02
 数日もすれば、三日月と手を繋いで移動することにも、食事や睡眠を必要としない身体にも慣れた。……これって、慣れてよかったんだろうか?
 繋いだ手から注がれる熱は、日に日に弱まってきていて、今はぽかぽかとちょうどいい塩梅だ。最初からそうしろ。
 ちなみに爺の徘徊癖は相変わらずだ。この人疲れないんだろうか。俺赤疲労になってる自信あるんだけど。

「そういや今更だが。きみは、俺を見つけた時一人だったろう。こんな場所まで何しに来たんだ? 今も、俺を連れ回しているし……」

 本当なら、訊かずにおこうとしていたことだった。明らかにワケありっぽいし、俺が易々と踏み込んでいいことではなさそうだったし。
 けれども、俺がずっと知りたかったことでもあって、疲れからうっかりその言葉が零れてしまったのだった。
 三日月が、目を細める。

「そうさなぁ」

 彼は、届かぬ何処かへ思いを馳せるように、ゆっくりと空を見上げた。つられて俺も上を向く。今宵は満月だった。道理で明るいはずだ。
 木々の隙間から覗く幾多の星を辿り、大三角形を作る星を見つけては、その一つから十字をなぞる。無意識に“自分だ”なんて思い込んでいたけれど、白鳥だコレ! 鶴じゃなかった。暑さでボケたかな。

「お主は、何処まで気付いた?」

 はっとして、三日月の方を向く。三日月の視線は、真っ直ぐ俺へと向いていた。
 直視怖えええ。何? お天道様ならぬこのお月様がお前を逃しはしないとでも言うのか? 月の明るい夜だから、お爺ちゃんもハッスルハッスルなのか? 上からも横からも月に見られて、こりゃドキドキしちゃうな、恐怖で。

「大したことは、分からないさ」

 肩を竦め、あの剽軽な鶴丸国永の調子を意識しながら言葉を紡ぐ。

「きみは、どこかの本丸を抜け出してきた三日月宗近だ」

 俺はにやりと笑ってみせるが、三日月は是とも非とも言わない。待って、不安になる。やめて。内心ぷるぷるしつつ、話を続ける。

「普通、俺達のようなものは審神者に顕現されるものなんだろう? きみが自力でその姿をとれる例外だという可能性も考えたが――」

 一度、言葉を止める。その先を言っていいものか、少し迷って、結局口にした。

「やはり、変だ。俺の人型のとり方と、きみの顕現の仕方は、どこか違うように思える。
 俺に人の姿をとらせることも、普通は出来ないと知っていた。それは他の…きみと違って、所謂普通の刀達と、きみが過ごしていたからじゃないか?」

 こんな場所まで単騎無傷で入り込めるのだ、きっと練度も高いだろう。間違っても練度1などではない、出陣経験があるということだ。そうした面からも、彼はどこかの本丸に属していたと俺は推測していた。

「きみは別に、この場所に用事なんてなかった。
 俺を連れ回している間、山の中だというのにきみは方角を気にした試しがなかったからな。何度か同じ場所も通っていたし、目的地もなかったんだろう」

 それに、もし彼に『ここでの用事』があったなら、その用が済んでいたにせよ、いないにせよ、俺を連れ回してこの山に長居する意味が分からない。

「……そうだな。どちらかといえば、きみの目的は、本丸を出て行くことだった」

 俺がそう告げれば、沈黙と共に、三日月の唇が弧を描く。
 合ってたっぽいよ! よかった! ……よかった? 当ててよかったの? 当たったら当たったで不安とかもうやだよおお!

「他には、分かったか?」

 答えたくないと思いつつ、「そうだなぁ」と顎に手をやる。
 先ほどから、妙に冴える思考が怖い。冴えるとか鋭いとか切れるとか、確かに刀と相性よさそうな語だけれども。何で俺、探偵アニメの推理パートみたいな真似してるんだろう。そも推理を語るなら、「さて、」から切り出すべきだった。

「俺を連れ回していた方が、きみには都合がよかった」

 ぽつり、と口にする。彼と行動を共にして、たった数日とはいえど、この三日月が善意や好意、親切だけで動くような、純な存在ではないことは、何となく理解できていた。ピュアさが足りない。なるほど、癒されないわけだ。

「その都合までは知らないが、多分会ってすぐの頃、きみが霊力過多状態だったのと何か関係しているんだろう」

 そう、霊力過多状態。俺がこの爺と手を繋いで、やたらと痛いような熱いような思いをする羽目になった原因である。近頃ぽかぽかレベルにまで温度が下がり、己の内を巡る霊力を認識できるようになったことで漸く気付けた。あれは、膨大な霊力が、無理矢理に圧縮されたことで高い熱を持っていたのだと。多分、この三日月宗近の中に、その霊力は押し込められていたのだ。
 いくら二次創作内で他の刀剣男士より一つ格上扱いされがちなラスボスお爺ちゃんといえど、あの霊力は流石に器に見合わず持て余すんじゃないかと思う。本人も調整が利かないと言っていたのがいい証拠だ。涼しい顔してたけど、身体は相当辛かったんじゃなかろうか。

