混部忘却ルート



前世を知らない僕と忘れない彼の話

 両親の仕事の都合上、転校には慣れていた。
 高校三年生というこの微妙な時期の転入初日を、何事もなく過ごし帰路についた昊希は、ふと目をひかれた喫茶店の前で足を止める。落ち着いた色合いの店内は、昊希の好むものだった。
 店に入った昊希の鼻をくすぐるのは、芳しい豆の香りだ。顔を綻ばせた彼は、窓際の席に座ってコーヒーを注文した。
 到着を待つ間、昊希は徒然に窓の外を眺める。通りかかるのは学生が多いか。昊希の通う高校指定のブレザーの者もいれば、見覚えのない制服の者もいた。
 自身の通う高校以外にも、この辺りには学校があるらしい。あれがその校舎だろうかと、昊希が遠目に見た建物の門扉には、「SPW学園」の文字がある。その名は未来ある子ども達が通うエスカレーター式のエリート育成校として、今生において大変有名だ。何とはなしに、人波の中にキャラの姿を探してみるが、知った人物を見つけることはできなかった。
 そうしているうちに、注文していたコーヒーが席へと届く。昊希は視線を室内に戻すと、芳しい豆の匂いにうっとりしながらコーヒーカップに口をつけた。期待していた味わいに、口もとをゆるめる。美味しい。

 木村昊希は転生者である。自身の生まれ変わりについては、自我が目ざめる前から漠然と理解していた。
 はっきりと自覚したのは、いつのことだっただろう。雷に打たれたように突然その事実を理解した時、この世界が生前漫画で読んでいた『ジョジョの奇妙な冒険』の世界、それも部が混在した状態にあることに気付いた。医療分野に限らず事業を展開しているスピードワゴン財団は、あのスピードワゴン財団だったし、かつて幼い昊希の遊び相手をしてくれていた近所のクリーニング屋の長男は、第二部のシャボンで戦う波紋戦士だった。

 コーヒーカップをソーサラーに置いた昊希は、遠目に見えた特徴ある髪型に、思わず口笛を吹きそうになる。このご時世にリーゼント。なかなか見られたものではない。やはり世界の不良は一味違うとまじまじ見つめて観察していると、その人物と目があった。

 ――東方仗助だ。
 彼のLove&Peaceな改造学ランが視界に入って、昊希はようやくそのことに気づく。第四部の主人公を見かけるという貴重な体験に、目元が緩んだ。なんだか気持ちがほっこりする。
 その東方仗助はというと、死人でも見たような顔で目を見開いて固まっていた。

 はて、そんな驚きを彼に与えるものがあっただろうか。
 昊希は小首を傾げる。彼の視線は、今まさに昊希が座っている席に向けられているわけだが、周辺を確認してみたところで特別変わったものは見つけられない。昊希が不思議に思っているうちに、仗助はずんずんこちらに近づいてくる。ついには、ガラス戸に張り付くようにして店内を覗き込んできた。そうしてじっくり観察するような視線を向けられて、やっと昊希も理解する。仗助は昊希を見て驚いたのだ。
 肝心の仗助が驚いた理由が分からず、昊希がしきりに首をひねっているうちに、仗助はその場を離れていった。

 何だったのだろうか。考えても分かるものでもないので、すぐさま思考を放棄して、コーヒーに舌鼓をうつ。最後の一滴まで大事に飲み干し、昊希はほっと息を吐いた。

「コーキさん!」

 今度は昊希が驚く番だった。呼ばれたのは己の名だ。店内に入ってきた仗助に呼び掛けられたらしい。彼は立ち去ったというわけではなかったようだ。
 いや、そもそも昊希には、なぜ己の名を彼が知っているのか分からないわけだが。

「すまない。君、どこかで会ったかな」

 尋ねた昊希に、きらきらとしていた仗助の瞳から、無邪気さのきらめきが消えたような気がした。

「記憶が……いや、すみません。人違いでした」

 綺麗な姿勢で九十度のお辞儀をした仗助は、そのまま立ち去ろうとする。昊希はそんな彼を引き留め、席に座るよう促した。

「コーヒーでいいかな」

 仗助が戸惑い気味に頷いたのを確認して、昊希はウェイターに声を掛ける。注文はコーヒー二つ、自分の分のお代わりも一緒だ。
 コーヒーは程なくして運ばれてきた。カップに口をつけた昊希は、ゆっくり息を吐く。

