Holy light,Lonely night



 夜の闇に、色鮮やかなネオンが点滅する。じとりと纏わりつく夏の空気を肌に感じながら、昊希はしばらくの間、眠らぬ街を眺めていた。

「およ。こんな時間まで夜更かしぃ?」

 隣の部屋のベランダから声を掛けてきたのはカダだ。昊希はこくりと頷く。どうにも眠れなかったのだ。
 カダは目を細めると、小さく息を吐き、ベランダの柵に凭れかかった。
 昊希はカダを見つめるが、彼女は昊希に視線を向けずにいる。お互い口は閉じたまま、二人の間に沈黙が横たわる。
 先に口を開いたのはカダだった。

「……ごめんね。キミを騙したかったわけじゃなかったの。少しだけ、言い訳を聞いてくれる?」

 彼女の瞳は街へと向いている。昊希も彼女を見るのはやめて、街へと視線を戻した。遠くに聞こえる銃声と警報音、HLは今日も賑やかだ。

「私ね、ずっと家族が欲しかったの」

 切実なるその声は、やけに昊希の耳に残った。

「憧れてたんだ、そういう形の幸せに。私が独りぼっちじゃないことを証明したかったし、誰かと何かを分け合う喜びってやつを体験したかった。一緒に美味しくご飯が食べられる、素敵な家族が欲しかったの。
 でも、私のそんな考えは、同族たちにとって異端なものだった。……あれは、排他的な自己愛主義者気質とでもいえばいいのかな。愛情を自己完結させるのが得意で、心を満たすのに他人の存在を必要としていない人たちばかり。生きやすそうで羨ましかったけれど、私にはできない芸当だった。一人で食べるご飯は味気なくて、お腹はいっぱいなはずなのに全然満たされてくれないの」

 彼女の背中から、ゆらりと触手が這い出す。昊希はそこで初めて、その触手が淡い燐光を纏っていることに気付いた。触手はどこを目指すでもなく、空中を漂うように揺らめいている。

「私は私だけでは満たされなかった、足りなかった。だって、孤独に傷付いた自分を慰めてやれるのが、世界に自分一人しかいないなんて、寂しくて虚しくて泣いちゃうじゃない。何の慰めにもなってないわよ。
 その飢えはおさまらなくて、私の身は凍えるようで、衝動に突き動かされるままこの街に辿り着いた。
 求める誰かに会えると期待して、日々を過ごしていたけれど、……ダメね。非日常も毎日続けば日常になっちゃう。特別だった毎日は、あっという間に特別でなくなってしまったのに、特別な誰かは、いつまでたっても現れなかった」

 肩をすくめて、カダは微笑んだ。どこか寂しげな色を含んだ笑みからは、彼女の普段の溌剌さは感じ取れない。

「そんな特別でない毎日の中に、急にキラキラしたものが転がり込んできた。私は驚いて、でもそれ以上に嬉しくて。もしかしたら、私の求めていた家族に、“妹”になってくれるんじゃないかって、期待した。それが昊希、キミのこと」

 彼女の視線が、昊希に注がれる。昊希も彼女を見つめ返した。

「昊希といると心地よくて、キミのことはすぐ気に入っちゃった。一緒に食べるご飯も美味しかったし。可愛がるのも楽しくて、世話を焼くことが喜びだった。だから、期待はどんどん募って、いつか、もっともっと仲良くなったら、“妹”になってほしいって言うつもりで、思いを固めてた。もちろん、触手の件は隠さず、きちんと説明した上でね」

 そこんとこ誤解しないように、と神妙な顔で彼女が告げるので、昊希ももちろんとばかりに頷く。
 そんな昊希の反応に、満足げに口角を上げた彼女は、それから、自身の背から伸びる触手へと視線を向けた。

「私たち種族にとって、他種族の者を“妹”にする――触手を植え付けるっていうのは、君たち人間でいえば、指輪を贈るとか、養子縁組するとか、親愛の証なの。同族に迎え入れるってことなんだもの。決して悪いことじゃない、むしろ、祝福されるべきことよ。特に私たちの種族からしてみれば、他者を気に掛ける自体が珍しいことだから、“妹”にすることがどれだけ稀な事態かは分かるでしょ?
 まあ、キミたち人間から見れば、クリーチャーに改造されるのと、何の違いもないんだろうけどさ」

