余談
 この本丸には、実装されている刀剣のほとんどが揃っていながら、鶴丸国永がいなかった。
 そんな本丸に、ブラック本丸出身の鶴丸国永がやってきたのは、今からちょうどひと月前のことである。彼は、この本丸で顕現された時にはすでに、以前所属していた本丸での出来事を一切忘れていた。
 彼と共に保護された三日月宗近の話によると、鶴丸は以前の本丸で、相当酷な目に遭わされていたようだった。刀としての尊厳を奪われるどころか、人としてさえ扱われず、その審神者の私欲を満たすためだけに存在していた、と。物に宿る付喪神の、その在り方を真っ向から否定するに等しい所業である。審神者として、そのような者が同じ審神者を名乗っていることが我慢ならなく、そのような審神者をのさばらせている現状を、審神者は歯がゆく思ったものだった。

 記憶を失ったことは、鶴丸国永にとってはいいことだったのかもしれない。翳りの無い、ごく自然な笑みをみせてくれている彼に、審神者は思う。憶えていたなら、彼はきっとこうして笑ってはいられなかっただろう。直接の被害者ではない、あの三日月宗近でさえ滅多に笑えなくなっているのだ。
 この本丸に元からいる、三日月宗近をよく見ていた審神者だからこそ気付いた違い。笑みを浮かべることと、笑うことは同義ではない。己の三日月は、よく笑う性質だったが、此度保護した三日月は、浮かべた笑みを保つばかりで、笑う動作があまりになかった。

 そんな三日月にとっては、鶴丸が記憶を失ったことは、よくないことだったのかもしれない。当の本人の口からは、忘れたことを喜ぶ言葉が出ていたが、鶴丸が忘れたことで、ブラック本丸での経験を憶えているのは三日月一人となったのだ。辛い状況を、鶴丸と支え合い耐え忍んでいたらしい彼は、その辛さを鶴丸と共有できなくなってしまった。
 相手は忘れ、三日月ばかりが憶えている状況というのも、審神者は気掛かりだった。三日月宗近という刀は、一期一振然り、骨喰藤四郎然り、知り合いであるはずの刀に己を忘れられるという経験をしている。
 ……せめて穏やかに、この本丸で過ごしてくれることを、審神者は祈っている。


 気掛かりといえば、鶴丸国永に他人を驚かせようとする素振りがないことも、審神者には気掛かりだった。

 びっくりじじい、という言葉が代名詞にもなっている鶴丸国永は、ウサギが寂しいと死ぬように、退屈に殺される生き物なのだと聞いている。審神者は、鶴丸が退屈に死んでしまわないか不安だった。

 あまりにも、その不安が表情に出ていたのだろう。どうかしたのかと鶴丸に問われて、思わず審神者は、その時彼に「落とし穴は掘らないのか」と訊ねた。彼はそんな審神者の問いに、目をぱちくりさせて、「落っこちたら危ないだろう」と言った。確かに、その通りだった。
 ……その通りなのだが、解せない気分になるのは何故だろう。鶴丸は当たり前のことを言っているだけなはずなのに、「違うそうじゃない」といった感覚が拭えない。

「まだ納得のいかない顔をしているが、そんなに落とし穴をご所望かい?」

 小首を傾げ、審神者を窺う鶴丸に、審神者は首を横に振った。

「……退屈で、君が死んでしまわないかが心配なんだ」

 結局のところ、審神者が思うのは、それなのだ。審神者の知らぬ間に、ふと消えてしまわないか。審神者が何も気付けぬままに、彼が物言わぬ鉄になってしまわないか。自分の至り知らぬところで、何も出来ぬままに、彼が喪われるのが怖かった。
 鶴丸はそれを聞いて、ほろり、と花綻ぶように笑った。