「さて」

 話を切り出そうとすれば、彼が緊張するのが見えた。昊希には、それがどうにも痛ましいことのように思えて、そのままには捨て置けない気持ちになる。選んだ言葉は、不思議なものになった。

「僕は君の知り合いだったのかな」

 口に出すことで、昊希はその言葉に妙な納得をおぼえる。かつての知人と再会したような、そんな心地が彼にしていた。幼少期ならば仗助も今の髪型ではないだろう、案外その頃に親しくしていたのかもしれない。さすがの昊希も、その頃の記憶となるとあやふやだ。
 困ったような顔をしている彼に、昊希はにっこり笑ってみせた。それから、握手を求めて右手を差し出す。仗助が戸惑い気味にもそれに応えたことに、昊希は嬉しさを感じながら、彼の手を握る自身の手に力を込めた。

「木村昊希だ。改めて、よろしく頼む」
「コーキさん……!」

 その言葉が、仗助の琴線に触れたらしい。感極まった様子で、彼は昊希に飛びついた。握手した右手には左手が添えてある。机を挟み、まるで昊希に仗助が縋り付くような構図だ。
 彼のその接し方が随分親しげなもので、彼と知り合いだった記憶のない昊希は、戸惑いを覚えつつもほっこり温かな気持ちになった。大型犬でも手懐けたような気分だ。心のうちに芽生えるのは庇護欲だろうか。慕ってくれているのが分かるので、世話を焼くかたちで応えたくなってしまう。正直弟にしたいくらいだ。連れ帰っては駄目だろうかなどと、昊希は半暴走気味に考えながら、取り敢えず仗助と連絡先を交換した。

「多分、僕が忘れてしまっているんだろうね」

 過去のアルバムでも探せば、思い出す手掛かりになるだろうか。そんなことを考えて、「一度ゆっくり時間をとって、思い出そうとしてみるよ」と告げた昊希に、仗助は慌てた様子でぶんぶんと手を振った。

「無理して思い出すことなんてないっすよ、死因のこともありますし」
「うん?」
「そりゃ、昊希さんが思い出してくれれば、俺は嬉しいですけど……」
「……ふむ。参考までに、僕の忘れている記憶、そうだな、仗助君との関係を教えてくれるかい」

 昊希の頼みに、仗助はこっくり頷いた。

「近所に住んでる幼馴染、って感じでしたね。歳は二つ離れてました。俺の母親が、教師だったんスけど、コーキさんの父親と同じ職場だったことがあるらしくて、親同士もそこそこ仲がよくて」

 ふむふむ、と仗助の話に頷きながら、昊希はおかしなことになったぞと顎に手をあてる。昊希の父親は今までずっと商社勤めだ。教師であった仗助の母親と、職場をともにするという状況にはなり得ない。
 死因、なんて不穏な単語が聞こえた気もする。どうやら、単純に昊希が幼少期の記憶を忘れているということではなさそうだ。

「小学校には毎朝一緒に登校してましたね。中学、高校になってからは流石に一緒じゃありませんでしたけど、交流自体は結構あって、お互いの家にちょくちょく遊びに行ってました」

 さすがに昊希も、そんな間柄の相手をすっかり忘れるほど、記憶力が悪くなった覚えはない。第一、このまちにはつい先日引っ越してきたばかりなのだ。仗助に遊びに来られた記憶も、遊びに行った記憶もない。仗助の家の場所も知らない。
 機関に記憶を消され、偽の記憶を植え付けられた――なんて厨二思考はやめておく。いや、神父や漫画家の例もあるので、記憶改変の可能性は切って捨てることもできないのだが。少なくとも、今の昊希にとっては、今日が東方仗助と初めて邂逅した日だと思えた。
 仗助の想定している「記憶」は、どうやら昊希の想定していた幼少期の記憶ではないらしい。アルバムを見たところで、思い出せる類のものではないのだろう。昊希に、そんな「記憶」の心当たりなどあるはずもない。とはいえ、ここまできて、今更仗助の勘違いだとも言い出せず、昊希は苦肉の策を講じることにする。

