十三:面影
先日の川での事件から数日が経った頃、休みがとれたエナガは川で溺れた少女を見舞うため城下に出かけていた。
事件当初こそ周囲の視線にいたたまれず、早く逃げ出したい気持ちが強かったものの、やはり助けたのだから少女の回復の有無を確かめずにはいられない。
そんな理由で陸遜から少女の住む場所を教えてもらい自分なりに描き記した地図と睨めっこしながら未だ慣れない道を歩いている。
(地図、描きとめておいて正解だったかな)
正直あの川の付近をあたれば分かるだろうと最初は行き当たりばったりのノリででかけようとしていた。
今こうして歩いているとその考えがいかに安易であったかを思い知らされている。
エナガが思っていた以上に目的地までの道のりは複雑だった。
住み慣れた人間ならいざ知らず、新参者で時代も世界も異にするエナガにとってはどの家も見慣れなさでは新鮮に映るものの、特徴がつかめず似たような造りに見えこれだというメルクマークはないに等しい。
そんなこんなで苦闘しながらも地図と周囲を交互に見て慎重に進んだつもりだったのだが――結局のところ詰めが甘かったらしい。
それに気づいた時にはもう手遅れだった。
「あ、あれ?ここって道は一つしかないはずじゃ…」
迷子。
嫌な言葉がエナガの脳裏に過る。
自分の勘違いであってほしいと願いつつも、現実はそうそう優しくはないというのが世の常である。
「…これって完全に迷子決定だよね」
誰に問いかけるまでもなくそう呟くと往来で一人項垂れた。
以前友人と出かけた際、地図を見ながら思いっきり逆走したのを昨日のことのように思い浮かんだ。
太陽が燦々と照りつける中、暑さとは違う理由による眩暈がエナガを襲う。
出かけた当初の意気込みは既になく、沈んだ気持ちがエナガを支配する。
やはりあの時自分でではなく陸遜に地図を描いてもらうべきだったか。
流石に今更引き返して描いてくれと頼めるほど図々しさがないエナガはただ唸りながら地図を睨みつけるしかなかった。
しかし、睨みつけたところで何の問題も解決しないのは自明のこと。
現に意識を地図に集中したばかりにエナガは数歩前を歩く少年の存在に気付けずにいた。
少年の歩幅と半ば苛立ちに任せ普段より大股で早く歩いているエナガとでは追いつくのに時間はかからない。
そして…――。
「「――わっ?!」」
案の定エナガが少年に追突する形で派手にぶつかった。
お互い倒れこそしなかったが、身長差のないエナガと少年は互いの頭がぶつかったためその痛みにより暫くは悶絶したまま動けなかった。
少年より若干石頭だったらしく、痛みが早くひいたエナガは自分のしでかした失態に青ざめる。
大丈夫かと慌てて問いかけるとなおも後頭部を押さえながらも大丈夫だという答えが返ってきた。
他にも怪我をしたところはないかとぶつかったであろうと思われる箇所を見ると、予想通り右の踵にエナガの靴跡が土とともに付着しているではないか…。
よくよく彼の身なりをみるとそこそこ…、いや、かなり良いところの身分と見える。
これには益々自身の置かれた状況に血の気が失せていくというもの。
自分が迷子であることもすっかり忘れたどころか一切の思考が活動を停止してしまった。
そんな茫然自失のエナガを現実に呼び戻したのは言わずもがな被害者の少年である。
「あの、…大丈夫ですか?」
「…へ、は、はい!私はもう全然問題ありません!本当に申し訳ありませんでした!」
「そんなに畏まらなくても…」
「や、でも…」
そういうわけにはいかないと首を横に振るエナガに対し、何かに気付いた少年は、ふと彼女の顔をまじまじと見ると一人ぼそりと呟いた。
「もしかして――あなたがエナガ殿?」
「え、私が何か…?」
謝罪こそしたが自分は名を名乗った覚えはないと不思議に思ったところ、その僅かに生まれた警戒心を素早く感じ取った少年は先日の川での出来事でそう呼ばれていたので知ったのだと付け足した。
あの騒ぎを考えると不自然なことではないかと思ったエナガはこの時少年の話を多少疑問に思いながらも一応否定の色は見せなかった。
