三十一: 予期せぬ宣告
陸遜の部屋に凌統がやってきたのは彼がエナガを送り出して暫くも経たないうちのこと。
丁度夕餉でも取りに外へ出ようという矢先、戸が独りでに開いたかと思えば目の前にいたのは凌統だった。
「少しいいですかね?」
「何か問題でもあったのですか?」
「問題というか……」
エナガのことについてなんですけどね。
そう前置きをした後、凌統の口から告げられた話に陸遜は眉をひそめる。
何故かの仙女がエナガの前に現れ連れ去ったのか。
後で送ると言うのだから、誘拐というわけではないにせよ、その登場は唐突といえば唐突すぎる。
それに、あの仙女が理由もなしにエナガと接触を図るわけがない。
(後でエナガに聞いた方がよさそうですね…)
何かの依頼か忠告か…それともそれ以外の要請か。
警戒とまではいかないにしても、多少の注意は必要だろう。
油断出来ない状況ではあるが、肝心のエナガがジョカのもとにいる以上今は何を考えても致し方ない。
全てはエナガが帰ってきてから。
そう結論付けると陸遜は態々知らせに訪れ、さらに事の次第を気に掛ける凌統に礼を述べるとともに話しついでにと食事に誘った。
◆ ◆ ◆ ◆
一方エナガはジョカとともに薄暗い灰色の靄のかかった何もない空間にいた。
ジョカ曰く、時空の狭間の一つだという。
またも大変な場所に連れて行かれた身としては文句の一つでも言いたいと思うも、エナガは敢えて押し黙ったままジョカの出方を待った。
不満を述べたところでさらりとかわされるのがオチ。
分かっているからこそ一貫して沈黙を続けているというけである。
「エナガ、以前お前に渡した示石、返してはもらえないか?」
「一体どうしてですか?」
「数日ほど前、予期せぬ次元の歪みが生じた。それを防ぐのに膨大な力が必要でな。出来ればその石の力を使いたい」
「次元の…歪み?」
「一時の歪みで終われば良いが、最悪の場合こちら側にも支障が出る可能性がある」
「え、それって非常にまずい問題じゃ…」
「だからこうしてお前に頼みに来たのだ。とはいえ、その石はお前にやったもの。故に無理に奪い返すことはしない。だから――」
決めればいい。
あくまでもこちらの意思を尊重するというジョカだが、切り出された内容が内容なだけに選択などないに等しい。
結局エナガに望まれた行動は石を返すこと、ただそれだけ。
理不尽といえばそれまでかもしれないが、この仙女の性格をみるに、有無を言わさず奪い取らないだけ彼女に気に入られているのだろう。
それに、だ。
彼女の気まぐれがなければ陸遜らに出会えなかったのだ。
これだけは忘れてはならないし、感謝しなくてはならないとエナガは思っている。
ただ心に引っ掛かるのは示石を返したその後。
返してしまえばエナガは時空を行き来する術を失う。
そうなったらジョカが如何にしてフォローしてくれるのか。
いくらお気に入りとはいえ、今まで以上にそう簡単に行き来は難しい。
否、それどころか究極の選択を強いられる可能性が高い。
「ジョカさん…、一つ聞いてもいいですか?」
「石を渡した後のことだな?」
「はい。私は…決めなければなりませんか?」
「そうだな。私の力で今後も行き来は可能だが、限度がある」
「分かってます。これ以上ジョカさんにお世話になるわけにはいきませんから…、ただ、今すぐ決めろとなると正直無理です」
「分かっている。期限は長くて半月。これ以上の猶予は与えられない」
「半月…、分かりました」
「なら半月後、答えを聞こう」
言い終わるやジョカの姿はフッと掻き消えた。
残されたエナガは一人薄暗い孤独な天を仰ぐと一呼吸ついた。
(時間切れかぁ…)
唐突に告げられた宣告。
いつか来るとは思っていたが、こうも早くやってくるとは思わなかった。
想いが通じてその余韻に十分浸る間もないとは、神様…もとい仙人様はなんとも厳しいものだ。
いや、むしろ十分待ってくれていたのかもしれない。
要は自分がうだうだと悩んでいたのがいけないのだ。
想いを告げないと決めた癖に相手から仕掛けられた途端に意思がぐらつき、揚句半強制的な状況とはいえその決意を自分から壊した。
両方の世界に絆しを持ったまま、覚悟を決められないうちに期限が来たという最悪な展開になったというわけである。
