03
「さて、そろそろ行くとするか」

 空も白み始める頃、三日月は唐突にもそう言った。勿論、俺はそのことに関して何も聞かされてやいないし、何処に行くかの見当だってつかない。構わず俺の手を引く三日月は少し早足で、ついていくのに苦労した。

「行くって、何処へだ」

 あの世へとか言わないよな? 昨夜明かされた内容が内容だっただけに、「知ったからには消えてもらおう」なんて展開にならないか不安なんだが。
 俺の問いに対して、三日月は無回答。ああうん、そんな気はしてた。

 この爺と手繋ぎ徘徊している間、彼と話す機会はいくらでもあったのだが、どうにも彼は、言いたくないことは言わない主義とでもいおうか、説明責任を果たす気のない性質なようで。こちらが知りたいことに限って、訊いても答えてくれなかったのだった。
 彼について、俺が知っていることは驚くほど少ない。彼が何をしたいのかも、何を考えているのかも、俺には分からない。適当な嘘を吐かれるよりはいいのかもしれないが、分からないことはそれだけで怖い。……怖いのに、彼を信じてしまっている自分がいる。だって、仕方ないじゃないか。俺の手を引いたのは、こいつだったんだから。

 暫く歩いたところで、ここから遠くに、今までは感じていなかった気配が感じられることに気付いた。薄らぼんやりとしていて、不透明だったそれは、歩を進めるほど色濃くはっきりとしていく。
 三日月は、そこを目指しているのだと、嫌でも理解することができた。


 ひとかたまりのように思っていた気配は、複数の者の集まりだったらしい。俺がそれらの位置を把握できるほどの距離にまで来た頃には、俺の耳は金属のぶつかり合う音を拾っていた。誰とも知れない者の張り上げた声も聞こえる。――戦って、いるのだ。
 刀剣男士になってから、初めて近くで感じる戦場の空気に、自然と身体が強張るのが分かった。自分が恐怖しているのか、高揚しているのか、判断がつかない。時間の流れがやけに遅くて、気持ちばかりが急ぐ。

 つい、三日月と繋いだ手に力が籠った。それに気付いたらしい三日月は、ちらりと俺を見て小さく笑うと、すぐに進行方向へと向き直る。えっ、なにそれ。
 その笑いが『クスッ』とでもいうような、ぴゅあ〜なものならばよかった。だが、実際は全く異なる。形容するならば、そう、『ハッ』である。嘲笑である。鼻で笑ってやがる。
 ……ええええ!? 俺なんか馬鹿にされてる!? なんで!? 俺がチキンだとでもいうのか、鶴なのに。鶴なのに!

 思わず寄った眉は、視界に入ってきたものに、すぐさま跳ね上がることになった。何せ俺の目に見えたのは、何処かの本丸の刀剣男士部隊と、時間遡行軍の大立ち回りである。
 木々の合間を縫って敵を避け、地を駆け相手の陣に潜り込む。目の前で繰り広げられる激しい攻防、アクション映画さながらの人外じみた動きに己のテンションゲージが一気に振り切ったのが分かった。
 何これかっけええええ!! びっくりじじいも大満足の驚きだ。そんな驚きの光景をばっちり目で追えている辺り、俺もびっくり人間もとい刀剣男士の仲間ということなのだろう。


「――それで、きみは今更どういうつもりだ」

 足を止め、俺と一緒になって、戦う刀剣男士達を見ている三日月に問い掛ける。
 今の今まで、刀剣男士にも時間遡行軍にも全く遭っていなかったのだ。思えば、意図して遭遇を避けていたのだろう。まさか、俺の手を引き徘徊していたのは、そのためか。
 三日月の唇が、美しく弧を描いた。

「このまま、というわけにもいかないだろう?」
「……それは、俺がいるからか?」

 三日月は答えない。だが、その沈黙が俺の問いを肯定していた。そんな三日月に、舌打ちをしたくなる。
 霊力は無限ではない。俺が人の姿をとるための霊力は三日月から供給されており、その霊力の供給量は日に日に弱まっている。普通、刀剣男士から霊力を送り込み、刀に人の姿をとらせることはできない。三日月も俺も、今の生活をこのままずっと続けることはできない。破綻は見えていて、終わりがくることも分かっていた。

「お主のことは、あの部隊に預けようと思っている。戦闘が終わり次第接触を図るつもりだ」
「俺の意志は無視か」
「はっはっは」

 いや、そこ絶対そうやって笑う場面じゃないから。ええー。いくらマイペースったって、俺のことまで俺抜きで決めちゃうとか、ええー。えええー。圧倒的相談不足だろこれ。

「そこまできみに余裕がなかったとは、知らなかった」
「俺一人ならば、何とでもなるのだがなあ……お主は、人の姿をとっておるとはいえ、正式に顕現されたわけではない。謂わば、その存在が不安定な状態にある」

 何それ初耳ィ! ああでも、今の状態が、正式に顕現するのとは仕様が違うって話はしていたような? 今のこれじゃ、手を離して三日月と別行動とることもまともに出来やしないしな!

