TS転生でラブデスター
[オリ主(男→女)/TS/名前変換無し]


 初夏の涼しげな風がスカートを揺らす。さらりと肩から落ちた黒髪を持ち上げて、耳へとかけ直した。
 学校からの帰り道、少女の足取りは軽い。金曜日の空はどこまでも澄み切り、晴れ渡っていた。

 彼女の視線が、ふと道端のケーキ屋に留まる。薄桃色の唇が弧を描いた。
 いちごのショートケーキと、さくらんぼのタルト。どちらにするかしばらく迷って、さくらんぼのタルトを選ぶ。今日という特別な日を迎えた、お祝いのケーキにするのだ。
 帰宅して早々、彼女はさくらんぼのタルトを皿に盛り付け直し、お気に入りのウバ茶を淹れた。

「ハッピーバースデー、『私』」

 天乃さやかがこの世に生を受けた日は、今から十五年前の五月二十二日であった。
 しかし、彼女の人生が始まった日となると、十二年前の今日となるのだろう。当時三歳であった天乃さやかが、前世を思い出した日。その日に、天乃さやかという人格は一度死に、この世に再び生を受けたのである。

 天乃さやかにとって、前世の記憶というのは自分ごとではあっても、今生と地続きのものではなかった。
 前世、三十六歳で亡くなった男は、この二度目の人生に「やり直し」という要素は求めなかった。そもそも女児であったので、やり直すもへったくれもなかったのだ。
 同一人物として、時間を逆行してやり直せないというのであれば、そこに意味などない。男にとって、やり直しを求めるというのはそういうことだった。そして、過ぎ去ったものが取り戻しようもないことも、よくよく心得ていた。

 前世は前世で、今は今。やり直さず、新たに始める。そんな心持ちで始まった、『天乃さやか』の人生。
 彼女は、なるべく自分の欲求に素直に生きることにした。

(――その結果が、これかぁ)

 紅茶の水面に映る自身の姿を見て、さやかは長い睫毛を伏せた。自信の容貌が不満なのではない、ただ、どこかアンニュイな表情が一番“映える”のだ。
 ぱっちりとした瞳に、ぷっくりと瑞々しい唇。艶やかな長髪は胸元に届くほどだ。どこからどう見ても、可憐な少女である。今は表情も相まって、嫋やかでいてどこか幸薄そうな空気を漂わせている。

 三歳の天乃さやかは、前世の『男』の意識から見て、ぷりちぃできゅーとな幼女であった。父親と母親の端整な顔立ちから、将来彼女も有望であると確信した『男』は、その日から自分磨きを始めた。

 端的にいえば、自分の思う「理想の女の子」をプロデュースしたのである。そこには、正ヒロインよりも、恋報われない余り物タイプのヒロインに惹かれる『男』の趣味が如実に反映された。イメージ・コンセプトは、負けん気の強いぽっと出ヒロインさんに主人公を奪われがちな、良妻系幼馴染である。
 十年ほどの年月をかけ、果たして創造されたのは、高いスペックを誇りながらも、恋愛が絡むとぽんこつになりがちな少女であった。

 ――『少女』が『男』の手を離れ、一人歩きし始めたのはいつのことだっただろう。
 最初から、『男』が「理想の女の子」を演じていたというわけではないために、何らおかしなことではないのだが。『少女』は『男』が思っていた以上に、好ましい形で成長した。清楚さと淑やかさを併せ持ちながらも、お嬢様系にはならず、庶民的で親しみやすいところがある。
 『男』のプロデュースも、『少女』にとってみれば、「こうなりたいな」と思う自分に近付く努力をした、たったそれだけの、普通のことだ。(ぽんこつは『少女』の意図したことではないが。)

 天乃さやかという人間は、いわば『男』と『少女』の共同制作の上で成り立っている。

 さやかはチェリーに塩を振りかけると、タルトにフォークをあてがった。フォークの先で一口大に切り分けてから、口元に運ぶ。途端、花が咲くように表情が綻んだ。タルト生地とチェリーの相性は抜群だ。
 皿の上は、ほど経たず空となった。ごちそうさまと手を合わせて、同じく空になったカップと一緒に皿とフォークを洗う。
 鼻歌を歌うさやかはご機嫌で、シンクに流れ落ちていく水を眺めていた。

 天乃さやかという人間の中には、前世の記憶を始まりとした『男』と、今生で育った『少女』の精神が同居している。
 二重人格、というのは少し違う。天乃さやかは、『男』であると同時に『少女』でもある。どちらも、違う立場にいるだけの同じ人物なのだ。
 少し特殊で複雑な精神状態ではあるが、それを不満に思ったことはなかった。むしろ、現状には概ね満足しているといえる。
 天乃さやかは今の『自分』が嫌いではなかった。

 ――ひとつだけ、心惜しく思っていることがある。
 こんなにも幼馴染系サブヒロインに相応しい属性をとり集めたというのに、天乃さやかにはその肝心の「幼馴染」というやつがいなかったのである。

(あーあ、「大きくなったら誰々くんのお嫁さんになるー」とか言って、果たされない約束を作ってみたかった)

