Holiday&Lace



「やっと追いついた! もう、急に走り出しちゃって! 脱走とは、いい度胸じゃないの」

 昊希の腕をとったカダは、分かりやすく頬を膨らませる。遅れて追いついたジョンは、カダに仕方がないなと苦笑した後、昊希へと穏やかな目を向けた。

「先に事情を訊いてやりなよ、カダ。昊希のことだから、何か理由があるんだろ?」

 そうして言葉を促され、昊希も口を開いた。

「……知り合いの姿が、見えた気がして」

 昊希はあの二人を追いかけたはずだったのだが、人の多さに道を阻まれ、いつの間にか姿を見失ってしまっていた。今となっては、二人が本当に街にいたのか、確かめようもない。
 どこか憂いを帯びた笑みを浮かべた昊希を見て、カダが目を細める。

「……よしっ、ちょっと早いけど昼食にしましょ! 昊希は何が食べたい?」
「僕はそんなに食欲に支配されて見えるのかい?」

 こちらを気遣うあからさまな提案に、昊希は苦笑した。何だかどうにも、食べ物が与えられれば満足すると思われている節がある気がする。

「だって昊希、超常現象と食べ物以外には無関心もいいところじゃない」
「そうかな?」

 昊希にその自覚はない。真偽を問うべくジョンに視線を向けると、彼は困ったように肩をすくめた。
 納得のいかない顔を浮かべつつ、昊希は近くのイタリアン・レストランを指さした。ボロネーゼが食べたい。

「いいねえ!」
「え、俺トマト食べられないんだけど」
「じゃあペペロンチーノでも食べてれば?」
「ニンニクも駄目なんだよね」

 カダとジョンがそんな会話を背後でするのを聴きながら、昊希は店の扉を開ける。入ってすぐのところに『異界人お断り』の文字看板が立てかけられていたが、カダはそれをさらりと無視して、空いている席に座った。そうして通りかかった店員をつかまえると、昊希やジョンがまだ座らないのに、自分の注文をする。

「私、クアトロフォルマッジとオレンジジュースね」
「ボロネーゼをお願いします」

 食べたいものの決まっていた昊希も、それに便乗して注文を告げる。ジョンはメニュー表を手に、随分と迷ってから、ボンゴレビアンコを注文した。

「カルボナーラでもよかったかも」
「まだ言ってるの」

 注文が済んでからも悩みの尽きないらしいジョンに、カダが呆れた顔をした。昊希は思わず笑う。そうして賑やかにしているうちに、テーブルへと料理が届いた。
 早速手を合わせ、昊希は料理に手を伸ばす。そうして食事の時間が始まった。

 七歳児の手にはまだ少し大きいフォークを、昊希は器用に使い、パスタをくるくると巻き付け口に運ぶ。が、少し欲張りすぎたらしい。こぼすことこそなかったが、噛むのに難儀するほど口いっぱいに詰め込んでしまった。少しの後悔は、パスタの美味しさにすぐに吹き飛んでしまう。期待していた以上に、本格派な味だ。
 ピザを切り分けたカダが、ジョンと昊希の皿へ、それぞれピザを一切れずつ乗せる。曰く、美味しいピザは分け合うべきなのだとか。もっとも、それは彼女の持論ではなく、彼女が昔世話になった人からの受け売りの言葉らしい。

「ピザ好きのお兄さんでね。その彼の人生哲学だったのよ」
「その人、ピザに人生でも懸けてるのかい?」

 人生哲学とは、何とも全身全霊でいるものだ。ピザにやたらと執着していた転生板の住人を思い出す。

「そうかも。美味しいピザは須らく割譲すべきだ、とか言ってたし」
「幸せのお裾分け、ということだろうか」
「俺には宗教勧誘者じみて聞こえるなあ。……お、これ美味いや」

 それが宗教勧誘かどうかはともかくとして、その人物が、ピザに対して並々ならぬ執着を抱いていたことは確かだ。
 ジョンがピザを食べるのを見て、昊希もピザへと噛り付いた。ぶ厚めでふかふかなナポリ生地だ。クアトロフォルマッジのその名に違わず、トッピングには四種のチーズが使われている。ほんのりと香る風味はメイプルシロップだろうか。辛口のワインが供に欲しくなる味だ。
 昊希もすっかりご機嫌となり、二人も安心したようだった。腹ごなしも済んだところで席を立つ。その後は当初の目的通り、服を買いに行くこととなった。

