Haphazard Lamb



 老婦人の姪だという店の支配人は、店の雰囲気に違わぬ人物だった。
 女性にしては背も高く、洋梨のようなシルエットの身体にラメ入りの黒のドレスを纏っている。濃い紅のルージュの引かれた唇が開く度、麗しくもどこか威厳のある声が空気を振動させた。
 ドンだとかマドンナだとか、魔女といった呼称が似合いそうだ。彼女にはそれだけの風格がある。

「へえ、その子がここで働きたいって子?」

 昊希を視界に入れた彼女は、何かを見定めるように目を細めた。
 彼女から、どことなく気迫だとか圧力のようなものを感じた昊希は、現実逃避気味に千と千尋の一幕を思い出す。あれとは立場も状況も違うが。

「ぶ、舞台には立ちません」

 背に腹は代えられないとはいうが、この場合、収入と精神衛生のどちらが腹なのか。判断もつかないまま、昊希は我が身可愛さにふるふる震えた。
 そこで支配人は、ふっと口もとを緩める。空気もどこか和らいだ。

「ばかねえ、こんなガキの、それも素人を立たせるわけないでしょ。客もブーイングものだわ」
「それはそれでへこむような」
「あんた面倒臭いわね……。まあ、いいでしょう。おば様のお眼鏡に適ったというのだし」

 おいで、と昊希に声をかけた彼女は、颯爽と身を翻す。店の奥へと進む彼女に、慌てて昊希はその背を追った。
 店の奥のテーブルでは、昊希の出来ることや、就労経験など、彼女と簡単な受け答えをした。もちろん、今生の昊希に就労経験はない。肉の芽を埋められ、DIOの部下となっていた期間のことは含めないものとする。

 人類側の国の言語をいくつか話せることと、計算ができることを評価され、しばらく指導の者がつくことになった。仕事は主に、チケットのもぎりとチップの回収。問題がなさそうならばそのまま、使えないなら解雇ということで、ひとまずの試用期間が設けられる。細かな条件については、正式に雇うことになってから再度詰めるという話だ。それまでは決まった額の日給が与えられる。

 仕事を指導するのは、この店に住み込みで二年半ほど働いているという異界人。その名をカダという。
 人型に擬態が可能で、性別のない種族らしい。普段はヘーゼル色のボブカットに琥珀色の瞳の女性の姿をとっているが、気が昂ぶると触手が出てくるとのこと。彼女(?)のことは怒らせないでおこうと心に決めた。
 ちなみに支配人の名は、ジュリアナというらしい。店の者や店の常連には、「支配人」あるいは「ママ」と呼ばれていた。なんともしっくりくる呼び名だ。

「じゃあ、お店の案内を一通りしちゃうから、私についてきてくれる?」

 そういってこちらに手を伸ばすカダに、昊希はこくんと頷きその手を取った。
 そうして、昊希が店の内部もある程度見回り終わった頃、突然に大きく地面が揺れた。すわ地震かと机の下に転がり込み、姿勢を低くする。
 どすん、どすんと下から突き上げるような揺れと、次々に倒れる家具類。きゃあ、と店の女性のものであろう悲鳴が聞こえる。
 店の外はさらに騒がしく、何かが破裂したような音すらしていた。カダは避難するでもなく、きょろきょろと周囲を見渡している。

「危ないですよ!?」
「うーん、でも音源は遠いから」

 いつの間に出したのやら、彼女の肩甲骨のあたりから生えた無数の触手が、ダウジングや金属探知でもするかのようにざわざわと揺らめき――、ピンと張り詰めるように伸びた。

「えっ、ちょっと! カダさん!?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。キミはそこで待っててね」

 駆け出した彼女の姿は、あっという間に見えなくなってしまう。依然として揺れの続く中、あまりに気楽な調子で行ってしまった彼女に、昊希は見送る言葉ひとつ掛けられなかった。
 彼女を心配していた昊希だが、どうやら杞憂だったらしい。姿が見えなくなって数分後、カダはあっさりと昊希のもとに戻ってきた。そうして、地震にしては長すぎる揺れと、不自然な破裂音の原因を話す。