 隣の芝は青く、手に入らないものほど魅力的に見える。天乃さやかは、幼馴染というものに憧憬を抱いていた。
 ――だからこそ、あの三人を羨ましく、そして興味深く思うのだ。
 若殿ミクニ、愛月しの、皇城ジウは、仲良しの幼馴染三人組である。彼らは、天乃さやかと同学年であり、さやかの通う月代中学校の生徒会役員であった。

 若殿ミクニは、真っ直ぐで熱血な性格の、いわゆる主人公タイプの少年だ。月代中学校では生徒会長を務めている。
 愛月しのは三人組の紅一点、ポニーテールの可愛い少女だ。素直で明るい性格は、さやかも好ましく思っていた。
 皇城ジウは、文武両道、完全無欠なハイスペック王子様である。前世の記憶があっても、さやかは彼に敵わなかった。彼は容姿も整っているので、とてつもなくモテる。告白は日常茶飯事だ。
 ……前世の『男』の記憶が、モテる彼を妬みつつも、こういう奴ほど好きな人には振り向いてもらえないのだと囁いている。そのようなこともあって、彼はいわゆる本命を奪われるタイプ――自分と同類なのではないかと、さやかは彼に一方的な親近感を抱いていた。

 三人、それも男性が二人に女性が一人の組み合わせとくると、恋愛模様のトライアングルが気になってしまうところだが。一見仲良しな彼らが、裏ではドロドロしていて――という可能性は、実のところさやかはあまり考えていなかった。
 そんな陰湿さは、彼らに似合わない。どちらかというと、お互いに大切にし過ぎて関係維持に無理に拘った結果、話が拗れた方が「らしい」と思う。
 いや、さやかは決して彼らに不仲になって欲しいわけではないのだが。彼らをよくよく気にしているからこそ、彼らの関係の先行きに、幾通りもの可能性を考えてしまうのだ。


 携帯を見ると、保護者である叔父から、今夜は帰宅が遅くなるという連絡が入っていた。どうやら、夕食は一人で摂ることになりそうだ。
 たまには外食もいいかもしれないな、などと考えて、財布を取りに自室に向かおうとしたさやかは、不意にドクンという自身の心臓の音を聞いた。
 心臓の鼓動だと、そう断定するのも奇妙なことだが。彼女には、そうとしか思えなかった。
 ――ドクン。
 また聞こえる。先程より、一層力強い振動。そして同時に、右手首に強烈な違和感を抱く。

「……ぷりきゅあ?」

 その違和感の原因に視線を向けて、さやかから出てきた感想がそれだ。
 彼女の右手首には、いつの間にやら、大きなハートのあしらわれたバングルのようなものがついていた。女児のプラスチックブレスレットのようなデザインだ。さやかが変身アイテムを連想してしまうのも仕方がない。

「キューティーハニーやセーラー戦士な可能性も」

 あったりして、と言い切ることはできなかった。
 ――突然に、部屋の電気が消えた。
 それだけならば、然程驚くこともなかっただろう。問題は、その瞬間に視界の景色が一変してしまったことにある。

 品のいい調度で整えられたリビングは、荒れ果てた部屋に。綿の出たソファ、割れた窓ガラス。剥がれた壁紙に、枯れた観葉植物。グラミーの泳いでいたはずの水槽は、生臭い泥水で満たされている。
 なんということをしてくれたのでしょう。劇的ビフォーアフターにも程がある。
 窓の外の街並みもすっかり変わってしまっていた。そこにあるのはボロ屋ばかりで、大災害の後の街並みや、廃墟ツアーを連想させた。ひとけもなく静まり返っている。
 これは……異常事態だ。

(私の相方はどこにいるの! 二人一緒じゃなきゃ変身できないよ!)

 さやかはプリキュアになりそうな人物を考え始める。
 ぱっと頭に浮かんだのは、クラスメイトであり、初代ホワイト系等を思わせる明月院きょうこの名前だった。
 しかし、彼女は才色兼備でおっとり系のモノホンなお嬢様。淑女キャラがさやかとモロ被りであったし、黒髪ロングという点もキャラ被りしてしまっている。むしろ生粋のお嬢様とあって、彼女の方が正統派だ。さやかとしては、ショートカットのスポーツ系元気女子を急募したい。
 ……その思考は、全て現実逃避の一環なのだが。突然の非現実じみた状況に、彼女は毒されていた。

 その思考も、塀の外を動くものの気配に打ち切られる。一気に高まったのは緊張感だ。
 ――何かがいる。
 さやかは息を詰め、足音を殺しては、ソファーの陰に隠れた。聞こえてくるのは、足音、のように思える。廃墟と化した無音の街に、それはひどく不釣り合いであるように思えた。
 その足音が遠ざかり、聞こえなくなったところで、さやかはそろりそろりとソファーを離れ、二階への階段をのぼる。高所からの方が、街の様子がよく分かることだろうと考えたのだ。