 予想していたことではあったが、店では昊希はカダに着せ替え人形にされることとなった。意外だったのは、ジョンまでそれに加わってきたことだ。

「誰かをこうして飾り立てるって、一度やってみたかったんだよな。でも、女の子の感性も、今時の流行も分からないし」
「そこは『俺色に染め上げてやる』って押せ押せでコーディネートするところよ!」
「俺のキャラじゃないよ、それ。自分の思い通りにしたいだけなら、人形相手で十分さ」
「そうやって、あるがままを全肯定して、離れることすら許容するから、いっつも、『愛してくれているのか分からない』って振られちゃうんでしょ。多少の束縛や執着は示してあげないとぉ」
「なあ、僕もうこれ脱いでいいかい!?」

 いわばこの場の主役に昊希を据えながら、本人そっちのけで何やら話を始める二人に、抗議の意も込めて声を張り上げる。その場で跳ねれば、フリルのたっぷりあしらわれたワンピースの裾がふわりと宙に舞った。先程から、足下がスースーして落ち着かないのだ。早く着替えたい、むしろ、何故これを自分に着せたのかと突っ込みたい。明らかに女児用の衣装だった。

「ええっ、勿体ない」
「うーん、もう少しだけ着ててくれないか? 目に焼き付けるから」
「あ、じゃあ私は写真撮っちゃお」

 カダのスマホから軽快なシャッター音が鳴る。昊希は眉を八の字に下げた。この格好を写真として記録に残されるのはあまり喜ばしくないことだが、今はそれよりもジョンの様子が怖い。
 食い入るように見つめる視線は、どこか鬼気迫るもので、血走るとまではいかないまでも見開かれた瞳は爛々としている。いつもの爽やかさはどこにいったのか。どこか狂気的なさまに、昊希は頬を引きつらせた。
 カダを衝立代わりにして、さっと彼女の後ろに身を隠す。顔だけを覗かせると、しょぼんと萎れたジョンが見えた。先ほどの様子はなりを潜めている。いつもの彼だ。

「あと少しだけ、二秒だけでいいから、じっくり見せて欲しい。お願いだ」
「身の危険を感じたんだが」
「危害は加えないと約束するよ」
「大丈夫、ヘタレだから本当にやらないしできないわ。私も何かあったらすぐジョンを止められるようにしてるから、万が一は起こりっこないわね。尤も、昊希がどうしても嫌なら無理にとは言わないけど」

 昊希はカダとジョンを交互に何度か見て、悩ましげに唸っていたが、ジョンがあまりにも切実に訴えるので、やがて折れることを選んだ。

「……二秒だけとはこっちも言わないから、怖い目をやめて、普通に見てもらえると助かるかな」
「分かった」

 カダの後ろから姿を現わす。頭の先からつま先まで眺めて、ジョンは満足げに頬を緩ませた。どこかうっとり恍惚として、夢見心地な様子だ。普通に見ると了承したはずではなかったのか。

「そんなに気に入った? この服」
「服を着ている君がとても素敵に見える」

 熱のこもった声でジョンは告げた。真摯な告白にも似て、昊希の肌は粟立つ。

「昊希は僕の好みの顔なんだ。正直、生きたまま剥製にしたいくらいに綺麗だよ」
「こわ」

 カダを再びバリケードにした昊希に、ジョンは慌てた調子で言う。

「実際にはしないよ、思うだけだから安心して」
「なかなか難しいことを言うな」

 剥製にしたいと思われている時点で、あまり安心できない。昊希の心の安寧のためには、そもそも、その考えを隠し通して欲しかったところだ。
 そこで突然、昊希の身体が浮遊する。カダが抱き上げたらしい。

「昊希は私の“妹”にするの、剥製になんてさせませ〜ん」
「実際にはしないと言っただろう。精々、昊希そっくりの生き人形をオーダーメイドするだけだよ」
「待って」
「だいたいカダの言う“妹”って、その触手を昊希に植えつけるってことだろう」
「待って!?」