「それでエナガ殿はどこへ行く予定だったんですか?」
「ああ、その溺れた女の子のお見舞いに行こうかと思って…」
「その子の家だったら行き過ぎてるかと…」
「えっ?!」
急遽地図に視線を移すと、少年は態々現在地と目的地を指で示し説明してくれた。
原因は枝分かれした道を一つ曲がり間違えただけというもので、なんともまあ単純なものだった。
あまりにお粗末なミスに自然と溜息が出る。
「あの、もしよかったらその子の家まで案内しましょうか?」
「でもこれ以上迷惑をかけるわけには…」
「大丈夫ですよ!」
だから行こうと率先して道案内を買って出た少年は半ば強引にエナガの手をとると、そのまま目的地へと歩き出した。
最初こそ戸惑いを見せたエナガも、そこまでいうなら問題ないかとこの少年の親切を快く受け取った。
「そういえば、あの事件の時どこにいたの?」
「え、…それは――」
往来を歩く中、エナガは先程から気になっていたことを尋ねてみると、少年は虚を衝かれたようにどもりながらも人の輪の中にいたのだと苦し紛れな答えを返したのだった。
…おかしい。
改めて考えると腑に落ちない点が多々あるように感じた。
この少年、人の輪の中にいただけにしては事情を詳しく知り過ぎている。
まるでエナガのすぐ傍にいたかのような、…いいや、誰かからエナガと陸遜のやりとりまで把握しているようにみえる。
(そういえば…あの時、私名前なんて呼ばれてない)
それに気づいた時、エナガの中で一番引っかかっていた疑問がすっと解消された。
彼は嘘をついている。
これはどう考えても事実だろう。
残る問題は彼がどうやってそれを知ったのかということになる。
恐らく何者かから間接的に情報を得たと考えるのが正しいはず。
ではその何者とは…。
「あのさ、私たちって面と向かって会ったのは今日が初めてだよね?」
「え、ええ」
その対応にエナガの予想は益々確信へと変わっていく。
そうだよねと納得する素振りをみせたエナガはふとあることに気がついた。
「ねえ」
「…何ですか?」
「名前、きいてもいい?」
「あっ」
向こうはエナガを知っていてもエナガは彼を知らない。
勢いでこうしているものの、やはり名前くらいは聞いておかなければ何かと問題だろう。
そんな思いで軽く問いかけたのだが、意外にもそれが問題だったらしく、暫しの逡巡の末少年は口を開いた。
「瑁って呼んでください」
「瑁、くん?」
「はい。何ですかエナガ殿」
「何でもないよ。でも、なんというかそう呼ばれると…」
既視感がある。
それは瑁という少年の外見や雰囲気から言えることかもしれない。
胸の内を率直に告げると瑁は一瞬肩をびくりとさせると、気のせいだと必死になってエナガのぼやきを否定にかかった。
相当慌てていたのかエナガにばかり注意を向けていた瑁は、仕舞いには先程のエナガ同様向かってくる通行人の肩をぶつけてしまう。
…何か隠している。
その不自然さに違和感を抱いたエナガだが、あえて平静を装いそれ以上の追究の手は伸ばさなかった。
ちらり、とかわりに本人には気取られぬよう横目で改めて瑁の顔を見る。
やはり、似ているのだ…。
柔和でいて 面差しやこちらが羨ましくなるような癖のない柔らかな栗の髪。
その髪と同じ色の瞳には優しさと強い意志を秘めているようにみえる。
最初こそ見間違いかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
とはいえ、エナガの知る“彼”よりは少しばかり幼げなではあるが。
何も言ってこないエナガにこれ以上話が進むと困るとばかりに瑁は少し急ごうと歩く速度を速めていく。
エナガは確信めいた疑惑を抱えながらも、先を歩く瑁にはぐれぬよう足を速めた。
彼との関わりがあるのなら、遅かれ早かれこの謎は分かるだろう。
そして、やや楽観的とも言えるエナガの予想は外れるどころか思わぬ早さで知れることになる。
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