02
 運命とは、折り紙の折れ目のようなもので、物事というのは、一度ついた折れ目に沿って進んで行きやすいものらしい。




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 スタンドは漢字で書くと『幽波紋』の文字があてられるという。幽“波紋”――あの『波紋』の一種、ということなのだろうか。もし、そうだというのなら、僕にも波紋が使えるのかもしれない。
 試しに、五分間息を吐きっぱなしに――できなかった。吸い続け――あ、無理。噎せる。ひっくり返したコップの水を静止――させられずにこぼした。なるほど、僕に波紋の才能はないらしい。悲しいなあ。血液のビートを刻みたかった。

「何していやがる」
「じょっ、承太郎? いつから見ていたんだ!」
「お前が神妙な顔で深呼吸を始めたところからだぜ、花京院」
「殆ど最初からじゃないか」





 左右に揺れながら歌う、花京院の前髪が身体と一緒にふわふわと揺れるのが分かる。まるでひとつの生き物のようだ。海の中に漂う、クラゲの足に似ている。
 そんな踊る前髪に視線を奪われた承太郎は、誤魔化すように帽子のつばを下げた。
 ぱちぱちと焚き火の爆ぜる音がする。歌い終えた花京院はぶるりと震えると、羽織っていた毛布を一層身体に巻きつけた。砂漠の夜は冷え込む。日中の暑さとは大違いだった。尤も、あの暑さの多くは、太陽のスタンドを持つスタンド使いの攻撃によって齎されたものだったわけだが。

「この旅に同行してよかった」

 弾かれたように、承太郎は花京院を見る。承太郎には、花京院のその言葉の真意が掴めなかった。危険な旅だ、一歩間違えれば命を落としていた場面は多々ある。
 花京院は空を見上げていた。彼の浮かべた表情はあまりに満足そうで、言葉に困った承太郎も天を仰ぐ。
 夜空に輝く星々は美しかった。







 アスワンのとある病院の一室。砂漠で両目を負傷した花京院の見舞いに、承太郎は訪れていた。
 そんな承太郎は、今、思わぬ窮地に陥っていた。承太郎を出迎えた、花京院の横にダンシングフラワーがあったのである。思わぬ不意打ちだった。とっさに息を止め、笑いをこらえた承太郎だったが、話し始めた花京院の声に反応して、ダンシングフラワーが揺れる。戦況は厳しい。
 彼の負傷の事実こそ歓迎できないことだったが、彼の視界が包帯で塞がれていることに、承太郎は感謝する。震える腹筋、込み上げる笑い。それら全てを無理矢理押し込める今の承太郎は、到底見せられる姿ではない。

 彼の話を聞くに、財団の人が見舞いの品として彼に贈ったものだったらしい。

「目が見えないから、音でも分かるものをくれたんだろう。有難いよ」

 承太郎の腹筋には、大変有難くない事態である。誰だ、悪乗りした財団員は。

「他の入院患者に迷惑にならないのかとも思ったが、個室だし、この音量なら大丈夫だって」
「そうか……」

 承太郎は大丈夫ではない。花京院の見舞い客への迷惑になるのではなかろうか。彼がダンシングフラワーに似ているという話は、本人にのみ伏せられ、旅の仲間達の間で共有されていた。

「……今日は、いつもより口数が少ないね」

 話さない承太郎を気にしたように、花京院が言う。

「嫌だな……君は僕を気遣ってくれているのかもしれないが、僕は君にはいつも通りでいてほしいよ」
「……」

 不可抗力である。全ては、花京院の隣にあるダンシングフラワーが元凶だ。笑いを耐える、承太郎の息が辛くなってきた。

「足手まといになってしまって、すまない。だが、必ず、治して追いかける。だから、君は旅を続けてくれ」

 違う、違うのだ。彼を足手まといだなんて、承太郎は思っていない。彼が必ず追いかけてくると、承太郎は信じていた。
 言葉にして、訴えたかった。だが、口を開けば、笑い声が飛び出すのは確実。承太郎は、逃げるように病室を後にした。

 病室に一人残された花京院は俯く。鼻の奥が少しだけツンとした。ダンシングフラワーが原因とは知らない花京院は、自身の隣にあるそれを抱き寄せて、小声で歌を口遊む。音に反応して、腕の中で動きを返すそれに、少しだけ寂しさを慰められる。
 あまりにも静かな病室は、空気すら重く、このまま押し潰され死んでしまうような気がした。

