二十二:戸惑いの夜
事の始まりは一通のメールだった。
「飲み会、ですか?」
携帯の画面からエナガが視線を陸遜に向け告げた言葉に陸遜は詳細を探るように問いかけた。
別に飲みに行こうが行くまいがエナガの自由なのだから居候の陸遜がとやかく口出しする権利はない。
しかし、いくら戦のないところとはいえ行き先は飲み屋。
いつ他の泥酔者が絡んでくる可能性もあり安全であるとは言い切れない。
それにエナガだって酔ったことで
誘ってきた相手次第ではこちらもそれ相応の対応をするつもりだ。
そうなったらたとえエナガが首を縦に振らなくても付き添うつもりだし、納得させるだけの(この場合丸めこむとも言うが)理由を何が何でも作り出す気でいる。
とどのつまりさも普通に身を案じているかのようでいて実のところ害虫駆除、恋敵となる前に潰すという不純全開な心配というわけだ。
相手は女友達と二人きりで飲むとのこと。
しかもエナガにとっては何だかんだでこの世界に戻ってきて久しぶりの再会である。
それを考えると行くなとはとてもじゃないが言えなかった。
自分は大丈夫だから楽しんでくるようエナガに告げると、エナガは喜んで片手に持つ携帯画面に視線を戻すとメールを打ち始めた。
そんなこんなで陸遜に鍵渡したエナガが家を出て約7時間。
12時近くになろうとしているが、エナガが返ってくる気配は一向にない。
このままだと日付が変わるまでどころか変わっても帰ってはこないのでは…。
自分の待つこの部屋がエナガの帰る場所だと分かってはいるものの、嫌な不安が陸遜を襲う。
店の場所は出かける直前にエナガに教えてもらい、歩いて行ける範囲であるということは分かっている。
学生街と言うこともあり外から聞こえる若者の声を考えても人通りを心配するようなこともない。
とはいえこうも遅いといらぬ心配が生まれるというのもまた必然。
心なしか静かな室内に響く秒針が刻む音が何かを急かすように陸遜には感じられた。
一日が終わるまであと数分、壁に掛けられた時計を一瞥した陸遜は無言のまま立ち上がると渡された鍵を手に玄関に向かう。
がちゃりと扉が閉じられる音と日付が変わる音が室内に聞こえたのはほぼ同時のことだった。
◆ ◆ ◆ ◆
陸遜の心配を他所にエナガは異世界に跳ばされて以来久しぶりの友人である理絵との再会に気分も上々とばかりに有意義な時を過ごしていた。
居酒屋とはいうものの間仕切りなしの空間のため、会社帰りの社会人を始め大学近くとあって同じ学生たちの騒ぎ声が周囲に飛び交っている。
華の金曜日の夜ということも相まって普段以上に賑わいをみせる店内に、最初こそ驚嘆したエナガたちだが、席に着き飲み始めてしまえば見事彼らの仲間入りというわけだ。
幸い運よく外の通りが見える隅の席に座ることができたため騒ぎの渦中から離れ二人でまったりとくつろぐことができた。
遠慮なく会話ができる場所を確保した二人はつい最近まで悩まされていた課題や試験の結果からその間の出来事について一通り報告し合った後、恒例となりつつある共通の趣味について話が移行していった。
時間の経過に比例するように盛り上がっていき、宴も酣というところでふと理絵が一呼吸置いたかと思うと何を思ったのか思わぬ話題を振ってきた。
「で、この前一緒にいた男の子って誰?」
「――っ?!」
その一言にエナガは否定する間もなく咽るという行動で肯定の意を示してしまった。
上手く逃げ切ったつもりがばっちり見られていたらしい。
にやにやと意味深な笑みを浮かべこちらの動向を楽しそうに窺ってくる友人を小突きたい衝動に駆られるも、弱みを握られた立場上それも叶わなかった。
何より咽たことで炭酸が気道に入り喉へのダメージでそれどころではない。
「吐けば楽になれるよ」
「…それどっちの意味で?」
「んー、両方♪」
「…このドS」
「何とでも。ほら御託はいいから早く話す!」
「はいはい」
酒の勢いも入ってか理絵の追究にもエナガは呆れながらも軽いノリで口を開く。
