二十八:攻防戦
重苦しい沈黙があたりを支配する。
否、そもそも重苦しいと感じているのはエナガただ一人なだけで、この場にいる他二名はそもそも何も感じていないのかもしれない。
気まずいのは後ろめたい気持ちを持つ自分だけで彼らは別段困ることはないのだろう。
それどころかこちらの心を見透かすかのような微笑を浮かべるだけの余裕を感じ取れる。
茫然として固まることしかできないエナガを他所に、瑁は首尾よくいったとでもいうように何やら兄に目配せをした。
やはり最初から示し合わせていたのではと問い質すように瑁を見やるエナガに、瑁は慌てて否定する。
瑁も瑁で兄がここに来たのを今し方気付いたばかりである。
たまたまエナガ越しに兄を見つけただけであり、背後の存在にエナガが気付けなかっただけだという。
そこで漸くエナガに気づかれぬよう兄弟二人して包囲網を張ったとのこと。
要は即興の策ということらしい。
つくづく嫌な兄弟である。
内に湧き起こる文句の捌け口を求めてエナガが思案している間に、後は兄に任せるとばかりに瑁がすっと身を引いた。
帰り際に失礼しましたと軽くお辞儀をする瑁をエナガが慌てて引きとめようとするも、それは陸遜の手によって阻まれる。
「あの、放して」
「放したらあなたは逃げるでしょう?」
「それは……って痛い痛い、ちょっとストップ」
「聞こえませんし分かりません」
「……性格悪くなった?」
「今までの経緯からこれくらいやらなければいけないと分かりましたから」
「そーですか…」
誤魔化しの悪態もさらりと流され、エナガは万事休すと溜息を漏らす。
せめてもの抵抗として視線だけは相手に合わせまいと明後日の方を見ていた。
双方暫しの沈黙の末、先に口を開いたのはやはり仕掛けた側の陸遜だった。
「エナガ、先程私はあなたが好きだと言いました」
「………」
「今度はあなたの気持ちを私に教えていただけませんか?」
「私は……」
「どんな形でもいい。あなたの言葉で聞きたいのです」
「私の言葉…」
今度こそ自分の番だ、そう告げられているようにエナガは感じた。
だが、言えないからこうして困っているのだ。
この言葉にエナガの中で何かが切れると同時に、それまで溜まっていたものが堰をきったように口から溢れ出る。
「好きかどうか?そんな単純な問題だったらこんなに悩むわけないじゃない!私だってうだうだ悩むのなんて嫌だけど、後先考えずに答えなんて出せるわけないでしょ!?それに私は陸遜みたいに簡単に覚悟なんて決められない!元の世界のこともある。それに今の自分が置かれた立場や陸遜との関係だって、周囲のこととかもあるからとにかく気になることだらけで無視なんてできない!もうどうしたらいいのか分からないの!」
己の持つ肺活量をもって盛大に吐き出し終え、ぜえぜえと肩で息をするエナガに対し、感情のまま肩腕の束縛を薙ぎ払われた上に、暴走した感情をぶつけられた陸遜は驚きも呆れも見せなかった。
「言いたいことは以上ですか?」
「………」
「先程も言った通り、私は『私のことが好きかどうか』を聞きたいのです」
「知り合いとしてじゃなく?」
「茶化さないでください。いいですか、余計なことを考えずもっと単純に考えてください」
「余計なことってそんな…」
「そんなもんです。少なくとも後で考えれば良いことですから」
「後で考えるものじゃないから悩んでいるのに」
「そうですか?それよりも最初の問いに答えを出した方が今後どうするかを考えやすいのでは?」
好きかそうでないか。
答えさえ出してしまえば楽になれるのだと陸遜は言う。
それは悪魔の囁きにも似た言葉に感じられたが、同時にどこか納得させられたような気がした。
単純でもいいのかもしれない。
そう思うと、ずっと得体の知れない何かに押しつぶされそうになっていた胸のつかえが少しだけ軽くなるのをエナガは感じた。
少なくともあれだけ悩んで悩んだのだ。
これ以上悩み続けても何か変わるということもないのではないか。
ならば素直になればいい。