 十数分後、思う存分外で笑い、病室に舞い戻ってきた承太郎が、ダンシングフラワーと共に身体を揺らして歌う花京院を見つけ、膝から崩れ落ちるのは余談である。





 腹部が、焼けるように熱い。そこから流れ出ていくものが、僕の体温を急速に奪っていった。熱いのに、寒い。致命的な何かが、流れ出している。

 ――僕は、死ぬのか。
 不思議とそれに後悔はなかった。
 ただ、このままではいけない。僕には、最後の大仕事――DIOのスタンド能力を仲間達に伝える、ということが残っていた。同時に断ち切られた法皇の結界。瞬間移動ではない、時間停止。
 だから頼む、動いてくれ。動け、と思うのに、僕の身体はまるで他人のものように、僕のいうことをきかないでいる。
 もうこれ以上はない、ありったけの精一杯を叫ぶ。声は出てこない。だが、『法皇の緑』が動いた。破壊された時計に、これでいいのだと目を閉じる。承太郎の勝利を、疑ってはいない。






****

 目が覚めたら、母親の腕の中だった。
 なーんだ、生まれ変わった先の世界がジョジョの奇妙な冒険の世界で、第一部のラスボスが実は生きてて、それを倒すためにエジプトに向かうなんて話は全部夢だったんだ! まあそりゃあそうだよね、飛行機やセスナが落っこちるなんてそうそうないし、空路が駄目だからってエジプトまで陸路で向かうなんて、現実的に考えてありえない。夢の最後で僕って死んでた気がするんだけど、夢落ちならば、安心だ。
 母親に額を擦り付ければ、優しい手が僕を撫でる。それに嬉しくなって、満たされた心地のまま僕は眠りについた。


 次に目覚めた時、母は泣いていた。父の纏う空気も悲壮に満ちていて、よく分からないままに僕は泣きだす。なんだこのお通夜みたいな空気。
 母親の腕の中から、周囲を見渡して気付く。喪服を着た人達、花に囲まれた位牌と遺影。棺桶、御香の匂い。……ガチのお通夜だった。
 遺影の写真に薄々察してしまう。典明君は頭脳派なのだ。いや、多分もう僕は、花京院典明ではないのだけれど。

 花京院典明は、やはりエジプト市内のDIOとの戦いで命を落としたらしかった。僕は彼がエジプト出立時、母のお腹の中にいた彼の弟で、けれども僕には花京院典明として生きた記憶があって、ついでにその前の人生の記憶もあって、もうこれわけわかんねえな。
 要は、今の僕からしてみれば、三度目の生にあたるわけだ。顔を見るのを楽しみにしていた弟に、成り代わる形で僕は産まれてきてしまった。本来の僕の弟は、一体どこに消えてしまったのだろう。それとも元々、弟なんていなかったんだろうか。よく分からなかったので、考えるのをやめた。今の僕は花京院典明ではなく、その弟である。それでいいやと思う。

 お通夜の翌日。告別式の参加者の中に、学ラン姿の承太郎の姿を見つけた。生きている! 僕が旅に加わったことによる、原作改変というやつだろうか。原作の流れを知らないなりに、奮闘した結果が出たというのなら嬉しい。ジョジョ沼の住人A子チャンにも感謝だ。
 残念ながら、犬とブ男……イギーとアヴドゥルさんは亡くなった。チェリー……承太郎が原作と違って生きていることには、僕もとい花京院典明の死が関係していると推測している。つい今しがた思い出したことだが、チェリーの死因はA子チャン曰く、DIOの腹パン。パンといえばディオの台詞に今まで食った枚数を覚えているのか、なんてことを言うものがあったような気がするが、それはいいとして。この死因。僕の死に方とそっくりなのだ。
 旅の同行者が増えたことにより、修正ペンが働いて、本来いなかったはずの僕は承太郎の死亡ルートを辿り、そのルートを外れた承太郎が生存した。きっとそうだ。頭脳派の僕が言うんだから間違いない。

