三十二:廻り行く先




一刻また一刻と定められた刻限が近づいていく。
砂時計の砂がさらさらと流れ落ちていく中、エナガは一人散乱した本の片付けついでに室内の整理を進めている。


「それにしても…まんま汚部屋だわこれ」


片付けの動機は現実逃避というありがちなもの。
やらなければならないことがあるのについ他のことに手を出してしまった。
とはいえ提出物は一通り書き終え、残すところは明日の敵、最後の試験のみ。
要はエナガにとって現実逃避したい案件は試験云々ではなく、仙女に告げられたより深刻な問題だった。
半月までに決めろと彼女は告げたが、その半月まであとわずか…。

呂蒙と尚香に事情を話して翌日から、まさに怒涛の展開と言うに相応しいくらい試験とレポートに追われること五日。
フラフラになりつつも何とかこなしてきたエナガのもとにジョカが部屋に現れたのが昨日のこと。
内容は少なくともあと四日しか待てないらしい。
思っていた以上に時空の歪みの進行が速く、その力も強力だったとジョカは言う。


(とりあえず明日の試験を出てから考え…いや、でも今考えないとダメか…?)


片付けを一時中断し先程棚に戻した本があった場所に座り込み思いを巡らせてみること数十分。
出た答えは、選べないというもの。
危機的状況であるはずなのにこの有様である。
これはもう夜まで考えても駄目な上、最悪明日に支障を来すだけ。
結局溜息一つを吐いた後、エナガは残りの片付けを放棄して布団に入った。

就寝態勢に入り寝返りをうつと、枕元に置いてある例の示石が視界に映った。


(使わなければ普通の石なんだけどね…)


改めて観察するにつけて、何の変哲もないただの赤い石。
それが持ち主の意思一つで時空を繋ぐ力を持っているのだから大したものである。
そのような大それたものをひょんなことで手にしまた手放す。
惜しい気持ちと安堵の気持ちがあり胸中複雑というのが現状である。

そんな中、石が一瞬だけ赤い光を放った。
意思を無視した反応にエナガは驚き飛び起きる。
慌てて石との距離を取るも、光が消えた石はそれ以上何の異変も起きなかった。
今まで一度も起こらなかった現象に、エナガは一抹の不安を抱えながら恐る恐る再び横になるとその夜はそのまま眠りに就いた。






◆ ◆ ◆ ◆






「もう限界ということか…」


人の大きさほどの水鏡に映し出された映像を見て、ジョカは誰に語るわけでもなく一人呟いた。
先程、エナガの持つ示石に異変が起きたのを彼女は見逃さなかった。
察するやすぐに状況を知るべくこうして水鏡を通しエナガの様子を探ったところ、案の定事は起きた。

恐らくどこかの時空で生じている歪みに石が反応したのだろう。
だとすれば、予想していた以上に事は深刻な方向へと向かっていると言える。
エナガに四日と告げた矢先にこの始末。
しかし最早悠長なことは言っていられないところまで事態は進んでいる。


(明日が限度だが…とりあえず試験とやらを終えたあたりまで待ってやろう)


人間一人にここまで譲歩するのは我ながら滅多に起こさない気まぐれだ。
そう思いつつ踵を返し鏡に背を向けると、ジョカは仙界から姿を消した。





朔から三日ほど経過した月が冷たく闇に浮かぶ夜。
音もなく寝室に現れた侵入者に陸遜は手放していた意識を強制的に呼び戻されることになった。


「何者ですか?」

「気づいているのだろう?」


敢えて問うも同じく敢えて疑問で返され、陸遜はこれまた業と沈黙する。
このような夜中に彼女が態々やってくること自体大した用があるからに違いない。
それもこの上なく面倒かつ厄介な類の問題であることぐらい嫌でも分かっている。

