Hot-sandwich Lunch



 昊希は続いて、新聞記事のアーカイブで、十年前の一月にエジプト・カイロの大通りで起きたであろう轢き逃げ事件の情報を探す。「構わん、行け」の、あの事件だ。
 やはりそれなりに話題になったようで、日本の全国紙にも取り上げられているのが確認できた。さすがに棺桶の引き上げられた時期や場所は覚えていなかったので、調べようもなかったが、おそらくDIOは実在したのだ。そして、承太郎に倒された。
 ……この街の特殊さに、昊希は異世界にでもきた気持ちでいたのだが、地続きの世界にタイムスリップした可能性もあるらしい。確かめるには、承太郎やジョセフの記憶に訊くのが一番手っ取り早いのだが、昊希には訊く気も、その伝手もなかった。

 昊希は検索履歴をキャッシュデータごと消すと、インターネットブラウザを閉じた。結構な時間借りていたことを、持ち主もとい拉致誘拐未遂犯に謝りつつ、礼を述べてスマートフォンを返す。
 昊希の『お願い』をきいてからずっと、得体の知れないものを見る目で昊希を見ていたその人は、スマートフォンが手元に戻ってきたと同時に身体の自由が戻ったことを察知して、すぐにその場から逃げ出した。
 その背は路地裏の奥へと消えていく。昊希はそれを遠くまで見送ってから、大通りに戻る細い道を歩いていった。


 街の喧騒が戻ってくる。疲労感と少しの空腹に、昊希は視線を彷徨わせた。どこか座れる飲食店に入りたい。できれば美味しいコーヒーのある店で、ホットサンドが食べたいのだが。
 ちょうど近くにレストランらしき店が見えたが、パスタ皿の中から出てきたイソギンチャクとミミズを掛け合わせたような生物に、客が頭から呑み込まれていたのを見たので、入ることはしなかった。幻覚かなとも思ったが、隣の客まで呑み込まれているのを目撃したからには、事実と認める他仕方ない。注文の多い料理店を現実にやられてしまった。ひょっとすると、ひょっとせずとも、この街で「人類の普通の食事」というのはハードルが高いのかもしれない。

「そういえば僕、そもそもお金を持っていなかった」

 途方にくれたところで、昊希のお腹がきゅうと鳴って空腹を訴えた。切なく侘しい。
 あてもなく人の波に流されていると、電子掲示板が立ち並ぶ建物群の側に出る。周辺地図らしきものが表示されたパネルを見つけて、昊希は喜色ばんだ。
 近くに駆け寄り、覗き込む。流石に個人経営店の名までは記されていなかったが、このあたりの主要な施設や大きなモールの名が示されているようだった。パーセンテージで示されている数値は、降水確率だろうか。それにしては、近い範囲で数値がバラバラすぎるが。ところどころ、赤で塗り分けられているエリアがあるのも気になるところだ。その赤いエリアの数値はどれも、他のエリアと比べて一様に低い。

(――おや、数値が変わった)

 先程まで80%代を保っていた、地図の右上の辺りの数値が一気に下落している。一部エリアの数値は30%を切り、赤に染まった。この数値は、リアルタイムで更新されるらしい。
 それで結局、これは何の数値であるのか。地図を隅から隅まで通し見て、説明をようやく見つけた。それは、地図案内のおまけのように記されていた。

 “Survival rate”――生存率。思わず、乾いた笑いが漏れる。なるほど、理解したくないことだが、あのパーセンテージは、生き残ることのできる確率を示したものだったのだ。
 それだけここが危険塗れな街であるということに慄けばいいのか、そんな数値を割り出す技術が確立していることに感心すればいいのか。存在そのものが異常なそれが、あまりにも自然に記されていることに、昊希は空をふりさけ見た。どんよりとした曇天だ。考えるより先に溜息が出た。
 この街の『日常』の異常さを知るほど、この街を脱出する方法を考えた方がいいような気がしてくる。尤も、そちらはそちらで、身分証明書がないという問題が立ちはだかるのだが。それを言い出すと、エジプトに攫われた時点で、昊希はパスポートもなく密入国を果たしていたので、なんというかもう、色々とアウトである。

 一先ず赤いエリアの位置を頭に叩き込んだ昊希は、空腹を抱え、その場を離れた。
 生存率のそれなりに高かった通りに沿い、歩道を歩いていると、交差点の近くで、比較的まともそうなダイニングカフェを見つけることができた。なんといったって、窓際のテーブル席に座っている客が食べているものは、一見したところ普通のハンバーガー。蠢いていたり、捕食してきたりする様子はない。店内には、くつろいだ様子でコーヒーを飲む客の姿が見えた。ここがいい! 君に決めた!
 今すぐ店内に入りたいのを、昊希はぐっと踏みとどまった。トンデモだらけな無法地帯のように思えて、意外と秩序だったこの街は、しっかりばっちり通貨社会なのである。そして昊希は現金を持っておらず、それでは食事にありつけない。世知辛い世の中だ。
 金銭類が用意出来た暁には、必ずここに訪れよう――。そんな決意を胸に抱いた昊希は、店の看板を見る。『ダイニング・ダイナー』という店名は、昊希の心に深く刻まれた。


 さて、昊希が金銭を用意するのに、向かうべき場所はどこだろう。
 換金所? 質屋? 貴石・貴金属買取店?
 その答えを出す前に、昊希は路地裏へと引き込まれた。……どうして、こう、ワンパターンなのだろう。この手の方々は皆、路地裏がお好きらしい。流行りの人気スポットか何かか。嫌な流行りだ。昊希はどこか疲れを拭い去ることのできないまま、己を抱え上げる太い腕にスタンド像をのばした。

