本好きの悪役令嬢
[女主/ゲオルギーネ妹(ヴェローニカ三女)/過去捏造]
※web版全話読了済の方向け



 わたくし、エーレンフェストの領主候補生、ユリアツィフィーと申します。
 領主候補生とはいいましても、魔力量はゲオルギーネお姉様には及びませんし、コンスタンツェお姉様からの忠告もあって次期アウブからは早々に身を引きました。

 さきほど、図書館を訪れたところで見かけた白と黒の魔術具に、弟のジルヴェスターが飼っていたシュミルを思い出したわたくしは、つい、ほんの出来心で、そのシュミルを模した魔術具に触れてしまったのです。ぴりり、と痺れるような感覚はありましたが、それよりもシュミルを再現したかのようなもふもふの毛並みに、わたくしは時の女神 ドレッファングーアの訪れを感じられずにはいられませんでした。そうして魅惑の毛並みをついつい撫で回してしまった結果、図書館の守りの魔法陣に触れたわたくしは、弾けるような衝撃に襲われ、意識を闇に飲み込まれたのでした。

 暗い夢の中、知らないはずなのにどこか懐かしい気配に触れたわたくしは、それを切っ掛けに前世の記憶を思い出します。同時に、この世界が何処であるのかも理解してしまいました。
 前世のわたくしは、絵本に囲まれ育ち、学生時代は小説にのめり込み、大人になってからはweb小説を読み漁るのが趣味となった小説好きでありました。……そう、web小説です。その小説の中に、現在のわたくしの身の回りの人間、そして住む土地の名が重なるものがありました。

 ――異世界転生、それも『本好きの下剋上』の世界に転生トリップですか!

「目が覚めましたが、ユリアツィフィー様!」
「ええ。皆、心配をかけましたね。……実は、まだ気分が優れないのです。気も休まりませんから、少しの間一人にしてくださるかしら?」

 護衛騎士は部屋の扉の前に待機するよう命じ、側仕え達を部屋から追い出したわたしは、一人になった部屋でベッドに突っ伏した。
 ――詰んだ! エーレンフェスト領主家三女に転生で、痛恨のミス!
 わたしは、ヴェローニカお母様派に属しているのである。それも、簡単に他の派閥に変われるような立場ではなく、かなり根深いところに食い込んでいる。ヴェローニカ派といえば、未来の粛清対象ではないか!
 過去のわたしを責めるけれど、同情もしてしまう。お母様の言いなりになっていれば、次期アウブと目されているジルヴェスターほどではないけど、わたしも可愛がってもらえたから。
 ゲオルギーネお姉様へのお母様の態度の変わり様を見ていただけに、お母様の興味が少しでもわたしから離れるのが恐ろしかった。次期アウブではないにも関わらず、お母様の娘として他の姉たちよりも重んじてもらえることに、優越感を覚えていたこともあった。わたしは自身の優秀さを示しつつ、従順な姿勢を見せて「わたしには利用価値があるぞ」と常にお母様に証明せねばならなかった。
 ……あの、その一環で、フェルディナンド様に結構な嫌がらせした記憶あるんですけど。
 そっと寝台脇の収納棚に手を伸ばし、中から取り出したのは、フェルディナンドから取り上げた魔術具や魔石だ。多過ぎてどれがいつ取り上げた何かは覚えていないが、確か、彼がお父様から贈られた物、学友から受け取った物もあったのではなかろうか。

 ――のおおおっ!
 何してんの? 本当に何してんの? バリっバリの悪役っぷりですけど!? なろうの流れを汲んで、まさかの悪役令嬢ものか!? そうなのか!?
 このままいくと、白の塔行きなり処刑なりしちゃうんじゃない? お母様やお姉様の連座って可能性もあるしね。破滅へのルートが見える。うふふ。

