二十:口実


強烈な陽射しが照りつける屋外とは対照的に、クーラーの効いた教室にはこの時ばかりは多くの生徒が一定の間隔できちんと席についていた。
誰一人として口を開く者はなく皆配られた用紙にせっせと答えを書き出していく。
所謂定期試験の一場面である。


「はい、そこまで」


壇上の教師こと監督官の声で試験は終了した。
途端それまで張りつめていた緊張が解かれ、それまでの鬱憤を吐き出すかのように隣の友人と遊ぶ予定を話す者、一人盛大な溜息をつく者、自信満々に先程の答えを友人同士で語り合う者の声で教室は一気に騒然としたものに変わった。

当のエナガはというと、そのいずれでもなく解答用紙が回収され、退場の許可が降りるや足早に教室を後にした。
向かう所はもちろん自宅である。
これで試験と名の付くものは全て終了し、残るはレポートを二つほど消化するのみ。
参考文献も前日までに片っ端から借りることに成功し、後は持論と照らし合わせ書いていくだけだ。

やや早めの足取りで校舎を出てそのまま校門を通り抜けようとした直後。


「エナガ殿!」

「わっ?!」


ぐいと腕を引かれ驚いたエナガは思わず声を張り上げた。
そして、引き留めた相手を見るやいなや再び驚愕の色を一層強くした。


「陸っ……」


うっかり大声で彼の名を呼び掛けたところで慌てて口を噤むエナガに、陸遜は一瞬眉を顰めるも、すぐにいつものエナガに向ける笑みを浮かべてみせる。


「ど、どうしてここに…?」

「今日は買い物に行くと言っていたので、いちいち荷物を置きに戻るのも面倒だと思い迎えにきました」

「それはそうなんだけど、陸遜に面倒かけるつもりは…」

「住まわせていただいているのですからこれくらいわけありません。それに、荷物持ちは必要でしょう?」

「わ、わかったから…と、とにかくここから離れるよ」


周囲の視線に居た堪れなさを感じたエナガは引きとどめられた側の腕をそのまま引っ張る形で陸遜とともに校門から足早に離れて行った。




◆ ◆ ◆ ◆




陸遜がその違和感を完全に理解したのは買い物をし終えた帰りのことだった。

もといた世界でそうしてきたようにエナガの名を呼ぶと、エナガは困ったように言葉を濁し、周囲の反応を気にしていた。
おかしいと思うも敢えて何も追及せずにいた陸遜だったが、さらなる疑問により違和感を強く抱くようになった。

呼ばないのだ、自分の名を。

校門でエナガを引き留めた時もそうだ。
いつものように名を呼ぼうとしてすぐ思いとどまる。
それが何度か繰り返されるとなると流石に何かあると考えるのが普通だ。

無事家に着いて買ってきた食品を片付け終えた後、エナガが一段落つこうと提案した時、陸遜はこの疑問をぶつけてみた。


「どうして名を呼んでくれないのですか?」

「え?…そんなことは」

「ないわけではありませんよね?」

「…何というか、恥ずかしかったんだ」

「恥ずかしい、ですか?」

「うん、あーもうとにかく照れくさかったの」


それだけなのかと不思議そうに首を傾げる陸遜に、エナガは誤魔化すように照れ笑いをしてみせた。
もちろん、校門の前での一件が恥ずかしいというのは本当である。
それ以外にも理由はあるが、こればかりは陸遜本人に話せることではなかった。

いくら腐ってもエナガは学生であり、歴史の知識はそれ相応に持っている。
自分が飛ばされた国がいつの時代のどういった世界であるか。
最初こそ動揺で理解できなかったものの、落ちついていくにつれて薄々感づいてはいた。

だからこそ未来であるこの世界において陸遜の名を呼ぶことに躊躇いを感じたのだ。
平平凡凡と生きてきたエナガが陸遜に対して誤魔化すことは難しいだろう。
仮に露見したのなら、その時はその時で腹を割って正直に告げようとある程度の覚悟はエナガにあった。

そんなエナガの思いを知る由もない陸遜は何を思ったのか突拍子もないことを言い出した。


「それでしたら伯言と呼んでください」

「…は?」


どう考えてもそれは違うだろうと、エナガは目を点にする。
確かに恥ずかしいとは言ったが、字とは…。

むしろそっちの方が恥ずかしいのではないだろうか。

そうやって表情で訴えてみるも、陸遜はにこにことエナガを見るだけで取り消すつもりはないらしい。

エナガの性格からして恥ずかしいだけが理由ではないことくらい陸遜は理解している。
言いたくないことを無理に言わせるくらいなら、むしろそれを利用して自分の都合の良い方向に持っていけばいいだけのこと。
そして、事は陸遜の思惑通り、…否、それを斜め上にいく形で進行する。


「……分かったよ。なら陸…じゃなくて伯言がそう言うなら私も提案があるんだけど、いいかな?」

「私にできることであれば構いませんが」

「ならさ、ここでは『殿』ってつけるのはやめてくれるかな?」

「え…それは」

「二人きりの時は構わないんだけど、外ではちょっと…ね。目立っちゃうからさ」


申し訳ないとエナガは言うが、陸遜にとっては予測以上に都合の良い展開にいささか動揺を隠せなかった。

自分の想いを自覚したばかりなだけに嬉しいのやら心臓に悪いのやら。
そう思うも結局のところ喜ばしいことには変わりなく、我ながら都合の良い人間だと知りつつもエナガの提案に快く受け入れる陸遜だった。




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