「“眠っている物を起こす”役目は、審神者こそが果たすべきだ。お主が刀剣男士であるためにもな」

 例外が過ぎれば、定義を外れるということらしい。華の刀剣男士から、荒御霊だとか妖怪つくもがみんだとかにジョブチェンジしてしまうとでもいうんだろうか。何それ困る。

「俺の場合、既に眠りから覚めてしまっている気もするが」
「お主にとっては、未だ夢の中のようなものだ」

 ほーう。つまり、ここ数日の爺との徘徊は、全て夢の中の出来事だったと。それ、何て悪夢ですかね?
 思わず渋い顔をつくる俺に、三日月は悪巧みでもしていそうな笑顔を浮かべた。うわぁ、ラスボス顔。


 件の戦闘は、無事刀剣男士側の勝利で終了したらしい。それを遠目に確認したところで、三日月は態とらしく近くの茂みを揺らした。戦闘を終え、一息ついていた彼らの目が一斉にこちらに向くのが分かる。ちょっと怖い。幸いにして、その視線は俺ではなく全て三日月の方にあるようだったが。
 三日月は、そこから数歩進んだところで足を止めた。あちらの部隊の者達が、声を潜め、何やら相談している様子が見える。暫くしてから、二人の刀剣男士――へし切り長谷部と燭台切光忠だと思われる――が前に出てきた。

「三日月宗近か。このような場所に一人とは……部隊から逸(はぐ)れたか?」

 ……一人? 長谷部の言葉にぱちくりと目を瞬きさせる。どういうわけだと視線で問うも、三日月は俺に一切目を合わせない。無視である。傷つくわぁ。
 長谷部の問いに、三日月は首を横に振り、悲しげに微笑んだ。

「此処に来たのは己が意思だ。……主の非道な行いを、咎めはすれど改められず、終に見限り出奔した身よ」

 三日月の言葉に、長谷部は眉を顰め、燭台切は悲しそうに眉を下げた。三日月が苦笑する。

「お主らは、余程己の主を慕っているらしいな。
 ああ、いや、それを悪だというのでなく。ただ、お主らの“主”と俺の“主”に、余程の違いを感じて、な。
 まあ、俺のことはよいのだ。それよりも、保護を頼みたい者がいる」

 そう言い、三日月は握った俺の手をぐいと前へ突き出した。うわぁ、刺さるような視線。長谷部も燭台切も、俺が三日月と繋いだ手をガン見である。やめて恥ずかしいからやめて。不可抗力なんです。

「鶴丸国永か」
「ああ。此奴は主に執心され、ろくに戦場にも出されず、伽に応じさせられていた」
「おい、きみ! 何を言ってるんだ!?」

 何その事実無根な大嘘設定、初耳なんだけど!
 思わず俺が声を張り上げるも、三日月に気にした様子はない。長谷部や燭台切は、まるで俺の声が聞こえていないかのようで、三日月の次の言葉を待っていた。……何かがおかしい。

「俺は此奴一人を連れ出すのがやっとだった。……鶴だけで、いい。どうか、厚顔無恥な願いとは思うが、頼まれてはくれないか」

 憂いを帯びた三日月の顔には、心なしか赤披露マークが覗く。遠くまで通りそうな澄んだ声は今、切迫感と悲壮感に溢れていた。えっ、お前誰。
 三日月の顔を二度見、三度見する。演技、だよな? 長谷部も燭台切も、三日月の雰囲気に呑まれ、お通夜モードである。真実味ありすぎて俺まで混乱してきた。

 いや、違う、違うぞー。俺、まだ顕現されたことないし。山の中にいて、この爺の徘徊に付き合わされただけだし。いわば行きずりの仲。俺は巻き込まれただけ。
 それならどうして――と、俺が疑問を抱くと同時に、燭台切が三日月に尋ねた。

「鶴さんだけで、いいの?」
「ああ」
「俺はよくない」

 即座に返された三日月の答えに、俺は否を唱える。三日月の視線が一瞬だけ、此方に向いた。

「俺は、きみが一緒だと思っていた。俺だけだなんて、聞いていない」

 俺はブラック本丸被害者じゃない。被害者は、この爺の方だ。

「幸い、俺は過剰な出陣を強いられど、夜伽をさせられはしなかった。鶴のように、刀としての役割を奪われたわけではない」

 三日月の、その台詞のあまりの赤さに、俺はその場で頭を抱えた。
 おいおいおい〜、慰みものにされたんじゃなかったかよ〜。この爺も、折れたという例の鶴丸国永も、確実にまっくろくろすけな被害を受けていた筈だ。
 俺と話す際、話すに都合の悪いことは全部濁してきたこの爺のことだ。俺に話したことに限っていえば、嘘はなかったことだろう。

 ならば何故、彼は今嘘を吐いている?
 その疑問は、三日月の顔を見れば直ぐに氷解した。――あっ、こいつ。意地でも組み敷かれてた、所謂“被害者”であったことを認める気がないんだわ、と。
 あくまで自分は、助け出した側だと言い張りたいらしい。やーいお前んプライド、チョモランマー! 何その無駄に矜持高いの。
 何も奪われなかった、何も失いはしなかったと、彼は言うのだろう。どれだけ悲しげにしていても、苦しそうにしていても、それは演技だと彼は言い通すのだろう。芸術品たる姿勢を崩そうとしない、そのお綺麗な顔を今ばかりはブン殴りたい気分だった。まあ、報復怖くてできたことじゃないんだけども。


「主に指示を仰ぐ。しばし待て」

 長谷部がそう述べ、燭台切と共に部隊の仲間達の下へと戻っていく。三日月は、離れていく彼らの背を見つめていた。

←前  次→
< 戻る  [bkm]