雨音まじりに
両手に持ったビニール袋がガサガサと音をたてて揺れる
袋の中身が重力にひっぱられ、それを持っている俺の両手も下へ下へひっぱられている
重たい。重たい。ついてない。
「はあ…‥」
運悪く、母の松代につかまり買い出しを言いつけられた俺は持たされたメモに書いてある一通りのものを手にようやく帰路についていた
買い出しなんて馬鹿力を持て余してる次男にでも行かせればいいのに
それか一つ下の弟の十四松でも一緒なら、荷物ももう少し軽かったし俺も少しは楽しかったかも
そもそもどうして俺だけがこんな目にあっているかというと
いつものごとく暇だ暇だといいながら兄弟全員で居間に集まりダラダラしていた時
危機察知能力だけは高い兄弟たちは、松代が開け放ったままのふすまの前に姿を見せて口を開こうとした瞬間に居間から散開していた
うとうとしていた俺は一歩遅れてしまい、松代に捕まりこうして買い物に送り出されているというわけで
あの時もう少し周りに気を配っていれば俺だけこんな目にあわずにすんだのに
松代はここぞとばかりに重たい荷物を頼んできた
牛乳やら塩やら砂糖やらの重みに俺の腕がもげそうだ
俺がひいひい苦しみながら歩いているのをあざ笑うように、目の前で信号は青から赤へ変わってしまう
「あー、本当ついてない」
横断歩道の前で荷物手にぼんやりと信号待ちをしていると、ぼたりと半袖の腕に何かが落ちてきた
げ。と嫌な予感に空を見上げてみれば梅雨時期らしい見事な雨雲が空一面に広がっている
当然雨傘なんて携帯する程できた人間じゃない俺はだんだん強くなる雨に抵抗する術はない
「…‥ヒヒヒ」
これだけついてないと少し笑えてきた
隣で信号待ちしていた人が若干俺から距離をとって離れる
どうも、ゴミクズです。すいませんね酸素吸って二酸化炭素はいちゃって
まばらだった雨粒がしっとりした雨に変わっていくと、鞄から雨傘を取り出す人や慌てて軒下へ避難する人など周りがにわかに騒がしく動き出す
もう濡れて帰ろうと決めた俺は、その場から動かずに雨にうたれるまま立ち尽くしていたけれどふ、と俺の頭に影がかかった
隣に立った人の傘が影にでもなったか?でも俺みたいなのとそんな近い距離につめて来る奴がいるとも思えない
不思議に思いながら誰かが立っている気配のある左隣を盗み見ようと視線を動かせば、隣に立っている女の人とをガッツリ目が合ってしまった
予想外のことに思わずビクリと背中が震える
その女の子は俺を怪しんでいるのか、じっと探るように俺を見つめてくる
彼女の視線の意味も解らず内心パニックになっていると女の子が、ふんわりと笑って俺に声をかけてきた
「やっぱり、松野くんだよね?」
「え…‥」
俺を断罪する言葉がでてくると思っていたのに、親しげに名前を呼ばれる
確かに俺は松野くんに分類されるけど、同じ分類にあと5人は松野くんがいるわけで
隣に立つ女の子のように綺麗なお姉さん然とした子に知り合いなんているはずのない俺は、おそらく他の兄弟の知り合いだろうとあたりをつけた
可能性が高いのはトッティか。やたらコミュニケーション能力だけは高いおそ松兄さんも大穴か、なんて考えながら人違いですと主張しようとするけれど俺が声を発する前に女の子に先手を取られる
「覚えてない、かな?高校以来なんだけど」
「高校?」
「うん。松野くんとは図書委員会で一緒だったよね」
不安げにそう告げてくる彼女の顔を思わずじっと見つめてしまう
高校の図書委員会
身に覚えのあるその言葉と、目の前の彼女の顔を脳内で検索して、覚えのある面影が彼女に重なった
嘘みたいだ
「…‥先輩?」
「そう!覚えててくれて嬉しい。久しぶり、松野くん」
そう言って目じりを下げて笑う目の前の女の子は俺が昔好きだった人だ
高校の頃、さぼれるだろうと適当に入った図書委員会で一緒だった一つ年上の先輩
昼休みと放課後に当番制で図書室の受付をやらなくてはならない決まりで、サボリ防止の為か大体の組は学年別の男女で組まされた
たいして交流のない者同士ならお互いに押し付け難いという目論見があったんだろう
それは俺には効果覿面で、面倒くさいからバックレてやろうと思っていたものの組まされた見知らぬ女子の先輩だけに仕事を押し付けるのは躊躇われ