 帽子を目深に被った承太郎は、どこか後ろめたそうにしていて、どうしてそんな様子なんだと問いたくなった。僕は後悔なんてしていなかったのに、承太郎がそんな様子では、僕の覚悟が浮かばれない。
 不意に、顔をあげた承太郎と、目があったような気がした。すぐに逸らされた視線は、僕の遺影に向いている。その瞳があまりにに悲しげで、ああ、彼は花京院典明という友人を亡くしてしまったんだと思った。
 ……僕はここにいるぞと、泣きたいような、叫びたいような気持ちは、どうすればいいんだろう。




 兄の生き写しのような僕を、両親は大層に可愛がった。悲しみを埋めるため、ということもあったのだろう。本当にそっくりね、なんて言われる。まあ本人だしね……。

 僕が三、四歳になった頃。仙台の祖父母のもとへ引っ越すことになった。兄の死を感じさせる土地を、母が離れたがったらしかった。あまりにも似すぎている僕が、兄の後を追って死んでしまうのを恐れていたのかもしれない。
 置いていけと言われたが、僕は駄々をこねて、兄の部屋の――要は僕のゲーム機とソフトを持っていく。これを置いていくなんてとんでもない!
 なんとなく、それを両親が嫌がっていることは分かるけど。こればっかりは譲れない。新しいのがあるわよと、ソフトの続編であるF-MEGAXと対応ゲーム機を勧める母を断って、これがいいのだと言い張った。

 引っ越し先でもF-MEGAの日々である。やり込み楽しいいい! 例の館ではDIOの刺客であるテレンスとの対戦に敗れてしまったが、そのリベンジを果たしたいがために、僕はこうして牙を研いでいる。再戦したいな〜〜。彼、どうすれば会えるんだろうか。そもそも生きてるんだろうか。謎だ。
 コントローラーの掃除をしながら、声変わり前の喉に任せて夜の女王のアリアをご機嫌に歌う。歌詞は分からないので、全部ノォホホホだ。僕の隣には、前世からの付き合いのある『緑の法皇』。僕と一緒に揺れて、僕が高音のところで爪先立ちするのに合わせて伸びをする。
 負けず嫌いな自覚はある。勝ち逃げを許したくないのだ。いつか、彼と再戦できることを信じて、今日も明日もF-MEGAである。
 ゲームのボタンは連打のしすぎで度々反応しなくなることもあったが、コントローラーを分解して掃除したらいつだって直った。ゲームボーイもそうだが、この時代の某天堂さんのゲーム機はやたらと丈夫で壊れ難い気がする。







 承太郎かな、と思ったら、本当に承太郎だった。なんだその真っ白な学ランもどき!
 声を掛けると、僕を見た彼は、まるで死人を見たように目を見開いた。衝動で動いているらしい彼が僕を抱え上げるので、それに身を任せる。
 ――ああ、よかった。
 承太郎の瞳に映るのは、再会の色。僕を花京院典明として、認めてくれている。

 ずっと、会いたかった。僕の初めての友達に、けれども、僕が僕花京院典明じゃないと言われるのが怖かった。その心配は、どうやら杞憂らしい。
 嬉しくて仕方ない。どうしよう。そうか、僕は承太郎と、友達のままでいいんだ。初めましてじゃなくていいんだ。そう思うと心が躍って、ご機嫌な笑い声が溢れてくる。彼から拝借した帽子を被る僕に、承太郎は目尻を下げた。


 一度帰宅し、ランドセルを置いた後。彼と話をするために入った近くの喫茶店で頼んだパフェのチェリーをレロレロしたら、何故か至極納得のいったような顔をされた後に、行儀が悪いので止めるよう言われた。君は僕の父さんか! これは僕なりのさくらんぼへの礼儀だぞ! そんなことを熱く述べたような気がする。
 承太郎は僕の父さんではないが、父親になっていた。チェリー脱却おめでとう。これで、彼の死亡フラグの心配はもういらないな!
 承太郎はこの町に、叔父を捜しに来たらしい。叔父とはいっても高校生で、ジョセフさんの不倫の結果できた子なのだとか。おおう…。
 僕もその叔父を一目見ようと、承太郎をこっそり尾行したのだが、すぐ見つかってしまって肩車されることになった。二メートル越えの視点である。高い。気分は戦隊モノの合体ロボの操縦席。
 「勝ったな」と呟く僕に、「お前は何と戦っているんだ」と彼は嘆息した。

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