とはいえいくら酔いが回っていても流石に異世界で知り合ってこっちに来ちゃいました、などという事実は隠さなくてはならないという意識はしっかりと持っていたので、そこは遠い親戚で東京観光にきているのだというこれまたありがちな設定で誤魔化した。
エナガ同様理絵もまた酔っていることもありその話を疑うこともなく受け入れるも、それで終わるわけもなく、今はどこで寝泊まりしているのか、どういう感じの子で普段はどんなやりとりをしているのかなど更に深く聞いてきた。
これ以上の深入りを最初こそ渋ったエナガだったが、アルコールによって緩んだ思考は最終的にまあいいかという結論に達したのだった。
一旦気が緩んでしまえば後は理絵の問いに思ったことを答えるだけだ。
「すごくしっかりした良い人だよ。今は私の家にいてもらってるんだけど、その前は私が居候させてもらってたんだ」
「へー、じゃあ結構前から家族ぐるみで付き合ってるんだ」
「んー、別にそういうわけじゃないんだけど。とにかく年下なのに…というと失礼なんだけど、本当私より断然頭の回転が速いし礼儀正しいし、その上顔もいいからなー」
「それってかなり凄くない?」
「うん、凄いと思う。それに優しいし仕事…じゃなくて、えーと、バイトかな?バイトでも何も言ってないのに私が困ってるとさりげなく助けてくれるんだよね」
「ええ?!ちょっと、何気に良い感じの仲なわけ?」
「まさかー。大切な友人だよ。まあ助けてもらってばかりで申し訳なく思うこともしばしばあるけど…だからさ」
「だから?」
「私でできることがあれば力になりたいんだ」
「力にねえ…」
「うん。家のこととかいろいろなものを抱えてるのに嫌な顔一つせず頑張ってるから、知らないうちに溜め込んでないか心配なんだ」
「へえ…」
「余計なお世話ってのは分かってるんだけどね。それでも――」
支えたい。
一人呟くように言ったエナガの表情は友に向けるというよりも家族や愛しい者に向けるような温かなものだった。
それに気づいた理絵は一瞬呆気にとられるがすぐ我に返ると溜息を洩らす。
興味本位に人の事情に突っ込んだ自分が馬鹿だったと今更ながらに後悔が理絵を襲う。
「…ねえ、エナガ。あのさ――」
なおも言い続けようとするエナガを遮って理絵はある結論を告げた。
それはエナガの意識を彼女へと向けるには十分過ぎるほどのもので、実際にエナガはその言葉が耳に飛び込んだ直後螺子が切れたようにぴたりとしゃべるのをやめたかと思うと驚きと困惑の表情で理絵を見た。
「理絵、それって……」
言われたことの意味を完全に理解したエナガが反論しようと口を開くも、思わぬ問いに返す言葉が見つからずにいるうちにまたも理絵によって遮られた。
「残念。時間切れね」
「え?」
「ほら、迎えがきたみたい」
「迎えって……あっ」
理絵の視線が示す先を振り返ると、ガラス越しに見知った人物がこちらに近づいてくるのが見えた。
咄嗟に時計をみると自分の体感時間とは裏腹に思っていた以上の時間が経っており、一日が終わって30分も経っている。
確か自分は12時になるまでには帰ると言っていたのではないだろうか。
そうなると、今この時刻は完全に時間オーバーということになる。
ひやり、と嫌な汗がエナガの頬を伝う。
母との門限を忘れついつい遅くまで遊んでしまったのを思い出した子どものような心境になったエナガの行動は速かった。
先程までの酔いはどこへやら、急遽レシートを手に取り自分の支払い分を計算すると釣りはいらない旨を理絵に告げ、今日の感謝と詫びを入れると席を立った。
「…惚気は聞かないけど結果ぐらいは教えてよねー」
やれやれと駆けていく背中を見送りながら言った理絵の言葉は、幸か不幸かエナガに聞こえることはなかった。
「ご、ごめんっ」
途中でこちらへと駆けてくるエナガを見つけた陸遜は、店の入り口付近で立ち止り彼女の帰りを待っていた。
とぎれとぎれの呼吸になりながらも陸遜のもとに辿りついたエナガの最初の一言は言うまでもなく謝罪である。
仕舞いには有難い仏像に縋る民衆のような形で許しを得ようと必死に拝み込んでいる。
