心声

「かれこれ30分。ずっとだんまりね」
「埒があかないな」

ジー、というビデオの回る音だけが響くこと四半刻。
最近世間を騒がせている、ある犯罪組織の一員と疑われ警察から引き渡された男と、検察官が向き合いながらも沈黙を続けていた。
そんな小さな取調室の隣、一部がガラス板で出来た壁を隔てた先にくっついている、これまた小さな部屋の中では調書を取るために筆記具を手に握った私と、様子を見に来たものの進展がないことに苛立ち始めている先輩検察官二人の三人で取調室の様子をうかがっていた。

「・・・沈黙とはいえ、取り調べを始めてからもう結構長い時間経ちそうなんです。そろそろ小休止を挟んだ方がいいかと」

最初の方こそぽつぽつと受け答えがあったとはいえ男になにか思うところがあったのだろう、突然何も喋らなくなってしまったのだ。

「・・・そう」

何か言いたげな顔をこちらに向けたかと思うと、私からの進言で口をきゅっと引き結んで何かの言葉を飲み込もうとする先輩の姿が横目に見えた。そして暫くしたのち、その飲み込もうとした言葉は嚥下されることなく吐き出された。

「・・・みょうじちゃん。行けそう?」

行けそうか。ここで言うこの言葉は、あの取調室にいる検察官の代わりに取り調べをしてくれないか、という意味だ。
何も取り調べる行為自体はやったことがない訳では無い。働き始めて日が浅い私よりは他の検察官を・・・もしくは先輩が交代することも可能ではあるし、そうした方が賢明であることは明らかなのだけど。
逡巡したのち私にわざわざ声をかけてくださるということは、何か思うがあってのことだと直感で思った。


「・・・そうですね、努力します」

調書を先輩らに明け渡し、隣の取調室の扉をノックする。
そろそろ二時間が経つころですから少し休憩しませんか、と。
そう言えば、疲れの顔を見せ始めていた検察官はひとつ頷き席を立って退室した。

「剛田さんも。沈黙とはいえ気を張ってたと思いますし・・・少し休憩しましょう」

剛田、とは容疑をかけられている男のことだ。手には"個性"を使われないように個性抹消機能を搭載した手錠が掛けられているため自由な動きは出来ないのだが、飲み物を飲むくらいは出来るだろう。

「・・・いや、いい」

彼は無表情のまま俯きながら最低限の応答をした。しばらく沈黙を続けていたため声を聞くのは久しい。
休憩する意思を見せないのなら、と。休憩明けには私が代わりに取り調べをすることになっていたこともあって、検察官が腰掛けていた椅子に腰を下ろす。

「・・・」

彼の無表情をじ、と見つめる。目を閉じて裁きのときを諦めて待っているかのような、そんな顔だった。然し。

「あの・・・そんな顔、する必要無いですよ」
「・・・」
「だって剛田さん、やってないですよね」

犯罪を。
何を、とは言わなくとも検察官の口からその言葉が出てくるとは思いもよらなかったのか、彼の目が見開かれる。

「何、言って」
「心優しいあなたは見知らぬ人に押し付けられたアタッシュケースを、警察に届けようとしたようですね。」

それが警察に届く前に持ち運んでいるところを警察に捕まり言い訳も聞かれずここまで・・・。

「貴方の言う通りだ。私は・・・」

それを検察側である私から確認された剛田さんは、ぽつぽつとその日のことを話し出す。
街を歩いていたら切羽詰まった表情の男に『持っていてくれ』と有無を言わさず鞄を押しつけられたこと、どうすればいいか分からず警察に届けようと向かっていたところを偶偶警察に見つかり、中身があの犯罪組織がよく使うという違法薬物の山であったこと。

沈黙の二時間から一転、一気にことが進んだ三十分の取り調べを以て調書は作成された。

「取り調べでも貴方の口から如何に是と認める発言を出させるか躍起になっているのに気づいてしまってから、ずっと口を噤んでいた・・・。もっと早くに交代してあげられれば、と思います。申し訳ありません」

じくじくと、私は自分への戒めのように重い息とともに謝罪の言葉を吐き出した。
"個性"が当たり前の今日で世の中は随分便利になったが、"個性"を持つが故に倫理観を捨てたような力押しのきらいがある行動が問題となる職種は少なくない。警察や検察も一部ではあるがそういった強行捜査でのし上がってきた人間がいるのも確かだった。
でも、それで今回のように冤罪を生み出すことだってあるのだから・・・それが私にとっては許せなかったのだ。自然と手に力が篭もる。

「謝る必要はないよ・・・。それにしてもすごいな、そこまでお見通しとは」
「対面でないと、分からないことも多いですから」

ーあの、それで。もうひとつお聞きしたいことがあるんです。
にこりと笑みを浮かべてそう尋ねる私に男は疑問符を浮かべて首を傾げた。



「みょうじちゃんすごいわね、流石。やっぱり女性だからか繊細な心の動きを汲み取りやすいのかしら」
「それを言うなら君だって女性だろ。それにしても若いのによくやるなあ・・・大したもんだよ君。この子の実力を見込んで取り調べを勧めたのか?」
「ええ、そうね・・・本人は"無個性"だとか言って謙遜ばかりの子なんだけど。実力だけでここまでできれば大したものよ」

あの時思いきって勧めておいて良かったわ、という会話が目の前の運転席と助手席で行われていた。上司に直接褒められるともありむず痒くなってしまうような気持ちを抑えつつ、後ろの座席でこくこくとその話を聞いている。
現在16時54分、そろそろ陽が落ちそうかという頃。
無実が証明された剛田さんの身柄を別の検察官へと引き継ぎ、私は調書を作っていた先輩と共に該当の犯罪組織の捜査班の元へと向かっていた。取り調べの後、剛田さんに聞いた『もうひとつのこと』から新たな糸口が浮上したため、そこを捜査してもらうためのお願いである。

「へえ、"無個性"なんだね。」
「・・・そう、ですね。」

珍しい、と言う表情を見せながら助手席からまじまじと私のことを見る先輩検察官にたじろぎながら目線を逸らす。
そうだ、私は。世界の人口の8割が"個性"を持った人間の世界の中でも珍しい"無個性"の人間である。

・・・という虚実を通して生きている。

私は8割の人間の方だ。
『心声』という"個性"を持っていて、相手の心の声を相手の意思に関係なく聞くことが出来る。ただし"個性"が発動できる範囲は対面10m以内に限られており、壁を隔てると発動しても聞くことは出来ない。
先程の取り調べだって。取調室の横の部屋からでは壁があり聞くことが出来なかったけれど、対面することで"個性"を発動させて剛田さんの心の声つまり本音を聞くことが出来たからこそ、あそこまで展開が早かったのだ。

心の声は嘘をつけない。つまりは本音だ。口先だけを騙しても心は誰も騙せず、誰にも知られることの無い領域だからこそ容赦のない声も聞いてしまうことがある。
だからこそ、"無個性"とは自分を守るための嘘だ。