How long should I wait?



 モーテルのセルフサービスな朝食は、元々期待していなかったこともあって、残念に思うことはあっても失望とまではいかなかった。品目が少ない割に、パンの種類だけは妙に充実している。
 少し冒険して色々なものをつまんでみたい気持ちはあったが、お腹を壊して今後の活動に支障をきたすわけにもいかなかったので、いかにも異界人向けな原材料不明の謎料理は避けることにした。
 何気なく皿に乗せたベーコンエッグが美味しくなくて、少ししょんぼりしてしまう。白身の食感が好ましくないのだ。電子レンジで加熱しすぎた時のように、なんだかグニグニとしている。
 自分が過去に作った玉子焼きと、どちらの方が食材への冒涜度が高いだろう。形兆の作る肉じゃがが、今は無性に恋しかった。

 栄養摂取は早い段階で諦めて、空腹を満たすことだけ考える。クロワッサンとワッフルは、その場にあったオーブンで軽く焼いて美味しくいただけた。ほかに食べられそうなものを探すが、先程のベーコンエッグの例もあって手を伸ばすのを躊躇ってしまう。
 そんな時、昊希の視界に入ってきたのは、とろけたチーズだ。海鮮類のピザらしい。乗っているエビは、ビビッドピンクにエメラルドグリーンの斑点模様という、大変フォトジェニックなものだが。
 何度か視線を送っては、無性にピザを食べたい気持ちを理性で制しつつ、酢キャベツにマヨネーズをかけたものをつまんだ。


 食事を終えた昊希は、少ない荷物をまとめてモーテルを出た。昨晩のうちに、本日の予定は決めている。
 即ち――観光だ。

 モーテルのロビーには、泊まり客が自由に使うことのできるパソコンが置いてあった。そこで昊希は、この街の観光スポットやモーテルの周辺施設を一通り調べておいたのである。
 大通りを通り、昊希はバス停へと向かう。目的の場所には、子供の脚で行くには距離があった。なんというか、それでバスという手段を取れること、この街でバスが運行している事実に驚くばかりである。

 バスの乗客はそう多くなく、席に座れそうなだけの余裕があった。運転手と挨拶を交わし、代金を前払いしてバスに乗り込む。
 窓の向こうに過ぎ行く街並みに、ニューヨークという場所の名残りを感じていた。あの電光掲示板群は、タイムズスクエアと流れを同じとするものだろうか。尤も昊希は、有名どころの景色を映像や写真といった媒体で知るばかりで、ニューヨークに住んでいたこともなければ、懐かしめるほどその場所について詳しくもないのだが。

「珍しいものでもあったか、嬢ちゃん」

 話しかけられたことに驚きつつ振り返ると、淡いカーキ色の衣服に包まれた分厚い胸板が目に入る。バスの天井近くに視線を向けると、サングラスを掛けた顔が見えた。強面な雰囲気のある男性だ。背は、昊希の二倍ほどはあろうか。
 彼は他にも空席はあるにも関わらず、昊希の隣の席へドカリと座った。少し身構えた昊希は、いつでもスタンド能力を発動できるよう、スタンド像を彼の足下に伸ばしておく。彼にスタンドは見えていないらしかった。

「坊ちゃん、に訂正をお願いします。そうですね、珍しいものばかりで興味深いです」
「そりゃあすまなかったな、坊ちゃん。HLには観光か? いま一人で?」

 昊希が窓ガラスの向こうを熱心に見ていたからだろう。そう尋ねる彼は、HLの住人に違いない。ナンパのような文言に、昊希は少しの間考えて、その可能性をゼロにするためにも問いかけで返した。

「失礼ながら、ミスター。正直に答えることを『お願い』したい。貴方には小児性愛者の気質がおありで?」
「ねえよ!」

 だろうな、とは思ったが、確認は大事だ。この街の、そういう方面での魔境っぷりには、昨日の出来事で辟易している。
 そうしてほっと息をついた昊希に、彼は声を潜めるととんでもないことを告げてくれた。

「俺じゃなく、通路を挟んだ向こうの席の奴だ。この街じゃあそこそこ名の知れた、性質の悪い児童誘拐常習犯でな。特に東洋人の被害が多い。攫われた子供は帰っちゃこねえし、奴は捕まっても親のコネですぐ釈放される」
「……なるほど。それで僕の隣に座って下さったんですね」

