「さるひこ、起きた時一緒にいてね…ね?」
「わかってるっての、何回聞くんだよ」
長い髪を枕に散らし、掛け布団を口元までかぶった名前、その頭を、普段の彼からは想像できないような優しい笑みを浮かべて撫でてやる伏見。
ここ最近、名前も伏見も忙しかったため、やっととれた休暇に、名前を風呂に入れ、髪を乾かし、切りそろえ、爪を切り、食事をさせる。伏見の中で、名前を放っておくと、倒れるまで食事もしない、睡眠もとらないのは当たり前になっている。
目の下にくっきりと浮かんだ隈に唇を当て、おやすみ、と囁くと、ようやく名前は目を閉じ寝息を立て始めた。
とろとろと閉じていく瞳にほっと一息つくと、伏見は名残惜しそうに名前の寝ているベッドから腰を上げる。
まだやっておかねばならない事が沢山ある。
名前の睡眠時間は予測できない。以前倒れた時、三時間程寝れば全回復とまでは行かないが、事務作業などは出来るくらいには回復していた。しかし、ストレインの発生もなく、通常業務、定時で帰れた際、名前は丸一日死んだように眠っていた。次の日はたまたま非番だったから良かったが。
名前が起きる前、少なくとも1時間は寝ているだろうから、1時間で全ての作業を終わらせるつもりでいないといけない。休日出勤なんて
「めんどくせぇ」
そう呟いて青い隊服を羽織った。
▽
「チッ」
伏見の予定ならば既に部屋に戻っている時刻、苛立ちを乗せて舌を打つと、廊下にいた隊員がそそくさと道を開ける。いつもの倍、いや、数倍不機嫌な伏見の通行の邪魔をしようとする勇者はここにはいない。
脇にパソコンを抱え、床を踏み潰す勢いで廊下を進んでいく。
くだらねぇミスしやがって…、と伏見は先ほどミスを起こした日高を思い出してはまた舌を打つ。予定より1時間も遅い。
「起きてたらどうすんだよ、クソッ」
ポケットに突っ込んでいた鍵を取り出し、鍵穴に差して回す。そんな動作も伏見の苛立ちを煽る。
すんなり開いた鍵を抜き、乱暴にドアを開ける。
「な、んだ……これ」
靴を脱ごうとしゃがんだところで、視界の端に違和感を感じた。
短い廊下にシャツやジャケット、靴下から下着、挙句の果てには中学時代のジャージ、吠舞羅にいた頃に押し付けられた手編みのマフラーまで、廊下からリビング、まさかと思い、トイレや風呂場も見ると、見事に散らかっていた。散らかる、と言う言葉が可愛く思えるほどの散乱具合だ。
「っ、名前!?」
誰がこんな事を、と考える前に、伏見の視線は名前を探す。名前が寝ているはずの二段ベッドに上ると、一瞬かまくらかと思うほどの白く丸いものがあった。
よく見るとそれはいつも使っている掛布団で、その中に誰かがいるのは確実だ。
「名前?」
「ぁ、しゃ、ひ…こ」
掛け布団を捲ると、中から伏見の予想通り名前が出てきたが、明らかに様子がおかしい。
ぐちゃぐちゃに泣きはらした目に、伏見が丁寧に乾かした髪もぐちゃぐちゃ、何故か中学時代のループタイを首から下げ、伏見のスペアの眼鏡もかけている。服装は眠っていた時に着ていた名前のパジャマ、の上に、伏見の私服や隊服のベストを裏返しで着たりフードだけを被っていたりと不思議な格好だ。
「な、にしてんだ……?」
「さるっ、しゃるひこ!ばか!」
「はぁ?」
「さるひこ…いるって、いるて、いったの、にっ!いにゃ、いない。わたっし…ふ、うっ…」
レンズにぼたぼたと涙を落としながら伏見にしがみ付いた名前を受け止めて、伏見は名前が寝る前の会話を思い出す。
何度も何度も一緒に居て、と言われ、それに頷いていた。名前が起きたとき、自分はそばにいなかった。それだけで彼女は、こんなにも取り乱し、泣きわめく。迷子になった子供の様に。
「、悪かった。一人にして」
伏見の服を着こんだ名前の頭を自分の胸元に抑えつけ、ぎゅっと抱きしめる。とくとく、と伝わってくる鼓動が心地いい。
「…こわ、かた。さるひこ、いなっ、いなくなったと、思…っ」
「あぁ、」
「ひゃっ、ひこの……ばか…」
「分かったって、もういなくならないから」
「ぜったい、」
「絶対」
「やくそく、破ったら……し、ぬからぁ…」
「名前は俺がいなきゃ死ぬだろ」
「しぬの…し、にゅの…」
呂律が回らない名前の背中を、心音と同じリズムでゆっくり叩いてやると、だんだんと落ち着いてきたのか涙を一粒落として泣き止んだ。涙で顔に張り付いた髪を退けてやり、ずれて落ちそうになっている眼鏡を外してやる。赤くなった目尻にキスをすると、しょっぱい涙が唇に付く。そのまま舌を伸ばして目じりを舐める。びくりと名前の肩が跳ね、口角が上がった。
「ん、さるひこ…」
「なに」
「いっしょに寝よ…?今度はどっかいっちゃ、だめだから」
「ん、いかねぇよ。一緒に居るから」
「ぎゅって、してくれる?」
「もうしてる」
名前の首に掛かっているループタイも、頭にかぶったジャケットも、ベストも、全部ベッドの下に放り投げ伏見も青い隊服を脱ぎ捨てる。そして名前を抱えたまま、枕に頭を埋めた。
ぐちゃぐちゃになった髪に指を通し、絡まった部分を丁寧に解いているとすぐに寝息が聞こえてくる。伏見が少し身じろぎすると、センサーが働くようにシャツがきつく握られる。
それを見て伏見は愛おしいものを見るように目を細める。
「ほんっと、」
呟いて、目を閉じた。心臓を甘く締め付けられ、それを不快だとは思わない。むしろそれが心地いいなんて思っている。
もっともっと甘やかして、もっともっと溺れればいい。
食事を忘れれば自分が取らせてやる。
風呂に入るのを忘れれば自分がいれてやる。
眠るのを忘れれば自分が寝かせてやる。
いっそのこと、喋ることも忘れてしまえばいいのに、なんて、
「ばかだな」
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