「なら、その心配はいらないな。なんといったってここでの生活は、毎日が驚きに溢れている!」

 そう告げた彼の表情は、心底好奇と喜びに満ち溢れている。審神者は胸がとつ、と突かれたような思いだった。
 鶴丸が、不意に柔らかな笑みを浮かべる。いつも溌剌とした笑みを見せる彼の見たことのない表情に、審神者はどきりとする。鶴丸は、そんな審神者を知ってか知らずか、「今朝は大倶利伽羅の育てていたサボテンに、なんと花が咲いていたんだ」と、『本日の驚き』を楽しげに語りだした。
 彼の見ている世界は色鮮やかで、審神者の方が驚かされる。彼はひとが何気なく流してしまいそうな、現に審神者も目にしながらさらりと流してしまっていた物事を、丁寧に拾い集め、宝物のように審神者に語ってみせた。よく気付くというべきか、彼は日常の中での驚きを見つけることに長けているようだった。

「驚きがたくさんあるから、君はひとを驚かさないのか」

 審神者の呟きに、鶴丸は少し考える風にしてから、その口を開いた。

「これはあくまで、『鶴丸国永』でなく、俺という個体に限った意見になるのだが。
俺は、人を驚かすということは、意外性…どれだけ想像を上回れるか、どれだけ予想を裏切れるかにかかっていると思っている」

 鶴丸国永という個体が落とし穴を掘ることに驚きはあるかい? と、審神者に尋ねる彼には、どうやら、彼なりの驚きへのこだわりがあるらしかった。

「ああ、もちろん、不意を突くというだけなら、例えば」

 パン、と目の前・顔に当たりそうなほどの距離で手を打ち鳴らされ、審神者は小さく悲鳴を上げた。

「こうして、危険から身を守るための反応を利用して、問答無用に驚かせることはできる。
急な外界からの刺激に、人間の身体は驚くように出来ているからな」

 突然の、意地の悪い鶴丸の行動に、審神者は彼をジト目で見る。鶴丸は両の眉を下げ、苦笑した。

「ただ、これには問題がある。危険と結びついた驚きは、相手に不快感を与えてしまうんだ」

 気を悪くさせてしまってすまない、と鶴丸は審神者に謝る。審神者はというと、その時になって鶴丸の行動の理由が分かり、内心舌を巻いた。身を以て体験させられてしまっては、納得する他ない。彼の論には、妙に説得力があった。

「人を驚かせるというのは、なかなかに難しい。
俺はあくまで、ハッと目が醒めるような、好奇心を刺激されるような、ひとを喜ばせるような、そんな驚きを与えたいんだ」

 だから今は慎重に、驚かせる機会をうかがっているのさと、鶴丸は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「職人だ」

 審神者の口をついたのは、そんな感想だった。








審神者と鶴成で、お堅い敬語が抜けるくらいには気安くなった頃の話でした。君死にたもう事なかれ審神者と、驚き職人鶴成。
この審神者さん、冗談を真に受けちゃうところがある。そして勘違いは続行中。

・続きの没ネタ
夕餉を鶴丸が担当した日のこと。
加州「いつもとちょっと味付け違うけど、これはこれでおいしいね」

料理を一口くちにした審神者、手が止まってぼろぼろ泣きだす。懐かしい味、家庭の味。母を思い出す。

「どうだ、驚いたか!」
してやったり、といった表情の鶴成。審神者を泣かせたことは蜂須賀に叱られました。


鶴成のとった手法が、審神者の言葉のアクセントや時折出てくる方言から出身地を推測して郷土料理調べた上で、審神者が台所に立ったときの味付けの癖から家庭の味を推測したとかなんとかいう、聞いたら真っ青になりそうな特定方法だったのでなかったことに。こわい。
ホームズも、驚かせるには結論だけそれっぽく最初にいうのが良い、みたいなこと言ってるし。知らない方が幸せってやつさ!


(追記)
ここの本丸の大倶利伽羅は、「サボテンには心があるんだよ」と審神者に聞いて、サボテンに名前をつけてペット感覚でお世話してる。(かわいい)

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