 カダにも安心できない要素が出てきた。昊希は身を捩り、彼女の腕の中をするりと抜け出す。

「ああーっ昊希! ち、違うのよ? 私は決して、貴方を人外なクリーチャーにしたいと言っているわけじゃないの! 危害は加えないわ! ジョンも、誤解を招くようなこと言わないでよね。ほら、訂正して!」
「じゃあ、訂正のためにも確認するけど、カダは昊希を“妹”にする気はないんだね? 触手を埋める気は欠片ともない。本当に?」
「う……」

 言葉に詰まるカダに、ジョンは柔らかな声で語りかける。さながら、諭し導く師のように。

「埋めたいか、埋めたくないか。二つに一つだ」
「埋め……埋めめめ……」
「自分に正直に」
「埋めたい」

 切実に、絞り出すようにそう言ったカダから、昊希はそっと距離をとる。半径二メートル、手の届かない距離だ。カダはバツの悪そうに眉を下げた。少し傷ついたような様子にも見える。

「同意なしにはしないから、そう警戒しないでほしいの」
「同意はしないと思うから、僕には期待しないでほしいかな」
「おのれジョン」

 恨みがましげな瞳をじっとり向けるカダに、ジョンはいつも通りの笑みで応えた。

「俺が言わなくても、いつかこの日は来たと思うけどな。カダの言う“妹”が、ただの言葉の綾ではないと知って、傷付くのは昊希だった」
「……ジョンが昊希を気に入ったって、ママに告げ口してやる」
「それがいいだろうね。彼の安全の為にも」
「えっ、もしかしなくとも今の僕、危険に晒されているのかい?」

 仮の危険人物な二人から、昊希はジリジリと距離を離した。ついでとばかりに、スタンド像も出しておく。
 遠ざかる昊希に、コワクナイヨーと二人が手招きするが、信じていいのか分からない。すっかり警戒心たっぷりな野良猫の昊希に、ジョンとカダは顔を見合わせた。

「未遂な時点で、ある程度信用してくれてもいいんじゃないかなあ、なんて甘いこと考えちゃうんだけど」
「いや、HLに来て日の浅い昊希にしてみれば、この街基準での善良さはゴミ屑同然なんじゃないか」
「どうしよ。ジョンに手錠かければ安心させられるかしら?」
「俺としては、カダを隔離することを提案したいな」

 それからもアレコレと言葉を交わす二人だが、その会話に昊希への悪意は窺えない。そのうち、警戒よりも疲労が勝ってきた昊希は、ぽつりと「帰りたい」と零した。口に出せば、思いは募る。

「もう帰ろう」

 昊希がそう言い、二人の腕を引くと、彼らはきょとんとした表情を浮かべた。

「ありゃ。私たちも一緒でいいの?」

 昊希は頷く。精神衛生上、彼らが昊希に向ける特異な欲は全く歓迎できたものではないのだが、それを理由に彼らから距離をとるほど、昊希は潔癖な人間ではなかった。心の内のみに留めておいてほしかった気はするが。保護者役の彼らなしにこの街を歩けば、トラブル遭遇率が跳ね上がるという世知辛い事情もある。

「その服のまま帰ってくれるのか!」
「いや、着替えるからね?!」

 既にフリルには食傷気味だ。昊希としては、早くこの服からおさらばしたい。ジョンは残念そうに肩を落とした。

「あ、じゃあ触手は?」
「埋めません」

 何が「じゃあ」なのかさっぱり分からない。フリルの代わりだとでもいうのだろうか。カダの提案をさらりと却下して、昊希はてきぱきと着替え始めた。
 身に纏う布が戻ってきて、お馴染みの感覚に少しホッとする。購入予定の服を取りまとめていると、先程まで昊希が着ていたフリルたっぷりな服を、ジョンが抱えて何処かへ持って行ってしまった。
 戻ってきた彼は、購入済みの紙袋を持っている。紙袋の中身は、案の定と言うべきか、例のフリルたっぷりな服だった。

「着ないよ…?」
「着せないよ。これは俺がプライベートで使いたくて購入したんだ。ああ、でも昊希が着てくれるというなら、いつでも言ってくれていいからな」
「私用で女児服を買ったという方が怖いんだが」

 昊希はふるりと身震いして、それから、その服を着たいと言い出す日が、これまでもこれからもないことを宣言しておいた。
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