その声を上げろ
呼びつけたところで、明るい内に太陽の光を浴びておけという言い付けを守って出てきたティアに、これと言って用はない。
ただ、あの虚無にも似た濁った目をしていた時のことを、体のダメージも癒えきらない内に思い出させるのは良い気分がしなかった。
自分の命にさえ関心を持っていなかった【物】が、人に戻ろうとしている最中なのだ。
そこに最も影響を与えている存在であることを自覚しているからこそ、ローは少女に不用意なフラッシュバックは望んでいなかった。
「………座れ」
「…アイアイ?」
ぺたりと腰を下ろしたティアの膝に頭を乗せる。固い。ダイレクトに骨の感触を味わう、膝枕としては最悪な仕上がりである。
「………」
「ーー今何を考えてる」
「…ね、眠いのかな、って…」
「おれに嘘をつくなと言った筈だ」
戸惑っているのは気配からも見て取れる。あまりこの状況を喜んでいないことも。
それでも、ティアが言葉にしたのは、当たり障りのない話。
即座に嘘であると問い詰めれば、ようやく少女は気後れしたように、口を開いた。
「ーーお、重いな、って…」
「ほかには」
「……痛い、し、下、冷たい…」
「それで」
「………降り、て、欲し…い」
「ふん」
ひどく不安そうに、それでも全てを少女が言い終えるのを待って、ローはゴロリと寝返りを打った。
クッションになる肉が付ききってもいないのに、他人の頭など床の上で支えられる訳がないのだ。
多少でも女らしさを感じる程度に太ってからなら兎も角、今の彼女に本気で膝枕をさせようとしたのではない。
染み付いた、奴隷根性を矯正すること。
それが目下最大の課題として、ティアとクルーたちにローが下した命令だった。
嫌だと思うこと、苦痛に感じることを何でもかんでも飲み込むな。
言うは易いが、生きる為に身に付いた習性を変えるのは中々難しいもので、こうして嫌がらせのように意図的に甚振っても、促さなければティアは何も言えないままだ。
「…先は長ェか……」
「…ご、ごめんなさい…」
「いい、焦るな。お前自身が【実感】しなきゃ意味がねえ」
しょんぼりと俯いた少女を引き倒し、風下側へ転がすとローは再び帽子で目を覆い寝る体勢に入った。
立って並ぶと肩下までしか背丈のないティアは、抱き込むには丁度いい。低代謝で少し低い体温が、自身の熱を帯びて温むと春島近海の潮風に心地良く気に入っていた。
「ーーあった、かい…」
「……そうか…」
死を象徴するタトゥーを刻んだ手に包まれ、肩を丸めてそんなことを言われるとむず痒いのだが。
もうあと数秒で意識も眠りに落ちるだろう少女の、特別輝いているわけでもない瞳がローに向けられたまま閉じる。
ぽつりと、呟かれた言葉を拾ったのは死の外科医だけ。
『…とっても、幸せ…』
ティアの感慨深い吐息に比べると、至って平凡な、ごく普通の1日のひとコマだった。
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