元の世界に戻ってこれまでの出来事を全て忘れるか、もしくは一時の良き思い出に変えるか。
それとも今まで生きた故郷を捨て彼の世界の住人となるか。
両方の天秤にかけるものが大きすぎて、果たして半月でどちらかを選ぶ自信が今のエナガにはない。
不安と焦りで押し潰れそうになるのを堪えるようにエナガは自然と己が胸に手をあてる。
「あと半月……」
絞り出すようにそう呟いた後、エナガはこの陰鬱な空間から逃げるように自分の世界へと戻って行った。
◆ ◆ ◆ ◆
ジョカがエナガの前に現れてから三日が経過した後、陸遜がエナガの異変に気づくのにそう時間がかからなった。
凌統からの話を聞いた陸遜が翌日、彼女に何を言われたのかと問えば示石について少し聞かれたとのこと。
しかしそれだけではないことは後の彼女の様子を見れば一目瞭然だった。
ぼんやりと物思いに耽っているのを不審に思い問いただせば返ってくるのはなんでもないの一言。
どう考えても何かある。
エナガを信用しないわけではないが、こういう時の彼女のなんでもないは非常に疑わしい。
彼女への配慮としてあの時は一応引いたが、もう遠慮はしないと決めたのだ。
「そういうわけですので、そろそろ教えてくれますね?」
「な、何がそういうわけなの?」
「とぼけないでください。一体ジョカに何を言われたのですか?」
「その前に少し離れてくれると助かるんだけど」
「離れたら逃げるでしょう?」
「…ご尤もです」
腕こそ掴まれていないものの、壁に追いつめ両腕で囲うように閉じ込めているあたり、陸遜の本気が見て取れる。
微笑みの脅迫。
にこりと浮かべる微笑を見てエナガはそんなことを思った。
誤魔化したらそれ相応の対応をしてくるだろう。
それに、これはもう自分だけの問題ではない。
自分の中で出来るだけ答えを出してから話を切り出そうと思っていたが、それ以前に気づかれてしまっては仕方がない。
事が事なだけにもう数秒の沈黙の後、エナガは遠慮がちに閉ざしていた口を開いた。
「半月以内にここに残るか元の世界に戻るか決めろと言われたの」
「示石があるのにですか?」
「時空の歪みに示石の力が必要みたい。返さないとこの世界にも影響が出るから」
「そうですか」
「示石は返すつもりだけど……」
「どちらの世界にいるかはまだ決めかねている、ということですね」
言いよどんむエナガの心を読むように陸遜が言うと、エナガはこくりと頷き、ごめんと一言小さな声で謝罪を述べた。
すまなそうに俯くエナガに陸遜がそれ以上追及することはなかった。
彼女と同じ立場に置かれたら、自分もまた即急に答えを出すことは難しい。
たとえ答えが自分の中で最初から決まっていたとしても。
無論エナガが自分の元に残ってほしいという願望がないというわけではない。
出来ることなら彼女の意思を奪ってまで縛り付けたい衝動が起こりそうになるのを抑えているのが現状である。
事情を聴き出せた陸遜が事実上の拘束を解くと、エナガはほっとしたように息をつく。
微妙に張りつめた緊張感から解放されて、気分は尋問を受けさせられた被告人だったらしい。
「とにかくもう少しだけ自分で考えてみる。最悪切羽詰まるようなギリギリの事態になればなるほど本心が解るような気もするし」
「構いませんが、あまりにも見かねた場合こちらも強制的に介入させていただきますので。その辺りは覚悟しておいてください」
「わ、わかった…。できれば試験はいろんな意味で怖いから余裕を持って受けたいと思ったんだけど、仕方ないか。あとレポートも…ま、レポートは何とかできるか」
「エナガ……」
どれだけ試験で頭がいっぱいなのか…。
一学生としてあながち間違ってはいないのだが、この状況下でもなお試験の心配をするところをみるにつけて思わずそうツッコミたくなるのは…何も陸遜だけではないだろう。
物言いたげな陸遜の雰囲気を察したエナガは慌てて打ち消すも、やはりというか不審は解けるどころか深まるばかり。
「と、とりあえず私は呂蒙さんと尚香にも教えてから一旦帰るね」
「…分かりました。私は凌統殿に事情を説明しておきます」
「ありがとう。それじゃあ、行ってくるよ」
そういうとエナガはひらひらと手を振り陸遜のもとから離れて行った。
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