「魔術テロで召喚された謎の巨大生物が暴れてるんだってえ」
「まじゅつ」
「お店の場所は進行方向と被ってないから、避難はしなくて大丈夫みたい」

 話しながら、彼女はスマートフォンの画面にニュースサイトの記事を表示させた。どうやらここから二つ隣の地区が現場らしい。召喚を行なった魔術テロリスト達は、既に捕まっており、あとは巨大生物の鎮静化を待つばかりであるとのこと。……現実が噛み砕けない。
 しぱしぱと瞬きを繰り返す昊希に、カダは大口を開けて笑った。

「いや〜久々に見たよ、そういう初々しい反応! HLに来たばかりって本当だったのね」

 彼女は笑みを浮かべながら、片手を腰にやり、もう片手で人差し指をすっと立てる。

「“HLでは何だって起こる”、これこの街の常識ね。この程度で動揺してちゃ心臓がもたないよ」

 そう言って、彼女はひとつウインクをした。なんとも様になっている。それから、ニヤリと笑って昊希の肩に手をやった。

「そ・れ・よ・り! 昊希、そのボロ布脱いでかわいい服着ない?」

 昊希は後ろずさりながら、自身の被る布を掴む。

「この布は譲れません」

 この街で、昊希の身を守るのに一役買ってくれた、安心毛布ならぬ安心被り布である。キリリと表情を決めた昊希に、カダは苦笑して、諭すように告げた。

「今はいいけど、お店に出るときはダメだからね」
「……はい」

 布を掴む手を離した昊希に、カダは満足げにひとつ頷く。そして、何か名案が思いついたとでもいった様子で、昊希にぱっと花咲くような笑みを向けた。

「そんなに布かぶるの好きなら、私がかわいいクラゲのパーカー買ってあげようか」
「結構です」

 ええー! と唇を尖らせるカダに、ようやく昊希も彼女の人柄が掴めてくる。随分と面倒見が良く、調子も良い人物だ。姉貴分として慕うには、良い人柄だろう。
 二人がそんなやりとりを行う頃には、地面の揺れも収まっていた。鎮静化した――何者かが例の巨大生物を何とかしたということだろう。住人まで規格外な街なのだ、ここは。

「さて、片付けないとね。初仕事だよ、昊希!」

 カダはそう言って、随分と慣れた様子で倒れた家具類を元の位置に戻していった。昊希もそれに倣い、片付けを手伝う。
 もしかせずとも、こうした作業はいつものことなのだろう。改めてとんでもない街だと思いながら、昊希はこれからの生活に不安と期待を抱いた。

 皆それぞれに役割を果たし、店は元の姿を取り戻す。とはいえ、そこから通常のように営業とはいかないようで、その日は臨時休業となった。代わりに行われたのは、昊希の歓迎会だ。
 昊希にしてみれば、大げさとも思えたのだが。店の者たちは、やりたいから開くのだといった姿勢で、長く勤めるかも、戦力になるかも分からない子供一人のために時間を割いてくれた。

「もともと皆、お祭り騒ぎが好きなのよぉ」

 歓迎会にかこつけて、食べて飲んで騒がしくしているのだとカダは言う。かくいう彼女も、アルコールが入って肌は薄ら赤く染まり、何があったわけでもないのに大声を上げて笑い転げていた。笑い上戸らしい。
 昊希の見たことのない種類の酒もあり、会話の合間に瓶をさりげなく手にとってみたり、匂いを嗅いでみたりしていたのだが、皆良識的なのか、気付いた時点ですぐに昊希から酒を取り上げていた。昊希に酒を勧めた酔っ払いは、他の者にぽこすか殴られていた。