「じゃあ、僕の死因は?」

 言葉に詰まった仗助は、少しの間をあけて、昊希が杜王町に長年潜んでいた殺人鬼の被害にあったことをやんわりと伝えてくれた。
 ――死因って、聞き間違えじゃあなかったのか。
 彼が言うのは、きっと昊希も知る第四部での出来事なのだろう。昊希の知る第四部はあくまで漫画の話で、昊希がいたというのも変な話だが。仗助が昊希の名を呼んだことから、彼の言う「コーキ」が自分と同じ名、同じ容姿だったことは推測がつく。昊希にはそれが、自分に全く縁のない存在だとも思えなかった。

 並行世界の自分、あるいは、忘れた前世。そんな可能性を思い浮かべて、昊希は目を細める。記憶はその人を構成する一要素だ。それが欠けてしまった人間を同一のものとするとは、横着が過ぎるのではなかろうか。
 尤も、それを口に出すことはない。むしろ、歳下の気のいい青年とこうして知り合う機会をくれたことに、いい仕事をしたと知らない自分とピシガシグッグッしたいくらいだ。昊希は目の前の仗助をにっこり眺めて、後日また会う約束をとりつけた。


 弾んだ気持ちのまま帰宅した昊希は、自室で椅子に腰掛け、天井を見上げる。回転するシーリングファンを眺めながら、記憶を過去に遡ってみるが、浮かぶのは今生の幼少期の記憶ばかりで、仗助と親しくしていた頃の自分というものはちっともそっとも思い出されなかった。生前に想いを馳せてもみるが、おでんの厚揚げを惜しむ気持ちばかりが思い起こされて、手掛かりとなるものは見つからなかった。
 殺人鬼――吉良吉影に殺されたという話だ。思い出して、トラウマを増やすこともないのかもしれない。昊希はふと己の手を眺めて、第四部の自分は、そこまで綺麗な手をしていたのだろうかなんて考えた。




 その「世界」――昊希のいうところの、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』での出来事を憶えているのは、なにも仗助だけではないらしい。昊希は、自身や仗助の友人知人という枠で、他の登場人物たちの名を聞くこととなった。彼らはそれを『前世』と認識しているようだ。
 その『前世』で昊希は杜王町に住んでいて、承太郎が杜王町に訪れる数ヶ月前に行方不明となった。死体が見つからなかったこともあって、犯人は吉良吉影だと推定されたらしい。彼は触れたものを爆弾に変えるスタンド能力を持っており、その能力によって死体を跡形もなく消すことができた。
 目の前で戻りゆく壊れたはずの時計や、不自然に削り取られた雑誌を見ながら、昊希はそんな不可思議パワー、もとい、スタンド能力がこの世に実在することを教えられる。実演者は仗助と億泰だ。

 初対面のはずながら、億泰はどうやら昊希のことを見知った様子であった。十中八九、『前世』絡みなのだろう。死亡時期から、仗助からの縁で知り合うということはないはずなのだが。まさか個人的に知り合いだったのかと尋ねると、昊希が前世で億泰の兄と懇意にしていたという話が聞けた。友人だったらしい。
 億泰の兄、虹村形兆といえば、第四部に登場する敵スタンド使いにしてスタンドの弓矢の所持者だ。肉の芽により変貌してしまった父親を殺せるスタンド使いを求め、多くの人間を弓矢で射かけた。それが原因で死亡した者、目覚めたスタンドが悪用されたことで死亡した者の数は少なくないはずだ。
 そんな人物と自分が友人だったというのは、昊希には実感のない話で、理解も想像もできずにしきりに首を傾げることとなった。まさか、前世の自分は原作知識を持っていなかったのだろうか。それにしたって、虹村形兆相手にのんきが過ぎる気がした。


 犬も歩けば棒に当たるではないが、昊希も街を歩けば『前世』の友人に会うという話らしい。急に肩を掴まれて、その相手を見れば虹村形兆その人だった。その瞳の鋭さと、そこに見える切実さのような何かに、昊希はどうしてか彼から目を離せなくなってしまう。
彼に連れてこられたのは、虹村家。彼の今生での家だった。ここに、両親と弟との四人で暮らしているらしい。
 彼の部屋まで案内され、そのきっちり整理整頓された部屋を視界におさめる。教科書までサイズで揃える整えっぷりに、昊希が妙な感心を抱いていると、形兆は何故か昊希の夕飯の予定を尋ねてきた。何故だ。