 やだよー! なんちゃって悪役令嬢がしたいよー! 破滅ルート回避のために奮闘して、電波系ヒロインちゃんを撃退したところで、気付いたら本来婚約破棄となるはずだった相手と両想いになるんだーい!
 ま、私の婚約者ってフェルディナンド様なんですけどね! ……このまま嫌がらせを続けるのでは、マジものの悪役令嬢ルートを完遂してしまうのでは?
 なんで婚約者にしちゃったかな!? まあしちゃうよね! だって彼は顔が良かった。イケメンはすべからくこの世の富である。
 いやー、子どもの熱意って怖い。引き取って来られた彼を見て、その綺麗さについ欲しいってなっちゃったんだもんな! お母様が止める間もなく、お父様の娘可愛さを利用してのごり押しだった。フェルディナンド様と結婚したらわたしが他領にお嫁に行かずに済むよ、なんて言って。過去の自分ながら、その強引さにドン引きだ。こわい。さすがはお母様の血だな。わたしが悪いんだろうけれどな。きついわあ。

 この婚約、未来のマインちゃんルートを考えるなら、やっぱりわたしから破棄してあげるべきよね。婚約破棄。悪役令嬢モノには外せないイベントだものね。やっぱりこれは悪役令嬢モノなのかも。そう考えると、自分が小説の登場人物になったようで、少しだけ救われたような気になる。現実逃避ともいう。

「……寝よ」

 側仕えたちにオルドナンツを飛ばして指示を出したわたしは、すぐさま布団にくるまり夢の世界へ飛び立った。

 翌日、目覚めがしらに朝日を浴びたわたしは、今生でよく知る貴族院の自室の天井に、あれが夢オチじゃなかったことを知って、力なくうなだれた。南無三。
 改めて自分の立場を考えてみるが、今までの立ち回りも合わせて破滅への道しか見えてこない。わたしは、お母様にそれなりに可愛がられている。あの人に逆らうことはできない、それだけの力がわたしにない。逆らったとして、ただただ、自分の利を捨てるだけになる。それではわたしの気持ちが救われるだけで、後々困ることにしかならないだろう。それよりは、この立場を利用して自分の望む未来に近づけた方がいい。

 ――わたしは何を望むのだろう。
 漠然と、幸せになりたい、と思った。これはわたしだけじゃない、わたくし――ユリアツィフィーにとってもそうだ。
 今が不幸と嘆くつもりはないけれど、わたしの立場はお母様の気分次第なところがあって、それはいつ崩れたっておかしくない。わたしに近付く人たちは、わたしの側にいることで利益を得られる人たち。そこに、わたし自身が好まれる、なんて要素はないのだと思う。本当の意味で心を通わせられた相手なんていない。信頼できる相手なんていない。側仕えも護衛騎士も、ビジネスライクな人間か、わたしが名を握った扱いづらい狂信者しかいない。
 立場を持たず、しがらみを忘れて。ただ誰かを大切に思う、それだけで満たされて。心穏やかに過ごせたら、それはどんなに幸せなことだろう。

 ――なんだ、何も変わっていないんじゃないか。
 わたしという人間が、あれほどに悪行重ねたユリアツィフィーとたいして変わらないと分かって、なんだか笑えてしまった。

「わたしって嫌な女だな」

 悪役令嬢なんて称号もお似合いだ。突き詰めたところの自分至上主義。どおりで嫌いになれないはずだった。だって、わたしが嫌ってしまったら、ユリアツィフィーは誰が大切にしてくれるだろう。
 ここでは、自分で自分をいたわることでしか、自分を守ることはできない。あいにく、自己嫌悪や同族嫌悪をしていられるような被虐趣味もないので、わたしは罪を重ねることを選ぶ。
 ……今更ながら、正義の鉄槌片手に説教してまわる俺Tuee系の主人公さんが羨ましくなった。正論の槍で罪人を貫くのって、絶対気持ちいいよ。わたしもやりたい。今生のわたし貫かれる方だけどね。

 さて、一度、わたしのやるべきことを考えてみようか。
 王権や土地に関する神様も絡む問題は、未来でマインが解決してくれるし、わたしは邪魔をしないことだけ気をつけていればいいだろう。……あれ、そもそものグルトリスハイトが失われる政変がまだ起こってないのでは。それを伝えればもしかして、事前に防げる?
 いやいやいやいや、伝えるにしたってなんて言えばいいのさ。神託でも受けたことにするの? 不敬ですよ。そもそも王族と会話する機会を得ることも難しいんだぞ。ちょっとハードル高いって。第一、政変が起こらなかったら貴族の大量処刑の影響もないから、マインが青色巫女になれなくなるんだろうな。はわあ。フェルマイこない。ダメじゃないか。