仙人という存在に言葉では最低限の敬意は払うにしても多少の不満は隠す気はないと無言で主張する陸遜に、ジョカはほくそ笑むと素知らぬふりで事の次第を話し出す。


「先程時空に異変が起きた。一瞬ではあったが、同時に示石が反応した」

「――!」

「心配ない、エナガは無事だ。無事ではあるが…問題なのは歪みの方だ」

「時間がないと?」

「期限は明日」

「待ってください。いくらなんでも――」

「本来なら異変が起き次第速攻有無を言わさず選択を迫ることもできたのだがな」

「……っ」


急すぎる。
思わず声を荒らげ突っかかりそうになるも、ぴしゃりと有無を言わせない脅しに陸遜はぐっと堪えのど元まで出かかった言葉を呑み込んだ。
エナガに関しては他より甘い彼女がそう言うのだ。
頼んだところでこれ以上の譲歩はしてもらえないだろう。
あの時エナガに強制介入すると言ったが、しようにもこれでは何もできはしない。
結局自分ができることは一つ…。


「エナガの答えを待てというわけですか」

「呑み込みが早くて助かる」

「今回ばかりは愚鈍でありたかったものですが…」

「そう不貞腐れるな。まあお前の望む方に事が運ぶよう祈ってはやろう」


皮肉なのか慰めなのか。
どちらにしても自分では如何ともし難い状況に陸遜は自嘲するより他なかった。

言いたいことを告げたジョカはそれ以上何も言うことなく別れの挨拶を済ませるとあっさり部屋から消えていった。


「祈る、か…」


一体仙人たる者が何に祈るのだろうか。
寝台に腰を下ろしジョカが言ったことを改めて反芻するも、やはり気休めにもならない。
このまま何事もなかったかのように眠りに就けられたらどれだけいいだろうか。
溜息すら出ない状況のまま陸遜を見守るのは、しんしんと冷えた月の光ばかり…。






◆ ◆ ◆ ◆






冬にしては穏やかな陽射しが射し込む中、朝一番の試験にエナガは出かけた。
昨夜の出来事により不安で貴重な睡眠が奪われたと思いきや、それ以上に貪欲に睡眠を求める脳のおかげで寝不足のまま出陣という事態は免れた。

玄関を出るや吐き出す息が白く染まる寒さに身を震わせつつ通りに出たところ、それは起った。


「え!?」


外套のポケットに入れておいた示石が突如赤々と燃えるような輝きを放ち出した。
光は昨夜のように治まるどころか益々強さを増し続け、ついには冬の薄暗さを吹き飛ばすくらいのものになっていく。


「なんで……!?」


抑え込もうにも抑々エナガは制御の仕方など知る由もない。
不測の事態に混乱しつつも、頭の片隅にある一つの結論が過ぎる。

本当の時間切れ。
悟るやそれに応じるように石の光も更に輝きを増していく。
深刻な事態にも関わらず、不思議なことにジョカは一向に姿を現さない。
これをエナガ一人でなんとかしろというのはかなり無茶な要求である。
つい頼るように名を呼ぶと、頭の中でかの仙女の声が響いてきた。


『エナガ』

「ジョカさん、どうしたらいいんですか!?」

『後は私が何とかしよう。お前は決めればいい』

「決める……」

『何をとは今更言わなくても分かるだろう?』


そう言われエナガははっと我に返る。
またも先延ばしにしたツケがきてしまった。
後悔しようにも今はそれさえもできない。

しかし、この期に及んでもなお即答出来ないことにエナガは自分自身に愕然とした。
追いつめられて逃げるように視界を閉ざしてエナガはその場に立ち尽くす。

留まるか、彼の世界の住人となるか。
二つに一つの選択を迫られるとともに、様々な感情がぐるぐると脳裏を駆け巡る。
無意識に握りしめた石からじりじりと迫る終わりが伝わってくる中、エナガは未だ縺れるように絡まった思考のまま焦りをぶつけるように叫んだ。


「ああもう!行きたいところに行けばいいんでしょ!?」


なるようになれ。
後は野となれ山となれ、往生際が悪かろうが知ったことか。
迷って迷ってなおも迷って迷いの途中でも構わない、時間が切れた時点で思い巡らしていた選択が答えだ。
そう開き直った途端、手にした石の感覚がなくなりエナガは光の中へと呑み込まれていった。






光に呑まれ幾許かの後、異変が治まったのを閉ざされた視界の中エナガは感じ取った。
現実を知ることへの恐怖故に目を開けることを拒んでいたが、視覚以外の感覚から周囲の環境が否応なしに感じ取れ、ここがどこであるかを悟ってしまった。