消極的な弱い心と冷静な理性はそれで悩んでいたのではと尚もエナガを追及するが、今のエナガの中ではどうにでもなれという自棄気味な感情と、考えを変えた方が良い方向に行くのかもしれないという前向きな気持ちが勝っていた。
「ああもう、分かった、認める。好きだよ。好きです。これで文句ないでしょ!」
「ええ申し分ありません。まあ欲を言えばもう少し余情が欲しかったところですが」
「それって全然申し分なくないってことじゃ…」
「ですから‘欲を言えば’の話です」
にっこりとほほ笑んだその笑顔がどこか恣意的な何かを秘めているように感じられ、エナガはひくひくと口元をひきつらせる。
だが、そのおかげでこうして自分に素直になれた上に溜め込んでいたことを吐き出せたのだ。
言いたいことは多々あれども、今は感謝しなくてはならない。
「ほんっと、真面目に考えていたのが馬鹿みたい…」
「それについて一切否定はしません」
「手厳しいね」
「当たり前です。今まで散々逃げられ蔑ろにされてきたわけですから。慰謝料を請求したいくらいですよ」
「なんでそんな妙な用語を知っているわけ…?」
「“てれび”というものは使いようによっては知識を得るのに非常に役立つものですね」
「……そういうこと。あ、でも…もし私が好きじゃないって言ったらどうしたの?」
やられてばかりでは癪に障ると少しだけ意地悪な問いをかけてみたエナガだが、数秒後、早くにも後悔と脱力に襲われることになる。
要は以前の態度の急変と先程の暴露の内容からして余程のことがない限り拒絶されることはないと確信していたとのこと。
結局今回もまた墓穴を掘ったということを思い知らされたエナガは、がっくりと頭を垂れ隠すことなく降参の意を示した。
口で自分は勝てないのかと落ち込むエナガに、陸遜はふと思い出したように口を開く。
「先程のことですが…」
「先程って。ああ、私の言っていたこと?」
「ええ、私とて考えなしにあなたに答えを迫りません」
「………」
それにしてはついさっき随分と一方的ではなかったか…。
思わず口に出そうになるエナガだったが、喉元まで出かかったところで何とか圧し止めることができた。
不満げな視線を感じ取ったのか、陸遜は少しばかり苦笑をもらした後で本題を口にした。
「エナガの世界との兼ね合いについては正直まだ結論がまとまったわけではありません。ただ、あの仙女があなたに渡した示石がある限り今のところは問題ないでしょう」
「そういうことになるね」
「次に私との関係についてですが…、前もって言うと私は隠す気などさらさらないので。そこところは了承してください」
「…うん、そうくると思ったから嫌だったの」
「ですがそれに際しての心配は無用です。エナガが今まで通りエナガらしくいられるように保証します」
「つまり?」
「要するに、“そのくらい何とかする”ってことです」
「そ、そう…?」
これはやる、多分、いや確実に。
裏で何をどう画策するかはエナガの考える範囲ではないが、恐らく陸遜がすると言った以上何とかする…‘させる’のだろう。
周囲の反応やら世間体やら冷やかしやら…考え出したらきりがないものではあるが、その有無を言わせぬ雰囲気からしてとにかく憂いの種は容赦なく潰すということと読み取れる。
向けられた微笑にエナガは彼の怖さを垣間見た気がした。
ともあれ敵に回せば恐ろしいが味方であれば何かと心強い存在である。
そう自分に暗示をかけるとエナガは無理やり別の方向に思考を転向させた。
「え、ええっと、何だかんだでもう遅いからそろそろ戻らない?」
「そうですね。では屋敷まで送りましょう」
「ありがとう。流石にこう薄暗い中人気のない所を歩くのはちょっと…」
「幽霊か妖怪でも出そうだからですか?」
「え、なんで……ああ、そう言えばあの時ホラー番組、一緒に見てくれたんだっけ」
「怖いもの見たさを直せとは言いませんが、一人だと怖いのならあまり首を突っ込むのはよした方がいいですよ」
「ぜ、善処します」
先程の微笑をみたせいか、反射的に警戒を抱きつつもエナガは精一杯のぎこちない笑顔でそう答えた。
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