を割ったのだ。
それはもう見事なまでにあっさりと。
エナガにしてみれば、もう引く気はないと徹底抗戦の気持ちで臨んだのだが、またしてもその意気込みは初っ端から砕かれたと同時に追撃打を食らった気分だ。
だから罰則ではないと言ったはずですがと溜息交じりに言う陸遜の言葉など絶句したままのエナガには耳に入らなかったのだが。
そして、釈然としないものを抱えながらもエナガは朝の市の賑わいや歩きながらの雑談を楽しんだ後、昼を食べているというわけだった。
最後の一口を食べ終えて箸を置いた後、エナガは改めて陸遜に向き直った。
「だって、陸遜っていろいろと忙しいでしょ?」
「一日くらいは何とかなりますよ。それに息抜きも必要でしょう?」
「だからその貴重な時間をここに割いていいの?折角の休みならもっとこう一人で読書とか昼寝とか、とにかくもっとのんびりすべきだと思うけど」
「私はこれでも十分休んでいるつもりですが」
「…ならいいんだけど。あ、別に陸遜といるのが嫌だってわけじゃないから。そこのところは誤解しないでほしいかな」
エナガとて陸遜と過ごすのが嫌だというわけではない。
こうして陸遜とじっくり話すのは実のところ初めてであり、何だかんだで今この時間を楽しんでいる。
ただふとした瞬間ごとに自分だけが楽しんでいるのではと思うにつけて申し訳ない気持ちを感じるのだ。
そもそも事の発端は自分である。
仕掛けたのは陸遜だが一回了承してしまったこともあり気が気でないというもので。
しかし、そんな自分の拙い釈明の言葉でも陸遜は大方を察して応えてくれる。
年上であるはずの自分より物分かりの良くしっかりした陸遜に、素直に凄いと感じると同時に己の成長のなさに内心恥ずかしさも覚えた。
「私も見習わなきゃ…」
「何を見習うんです?」
「陸遜を」
「私を?」
「そう。陸遜を見てるともっとしっかりしなきゃって思うんだよね。私かなり自分に甘いから、みんなに迷惑かけてる気がするし…」
「エナガ殿は十分しっかりしていると思いますが…」
でなければいくら呂蒙でもエナガに仕事をさせるはずもないし、陸遜とて彼女が言う貴重な時間をそれこそ彼女が少しでもこの世界に慣れるように一緒に城下の散策をしようなど言い出すことはしないだろう。
とはいえいくら言ってもエナガの性格上お世辞にしかとられないのは短時間ながらも接した中で分かったことだ。
現にそんなことはないと陸遜の言葉をこれでもかというくらい頑なに否定している。
そうですかと納得をしてみせると、次に返ってきた言葉は自信がないことに自信があるとのこと。
それもどうなんだと思うが、当の本人は至って真面目に言っている。
これ以上この話を吹っかけても不毛にしかならないと踏んだ陸遜は、ちょうど限も良いと踏んだのか話をここで切り上げることにした。
「…それではそろそろ行きましょうか」
「あ、そうだね。あんまり長居したら店の人の迷惑になるもんね」
と、勘定を払うべく立ち上がったのだが。
ここでちょっとした疑問がエナガの中で浮かびあがった。
「ねえ、陸遜。あのさ、お勘定って…」
「ああ、それなら先にまとめて払っておきました」
「先にって…」
どこで払うものなのか。
そう聞くはずが返ってきた言葉にエナガは目を丸くする。
先払いとは露知らず、てっきり後払いとばかり思っていたエナガは店先で注文を済ますと席を探すべく先に店の中へ入って行った。
昼時のゴールデンタイムということもあって早く席を確保しなければという意識しか頭になかったのがいけなかったのだろう。
よくよく考えるとあの時、店の人に呼び止められたような気がしないでもない。
店内が賑やかであったのと、焦りで頭がいっぱいだったのとでかけられた声が自分へのものだとは考えなかったのだ。
やってしまった。
後悔と羞恥に耐えかねたエナガはへなへなと再び座り込んだ。
「そんなに気にしなくとも大丈夫ですよ」
「気にするよ…。私の分まで払わせちゃったでしょ」
「ああ、それなら最初からエナガ殿の分も私が支払うつもりだったので問題ありません」
「は…?いや、奢ってもらう理由なんてないよ。それに、これでも一応仕事した分だけは給料もらってるから」
「ですから気にしないでください」
ね、と笑顔ながらも反論は許さないとばかりに最後に念を押すと、陸遜は言い返す間も与えずに今度は長居すると待っている方の迷惑になりますよと先程のエナガの言葉をそのまま返して先に店の外へと歩き出した。
良いように言いくるめられた感が拭えずにいるエナガだが、入口付近で席を待つ人の列が目に入ったので渋々ながらも陸遜の後を追って店を出ることにした。
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