 この案件はパス、他を考えよう。
 他にわたしにできること。……フェルディナンド様との婚約破棄だろうか? 婚約の解消には、お父様の許可が必要になる。一度、内々に話し合う必要がありそうだ。相手に落ち度がないのに、わたしの方から破棄するというのも外聞が悪い。他領に行けるようなご縁を作っておいてから、立つ鳥跡を濁さずでエーレンフェストを出て行きたいものだ。

 あとは、自分のスペック強化かな? いざという時頼れるのは自分の腕っ節だけだ。……信頼できる側仕えがいるなら、それが一番なんだけれどね。お母様に逆らってでも主人に忠誠を尽くしてくれるような人間は、そもそも側仕えを選ぶ段階でわたしには近づけてもらえなかったし。名捧げをしている幾名かは、逆らわないとはいえ、わたしに良かれと思ってやらかしてくれる可能性が高い。なんて扱いづらいんだ。とほほ。
 ともかく、四段階の魔力圧縮は外せない。可能ならばそれ以上に挑戦してみてもいいだろう。近々、回復薬を用意してからやってみようか。

 本当はフェルディナンド様の方にうまく取り計らって、少しでも彼の負担を減らしたい。彼を不遇のまま捨て置きたくない。わたしは貴方の味方ですと、胸を張って宣言したい。けれども、今更言ったところで信じてもらえるはずもない。わたしが彼の支えになれることはないだろう。わたしに精々できるのは、ゲオルギーネお姉様やヴェローニカお母様に先回りして、彼女たちがするより多少はマシな嫌がらせをするくらいだ。
 盗られる前にわたしが奪ってしまえば、わたしのところで置いておけるものもあるだろう。……わたしが、彼から奪うのか。
 重く冷たいものがわたしの胸を占める。悪役令嬢は聖女にはなれない。それが、わたしにはとても悲しいことのように思えた。



****

・ユリアツィフィー
 ヴェローニカの娘(三女)。フロレンツィアと同い歳、フェルディナンドとは七歳差。青系の髪に翠の瞳の女性。
 自分至上主義とはいうが、他人の幸せを願えないわけではない。他人のために自分が削られることを嫌うので、自分がどれだけ損せず利を得られるかということを考えてしまいがち。争いは面倒で嫌い。ふわふわ、もふもふしたものが好き。騎獣の獅子ももっふもふ。




・その後あらすじ
 卒業後、騎士団入りしたフェルディナンド。きっと騎士団長してる。そんな頃に、エーレンフェスト色のマント強奪イベント。
 婚約解消ののちに他領へ嫁ぐ。マントは返さないまま。
 年月が流れ、原作が開始し、ヴェローニカが排除されたのを見計らい、フェルディナンドへエーレンフェストのマントを送りつける。収納棚に保管していた、今までフェルディナンドから取り上げていたものも一緒。清算終了とばかりにお気軽スローライフを始める。夫は早逝。
 アレキサンドリア領が成立する頃、フェルディナンドがマインを伴い、ユリアを訪ねて来る。






・魔力圧縮

 さて、魔力圧縮だ。わたしは今まで魔力圧縮を、とにかく魔力を隙間なく詰め込むイメージでこなしていた。取り放題のお菓子を袋にパンパンに詰め込むイメージに似ているか。
 用意したのは、ここ暫く熱心に図書館に通い、その知識から改良を重ねた魔力回復薬だ。側仕えの力も借りた。授業で習ったものよりは、効果が出るものとなっている。未来のフェルディナンド様が作るであろう薬ほどではないだろうが。彼の貴族院入学は数年先だ。彼なら入学前に独学で作ってしまっていそうな気もするが、わたしはそれを知らないので、手に入れることもできない。

 気を取り直し、魔力圧縮に移る。まず、魔力を畳むだったか。分厚い布よりも、薄い紙を何枚も重ねたほうがたくさん積めるような気がして、わたしは体内魔力を薄く平らに引き伸ばしてから重ねることにする。ただ闇雲に詰め込むよりもやりやすくて驚いた。これを知っていれば、授業の実技で苦労する必要もなかっただろうのに。先生達のあやふやな指示を恨めしく思ってしまう。
 ふう、ようやくたたみ終わった。時間はかかったが、以前より少し余裕のできた体内魔力に嬉しくなる。わたしは回復薬を口にして、じわじわと回復してきた魔力をまた、折りたたんでいった。

