十二:救う覚悟


昼を済ませ、再び繁華街に出た二人だったが――。


「…はぐれちゃった」


朝以上の賑わいをみせる市場はエナガの予想を遥かに超えるもので、久し振りの人混みに酔って少し立ち止まり意識を余所に向けた瞬間。
隣にいた陸遜と見事にはぐれてしまったという…。

完全に見失ったと分かった時にはどうしたものかと困ったものの、かといってこの人通りの中で突っ立っているわけにもいかず、半ば人の波に押し出される形でエナガは大通りから外れた脇路へと移動した。

そして。
下手に動くと合流が難しくなるため暫くこの場に留まっていようと思った直後、それは起こった。


(何かあったのかな?)


市の喧騒を背に脇路へ視線を向けると、普段なら人が疎らでありそうなこの通りを何やら人が忙しく行きかっている。
背後の賑わいとはどこか違う胸がざわつくような不安に掻き立てられるような感覚を覚えたエナガは騒ぎの中心である方に視線を向けた。

このすぐ近くには確か川がなかっただろうか。
以前一人城下をふらついた際、ちらりと目にした記憶があった。
不意に嫌な予感がエナガの脳裏を過る。

縁起でもないとすぐさまそれを打ち消すも、嫌な予感ほどよく当たるらしい。
耳に飛び込んできた話は人が溺れたというものだった。

野次馬根性は然程強くないエナガだが、聞こえてくる人の声と様子からして見て見ぬふりができないほどの距離であることに気付くのはそう時間もかからなかった。

溺れた人は助かったのだろうか…?

安否が気になるも、自分が下手に動いたところで変わるものでもないし、第一率先して救助にあたろうという度胸もない。
それに陸遜とはぐれた今、これ以上動きまって迷惑をかけるわけにもいかなかった。
エナガは申し訳ない気持ちに駆られ耐えるようにぎゅっと手を握りしめていた。

しかし――。
合理的な理性とは裏腹に感情は実に自分に正直だった。




◆ ◆ ◆ ◆




エナガとはぐれたことに気づいた陸遜は市の人波に逆らうように元来た道を戻っていた。
今日に限って一段と多い人の数に陸遜なりにはぐれぬよう気を配っていたつもりだった。
それ故ふとエナガが立ち止まったのにいち早く察知することまではできたのだが、思っていた以上の人の数にすぐさま引き返すことができなかったのだ。
それが祟って現在に至る。

やや強引に人を押し分けて漸くエナガが立ち止まった辺りまで来たものの、そこに彼女の姿はない。
流石に同じ処に立ちつくしているわけもないかと周囲を見渡したところ、脇路の異変を感じ取った。

騒ぎのある所にエナガあり、というわけでもないが念の為と陸遜は大通りを外れて渦中へと足を向けた。








騒ぎの大本の川辺に近づいた陸遜が目にした光景は――。


「エナガ、殿……?」


騒ぎを聞きつけた民衆が取り巻く円の中にいるエナガだった。
そして、もう一人、横たわる少女がいる。
全身ずぶ濡れで微動だにしないところをみると恐らく川で溺れたのだろう。

それにしても何故エナガがこの場にいるのか。
最後に別れた様子を見てもこの事故に気づいていたとは到底思えなかった。

前後関係が見えず首をかしげた直後。
エナガのとった行動に陸遜は目を見張った。








自分は何をしているのだろう。
自分を囲むざわめきを耳で聞きながらエナガは妙に冷めた感情でそれをとらえていた。
以前の自分ならしないであろう大胆な行動にどこかで驚いている自分を感じながらエナガは目の前の命を救うべく応急処置を取り始めた。

応急処置は以前ボランティア活動で習ったことがある。
しかし朧げな知識で本当に助けることができるのか。
それが不安だった。
とはいえ、迷っている暇などない。
大量の水を飲んだ少女の呼吸は止まっているのだから。

勢いで飛びだしたことに少し後悔しながらも、それでも助けたいという思いの方が強かった。

少女の気道を確保し、それから鼻をつまむともう片方の手で顎を固定した後、エナガは彼女の口に息を吹きこんだ。
空気が肺に入り込んだのを横目で確認すると、今度は心臓を再び動かすべく両手を重ね少女の胸にあて力の加減に配慮しながら一定の間隔で心臓を刺激する。
そして、ある程度の刺激を与えると、また少女の口に息を吹き込む。
この一連の処置を少女の息が戻るまでエナガは何度も何度も繰り返した。

周囲のざわめきなどもはやエナガの耳に届いてはいなかった。
少女が助かることだけ祈りながらひたすら手や口を動かしていた。

そうした必死の気持ちが通じたのか処置を初めて数十分が経過した頃、激しい咳込みと同時に少女の息が戻ったのだった。


「よかった…」


安堵の溜息の後、それまで固唾を飲んで見守っていた周囲の緊張が解けてざわめきが一気に歓声へと変わっていく。
意識を取り戻したもののいまだ動けずにいる少女を優しく抱き起こしたところ、事件を聞いた母親が二人の元に駆け寄ってきた。

これでもう大丈夫。
そう判断したエナガは少女を二人に預けると自分は人を探しているからと理由を告げ、漸く視界に入ってきた周囲の好奇の視線にいたたまれずにその場から離れようとするも…。

思い虚しく彼女の希望は感極まって何かお礼をと言う母親に袖を掴まれ、野次馬からはどこの誰なのかと固まって質問攻めに遭うという一番困った事態に追い込まれた。


「あの、お礼なんていりませんし、私、はぐれちゃって人を探す途中なんで…」


頼むから察してくれと目で訴えるも、効果は見られない。
身動きがとれず心底困り果てたエナガに助け舟を出したのは、医師を連れてやってきた陸遜その人だった。


「り、陸遜?」

「遅くなってすみません」

「お医者さん、呼んでくれたんだ」

「ええ、医師が来る気配がなかったので呼びに行ったのですが…もう大丈夫のようですね」

「そんなことないよ。私がやったのは応急処置なだけだから、助かったよ」


本当いろんな意味で助かった。
内に隠した本音を察してくれたのか、陸遜は医師に代金を払うと何かあったら知らせてくれと必要最低限の処置を言付けると、後は頼むとエナガを連れて騒動の場から離れていった。








「なんか結局陸遜に押し付けちゃった気がするんだけど…」


川から離れ、先の者たちの目を気にしない程度の距離にまできたところ、すまなかったとエナガは詫びを入れた。


「そんなことはありませんよ。それに、あの少女を助けたのはエナガ殿です」

「あの時は無我夢中だったから、正直後先考えずに突っ走ったというか…。自分でも自分の行動に信じられないと思ってるし」


元の世界でいた頃なら度胸もなく、せいぜい医者を呼びに行けたら良い方の部類だろう。
それが今、率先して救助に向かったのだ。


「なんというか、ここに来てから不思議と行動できるようになったようなきがするんだよね」

「本当ですか?」

「うん。これも陸遜たちのお陰かもね。みんなを見てると私も頑張らなきゃって思えるから」


これが向上心、というものだろうか。
いまだ自分のとった行動に驚きを隠せないが、悪くはないと思う。
それがエナガの心境だった。

満ち足りた笑みを浮かべありがとうと感謝の意を述べるエナガに、陸遜もまた笑顔で答えた。

連れ出して良かった。
こうしたエナガの変化を見るにつけ陸遜はそう思った。



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