(結局こっちだったんだ…)


やはりというべきか、意外というべきか。
後戻りのできない片道切符を手渡され、乗るべきか迷った末に気づいたら乗ってしまったという心境かもしれない。

半ば放心しつつもゆっくり目を開けば、視界に映るのは…書簡の山。
久方ぶりに訪れた懐かしい部屋に、自分が最初にここにやってきたことを思い出しエナガは笑みを浮かべる。
すると、図ったようにと廊下から足音が聞こえ、エナガのいる部屋の前で止まったかと思えば戸を開ける音が聞こえた。


「なんだ、いたのか」

「呂蒙さん…」


なんともまあ懐かしい光景だ。
違うのは初対面の時と違い呂蒙が驚かないという点だろう。
昔に思いを巡らせついつい噴出してしまいそうになるが、不審げにこちらを見る呂蒙に気づき、エナガは慌てて取り繕うようになんでもないと首を振った。


「そういえば、決めたのか?」

「決めたというか、こうなっちゃいました」

「なった?」

「はい。決まっちゃったので、‘これからも’お世話になります」

「ああそうか。……ん?エナガ、お前――」


まさに言い逃げというにふさわしい形でエナガは言うことだけ言って一礼するとそのまま呂蒙の横を通り廊下へと走り出した。
背後で呂蒙が何か言っているのが聞こえたが、エナガの意識は既に別の者へと向けられていた。


(どこにいるんだろう…?)


走りながら周囲を見渡すも探し求める人物はなかなか見つからない。
会えない焦りにいつも追いかけられる側だったエナガは追いかける側の苦労を実感させられた。

中庭、食堂、執務室、仮眠室など城内のあらゆる場所を全速力と言っても過言ではないくらいで駆け回ったエナガが目指した先は、城外の小高い丘の上だった。
何を隠そう不本意ながら陸遜に泣き顔を見られた場所であり、初めて面と向かって会った場所。
ここに戻って来た時、戻った場所が初めて出会った場所で、再開したのが初めて出会った呂蒙だったため、城外を探すとなった際に浮かんだのがこの丘だった。
ともあれ絶対的な確信があるというわけではないため然程期待してはいなかったのだが…。


(いた――っ)


辿り着けば探し回るまでもなく視界に探し人を捉えることができた。
何と声をかけるべきかとエナガがふと進む速度を落とし思案し始めた矢先、背を向けていた彼、陸遜が気配を察し振り返った。

気配こそ気づいたものの、よもやそれがエナガだと思っていなかったのか、その表情は珍しいものだった。
呆然自失、言ってしまえば間抜け顔。
予想していなかった反応にエナガはそれまでの勢いから一転して、おずおずと気まずそうに口を開く。


「え、えっと…こっちに残ることになったんだけど……」

「…………」

「あの、残っ――」


残ってはダメだったのか。
続く言葉は突然抱き締められたことにより最後まで言い切ることなくかき消された。


「り、陸遜…?」

「………」


伸びてきた手に引き寄せられて、驚き声をかけるも言葉は返ってこない。
突拍子のない行動ではあるが、その理由もエナガには大体予想できた。
そのため、困惑しながらも無言で抱き締められるがまま暫くいたところ、沈黙を貫いていた陸遜が徐にその口を開いた。


「昨夜、ジョカに今日が期限だと告げられました」

「え?嘘、だって私には――」

「恐らく今日知らせるつもりだったのでしょう」

「そっか…。やっぱりあの時の異変はそれだったんだ」

「やはり異変が?」

「うん。まさかもう時間切れだって思わなかったから…白状すると、ぎりぎり…直前まで迷ってた」

「それで、気づいたらこちらだったと?」

「呆れた?」

「いいえ。ここにいてくれるだけで十分です」

「ならよかった。あ、後で帰ろと言われても無理だから」

「むしろ帰りたいなんて言わせませんよ」


そう言ったところでお互い自然と笑みが零れた。
出会ってからぐるぐると迷走しつつもこうしてまた同じ時間を過ごすことができる。
とりあえずこれからのことは後々思い巡らせばいい。
今はただ共に在ることの喜びを噛みしめればいいのだから――。



【完】



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