 疲労感に少しの休憩を挟み、わたしは次の段階に進むことにする。たたんだ魔力を袋に入れて、押し潰す。空気を抜いてぺしゃんこにするイメージだ。集中しやすいように、目を閉じて、魔力を動かし始める。

「――ぐっ!?」

 ぐるり、と世界がひっくり返る。かと思えば、また戻る。天と地がその位置を変えるかのように平衡感覚を掻き乱され、わたしはその場で膝をついた。悪酔い、なんてものじゃない。身体をどこで支えればいいのか分からず、吐き気にも似た気持ち悪さがずっと止まらない。マインはこれに耐えたのか!?
 本好きな主人公ちゃんの精神の強さに尊敬の念を抱きつつ、わたしも挫けていられるかと魔力回復薬を煽る。内側から湧いてきた熱は飽和して、すぐにわたしを蝕んだ。
 ――このまま飲まれるわけにはいかない。今あるものは押し潰し、新たに増えたものも折りたたんで押し潰す。そうして詰めて、詰め込んで、苦しみもがきつつ、何とか自分の中に押し込めた。

 深く、深く息を吐く。まだ酔いは覚めない。部屋の外で待機していた側仕えに声を掛け、わたしは椅子に腰を落とす。心配するような声が聞こえるけれど、気分の悪さに言葉を返すこともできなかった。魔力圧縮は、しばらくはこのままで、慣れて落ち着いてから煮詰めることにしよう。いますぐには無理だ。




・立場

 フェルディナンド様にエスコートを要求するのは大変楽しい。役得すぎて、一気に憂鬱さが吹き飛んだ。相手にとっては嫌がらせでしかないのだろうが。心が伴わないことも、そつなくこなしてしまう彼はさすがである。
 彼と会えるのは、わたしが貴族院から戻っている間。伸び盛りなのだろうか、会う度に身長差が埋まっていく。きっとそのうち抜かされるんだろう。少年と青年の間に揺れる彼の姿を、わたしは脳裏に刻み込んだ。




・膝枕イベント

 わたしにはフェルディナンド様の機嫌なんて読み取れない。わたしに見せるのはいつだって素敵な笑顔だから、わたしを見るだけで気分最悪なんだろうなってことはよくわかる。

「せっかく貴族院からお戻りなんですもの。婚約者らしいことがしたいの、わたくしの我儘だとはわかっております」

 許していただけるわよね? なんて言うけれど、そも、彼には断るという選択肢がないのだから、この問いは大変意地が悪い。
 彼のそばに控えた、エックハルトの目が怖い。けれども、わたしも譲れない。なにせ、貴族院から戻ってきたフェルディナンド様は、わたしがわかるほど疲労と寝不足に染まった顔をしていたのだ。反発も強いだろうが、このまま屋敷に返してお母様の相手をさせるほうが心配だ。せめて仮眠を取って欲しかったわたしは、婚約者の立場をかさにきて、フェルディナンド様を眠らせる作戦を決行することにした。

「夢の神 シュラートラウムよ。フェルディナンドに心地良き眠りと幸せな夢を」

 魔力を奪われる感覚に、ぐっと奥歯を噛んで耐える。一般人がほいほい使うもんじゃないよ、これ。しかもフェルディナンド様は寝ないし。寝てよ。わたしは結構魔力注ぎ込んだんだぞ。目を見開いちゃって、なんなのさ。
 うまく笑える自信はなかったから、フェルディナンド様の目をわたしの手で覆う。頑張って覚えたのになあ、仕方ないのかな。
 お節介なんて焼かず、不干渉を貫くのが彼にとって一番心穏やかであれる措置なのだろう。理解していたことではあったが、それを実感して、どうにも泣きたくなってしまった。

 ――わたしの婚約者という立場を利用して、自分がアウブになってしまえばいいのに。
 彼なら、やろうとさえすれば、ジルヴェスターの地位を脅かすだけの力を得られるはずだ。そんな状況であるから、お母様からのあたりは原作よりも強いのだし。こんな小娘、籠絡する方が簡単でしょう。わたしを利用して、ジルヴェスターを排して、お母様の派閥を叩きのめせばいいのに。




