キャフィリア
その店に、名前はついていない。

「いらっしゃいませ」

そう広くない店内、客も少ないので数回来た客の顔は覚える。訪れた客の顔をみた苗字は目を細めた。
確か、彼が注文するのはプリンとコーヒー。コーヒーにはミルクと砂糖をたっぷりいれるのが好みのようだ。

「へぇ、お仕事でこちらに?」
「ああ。でも残念だなぁ、仕事ももうすぐ終わりで近いうちにここを去らないといけない」

綺麗な黒髪をさらりと揺らした青年は、そうしてコーヒーカップを受け皿に置いた。

「ここのプリン、なかなか気に入っていたのだけれど」

名残惜しいよ、まったく、と苦笑する青年に苗字は微笑んだ。

「また近くを訪れる機会があったときにはお越しくださいね」

彼はお土産にプリンを大量買いしていった。よっぽど気に入ってくれたらしかった。





「ふむ、クルタ族の襲撃…結構近いな」

ここ数日訪れていた彼は、仕事を終えて帰るなりしたのだろう。客もいない、コーヒーを啜りながら優雅な昼下がりを過ごす。新聞をめくれば『幻影旅団』が民族集団を虐殺したという記事が載っていた。おおこわいこわい。

そこでドアの鈴がなり、客が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

新聞をたたみ、カウンターに苗字は戻った。
入ってきたのはまだ幼い可愛い少女…いや、少年か。金髪碧眼、まるでどこかの絵本から飛び出してきたかのようだ。

「あの」
「はい、ご注文は何になさいますか?」

少年は、戸惑いながらも口を開いた。

「何でもします、ここに置いて下さい」

苗字は、こんな可愛い子が何でもするだなんて、軽々しく口に出すものではないと思った。





金髪碧眼の美青年が店員としてここで働くようになって数ヶ月。彼にも笑顔がみえるようになり、お得意様にも可愛がられているようで結構。

「マスター、エスプレッソとサンドイッチお願いします」
「はいはーい」

名前は訊いても教えてくれないので、勝手にハムと付けた。彼はサンドイッチのハムだけ残して後で食べる癖があるのだ。好物は後派、というわけだ。
ちなみにハムと呼ぶと怒る。なら名乗れと言えば困ったような顔をする。まあ、何を隠していようと知ったことじゃない

「訊かないんですか」

過去にハムはそう言った。
訊いても教えてくれないのはどっちだ、と思いながら「言いたいのか?」と問うた。言いたくなければ言わなきゃいいじゃないか、何を気にしているんだか。

「ねえハム」
「その呼び方やめて下さいって何度言えばいいんですか、マスター」

客もいなくなり、閉店時間。一人黄昏ていたハムに何となく話しかけてみた。嫌そうな顔をされた

「そんなにハムが嫌なら、別のをつけてあげよう。レタス、もしくはチーズ」
「どっちも嫌ですよ。どうしてそんな食べ物の名前なんですか!」

レタスは私と仲のいい魔女が好きな食べ物、チーズは彼の嫌いな食べ物である。だって、彼に似合う名前をつけようとしたら、本当の名を当ててしまいそうなのだ。それは彼だって嫌だろう。逃げてきた過去なわけだし、これから受け入れるにせよ、捨てるにせよ、まだ早い。

「じゃあ、ハムレット。私の死んだ友人の名前だ」
「愛称ハムとかいうオチでしょう」
「うん」

せめてレットにしてくれと言われたが、変わらずハムと呼ぶことにした。そのうち彼も訂正を諦めるだろう。
ちなみに死んだ友人の名前なのは本当だけれど、まあ言わなくていいだろう。


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