「放してください。僕からもう少し離れて」

 浮いていた足が、地面を踏みしめる。
 誘拐犯の顔を見上げて、昊希はおや、と片眉を上げた。そこにいたのは、先程昊希がスマートフォンを借りた男であった。

「ちょうどよかった。貴石類を換金したくてね、そういった店に案内してほしいんだ」

 昊希がしているのは、ちょっとした『お願い』である。別に危害を加えようというのでないのだから、そんな化け物を見るような目を向けてほしくはないのだが。

 そうして男に連れて行かれたのは、半分リサイクルショップの様な有様の雑貨屋である。雑多な物がごちゃごちゃに敷き詰められた店内で、猫を襟巻のように首に巻いた人物が店番をしていた。眠そうな目をしたこの人が、ここの店主らしい。
 昊希はここまで連れてきてくれた男に礼を述べる。男は青い顔をしたまま、首を横にブンブンと振った。先程からずっとこんな調子であるので、何だか可哀想になってきて、彼をスタンドの効力下から解放する。それに気付いたのか、表情をぱっと明るくした男は、昊希の両手をがしりと握った。

「頼む! 今日のノルマがあと一人なんだ!」
「断る」

 誰が誘拐されることを快く許諾するというのか。男は肩を落として、すごすごと去っていった。
 くしゅん、とくしゃみをしたのは店主だ。昊希の視線がそちらに向く。店主はゆるりと微笑んだ。

「いらっしゃい、でよかったかな」

 昊希はこくんと頷き、買い取って欲しい物があることを伝えた。それから、予め服から外して置いた装飾、もとい貴石を見せる。
 昊希の見た目は現在、七歳児のものである。子供がこうした申し出をしてきたことに、店主は特に大きなリアクションをすることもなく、いつもそうしているかのような自然さで、一度店の奥へと引っ込んだ。何かを探しているかのような、がさごそという音がする。戻ってきた店主は、白橡色の天秤を抱えていた。

 札束と貴石を天秤にかけ始めた店主を見て、表情を引きつらせた昊希だったが、明らかに貴石の重量以上が皿に乗っているにもかかわらず、貴石の側が沈んだままなのを見て、考えを改めた。これはきっと、昊希の知らない、理解の範疇を超えたところで、道理の通っているものなのだ。
 天秤は、札束が五束乗ったところでようやく釣り合いを見せた。

「これは手数料」

 札束の一つを、店主が取り上げた。残りの四束が昊希に渡る。10ゼーロ札が五十枚でひと束らしいので、四束となると計二千ゼーロが昊希の手元にきた形だ。一ゼーロは一ドルくらいの価値らしい。
 この評価額が適正であるのか、それを判断するには昊希の前提知識が足りていない。不満はなかったので、取引はそれで成立とした。物のついでに一部のゼーロ札を1ゼーロ札や硬貨に交換してもらう。手数料はばっちりとられた。

 用事も済んだところで、店主と猫に別れを告げる。
 店舗を出てしばし歩いたところで、背後から大きな音がした。昊希が驚きに肩を揺らしながら振り向くと、先程のショップに黒塗りの車が半分ほど埋まっている。どうやら、暴走車が突っ込んだらしい。
 割れたガラスと建物の端材で、店内はぐちゃぐちゃになっていた。遠目に店主と猫の無事を確認して、昊希は小さく息を吐く。店主は店が半壊にも関わらず、それすら日常の一幕かのように平然としている。
 ――とんでもないところに来てしまった、と。昊希は改めてそう思った。


 さて、金銭が用意できれば、次は食事である。
 道の途中、見覚えのある衣料品店のロゴを見つけ、店まで近付く。ショウウィンドウを見る限り、人類向けの衣服を扱っているようだ。中を覗けば、腕が多くもなく、ぬるぬるした粘液も分泌していない、ごくごく普通でまともな人類の店員の姿が見える。ここなら、着替えが購入できそうだ。
 服を見繕い、試着したものをそのまま購入する。代わりに受け取った店の紙袋に、脱いだ服を入れた。

 そうして、街を再び歩き始めた昊希だったが――。身綺麗にしていればしていたで、困ることもあったらしい。街を歩いていて攫われかける理由に、「身代金目当て」の項目が増えたのだ。本当に、とんでもない街だった。
 応急処置に、砂避け用の布を羽織る。なんと頼れる布であることか。テレンス作の服を隠してくれたのもこの布だった。先程から大活躍だ。
 もう布しか信じない、などと、昊希が螺子の外れたことを考え始めたあたりで、目的の飲食店『ダイアンズダイナー』に到着した。

 ダイニングカフェらしい店内には、利用客である人類や異界人の姿が見えた。ほどほどの客入りで、混雑はしていない。カウンター席とテーブル席がある様子だった。
 皿の上に乗るハンバーガーやフライドポテトを見て、ほっと息を吐く。どこからともなく漂うコーヒーのいい匂いに頬を緩ませながら、昊希はカウンターの向こう側の女性店員に声を掛けた。
 メニュー表に『ホットサンド』の単語を見つけ、昊希は目を輝かせる。コーヒーもおかわり無料ときた。安息の地はここにあったのだ。

「ホットサンドとホットコーヒーで!」
「はいよ。ここで食べていく?」

 こくこく頷き、未だ慣れないゼーロ札で代金を払う。注文を聞いた彼女の後ろで、男性店員がホットサンド用のフライパンを取り出した。
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