・マント強奪イベント

 刺繍するからそのマントを渡して? 代わりにこれ使えばいいよ。と、そんなことを言って、彼に手渡したのは淡い青のマントだ。これならエーレンフェストの色じゃないから、神殿入りしても使えるだろう。
 すごく喜んでるような笑顔浮かべてるけど、内心でかなり憎まれてるんだろうな! この裏を知らなきゃ、素直に舞い上がった気持ちになれたのに。未来の姪っ子のように、お花畑な思考はできなかった。




・決別

「ジルヴェスター。貴方、わたくしが邪魔なのね。いいわよ、アウブもフェルディナンドも貴方にあげる」

 嫁ぎ先くらいは手配してね、とジルヴェスターに笑顔で言ってやる。その言葉に裏なんてないのに、彼の探るような目がなんとも居心地悪くて、わたしはすぐに話を切り上げ、その場を立ち去った。
 ……まさかわたしがアウブを狙っていると思われていたなんてね。ゲオルギーネお姉様じゃあるまいし、あんな地位に執着はないのに。
 彼のおかげで、余計なことにまで気付いてしまった。お母様がわたしにそれなりに優しかったのは、フェルディナンドという婚約者を補佐につけることで、わたしがアウブになる可能性もあったからだ。彼に実務を任せ、お母様に従順なわたしが権力を握る。わたしはお母様の傀儡の予備でしかなかった。




・生活

 夫は早くに亡くなってしまった。唯一の息子は、教育を施す段階でわたしの手を離れている。
 ここでのわたしの立場というのは、あまりいいものではないけれど、虐げられることもなく、過度に干渉されることもない環境は意外と肌に合っていたようで、エーレンフェストにいた時よりも心穏やかに過ごせていたりする。




・清算

 ジルヴェスターがヴェローニカお母様の呪縛から抜け出した。彼のもとには養女として、主人公マインの姿がある。
 お母様は罪人として白の塔に投じられた。彼女の派閥の影響も少なくなった頃だろう。それを見計らい、わたしはフェルディナンド様に収納棚ごと荷を送りつけた。
 今までわたしが抱えていた、彼から取り上げたものたち。例のマントもそこにある。結局わたしが、それに刺繍を施すことはなかった。

 ――彼は彼の女神に、刺繍を施されればいい。
 そうして荷を手放して、ようやくわたしは自分の仕事を終えられたのだと思った。




・誤算

 アーレンバッハがアレキサンドリアになってしばらくした頃、フェルディナンド様がマインちゃんを伴ってわたしのもとまでやってきた。なんでだ。消えそうになる表情を必死に拾い上げて、わたしは笑顔を繕った。
 マインちゃんは筆舌にし難いほどに美しい少女だった。そこに怜悧な美貌のフェルディナンド様も加わるので、二人が並ぶと顔面偏差値がすごい。わたしが混ざっていい空間じゃないぞ?
 さて、彼らを出迎えて。ついにわたしにも制裁を下される時が来たかと、覚悟を持って接待していたのだが、いつまで経ってもそんな話は始まらなくて、なんだかにこやかな空気が流れている。マインちゃんとわたしの自己紹介から始まり、事務的ながらもお互いの近況報告をし、エーレンフェスト発の宝取りディッター小説の話題から、フェルディナンド様の学生時代のお話になった。
 フェルディナンド様の貴族院在学時には、既に私は貴族院を卒業済みだったから、当事者という立場にいたわけではないけれど、噂と事実関係はそれなりに把握していたので、マインちゃんに語る話には困らなかった。フェルディナンド様はとても居心地が悪そうにしている。笑みを装うこともなく顔をしかめる彼に、妙なところで感動を覚えてしまった。偽りの笑みを浮かべていないフェルディナンド様は、私の前では大変レアなのだ。

 そんな折、わたしを見つめていたマインちゃんが、「やっぱり」と呟く。え、なに、こわい。
 切り出されたのは、わたしがフェルディナンド様に送った荷物の話。ああーっ、ここで断罪イベントがくるかー! 粛々と受け入れるつもりで、耳を傾けるわたしに、彼女は突然礼を述べ始めた。あいえええ!?