結局教師の目論見通りに俺は当番の時きちんと受付に座っていた
適当にさぼれるだろうと思っていた当初の読みが外れた俺は、どうみてもやる気のない態度だったと思う
それなのに俺と組まされた先輩は俺の態度を全く気にせず当番のたびに何かと話しかけてくれていた
我ながら接しやすいタイプとは言い難く、お世辞にも話が弾むとは言えなかったけれど
人のまばらな昼休みや、夕方の放課後に。静かな図書室で小声で交わされる交流が俺はいつの間にか楽しみになっていた
吐息交じりに喋る彼女の小さな声を拾って、たわいない話をするのが好きだった
ジュブナイルくらいしか読まなかった俺が、先輩が面白いと言うから活字を追うのが楽しくなった
夏にしっとりと汗ばむ首筋にドキドキした
冬にかじかむ彼女の指先に触れたかった
何でもない先輩の癖を覚えて、それを指摘して照れる彼女を見るのが好きだった
たわいない、くだらない話ばかりしていた
気持ちを告げる勇気もなくて、いつの間にか少なくなる当番と開く先輩との距離をうめる努力もしなかった
よくあるつまんない片思いをしていた
あの彼女が目の前にいる
にこにこと笑っている先輩に心臓まで思い出したかのように暴れ始めた
緊張で細くなる喉を何とか開いて、声が震えないように慎重に言葉をかえす
「……お、久しぶりです」
「良かった。別の松野くんだったらどうしようかと思った」
俺の緊張なんて知らん顔で先輩は眉を下げて笑う
傘を握る右手は俺に寄せられて、信号待ちをしていた俺を傘にいれてくれていたらしいと気がつく
あまり俺に寄せれば先輩が濡れてしまうからと声をかけるより前に、彼女の左手がそわそわと左耳の耳たぶに触れているのに気がついた
高校の頃に何度もみたその仕草に既視感を覚えて、思わずあの頃と同じように先輩にそれを指摘した
「先輩また耳触ってる」
「え!」
「その癖まだ治ってないんだね」
くつくつと笑う俺に、先輩が頬を赤く染めて困ったような顔で怒ったフリをする
「っもう!松野くん相変わらず意地が悪い」
「たいして時間たってないでしょ。そう変わんないよね」
「最初私だってわからなかったのに?」
「そうだっけ?」
「あ、すぐそうやって知らないふりする」
昔と変わらないやりとりに、凝り固まっていた気持ちがほどけていく
先輩の真っ白な傘の下で寄り添う距離に緊張はとけないけれど、そわそわとまた耳たぶに触れる仕草で彼女も緊張していると解るから
少しだけ余裕のある振りもできた
俺の右隣にたっていた人が横断歩道を歩き出し、信号が青になっていたことに気がつく
向かいの信号が青色に点灯しているのを確認して隣に立つ先輩を見れば、どうしてか困ったような思いつめたような顔をしていた
緊張してもはや耳たぶを掴んでいる先輩に、どうしたものか反応できずにただ彼女の隣で立ち尽くしている
「ま、松野くん」
「はい」
「傘ないんだよね?私、良かったら送る!」
真っ赤な顔で、そんな何でもないようなことを必死な様子で告げてくる先輩
ほのかな緊張と熱は、身に覚えがありすぎて
ありえないはずのことにこっちもじわじわと耳が熱くなる
真っ白な傘を持つ先輩の手が震えていた
落ち着くためにこくりと唾液を飲み下す
「えっと……じゃあ、お願いします」
「あ、う、うん!うん。送るね」
「はい、お願いします」
お互いにガチガチに緊張しながらぎこちなく歩きだそうとして、もたもたしたせいですでに信号が赤になっているのに気がついて慌てて先輩をひきとめる
「先輩!赤ですあか!」
「え!え!?」
わたわたと横断歩道にかけた足を引き戻して、元いた位置に戻り車が行き過ぎるのを見守る
何となくお互い顔を見合わせてから、気が抜けたように笑いあった
松代から言いつけられた買出しから、ついてないついてないと思っていたけど
ついてないどころかいまだかつて無い程についている日になったのかもしれない
あの頃出せなかった勇気が、今度こそ持てるだろうか
彼女の傘をうつ雨音に励まされ、周りの見えない傘っていいななんて考える
「……っ先輩、俺ずっと」
雨傘の下でも、俺の声は届いたらしい
図書室で聞づらい小さな俺の声を拾い続けた耳は優秀だったようだ
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