 そして十中八九、その霊力過多が本丸を抜け出してきた理由だと思っているわけだが――。

「なあ、三日月。君のその霊力は、どうやって手に入れたものだ?」

 本能的に理解してしまったのは、あれは『刀剣男士』一人が、持ち得ていいようなものではなかったということ。
 人に…『審神者』に使役されるものとして持つにはあまりに膨大で、『刀剣男士』の領域を越えるような、……“主従”を侵すような。

 彼は、慈しむような目を俺に向ける。
 三日月模様の浮かぶその目が、優し過ぎて怖かった。
 夏の夜風がひゅるりと木々の隙間を抜けていく。揺れた梢が、さわさわと音を立てた。虫の声に耳を澄ませる前に、その美しい声が俺の聴覚を奪う。

「鶴は聡いなぁ。……その聡さ故、うちの本丸にいた鶴は折られてしまったよ」

 はいこれ聞いたらあかんやつー! 知ってた! 俺知ってた!

 間を置かず、三日月は腰からすらりと刀を抜いた。月光を鈍く反射するそれは、ところどころ何かの汚れがついているのが分かる。

 あっ死んだわ俺。

 彼は月を背に薄ら笑みながら、淡々とした声で告げた。

「俺は主を殺して、あの場所を出てきた」
「……そいつぁ、驚いた」

 もうそれしか言葉が出てこなかったよね。

 あー、あー。ちらっと見えてた鍔の血はそれね、あーね。鶴丸さん納得。霊力過多も、審神者カッティングの影響だったってわけだ。刀は往々にして、斬ったものの謂れがつくもんだしな。
 その謂れが定着しないように、また色々としていたらしいことも聞いたんだが、正直よく分からなかったので、友切の名を髭切に戻すようなもんだと勝手に解釈しておいた。合ってるかは知らん。
 ちなみに、服に返り血を浴びるような下手はうっておらんそうです。へー、知りたくなかったなーその情報。

「彼の本丸では、刀剣男士の扱いが悪質だった。主は我らを酷使し、また慰みものにした。中でも俺と鶴は、主の気に入りだったが」

 そこまで述べたところで、三日月が言葉を止める。目を閉じた彼は、本丸での出来事を思い返しているのだろう。ブラック本丸案件ですね、分かります。話したくないというよりは、言葉にあらわせないといった様子に見えた。一体何があったというのか。
 俺は三日月が夜伽被害者というのが意外で、受けた衝撃に浮き足立つ。ブラック本丸の刀剣達の酷使と無茶な進軍は、三日月難民とセットのはずだろう?! セオリーはどこに行った!

 三日月は掲げていた刀をそっと下ろし、その視線も己が刃へと落とした。

「鶴が折れた」

 感情の死んだ声にぞっとした。どれだけのものを、押し殺したのだろうか。
 流れ込んでくる霊力は相変わらず温かいのに、握ったその手が冷たくて、怖くて、力を込めるのに、三日月が握り返してこない。
 あばばば。手を離すと同時に両手で刀構えて袈裟斬りとかするんじゃないだろうな。斬られてたまるか! 離さんぞオラ! くっそ怖くて泣きそう。

 俺がふるふるバイブレーションのマナーモードになっていたら、三日月は俺の恐怖や緊張など何処吹く風で、あっさりと納刀した。
 ……なんか死なずに済んだわ俺。この爺の手を握っていなければ、コロンビアのポーズをとっていたことだろう。
 刀を納めた三日月は、ふっと小さく息を吐いた。

「月は人を狂わすというが、月自身は狂えぬのだなぁ……」

 あれは、狂うた方が楽だった。と、三日月は零した。

「知っているか、真(げ)に恐ろしきは、目に見えて狂っている者ではない。まともさのなかに、狂気を孕んでいる者だ」

 俺に語りかけるように言うそれは、彼の元いた本丸の主のことか。
 それは兎も角として、この爺。狂ってるというよりは病んでるよな。ははっ。……やめてよお、扱いに困るよお。

 どうして平気な顔をしていられるのかが分からない。その腹の中に、何を押し込めたのか。想像するのが怖いくらいの、重くて大きな感情。飲み込むにも消化不良起こすだろう、それ。

「泣いてくれた方がマシだ」

 俺が言ってもこの爺は、きょとんとした顔で首を傾げてくれやがったが。白々しいぞこんにゃろ。握った手をぶんぶん振り回してやった。
 まあ、なんだ。この三日月爺の流すべき涙を、俺が肩代わりするわけにもいかないから。せめて俺は、その折れた鶴丸国永を、同じ鶴丸国永として悼んでおこう。

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