「あなた方に恨まれるおぼえはあっても、感謝されるおぼえはございませんわ! 何か勘違いをなさっているのではなくて?」

 わけがわからなさすぎて、思わず語調が強くなってしまう。マインちゃんは、自分も譲らないという様子で首を横に振った。

「あれは、フェルディナンド様にいつか返すつもりで保管していたのでしょう。届いた荷を見ましたが、使われた痕跡のない魔術具まで、よく手入れがされていました」

 言葉に窮して、わたしはフェルディナンド様を見た。彼は内心複雑そうにわたしを見ていたが、何を述べることもなく、この場をマインちゃんに任せているようだった。
 いくら奪ったものを返したからといって、彼が苦しめられた事実は消えないだろう。時間保存の魔術具なんて用意できなかったから、せめてもの手入れだった。

「わたくしは、わたくしのために、その荷を送ったにすぎません」

 抱え続けるには重かった。いつか返すためだと思わなければ奪えなかった。

「わたくしは、自分本位な人間なのです」

 フェルディナンド様の不遇と、彼の家族愛への飢えを知りながら、それをわたしは自分の立場を理由に、どうにもできないものだと諦めていた。他ならぬ自分が彼から奪うことに心が張り裂けそうにもなったけれど、これで失われずにすむものがあるのだと思っては、一人にやけていたのも確かだった。わたしは綺麗じゃなくて、欲張りにもしたいことをしていただけだった。
 だから、報われるつもりなんてなくて、期待は端から捨てていて、それなのに。

「それでも、あなたのおかげでフェルディナンド様のもとに戻ってきたものがありました。ユリアツィフィー様がフェルディナンド様のものを、ひいてはフェルディナンド様を守って下さったことは事実です」

 ですから、わたしが述べるのはお礼でいいんですよ、とマインちゃんは微笑んだ。慈愛に満ちた聖女の微笑みに、抵抗の気力は奪われてしまう。呆然とするしかない。
 そこから、もじもじと何かためらう様子を見せた彼女は、一転、きりりと決意に満ちた様子で口を開いた。

「あの、お姉様って呼んでもいいですか!」

 その言葉に、息が止まる。鼻の奥がツンとして、わけもわからず涙が溢れた。思ってもみない、嬉しい提案だ。あわてる彼女や隣の彼、周囲の人々は視界に入ろうとも、わたしの思考に入ることはない。
 こくこくと頷き、肯定を示したわたしは、感激のままに彼女に抱きついた。なるほど確かに、「ぎゅー」は落ち着く。わたしは救われた心地で、しばらくそうしていた。




・彼女の近況

 異母弟と義妹が可愛くてご飯が美味しい。





***

・メモ
転生したんだから魔力チートくらいしたいよね! なんて軽い気持ちで始めた魔力圧縮で死にそう

蜂蜜を保湿のリップがわりに使ってたら、貴族院学生間のちょっとした流行りになったよ
艶めく唇に、ドキッとして憧れた者もいれば、はしたないと嫌悪した者もいた。反応は割れた様子。

フェルディナンドと婚約破棄するつもりだったので、貴族院でお相手を探していたら、遊び人だという誤解を受けてしまった。男性と会話しただけなのに。男性と会話しただけなのに!
そのせいで軽い男しか寄ってこない。結婚まで考えた本気のお付き合いしてくれる人が寄り付いてくれなかったしょんぼり。

三女ちゃんの幼稚で稚拙な恋心は、そっとしまいこまれて蓋をされた。
さよならするんだもの。置いて行かなきゃね。

フェルディナンドと恋人のような戯れをして、その時間を楽しみながらも、その実、彼との寒々としたやりとりにしょんぼりしている
本当は、恋に憧れる少女でしかないのに

ジルヴェスターの飼っていたシュミルのブラウが弱っていたころに、もふもふ好きのユリアさんもブラウを構い倒しており、瀕死に陥らせたのを、ジルヴェスターはユリアが自身への嫌がらせにブラウを痛めつけたものと勘違いしていた、という設定もとい捏造過去がある。誤解は根深い。

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