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敬語幼女(オリ主)が露伴先生に天国への扉を開かれる話。し、しんでる…!!
優しく労ってあげてください。

扶養が供養に見えるというお話を聞いて、ちょっくら考えてみました。
ほのぼのと先生のモラルは行方不明です。描写はあっさり目ですが、ちだまりすけっちです。お気をつけください。
幼女(*´-`)





 ふと、原稿用紙から顔を上げた岸辺露伴は、己の養う幼い少女の帰りが遅いことに眉根を寄せた。彼女は遊びに没頭すると時間を忘れる癖はあったが、それでも日の傾き始めるころには空腹を抱えて帰ってきていた。
 時刻は18時22分。外は薄暗く、家々には明かりが灯りはじめている。露伴は薄手の上着を一枚羽織ると、スケッチブックの入った鞄を肩にかけ、家の鍵を手に取った。




 それは、彼女が普段遊び場にしている公園の側の繁みに転がっていた。

「――ん?」

 はじめは、水か何かで濡れているのかと思った。だが、鼻をつく異様な臭いに、それは間違いだと悟る。ちょうどその時、街灯がつき、その惨状を照らした。
 赤黒い水溜まりに、頭が、腕が、耳が、臓物が転がっている。死んでいるのは恰幅のいい中年男性のようで、その表情は苦悶に歪んでいた。側には、紐のようなものが落ちており、それを辿ると犬の死体に行き着く。

 ――この場で何があった?
 天国の扉は、死者の記憶を読むことはできない。露伴にそれを知る手立てはなかった。

 異常な光景に、しかし露伴は恐怖よりも先に興味が湧いた。明らかな事件、それも殺人ときた。漫画のリアリティのために、あらゆる手段をもって様々なことを取材してきた露伴だが、流石に殺人事件の現場を取材したことはない。今を逃せば、いつチャンスがくるとも知れなかった。

 血溜まりは、既に乾きかけていた。現場を荒らさぬようにだけ注意して、露伴はスケッチブックを開く。しばらく筆を走らせていた露伴は、少し離れた場所にも血が点々としていることに気付いた。
 それは、繁みの奥へと続いている。懐中電灯を持ってこなかったことを悔やみつつ、露伴はそれがどこまで続いているか、辿れる場所まで辿ることにした。

 繁みに立ち入り、目を凝らしながら、露伴は血の行方を追う。この方向ならば、公園に抜けることになるか。点々とした血は地面に染み込み、既に乾き切っているようだった。
 しばらく行けば、公園の生垣に突き当たった。露伴の膝ほどの高さだ。越えようとしたところで、大の大人がそう苦戦するようなことはないだろう。だから、ここを越えようとして苦戦するとしたら、それは背の低い子供なのだ。生垣は一部のかたちが崩れ、側には見覚えのある靴が落ちていた。

 露伴は自身の服についた枝葉を払い落とすと、公園をぐるりと見渡した。ブランコ、砂場に、ジャングルジム。この暗さでは、人影の有無も確かめられない。
 唯一、灯りに照らされたベンチには、学生の忘れ物らしき学ランが広げ置かれていた。――否、その学ランは掛け布団がわりだったらしい。半ばそれに隠れるようにして、露伴の養い子がベンチに寝ていた。

「こんな場所に、いたのか」

 心なしか、彼女の顔色は悪い。目元には涙の跡も見える。呼吸を確かめると、ずいぶん息が浅いようだった。
 強い予感に背を押され、露伴は学ランに手を掛けた。灯りの下に、彼女の姿が晒される。服は所々破れ、桜色だったワンピースには赤黒い染みができていた。哀れをもよおす有様に、しかし、覗く彼女の肌には傷ひとつない。
 どういうことだ、と疑問を抱いた露伴が、彼女に触れようとしたところで、露伴の肩に痛みが走る。何かが露伴の肩を強い力で掴んでいる。

「おい、テメェ、そいつに何する気だ」

 その怒気を含んだ声に振り向けば、今時珍しいリーゼントに髪を固めた不良の学生がいた。上半身がカッターシャツであることを見るに、彼が露伴の養い子に学ランを掛けたのだろう。

「君こそどういうつもりだ? 僕は彼女の保護者だぞ」
「ハァ〜?」

 リーゼントの不良は、露伴の言葉を心底受け容れ難いといった様子で、苦々しげに露伴を見た。

「保護者なら、子供から目ぇ離してんじゃあねえぜ」
「生憎、うちは放任主義でね」
「……そうかよ」

 どうやら、この目の前の不良は見た目に反して、『面倒見のいい』『他人を放っておけない』タイプの人間らしかった。露伴にしてみれば、邪魔されたくない領域にまで干渉してくるタイプの傍迷惑な人間か。
 彼は親指でクイと近隣の邸宅を指し示す。

「いま、そこのうちで電話を借りて、救急車を呼んだ。怪我はねえから分かりにくいが、正直危険な状態なんじゃねーかと思う」
「……ああ」

 触れた彼女の身体は、酷く冷たかった。





 呼ばれた救急車は、近くまで来ているというのに道が細くて通れないらしかった。救急隊員の担架も待たず、露伴は彼女の身体を持ち上げる。腕にかかる体重は、あまりに軽かった。
 身体を動かされたからか、その拍子に彼女は薄く目を開く。瞳は虚ろだ。

「せんせい」

 呼び掛けているのか、いや、寝言のようなものなのだろう。視線の先は虚空にあって、露伴を見てはいない。

「私の方のハンバーグが小さいです……」
「馬鹿だな」

 呟かれた言葉に、こんな時まで食べ物ばかりかと露伴は呆れる。彼女らしいといえば、彼女らしいか。なんとも本能に生きている。




「――岸辺さん」

 呼び掛けられて、ハッとする。場所は病室、露伴の座る丸椅子の横には、白いベッドに寝かされた彼女がいる。どうにも、ぼんやりしてしまっていたらしい。
 露伴の反応を確認して、医師が話を再開するが、言葉は露伴の耳をすり抜けるばかりで、その内容は頭に入ってこない。唯一理解できたのは、彼女の命が明日の朝まで保つかも分からないということだった。

 ……血を、失いすぎたのだろう。
 露伴が見た彼女に、傷などなかったというのに、露伴には現場で見たあの血が彼女のものだとしか思えなかった。
 怪我を負わずに出血する。あるいは、出血した傷が消える。それが普通ではあり得ない現象だということは露伴にも分かっている。だが、そのあり得ないことが起きたのだと、露伴の目にした状況は物語っていた。
 一体、彼女の身に何があったのか。露伴は『知らなければならない』と思った。ただの知的好奇心からなのか、彼女を庇護する立場にあった者としての責任やら使命やらに駆られているのかは分からない。ただ、このままでは、彼女の命が尽きるのを待つだけになるということをぼんやりと理解していた。
 露伴は顔を上げる。病室からは医師が消え、いつの間にか彼女と二人きりになっていた。深夜の静寂が、その場を支配している。

 たくさんの管に繋がれた彼女に、露伴は視線をやる。

「君は、死ぬのか」

 意識のない彼女が、それに答えることはない。その身に起こったことを、彼女の唇が告げることはない。
 だから、知ることができるとすれば、それは――。


「『天国への扉』」

 地獄の釜の蓋が開かれた。

 めくれ上がるページに記されていたのは、為すすべもなく殺されようとしている人間の記憶。少しの逡巡の後、露伴はそれを破り取る。
 その日、岸辺露伴は初めて、人の記憶が「死」に塗り潰されていく様を見た。

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