04
「どうにも彼らには、俺の声が届いていないようなのだが、きみは何か知らないか?」

 知ってるだろう、むしろお前のせいだろう。そんなニュアンスで問えば、三日月は喉の奥で笑った。

「他の者に、お主の姿は見えておらんのだ」
「ほう」

 三日月が言うには、俺のこれは正式な顕現でないために、霊力の供給源である三日月と、供給対象である俺にしか認識できないんだそうな。
 この俺と三日月が手を繋いでいる状況は、他の者から見れば、三日月が刀剣状態の鶴丸国永を手にしているように映るらしい。つまり、この爺と俺が手を繋いだ姿は、彼らに見られていないというわけだ。やったぜ。
 しかし道理で、俺の方に彼らの視線がこないはずである。無視されていたわけじゃなかったんだな。

「そうして、俺の声が聞こえないのをいいことに、あの根も葉も突拍子もない嘘を、何の断りもなく吐いてくれたのか」
「ああ、そうだな」

 肯定した三日月は、心なしか愉しそうに見える。いい性格してるな!? 俺はこれからの身の振り方に頭を悩ませてるってのに。

「きみは、少し勝手が過ぎる」

 むすりと唇を尖らせる俺に、戦犯爺は気楽にも笑っている。
 くそう。人が無知なのをいいことに、完全にしてやられた気分だ。フェアじゃないにも程がある。
 ああでも、神様ってやつにはそういうとこがあるんだったな。相手がそれを知らなかろうが、己の理(ルール)で動きやがる。これじゃあ、契約内容を説明してくれる悪魔の方がよっぽど親切だ。

 今すぐにでも長谷部達に、俺がブラック本丸出身じゃないことを告げたい。そう思って、この状態で彼らと意思疎通を図る手段はないものか三日月に問うのだが、彼は「無い」と断じるばかりか「今だけは、俺の、俺だけの鶴だな」などと宣った。
 ん?? ヤンデレかな???? 野郎のデレは要らん! ヤンデレはもっと要らんわボケ!

 あー、あー、俺はいいから、あの部隊の方々、この爺引き取ってくれないかなあ。レア度最上位、神格も高いと噂の三日月宗近だぜ? 厚樫山に出陣してるってことは、三日月掘ってたんじゃないのかよ。……捜していたにしては、三日月の姿を見てもリアクション薄かったんだよなあ。長谷部達の主人は、三日月難民じゃないのかもしれない。


 さて、長谷部がこちらに戻ってきた。是非を問う三日月の視線に、彼は頷き一つを返した。
 早速三日月が俺の本体を手渡そうとするが、長谷部はそれを制止し、三日月についてくるよう言った。

「俺はいい」
「共に保護せよというご指示だ」

 審神者さんナーーイス! 長谷部氏も、主命を果たさんとばかりに目をギラギラとさせていらっしゃる。
 ふははー、顕現したら即誤解勘違い解いてやるんだかんなー! 逃げるなんぞ許さーん!

 三日月は、当てが外れた、計算違いとでもいうように、戸惑うような表情を見せた。何気に俺の初めて見る顔だ。基本、動じないのがこの爺だったし。
 俺はそんな爺の手を引いて、長谷部達についていった。






 長谷部達に案内され、到着したのは本丸に通じる門――いわゆるゲート、ワープホールもどきというやつだった。空間にぽかりと穴あくように存在しているそれの先には、純和風の立派な日本家屋と美しい庭が見える。
 三日月と共に踏み込んだ途端、俺の視界は切り替わる。どうやら、刀に戻ったらしい。

 そうしたところで、三日月から長谷部に俺が手渡された。
 少しだけ、心細いような気がしなくもない。此方で自己を認識してから、接した刀といえばあの三日月宗近しかいなかった上、ここ数日は彼とずっと手を繋ぎ通しだったせいだろう。
 俺の意識があるまま刀身を手にされるというのは、己の存在そのものを握られているようで大変心臓に悪かった。例えるなら、そう、お姫様抱っこでもされているような居た堪れなさ。早く審神者に渡してほしい。

 長い廊下を延々と渡って、たどり着いた屋敷の奥。神社の舞殿のようなそこには、黒漆塗りの刀掛台が一つあった。
 長谷部はそこに、鶴丸国永――要は俺である――を掛けた。……質のいい椅子にでも腰掛けたみたいだ。
 遅れて、狩衣姿の初顔がやってくる。直感的に、審神者だと悟った。

 審神者の指先が、俺へと触れた。途端、強烈な眠気が俺を襲う。何を考える間もなく、俺の意識はそこで途絶えた。


 どのくらいの間、意識を失っていたのか。暗闇の中、うすぼんやりと覚醒し始める意識が、俺に触れる温かな流れを認識する。
 三日月にぶっこまれた時と違う。回路に沿って流れ巡るそれは、やがて俺の中心に達した。

 ドクン、と何かが脈動するのがわかった。ようやく心臓が動き出したような気分で微睡んでいれば、その微睡みの中から大きな力に引きずり出される。その後、そのまま自然と“降りる”感覚がした。桜花咲き、足の裏に伝わるのは、石畳の感覚だ。

 ……成る程、三日月が夢と形容した意味がようやく分かった。
 現実感、とでもいえばいいのか。仮想と現実。画面上での印刷プレビューと実際に印刷した物くらいの違いに似ている。

