つい最近まで普通にあった日常は、ここで与えられたたくさんの情報の中に埋もれて埋もれて忘れてく。消えることは無いけれど、思い出せないものばかり。
あの日常のあたたかさは何時頃忘れてしまったのだろう。もう、それも思い出せない。
「つかれたなあ」
夜のネオンが空の光を隠すように輝いて、綺麗な星なんてほとんど見えない。それがどこか寂しいような、胸の中にポッカリと穴が空いてしまった様な感覚になる。
以前見えていた空はこんなに暗かっただろうか。
首を傾げてみても答えは出てこない、頭の奥の奥の奥にしまい込んでしまったのだろう。
耳元で風が音を立てて流れていく。ふわりと舞うように揺れる青が視界に入る。
「伏見さん…」
「いつまでそうしてるつもりですかぁ?」
不機嫌そうに寄せられた眉毛に、気だるさを隠さない口調。風に揺られている艶のある髪は崩れる気配がない。羨ましいなあそう思っていると、どうやら声に出していたようで。
「何がですか」
「いいえ、なんでも」
風に乗って小さな舌打ちが耳に届く。怒らせてしまったかな、なんて薄く笑みを浮かべて、ブーツの底を鳴らしながら、ゆっくりと、ゆっくりと彼のいる場所へ近づいていく。
整った顔が少し上にあって、それを見上げて目を細めた。
「帰りましょうか」
ため息を吐いて目を伏せた彼も目を奪われるように綺麗で、人工的なネオンでも、この人の美しさを存分に引き出すんだなぁと頬が緩む。
以前の暖かさはないけれど、彼を見ているだけでポッカリと空いてしまった穴は様々な感情で埋められていく。
「つかれたなあ」
階段を一段一段噛み締めるように降りていき、そう呟くと、少し前を歩いていた彼が口を開く。
「定時で帰れると思わないでください」
「ありゃ、帰れませんか」
年下なのに上司な彼に苦笑いをこぼしながらそう言うと、ふと、視界が暗くなり唇に柔らかい感触。
至近距離で見えた彼の瞳の中では、燃え盛る炎のように熱い何かがどろりと溶けだしていて、私の瞳を逃さないと言っているようにレンズ越しに見つめていた。
知っているはずなのに、全く知らない人に見える。
「伏見さん…?」
どくん、どくんと早鐘を打つ心臓は、胸の中じゃなくて、全身の至るところにあるんじゃないかって思えるほど、どくどくと音を立てる。どんなに緊張していても、こんなふうになるのは彼の前だけなんだろう。
頭から足のつま先まで、全身が熱い。今なら吠舞羅のようなクランズマンの力が使えるんじゃないかってくらい熱い。
「その反応、期待してもいいって事?」
ニヒルに笑った彼に、またどくりと心臓が跳ねた。
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