 昊希の知らぬ間に、盾になってくれていたらしい。話し掛けたのも、子供が一人でいるという状況を無くすためのものだろう。

「やけにあっさり信じるんだな。俺の方が誘拐目的かもしれんのに」
「少なくとも小児性愛者ではないようですし、お菓子をくれる優しいおじさんよりは信じてよさそうですから」
「違いない」

 戯けて肩を竦めた彼に、昊希は笑みを浮かべる。それから、姿勢を正し、サングラスの向こうの彼の目を見つめた。

「貴方の行動に感謝します」

 そうして、少しでもその念が伝わればいいと、彼の手をとって握手する。そんな昊希の行動に、彼はむず痒そうに頬をかいた。

「親切したくて声を掛けたわけじゃねえよ。ただガキが目の前でそういうことに巻き込まれそうなのを、見てるだけってのは気分が悪かった。俺がやりたくてやった、それだけだ」
「親切には変わりありませんね」
「……だぁーッ! 調子が狂う! ったく、お前、目的地はどこだ?」

 暗にその目的地まで、護衛だか保護者だかを買って出ようという発言に、昊希は目をまるくした。次いで、湧き上がる喜びの念に破顔する。こんなところでも、向こう側の席には聞こえないようにと声を潜める配慮が好ましい。

「貴方のような人を、お人好しと呼ぶのでしょう」
「やめてくれ」
「そういったお人好しさんは、この街では長生きし辛そうで心配です」
「生憎、お前さんが思っているような人間ではないんでね。拾えないものは切り捨てているさ。だからこそ、ここで暮らして五体満足でいる」

 心配は要らないと言うように、大きな手でがしがしと頭を撫でられて、その手つきはまるで違うのに、不用意にもアヴドゥルを思い出す。
 ずんと胸にのしかかる重みには気づかないふりをして、明るい声で悪戯っぽく告げてみた。

「ところで、僕の今日の目的地は『永遠の虚』なのですが」
「自殺志願者か?」

 正気を疑う目で見られ、昊希は苦笑する。やはりこの街でも、あの場所に行くことは異常なことらしい。『永遠の虚』――濃い霧で満たされた、HLの中心部。
 この街において、霧の濃さとはすなわち危険度の高さだ。街中の電子マップで示されるその場所は、常に赤色で染まっている。

 それでも、昊希に行かないと言う選択肢はなかった。その場所に、あちら側との境界があり、異界と通じていると知ったからだ。
 境界、すなわち世界の交わる場所とくれば、ジョジョ以外にも作品が混ざるというこの世界の変化や、昊希がこの街にタイムスリップのような形でやってきた理由について、その手掛かりを得られるかもしれない。

「自分のルーツを知る糸口があるかもしれないんです」

 その言葉に、彼の顔に一瞬警戒の色が浮かび、何かを確認するように窓を見た。不思議に思いながら、昊希も彼の視線の先を追う。そこにはHLの街並みがあるばかりだった。窓ガラスの表面には、昊希とサングラスの彼の姿が映っている。
 昊希は小さく首を傾げ、視線を彼に戻した。彼が困ったように眉を下げたのがわかる。

「さすがに一人でHLに来たわけじゃあねーだろ? 保護者はどうした、止めなかったのか?」
「いえ、一人ですよ。僕が黙って出てきてしまったようなものですから、彼らに責を問うのも違う気がします」
「……お前さん、もしかして童顔なだけの大人か? 実年齢は二百歳だったりしねえ?」
「七歳ですね」
「ティーンですらねーじゃねえか」

 なおさら一人で出歩くものではないと窘められ、昊希は「そうですね」と頷いた。

「ご忠告もいただきましたし、無茶はやめておくことにします」
「おうおう、やめとけやめとけ。できることなら、早いことこの街を出るんだな。んで、帰って家で飯食ってあったかくして寝ろ」

 その言い振りがなんとなく可笑しくて、昊希はくすくす笑う。本当に、できることならそうしたい。
 バスが停車する。地下鉄の駅がこの通り沿いにあるからか、ここで降りる乗客が多い。昊希も座席から立ち上がり、荷物を手に取った。