 ゆっくりと瞼を開けば、始めに視界に入ってきたのは、ひらひらと頭上から落ちる桜の花弁。風流である。次に見えたのは、意識を失う前に見た審神者の出姿だが、あの時とは目線の高さが異なった。
 得た肉体を確かめるように、ぐーぱーと手を握ったり開いたりする。よし。
 ようやくこれで、三日月によって立てられた謎の勘違いフラグを折れるってものだ。

 まあ、まずは名乗りの口上だろう。
 そうして意気込み口を開いた俺は、審神者が勢いよく頭を下げたことで、即閉口することになった。えっ、何これ。
 頭を下げた審神者は、それでも足りぬというように土下座しかけていたのを、近侍の蜂須賀に止められていた。えっ。
 聞こえてくるのは、謝罪の言葉。モウシワケゴザイマセン、ニンゲンノカッテナツゴウデ、云々。イマイチドワタシタチニチカラヲ、云々。
 ど、どこかで聞いたことある。進○ゼミで見たやつだ! ちがう。そうじゃない。いやでも見たことある! すっごいテンプレ! あっ、これは勘違いされてますわ(察し)

 この状況を作り出したであろう、あの元凶の爺はというと、審神者と蜂須賀の一歩半ほど後ろでほの暗い笑みを浮かべている。こやつ。
 目が合ったので、キッと睨みつけるも、鼻で笑われた。こやつ。ゆるさん。

 審神者が述べるには、彼(彼女?)は俺に顕現だけの力を渡す形になるらしい。いわゆる仮契約というやつだ。そうして、俺と三日月はこの本丸の所属となるが、出陣や本丸運営の強要はないそうな。居候のようなものになるのだろう。
 本契約は、本人(本刃)が希望するならば行うそうで、刀解を望む場合は、手続きに暫く待たせることになるが、全身全霊政府の許可をとる所存なのだそうな。

 なんということでしょう。いや、この場合、『なんという勘違いを産んでくれたのでしょう』か? どっちにしろどうしてこうなった。保護されるのは有難いが、その勘違いがいただけない。
 尚も謝る審神者に、頬が引きつりそうになるのを抑え、それから、ニッと笑ってみせる。

「謝罪など、やめてくれ。俺は何もされていない。三日月が述べた、俺が夜伽を強いられていたということも嘘だ」

 だからきみが謝る必要もないのさ、と俺は翳りなき笑顔で言い放つ。よーし、早速訂正させてもらったぜ!
 だが、俺の明るい声と裏腹に、その場の空気はぴしりと凍りついたようだった。……えっ、えっ。なにこの空気。時間でも止まった?

 沈黙、静寂。止まった時を動かすように、三日月が口を開く。

「……もう、いいのだ。鶴や、ここにお主を虐げる者は居らぬ。責める者も、な。だから、もう、無理はするな」

 儚げな雰囲気で、そんなことを切々と語りかけてきた三日月に、俺は素っ頓狂な叫びを上げた。

「ハァッ!? い、いや、無理もなにも、俺が伽を強いられていたというのは、きみの嘘じゃないか!」

 俺の言葉に、三日月が哀しげな顔をする。彼はその静かな瞳を審神者に向けては、首を横に振り、俺の言葉を否定した。いやいやいやいや、ええ!?
 審神者も、そんな三日月の空気に流されるように一つ頷いた。
 くっそこのジジイ演技派過ぎるだろ!?

 ジジイの持つ謎の説得力が強い。強すぎる。なんだこれ。俺がブラック本丸被害を受けたにもかかわらず、気丈に振舞っていると勘違いされているでござる。
 そんな勘違いしてりゃあ、先の発言で空気も凍るし審神者も言葉出てこなくなるわな! 違うんだよチクショウ!

「記憶の混乱…? まさか、顕現に手落ちが」

 審神者の口から不安げにこぼれた言葉に白目を剥きそうになる。さ、更なる勘違いの波動を感じる! ヤメロォ!
 だがしかし、俺が審神者の思考を軌道修正する前に、三日月は口を挟むのである。それはもう、その美貌を大変に有効活用した、同情を引く憂いに満ちた表情を添えて。……美人は得ですね?

「思い出せぬのならば、思い出さない方が良い。此奴は刀に戻ってしまうほど、心身ともに相当痛めつけられていた。むしろ忘れてよかったのかもしれん」
「ちがっ、違う! 俺は」

 違うのに。否定の言葉を吐けば吐くほど、その場の空気は重くなる。まんまみーあ。
 心痛めた様子の審神者と蜂須賀が、遂に表情をくしゃりと歪めた。

「大体の事情は、既に君と共に来た三日月宗近から聞いているよ。君が無理に話すことはない」
「今の貴方に必要なものは、ゆっくりとした時間と休養でしょう。この本丸を止まり木代わりにでも使ってください」

 彼らが俺に掛ける声は優しい。こちらを安心させようという姿勢がびんびんに伝わってきて、それを必要ないと突っ撥ねるのも躊躇われた。
 ……ああもうなんだか、それでいいです。


 早々に訂正を諦めた俺は、ブラック本丸出身という、審神者らの勘違いを享受したのだった。

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