 自室の窓から街をよくよく眺めれば、荒廃したその街並みも、完全に無人ではないことに気付く。
 こんな状況で、出歩いている人達がいた。それも、さやかの通う月代中学校の制服を身に纏っている。……その制服を着た人しかいない、と表現するべきかもしれない。先程の足音の主も、その一人だったのだろう。
 様子を見るに、彼らは皆学校へと向かっているようだった。

 何故、と学校のある方角を見て、さやかは目を見張る。学校のグラウンド上空に、飛行船のようなものが浮かんでいた。
 さやかはすぐに制服に着替えた。家の外に出れば、学校の方が騒がしいのがよく分かる。さやかも早足で、そちらへ向かった。
 集まった者達はグラウンドにいるようだった。その面々は誰もが皆、月代中学校の三年生だ。
 そこにさやかは、作為的なものを感じ取る。これでは、何者かが何かしらの目的をもって、月代中学校の三年生だけを集めたかのようではないか。
 変わってしまった街並みや、消えてしまった他の人々についても気になる。無関係ではないだろう。

(月代中の三年生だけが、よく似ただけの別の場所に呼び出された、という可能性もあるのか)

 さやかも前世でネット小説に見たことがある、クラス転移だとか、集団転移だとかいうやつだ。お約束であるはずの、授業中教室の床に魔法陣が浮かび光り出し――のような展開はなかったが。
 第一、ファンタジー味溢れる異世界ではなく廃墟街に転移しているとすれば、セオリーから外れすぎている。未知度は増すばかりだ。

「天乃ちゃん!」

 自分を呼ぶ声に、さやかは声のする方を振り向いた。

「花ちゃん! よかった、花ちゃんもいたんだね」

 さやかに声を掛けたのは、隣のクラスの友人である花菱だった。さやかの視線は、すぐに彼女の右手首に釘付けになる。

「その腕輪、花ちゃんが私の相棒……?」

 ショートカットのスポーツ系ではないが、可愛く明るいムードメーカーな彼女は、さやかとは違うタイプの少女だ。
 髪型も、右サイドに垂らした髪を花のワンポイントのついた髪飾りで纏めているとあって、さやかとは被っていない。お花好きな緑化委員というのも、なかなか「らしい」ように思えた。

(花ちゃんなら、しっかりプリティタイプを担ってくれるだろうし安心ね。私は私で、クールタイプに努めなきゃ)

 そして二人でプリキュアになろう。
 そんな謎の決意を胸に抱くさやかに、花菱は怪訝な顔をして言った。

「他の人にもついてるよ。男子は左手首、女子は右手首に」

 ほら、と花菱が指す先を見れば、確かにその通りで、他の生徒達の手首にも、さやか達の手首にあるのと同様の腕輪がついていた。

「そう。そうだったの……」

 理解していたことだが、変身アイテムではなかったらしい。少し残念だ。
 それならば、これは何だろうと首をかしげるが、さやかに分かるはずもない。考えるのは保留にした。

「集まったからには、点呼とかとらなくていいのかな」
「んー、会長達がまだみたい」

 会長達、つまりは例の幼馴染み三人組だ。
 噂をすれば影というやつで、ほど経たず彼らはやってきた。空に浮かぶ飛行船に驚いている。さやかも上空に目を向ける。
 飛行船に取り付けられたハート型の大きな電光掲示板には、70:70の数字が表示されている。何を表したものかは不明だが、ミリオネアではないらしいことは確かだ。


「――静粛に」

 生徒達の声で未だ騒がしいグラウンドに、いっそ不自然なまでにはっきりと聞こえた、何者かの声。
 次いで、ジジジと何かが擦れ合うような音がする。宙空に現れたのは、人間大の透明な球体だ。中に浮かぶのは、さやか達も腕につけている例の腕輪か。
 そこを起点に、どこからともなくキューブ状の何かが寄り集まり、少しずつ形を生成していく。

(これは――人?)

 否、ヒトの肉体組織はキューブで構成されてはいない。そして、あのような長く尖った耳は持たない。
 何より、全裸だ。思春期真っ盛りの中学生には、刺激が強い。
 両手で自身の視界を覆う動作を見せたさやかは、指の隙間から、その人型が男性をかたどっていることをしっかり確かめた。彼、でいいのだろうか。
 本人は、全裸を恥じらう様子もなく、生徒達の視線を一身に集めている。その態度は、自身が人間とは価値観を異にする存在であることを告げていた。

 彼は腕輪に何か言葉を吹き込んだ。言葉を終えたところで、またキューブが集い、彼に衣服を纏わせる。
 頭に被るはボーラーハット。長袖のシャツの上には、カマーベストに燕尾服の背面を取り付けたようなデザインの黒のベストを纏っている。右耳から目元を覆うのは、ヘッドホンか何かだろうか。ほんの少しだけ、レンズのないスカウターに見えなくもない。
 彼がそうして全裸を脱したところで、彼を包んでいた球体は腕輪に吸い込まれるようにして消えた。
 準備はそれで完了したとでもいうように、彼は口を開き、名乗りを上げる。

「やあ。私は『1.st(ファウスト)』」

 ――君たち被験体の試験官(テスター)だ。
 その言葉とともに、ラブデスターは始まった。

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