[side:L]Sの依頼



「スポンサー様から、人捜しのご依頼だ」

 ある日の昼下がり。レオ、ザップ、ツェッドの三人をライブラ本部の一室に呼び出したスティーブンは、いつも以上に重々しくもその言葉を告げた。張り詰めた空気は、冬の早朝を思わせる。
 気の抜けたような返事をすれば、すぐさま氷の一撃を受けるであろうことは、想像に難くない雰囲気だ。ちなみに、先程ユルユルな返事をしていたザップは、既に氷漬けになっている。レオとツェッドは、いつも以上に背筋を伸ばして、スティーブンの話に耳を傾ける。

「うちにはかなりの額を出資してくださっている。今後の活動費のためにも、ここはご期待に沿う結果を出したい」

 その探し人というのは、スポンサーにとって命の恩人のようなものらしい。より正確にいうならば、そのスポンサー組織には、支援対象であり存在意義とでもいうべき『ある一族』が存在し、その一族の仲間にあたる人物が、捜し人に命を救われたのだという。

「長らく死んだと思われていたようなんだが、最近になって、この街で姿が目撃されたとのことだ」

 そう言って、彼は一枚の写真を机上にスッと滑らせた。目前に来た写真に、レオとツェッドは顔を寄せる。
 そこには、ショートカットの黒髪の幼い東洋人が写っていた。ふくふくとした頬と、長い睫毛で縁取られたつぶらな瞳。五歳くらいの少女だろうか。元は白色だったのだろう、砂色にくすんだボロ布を被っている。幼さに似合わぬ利発そうな瞳は、彼女の近くに写り込む飲食店を恐怖八割、興味二割といった様子で見ていた。
 この店は――なるほど、客を捕食する料理が出てくるとなれば、この街の飲食店だというのは一目瞭然だ。

「それが、ひと月ほど前にこの街で撮られたという写真だ。その店は、七十二番街にあるらしい。まずはそこに向かってもらうことになるだろう。あいにくスポンサー様から提供された手掛かりは、その写真と、この……十年前のものだという写真しかない」

 そうして、スティーブンが後から机上に取り出した、少し色焼けした写真に写るのは、どこかの市場の光景だった。舞っているのは砂埃だろうか。写真の中央に、相変わらずの布を被った彼女の姿が見える。先程の写真と比べて、その瞳はどこか虚ろだった。

「十年前!?」
「この子供は、十年前から姿形が変わっていないということですか」
「さて、それについては何とも」

 スティーブンは少し戯けた様子で肩を竦めた。カメラに撮られているという時点で、血界の眷属ではないことは明白だ。なればこそ、その変化のなさは異常であり、血界の眷属を対象としたものとはまた別の警戒が必要になる。

「そもそも、街で撮られたというこの写真の人物が、スポンサー様にとっての本当の捜し人である保証はない。だが、本人でないにしても、何らかの関わりは疑われるからね。だからこそ、この街で撮られたという写真の人物の身柄を、うちで確保してほしいのだと思うよ」

 そういって、スティーブンがこの街で撮られたという写真に視線を向けるので、レオとツェッドも再び写真に視線を向ける。外見的に変わったところはなく、大した特徴もない。精々が被るその布で、それがなければ大衆に紛れ込んでしまうだろう。そんな、どこにでもいそうな子供だ。
 と、氷から抜け出たザップが、レオの後ろからその写真を覗き込み、気難しげな顔で悩み始めた。

「どうしたんすか、ザップさん」
「どっかで見たこと……気のせいか? ンン〜わっかんねえ」

 写真を手に取り、色々な角度から眺めたザップは、苛立たしげに頭を掻く。

「まさかの目撃者ぁ?! しっかり思い出してくださいよ!」
「相手はこの人ですよ、期待するだけ無駄でしょう。三歩歩けば忘れるトリ頭と違って、そもそも学習できないんですから」
「ンだとォ! この魚類が、その小さな脳ミソじゃ、一度泣かされねーと理解できねえみたいだなァ?」