「今日は両親がいないから、自分で用意する予定だったかな」

 今日はというか、今日もなのだが。そんな答えを返した昊希に、形兆は顔をぐっと顰めて、「食っていけ」と言った。

「……え、夕飯を? そんな、悪いよ。まず、僕たち初対面だろう」

 どうしてご馳走されることになるんだ、と困ったように昊希が言えば、形兆は信じられないものを見るかのような目で昊希を見た。何か変なことを言っただろうか。

「虹村さん、ということは、億泰くんのお兄さんかな。前世で僕の友人だったと、彼や仗助くんからは聞いている。しかし生憎、僕には未だ思い出せていないんだ」
「虹村形兆だ」
「うん、形兆くんだね。僕の名前は木村昊希、前世と苗字は違うらしい」
「形兆、でいい」
「形兆。前世の僕はもしかして、よく君と夕食を共にしていたのかな」
「……そうだな」
「そうか。そうか……今生の僕も、ご馳走になっていいかい?」
「ああ」

 そこでようやく形兆が椅子に腰掛けたので、昊希はほっとした気持ちで、近くにあった座布団に座った。正直なところ、色々と段階をすっ飛ばされて、昊希は置いてけぼりになっている心地なのだが。ひとまず、会話の準備は整ったとしていいだろう。
 そう思っていたのだが、折悪く形兆に彼の母親からお呼びがかかり、彼は夕飯の手伝いのために席を外すことになった。手伝おうという申し出は断られたので、待つ間、昊希は億泰の宿題を見ていることにする。そうして、話は夕食後に持ち越された。


 美味しいビーフシチューに、お腹も心も満たされた昊希は、戻った形兆の部屋で未だほこほこ気分を保ちつつ、尋ね損なっていたことを問い掛ける。

「君の知る僕は、君とどうやって知り合ったんだろうか」
「……お前から話しかけてきて、長年の友のように思えと言ってきた。億泰に俺の友人を自称して、家に乗り込んできたこともあったか」
「前世の僕が行動的すぎるんだが」

 形兆は眉根を寄せた。現在の自分と隔たりを覚えながらも、それを前世の自分だと素直に受け入れた昊希を不思議に思ったらしい。

「信じるのか?」
「君がそう言うのならね。しかし、君の友人だった『昊希』が僕だったかどうかは未だ甚だ疑問だな。いくらこの顔かたちが似ていたとして、僕自身はそれを覚えていないわけで、魂の話となっては、同じかどうか確かめようがない」
「いや、間違いない。あれは貴様だと断言できる」
「すごい自信だな」

 形兆が妙な確信を持っているのは何故だろうか。彼の中に昊希という人の像が居ることに、昊希は落ち着かない気持ちになる。昊希の知らない自身の一面を、彼は知っているのかもしれない。
 昊希自身もこの短時間で彼を観察し、いくらか分かったことがある。彼と前世の自身の関係はどこか不自然だ。
 友人にしては遠めの距離で、食が絡むと歩み寄ってくれる。彼のそれは、昊希に対する遠慮や気遣いというよりは、自己防衛に似ていた。

「もしかして前世の僕は、君に恨まれるようなことでもしたのかな」

 何気なく昊希が呟くと、彼が目に見えて動揺したので、何かあるのだろうなと思いながら、そこに踏み込むことはしなかった。





 欠けた記憶の分の隔たりも埋まり、二人が仲良くなった頃。形兆は、自身しか知らない事実を彼にぽつりと零した。

「――お前は俺が殺した」
「そうか」

 彼の返答は、あまりにもあっさりとしていた。気を張っていた形兆の方が拍子抜けしてしまうほど、その声色は穏やかに凪いでいる。
 形兆の訝しげな目に気付いたのか、昊希が苦笑し肩を竦める。

「当人であるはずの僕が覚えていないからね。よくも殺してくれたな、なんて思いは抱けそうにないかな。それより、僕にそんな話を打ち明けてしまってよかったのかい?」

 形兆は言葉を失った。何が面白いのか、昊希はさらに笑みを深める。

「共犯者に選んでもらえたみたいで、不謹慎だがワクワクしてしまうよ」
「阿呆」

 唇でにっこりと綺麗な弧をえがいた昊希に、形兆は軽く小突くかたちでこたえた。



****



「餌付けされてしまったんだが、どう責任を取ってくれるんだ」
「自分で言うのか……」
「元はと言えば、君が食べさせるからじゃあないか?」

 昊希が言えば、形兆は解せないといった顔をした。
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