 ……昊希も別に、飲もうとしていたわけではないのだ。ただちょっと、興味が抑えられなかっただけで。
 酒の中には、異界産のものもあるらしい。人界で作られたものよりアルコール度数の高いものが多いのだとか。どんな味がするのだろう。
 酒の入ったグラスを片手に、昊希に絡み、揉みくちゃにしてくる酔っ払い達を、昊希はやんわりあしらいつつ、オレンジジュースの入ったカップに口を付けた。

 昊希が眠気にうつらうつらしてきた頃、会は一度お開きとなった。一部、朝まで騒ぐ者達もいるらしいが、予定のある者や、明日に備えなければならない者もいる。何かしらの区切りは必要だった。

「そういえば、荷物を宿に置いたままなのですが」

 昊希の世話になる部屋へと支配人が案内する途中、眠気まなこを擦っていた昊希は、思い出したようにそう言った。部屋自体はしばらく借りているので、荷物を処分される心配はないと思うが、ずっとそのままにしておくわけにもいかない。

「ふうん。すぐに必要そうなものは、明日取りにいっておいで。残りの荷は後にちゃんと日を設けて、運べるようにするよ。早けりゃ三日後だが、念のため宿は五日後まで取っておいたほうがいい。代金はこちらの後払いで負担するが、資金は足りるかい?」
「はい、大丈夫です」
「よろしい。ああ、これも渡しておこうかね」

 支配人に手を取られ、そこに黒いスマートフォンを置かれる。店からの支給だということで、基本は店の業務に関わることに用いるためのものであるが、プライベートで用いることを禁止しているわけではないらしい。店の端末と連携の取れるアプリが入っているので、業務中にはよく出番があるということだ。

「話してるうちに、ほらここだ」

 支配人が立ち止まり、一つの部屋を指し示す。店から少し離れたところに位置する、二階建ての建物の一室。
 昊希の案内されたここは、つい先日、掃除したばかりの部屋なのだという。空き部屋があっても、長らく使われていない部屋であれば、即日入居は難しい。その点、昊希は幸運だった。
 広さは十二畳ほど。植物柄の掛布団のついたベッド、木製の椅子に、大きめのクローゼット。本棚には、前の使用者のものか数冊漫画が置かれている。グレーの室内扉は、ユニットバスに繋がっていた。

 そこまで確認したところで、部屋の鍵を受け取り、支配人へと礼を述べる。彼女は、気になることや分からないことがあれば、すぐに誰かに尋ねるよう言いつけ、部屋を去った。
 部屋の内鍵を閉めた昊希は、睡魔に引きずり込まれるまま、ベッドにもそもそ潜り込む。寝てしまいたいが、まだすることがある。
 スマートフォンを手に、昊希はメールの画面を開く。眠りに沈んでしまいそうな意識を必死に引っ張り上げながら、携帯電話を入手すれば真っ先に連絡しようと思っていたサングラスの彼――パトリックへと、簡単なメッセージを送った。
 送信しました、の表示に安心した昊希は、掛布団を被る。あっという間に、意識は夢の中へと旅立った。




 仕事には案外早く慣れた。
 子供という外見は、店においてよく役立ってくれている。幼い姿で愛想よく立ち回る昊希に、お小遣い感覚でチップをくれる客も少なくなかった。分別もそれなりにあるので、はじめは心配されていた仕事ぶりも、いつしか信頼を得るまでになっている。
 外見で客に侮られることもあったが、睨みをきかせるのは昊希の役割ではないので、さしたる問題にはならない。店には、力仕事に強い用心棒代わりの者や、舞台の上で肉体美を見せる、逞しい身体付きの男性もいるのだ。

 店は日が沈む頃、日中とは別の顔を見せる。最初のうちはアングラな雰囲気にちょっとワクワクしていた昊希だが、数日でそれにも慣れた。案外適応できるものだ。いや、HLで連日起きる事件の報道内容には、未だ慣れないのだが。
 大金を積めば、身分証関係なくHLを出られることは、店の隅でこそこそしていた二人組の会話を盗み聞いて知った。昊希にそのお金はないし、しばらくは現状維持だ。
 その二人組は、何かをしでかして、この街から逃げ出そうとしている様子だったので、カダを通して支配人にそれを伝えたところ、腕っ節の強い男性店員の手で拘束され、店の外で警察に引き渡されていた。