 正に一触即発。ザップがツェッドに掴みかかろうとし、ツェッドはそれの迎撃を試みたところで――、その場の温度がスッと下降した。
 二人は、ぎこちない動きで執務机のある方向を向く。彼らが見たのは、笑顔だというのに底知れない不穏さを纏ったスティーブンだった。むしろ、その笑顔が不気味だ。

「ザップ。どこかで見かけた、というのであれば、早急に思い出すように。まあ、まずは三人で写真の店に向かってくれ」

 よろしく頼むよ、と告げるスティーブンの声色は、いたっていつも通りのようだった。だが、その笑顔の下にしまい込んだものが恐ろしすぎる。

「ああ〜、あーっ、そうですね! はい、わかりました! よし、行きましょう」

 レオの提案に、ザップもツェッドも全面賛成だ。同意の声を上げつつ、意気揚々と、若干早足になりながら三人は部屋を出て行く。
 その背を見送り、ようやく静かになった部屋で、スティーブンはゆっくりと息を吐いた。


 実のところ、この人捜しには、ライブラの運営費用にのみならず、母体組織の在り方やHLの均衡に関わるデリケートな問題も絡んでいる。

 例のスポンサー組織――SPW財団は、かつて、とある吸血鬼討伐のための遠征軍を支援していた。
 この財団は、経済において世界規模の影響力を有する組織であり、世界中に散らばる支部と、多くの財団員を抱えている。吸血鬼討伐の際には、その総力を挙げて遠征軍をサポートしていたはずであるが、驚くべきことに、実働部隊にあたる遠征軍メンバーは少人数……ほんの五名と一匹だけだった。これは吸血鬼を相手取るとして、驚異の数字である。

 もちろん、その“吸血鬼”は、HLで遭遇する血界の眷属とは成り立ちを異にしている。厳密には、別の種族とも言えるだろう。
 血界の眷属が、人体のDNAに直接呪文を書き込まれて改造された『生物兵器』であるのに対し、その吸血鬼は、呪文以外の外的要因によって肉体を変化させた『生き物』であった。
 血界の眷属と違って、日光を浴びれば灰になり、再生能力の高さも血界の眷属ほどではない。銀の弾丸や十字架、流れる水やにんにくは効かないとはいえ、血界の眷属と比べれば脆弱なつくりだった。
 とはいえ、それが“吸血鬼”であることには違いなく、吸血鬼討伐という事実は、吸血鬼狩りを専門とする組織・牙狩りとして無視できないことだ。

 そうしたこともあって、牙狩りを母体とするライブラは、SPW財団の存在を意識せずにはいられない。スポンサーとしての支援金の多さとはまた別枠で、財団は特別な位置付けにある。
 まず、これが一つ。

 もう一つは、財団がとある特殊な能力と根深い関係にあることだ。
 いくら日光という弱点のある吸血鬼とはいえ、超人的な力を持った生物。只人では、むざむざ殺されてしまうのがオチだ。
 数名のみでの吸血鬼討伐を可能とさせたのが、特殊な能力――スタンドだった。

 スタンドは、パワーを持った像であり、その人の分身や守護霊のような存在でいて、超常的な力を発揮するという超能力の一種だ。三年前のニューヨーク大崩落以前から存在していた、人界側の能力だ。その存在は、表向き伏せられている。使用できる人間は、ほぼ一握りの者であり、財団はこの能力について研究を行っているという。
 スタンドはスタンド使いにしか見ることができず、自然、対処できるのもスタンド使いとなる。
 財団の主導で、スタンド使いはこの街に不可侵であることが原則づけられたのは、このことが関わっている。この街の均衡を簡単に傾けかねないにも関わらず、対抗手段を持つ者の絶対数が少ないのだ。

 この街の天秤を守るのに、ライブラ以外が動くことは、財団側も望んでいない。あくまで外部組織、支援者の立場を貫いている。
 だからこそ、財団はHLに訪れようとするスタンド使い達の手綱を握り、時に侵入を阻み、財団の影響下にあるスタンド使いが問題を起こせば、その責任を負う。事件を収束させ得る人材、財団所属のスタンド使いを派遣したこともあった。
 ――財団が動くというのは、スタンド絡みであることを疑えということだ。