「駅までか」

 かくいう隣の彼も席を立ち、そんなことを言う。どうやら本当に送っていってくれるらしい。差し出された手に荷物は預けず、代わりに昊希が自分の手を置くと、彼は参ってしまったように暫し天を仰いで、その手を握った。
 なんだか彼と少し親しくなれたかのようで、昊希はくすぐったい気持ちになる。通路の向こうの席から、強い視線が飛んできた気もしたが、昊希は気付かないふりをして、手を繋いだ彼の陰に隠れた。
 駅へと向かう道を、彼の引率で歩く。そのガタイの良さは、人波の盾として頼もしい。彼自身、そうした立ち回りをしている節があり、誰かと一緒に歩くことに慣れているような印象を受けた。

「子供一人では活動し辛い街ですね」
「この街の外でも普通、お前くらいの子供は保護者なしで出歩いたりはしないだろう。それとも、お前の国では違うのか?」
「国といいますか、住んでいた地域がほどほどに田舎で、住人の目がありましたので。親の目のない場所でも、割と一人で自由にできたんですよ」

 昊希が今この場所にいるのは、ある意味その自由さのせいだと言ってもいい。潜む殺人鬼は危険であろうと、それと関わらず過ごす人間にとっては、のどかで平和な杜王町であったので。危機管理意識が低くなるのも仕方ない。
 そして、そんなゆるゆるな危機管理意識でも、それなりに平気であった杜王町の感覚が基準では、この街での行動に不便さを感じるのも当然だった。

「フゥン? てっきりカナダへのアジア系移民か何かだと思っていたが、違うのか?」
「日本生まれの日本育ちですよ」
「その布被ってんのは何だよ……」
「頼れる布です」

 どこか誇らしげに昊希は言う。お前は何を言っているんだと言わんばかりに、彼は怪訝さを前面に押し出した表情を浮かべた。
 そんな会話を交わしているうちに、駅に到着する。メトロカードの売り場を探す昊希の肩を、彼の手がぽんと叩いた。

「本当は港まで送って行ってやりたいが、この後人と会う予定があってな」
「充分ですよ。ありがとうございます」
「そうか。まあ、気を付けて行けよ。ほら、売り場はあっちだ」

 券売機の方向を指し示し、役目は終えたとばかりに道を戻ろうとする彼を昊希は呼び止める。彼と連絡先を交換したかったのだ。いつもの調子で、メールアドレスを書いたメモを手渡そうとした昊希は、そこで、そもそも今自分が携帯を持っていないことに気付いた。
 愕然とする昊希に、サングラスの彼は呆れていいのか心配するべきかといった様子で唸る。一方の昊希の気分は落ち込む一方で、サングラスの彼の方へとてとて近付くと、離れ難いとでもいうように、彼の服の裾をきゅっと掴んだ。

「……お前さん、あのな」
「昊希です。木村昊希」

 深い深いため息が、彼の口から零される。昊希の瞳が不安に揺れた。
 それを見た彼が、もう一つため息を零して、やれやれと肩を落とす。それから、昊希と目線を合わせるように、その場でしゃがみ込むと、くしゃくしゃのメモを昊希に握らせた。
 広げてみれば、それはどこかの店のレシートのようで、裏にはメールアドレスが記されていた。パトリック、と名前が添えられている。
 ぱあ、と昊希の表情が明るくなった。

「ありがとうございます、パトリックさん! 携帯を購入したら、一番に連絡しますね!」

 昊希がその脚に抱き着くと、彼は照れ隠しのように顔を逸らして、昊希の頭を乱暴に撫でた。

 手を振り、遠ざかる彼を見送ってから、昊希はメトロカードを買いに券売機へと向かった。値段は一律だったので、操作にもそう迷わず購入が完了する。
 そうして手に入れたメトロカードを片手に、『永遠の虚』へと向かうべく、昊希はユグドラシアド中央駅方面行きの地下鉄へと乗った。

 ――無茶はやめておくと言ったが、行かないとは言っていないのだ。
 誰かに気を掛けてもらえる心地よさ。それを投げ打つ自分の愚かさや不誠実さにほとほと呆れながら、それでも、やめるわけにはいかないんだよなと自嘲した。
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