「服を買いに行くわ!」

 腰を手に当て、プロパガンダでも掲げるように宣言したカダに、昊希はにっこりと笑みを向けた。

「いってらっしゃい、気をつけて」
「違うわよぉ〜! 貴方の服ッ! ついでに日用品の類も。ママに聞いたよ、荷物が全然なかったらしいじゃない」

 昊希が着の身着のままで、この街に転がり込んだことを考えれば、当然だったのかもしれない。必要なものだけ持ってきて、残りは後日という話だった荷物が、思いのほか少なく、一度で全て持って来れてしまったのだ。それを彼女も知ったのだろう。
 荷物持ちに、今日が非番だったジョンにまで声を掛けていた。彼は主にホールスタッフとして働いている店の者だ。
 カダの勢いに押され、結局昊希は彼女らと共に買い物に出ることになった。

 外出の準備を済ませた昊希が、砂避けの布を被っているのを見て、カダは眉間にしわを寄せた。

「まだその布被ってるの?」
「店の中では被っていないのだから、街を歩く時くらいは勘弁して欲しいな」

 肩を竦めて昊希は言う。店の者たちとすっかり打ち解けて、口調からはいつしか敬語が抜けていた。
 その言葉を聞いていたジョンは、快活な笑みを浮かべる。

「俺はカダに賛成だな。昊希の可愛い顔が、その布で隠れてしまうのは惜しいよ。それとも、俺では人攫い避けには頼りない?」
「これは魔除けのお守りのようなものだから、実用性はそう重視していないんだ。持っていることに意味がある、だから被るのをやめない」

 実際のところは、その実用性の面においても頼れることが分かっているのだが。そこをわざわざ主張して、ジョンの厚意を無駄にすることもない。
 ちゃんと洗濯はして、清潔にしているのだ。誰かに迷惑を掛けているわけでもない。好きな格好をして出歩くことの、何が悪いことだろう。

「変なところで拘りが強いよねぇ。まあ、こんなことで問答してても仕方ないし、行こうか」

 要は昊希の根気の粘り勝ちである。これにはジョンも苦笑した。
 その代わりとでもいうように、カダは張り切った様子で昊希の服を見繕おうとしていた。一度フリフリの服を着せてみたいらしい。全力で遠慮願いたい。

 往来は今日も通行人で溢れていた。
 カダを先頭に、ジョンは昊希の後ろにつくかたちで街を行く。この街の天気は、今日も曇り。濃い霧とも雲ともつかないものが、空を覆っている。
 ガラスのショウウィンドウの並ぶ通りを歩いていた時のことだ。昊希はふと、柔い静電気がピリピリと肌にまとわりつくような不快感を覚えた。気のせいだろうか。どこからか、視線を感じるような気がする。
 直感で視線を向けた先には、何もない。

 やはり気のせいだったのだろうか。視線を戻すが、気になるものは気になる。
 落ち着かない気持ちで、きょろきょろと辺りを見渡した昊希は、しかし、そこで視界に入ってきたものに意識をとられ、周囲の観察を中断せざるを得なかった。
 急に立ち止まった昊希に、カダが不思議そうに振り向くのが分かるが、そちらに気を割く余裕はない。
 心構えも何もなしで、完全に不意打ちであったが故に、いっそ鮮やかなまでに意識を奪われた。頭の中を占めるのは、その光景のことだけだ。

 世界の隔たりはあれど、ここは異界と人界の入り乱れるHL。人類(ヒューマー)異界人(ビヨンド)の二人組だと思えば、それは「不思議な組み合わせだな」くらいの感想で終わるだろう。
 しかし、このいかにも異界人(ビヨンド)な見た目の者が、植えつけられた肉の芽の暴走によって異形となった人間だと知っていたら話は別だ。

「――どうして」

 そこにいたのは、虹村億泰とその父親だった。
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