ふわりと香る独特の香り、どこかで嗅いだことのある様な匂いに目を開く。身体のあちこちが軋んで上半身を起こすのにも一苦労だ。
見覚えのない風景。オシャレなカウンターの奥には、光を反射してキラキラと光る大量のボトル。酒?
「、……どこだ…ここ」
「あ、起きたんだ」
「っ…だれ」
もぞり、オレが寝ていたソファの向かい側、もう一つのソファにあった白いシーツが動き、その中から亜麻色の髪をした男が顔を覗かせる。あれ、どこかで見た気がする。
「あはは、覚えてない?カツアゲにあってたキミを助けて、気絶しちゃったからここに運んだんだけど…」
終始柔らかい雰囲気を纏った亜麻色に、少し強張った身体の力を抜いた。この人は、何か大丈夫だ。何がって分からないけど。
亜麻色の言葉に何かが抜け落ちたような感覚がする頭を働かせるが、気絶した記憶も、カツアゲにあった記憶も何もない。どうして外出していたのかも、思い出せない。まただ。
「えと…あの…」
「うん?」
「オレ、何してたん、ですか?」
「うーん、おれ達が見つけたときにはカツアゲにあってたから…、あ、財布もタンマツも持って無かったけど、家に忘れちゃったのかな?」
「いや、」
タンマツは持って無い。そう言うと、亜麻色は驚いたように目を丸くして、手を顎に当てて何かを考え始める。
「…………キミ、名前は?」
すっ、と亜麻色の眼が鋭くなり、獲物を狙う鷹みたいな鋭い視線がオレを刺す。どくん、心臓が鳴る。息がつまる。
名前。ナマエ。なまえ。なに、?これ?
どくり、どくり、心臓の音が耳元で聞こえる。ナマエ、名前。なに、なんだっけ?なまえ、分かんない、分かりたくない。わからない。
嫌な汗が背中を伝う。分からない。忘れた。覚えてない。知らない、知りたくない。ズキンッ、頭が軋む。
「なま、?え、っは…ぁ、」
「……、ゆっくり、深呼吸して…」
「し、こきゅ…わかんな、こわ、ひっ」
ぎしり、床が小さな悲鳴を上げた。
その音に顔を上げると、赤い、赤い"何か"が立っていた。
「キング?」
きんぐ?おうさま、王様?真っ赤なそれは、何も答えない。静かに手を伸ばし、その手に赤を纏わせる。亜麻色が何か叫んだけど、その赤に包まれて音が全部消えた。亜麻色の声も、オレの息遣いも、心臓の音も。
目の前に赤が迫る、燃やされる。そう思った瞬間には、全てが音も、色も、匂いだって全部赤に染められた。
「ぅあ゛っ!!」
あまりの熱さに喉の奥から声が這い出る。目元から全身を焼かれているような感覚。流れた涙は一瞬で蒸発した。
全身に回った熱は、ある一転に集中し、そこに留まる。じわりとそこから全身に、熱さじゃなく、温かいものが流れていく。
「ぇ、あ……え?」
「フンッ…」
オレの頭を掴んでいた手を離し、赤色はやることはやった。みたいな感じで、だるそうにソファに腰を下ろした。
まだ、頭はこの状況に追いつかない。
「キング!テストするならするって言ってよ。ビックリしたでしょ」
「………俺の勝手だろ」
「また草薙さんになんて言われるか…。あ、大丈夫?」
首筋がじくじくする。何か分からない、熱い力が胸の奥で燻っている気がする。だけど悪い気分じゃない。寧ろ、頭の中がすっきりしている。いつも感じる喪失感は無くて、全部、全部埋まってる。けど、思い出せないことはいっぱいで、不安が湧き上がってくる。でもそれも、首元で燻っている何かに焼かれて無くなっていく。大丈夫。
「……オレ、名前、憶えて…ない…。自分が誰なのかも、思い出せないけど」
ここにいてもいいですか。
亜麻色は優しく笑って、赤色、王様はやっぱり何も言わなかった。でも、ふん、と鼻を鳴らした。
不安、《だけど、》怖くない。
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