もしくはすぐ帰ると電話で言っておきながらどこかで飲みすぎて帰ってしまい一心不乱に妻に縋るサラリーマンのようである。
そのあまりの必死さに陸遜も心配故に生じた怒りの感情はふっとどこかに消えていき、無事だという安堵の気持ちとともに込み上げてきた可笑しさに思わず笑いを堪える破目になった。
「とにかく無事で安心しました」
「怒ってないの?」
「ええ。怒るというよりは…心配だったので」
「ごめんなさい」
「ですからそんなに謝らなくてもいいですよ」
「わ、わかったよ」
「それでは帰りましょうか」
そう言われそっとさし出された手を見て反射的に手を伸ばしたところでエナガはふと先程の友人との会話を思い出す。
彼女の最後の問いかけはエナガの心を揺さぶるのに十分なものだった。
『その子のこと好きなんじゃない?』
言われた直後はそれがどういう対象としてのものかを理解することができなかった。
友人として好きだと言えば迷うことなく答えはYesだが、それとは別の意味で問われるとなると…。
エナガにとってまさに寝耳に水というもののため即答などできるはずもなかった。
「エナガ殿、大丈夫ですか?」
「あ、…うん。少し飲みすぎただけだから大丈夫だよ」
「それは大丈夫と言わないのでは?」
「そ、そう…だね」
痛いところを突かれ思わず閉口するエナガに陸遜はやれやれとばかりに溜息をつくと、中途半端に宙に浮いたままのエナガの手を取り夜道を歩き出した。
学業から開放された学生達で賑わう通りを歩く中、二人は終始無言のままだった。
心地よいような気まずいようなよく分からない沈黙から逃げるようにエナガは先程中断した思考を改めて巡らし始める。
自分は陸遜のことをどう思っているのだろうか。
好きか嫌いかといえば勿論好きである。
ただその好きが理絵に対するような感情と彼女がエナガに告げたもののどちらかと問われるとなかなか答えを出せないのだ。
いや、出せないというのは少々語弊がある。
エナガ自身周囲に対する多少の鈍さは自覚してはいるものの、流石にそこまで鈍感な人間ではない。
理絵に指摘された時、心のどこかでそうだったのかと納得する自分がいたのを覚えている。
だからと言ってそこですんなり受け入れられるほど柔軟性や従順性を持ち合わせているわけでもない。
それに、素直に認めていいのかという迷いもある。
好きだと認めてしまえば今までの相手に対しての意識が一変してしまう。
気づくまでなんとも思わなかった言動にも平静に対処することができなくなったり以前の対応を忘れるあまり自然が不自然になってしまうことだってあり得る。
陸遜が何も言ってこないのをいいことに思考を完全に内に巡らせていたエナガだったが、自宅まであとエレベーターに乗るだけというところでエナガたちに向けられた女の声によりそれは中断させられた。
「これはまた随分と遅い帰りだな」
「あ、えっと…あなたは?」
無意識に下に向いていた視線を上げると、壁に寄りかかり妖艶な笑みを見せる女がみえた。
服装は至ってシンプルな淡い水色のブラウスにタイトなスカートだが、腰まで届くほどの長い若干ウェーブがかった柔らかな髪はここでは目立つであろう白髪で、先が緑色で白に融けるようにグラデーションになっている。
外見から判断するにエナガより少し年上といったところだろうか。
端正な顔はどことなく冷たさを秘めているように感じられる。
このような女性を知り合いに持った覚えはエナガにはない。
ならば陸遜かと思うも、この世界に自分以外の知り合いはいないはず。
それを裏付けるように陸遜が女に向ける表情は凡そ知人に向けるものとは言えず、警戒の色を内に隠している。
不信感を隠すことなく剥き出しにする二人に気づいた女はくすりと笑うと悪びれもせずこう言った。
「そう言えば言っていなかったな。私は女[D:23207]、お前の世界でいうところの仙界の者だ」
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