 財団からはその旨を伝えられていないが、スティーブンはこの捜し人というのが、スタンド使いである可能性を疑っていた。
 ライブラは、スタンド使いに対する特効性のある手段を持たない。財団側の開示情報は少なく、その能力には未知の要素が残る。スティーブンがピリピリしてしまうのも仕方のないことなのだ。
 彼の視界に、十年前のものだという捜し人の写真が入る。スティーブンはすっと目を細めた。

「そういえば、その吸血鬼討伐があったというのも、十年ほど前だったか」

 話では、『ある一族』の仲間にあたる人物が、命を救われたというが、その『ある一族』というのが、一人の吸血鬼と因縁を有しており、十年前のその時には討伐の中心人物となっていた。
 その“仲間”とくれば、その人物も吸血鬼討伐のための遠征に参加していたとは考えられないだろうか。
 すると、その仲間の命の恩人だという例の捜し人は、吸血鬼討伐とも関わっていた可能性が浮かび上がる。

「――裏付けるための情報が足りない、か」

 それが判明したところで、ライブラの利になるかも分からない。そんなことを気にするより、捜し人の身柄を早急に確保し、財団からの依頼をこなした方が、よほど有意義というものだった。






「しっかし、今日の番頭はやけに機嫌が悪かったよなァ」
「それをアンタが言いますか」
「いや、だってよお。さっきの、俺は何も悪くないだろ」

 どの口がそれを言うのか、とレオとツェッドが呆れた表情をする。しかし、確かに返事の仕方ひとつで氷漬けにするというのもスティーブンらしくない対応だ。レオが首を傾げて尋ねた。

「またザップさんが何かやらかしたんじゃないんですか?」
「いーや! 俺はしてねえッ! ……と思う。ともかく、この依頼に、番頭の機嫌を損なうような何かがあるに違いねえ」

 ぐ、とザップは眉間にしわを寄せ、唇をかたくひき結んだ。つられたように、レオとツェッドも考え込むような顔をした。

「スポンサーが気に入らない人だとか」
「そのスポンサー、かなりの出資額だって話だし、番頭ならむしろ嬉々としてご機嫌伺いしてるだろ」
「手掛かりが写真二枚だとかいう、無茶振りしてくるスポンサーですけれどね?」
「それ、スポンサーがかなりのくせ者ってことじゃ」
「それを言い出したら、捜しださなきゃなんねえガキの見た目も、十年前と今で変わってねえっておかしいだろ」

 そこまで言ったところで、ザップはふと思い出したといった様子で尋ねる。

「そういや写真はどうしたんだ?」
「あ、街で撮られたって写真は俺が持ってます」

 レオが取り出した写真をひらりと見せる。ツェッドが小さく唸った。

「もう一枚は、置いてきてしまいましたね」
「ま、一枚ありゃ十分だろ」

 写真を見て、「うーん、あと十年、いや五年後ならギリいけるか?」などとボヤくザップに、レオが白い眼を向ける。確かに写真の少女は可愛らしいが、まだ幼い彼女にまでそういう思考を巡らせるあたり重症だ。
 第一、写真の少女の外見年齢が十年前から変わっていないというのに、五年後や十年後、成長した彼女が拝めるとは考え辛い。こうした面では、あまり頼りにできないなと、レオは内心でひとりごちた。
 ふと、しばらくの間思考の海に沈んでいたツェッドが、何かに気付いた様子で口を開く。

「確かに、この三人というのは、単純な人手としての意味合いだけではないのかもしれません」

 ツェッドの視線の先には、レオの持つ捜し人の写真がある。くすんだ白布を被った、短い黒髪の東洋人の子供。人種の坩堝な混沌とした街の中でいて、その存在はどこか浮いて見える。

「この子供一人を探し出すのに、我々三人が遣わされたんですよね。情報収集であれば、チェインさん向きの案件ですし、探索能力だけ必要なのであれば、レオくんの目で事足りるはず」
「はーん、それなのに俺らもついてるってことは、つまりドンパチする可能性があるってこったな!」
「可能性の話であって、そう結論付けるのは短絡的というものですが」

 概ねその通りです、とツェッドは頷いた。
 ――その人捜しが一筋縄ではいかないと、彼らが確信するのは、それからほど経たずのことだった。
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