 自虐的に戯けてみせたカダは、頭の後ろで手を組んだ。先程まで揺れていた触手が、たらりと垂れる。
 昊希は暫く考え込み、やがて口を開いた。

「……多分僕は、種族が変わることよりも、カダの家族になることの方に抵抗がある」
「うぇっ!? はっきり言うね!? いや、私も薄々気付いてたけど!!?!」
「ああ……どう伝えたものかと考えていたのだが、やはり、カダの『誰か』は僕ではないのだろう」

 口にしてみるとそれは、昊希にとって妙にしっくりくるのだった。

「味気ない食事には僕も心当たりがあるけれど、カダは僕の食事を美味しくはしてくれないし、僕はその孤独に寄り添ってやれるほどの情をカダへと持ち合わせていない。愛想はいい自覚があるが。多分、カダが欲しいものはそれじゃないだろう」

 垂れ下がっていたカダの触手が、さらにだらんと力をなくした。燐光も心なしかくすんでいる。

「つまりは、清々しいほど私の一方通行だったわけだ。私の心地よさは、昊希が上手に『居心地のいい距離』をつくってくれたおかげで、気が合うとか相性がいいとかではない、と」

 そして、カダとの距離感は、昊希にしてみれば他人に対する対応の範疇だ。カダはそこで溜息を吐いた。

「要は私は、その『他人』の距離が心地よかったのよね。いいように計らってもらえるから。……所詮は自分本位でしかないのよ。私も彼奴らと同じ。うわ、へこむ。自己嫌悪しちゃう」
「『自分』でない人間は、全て『他人』の区分になるさ。違いは自分に近いか遠いかくらいで、それが『他人』であることには変わりない。
『生きるとは孤独であることだ』――これは受け売りだけれどね。世界には自分と自分じゃない人間がいて、突き詰めてしまえばみんな独りぼっちなんだ思うよ」
「それって寂しくない?」
「どうだろう。仲間外れはいないけれど」

 他人が独りぼっちであれば、自分の独りぼっちが平気になるというわけでもない。孤独との付き合い方は人それぞれだ。
 カダはやれやれと肩を竦めた。

「私では耐えられそうにないわ」
「だろうね。……カダは、自分の種族を排他的な自己愛主義者気質だと評していたが。触手を埋めた相手を同族にする生体システムがあることを思えば、種としては排他的というよりむしろ、他者を取り込むようにできてるのかもしれない」
「慰めてくれてるぅ……」
「それから僕としては、外面のいい人間の悪意にカダが引っ掛かってしまわないか、物凄く心配になってしまった」
「そーやって優しくするぅ……悔しい、でも喜んじゃう……」
「ご飯が美味しく食べられるだけでは駄目なのかい? “妹”にすることに拘らなくとも、カダだけに都合のいい関係であっても、結果として満たされることに変わりはないだろう」

 要は、条件を緩めたらいいのではないかという提案だが、昊希のそれに、カダは笑って首を横に振る。

「それはね、そうなってしまったら、もう私の欲しいものじゃないのよ。飢えているのに、選り好みをしているなんてわがままよね。でも憧れて、願うのをやめられないの。諦められたら、苦労しないわ。
 ……そういう、未練がましかったり、無い物ねだりしちゃったりするところ、私達はけっこう似てるから、いい家族になれると思ったんだけどな」
「美味しくご飯を食べたい気持ちがあるところも、似ているね」
「惑わせないでよお……! くっ、これで相性いいとか思っちゃダメだ……。…………ねえ昊希、やっぱり考え直さない!? 身体が造り替えられる時はちょーっと痛いかもしれないけど、それだけだし。触手は使える腕が増えると思えば便利、怪我も治りやすくなるよ。ほら、ね?」

 先っちょ、先っちょだけだから、などと言いながら触手を近づけようとするカダに、昊希は頬を引きつらせる。

「君が考え直してくれ。諦める苦しみよりも、追いかける苦しみを選んだというのならば、その意志を強く持ってほしい。健闘を祈る」
「つれない!! 絶対昊希は触手似合うのに! 第三第四の腕、欲しくない?」
「それは間に合ってるかな」

 そういうものは、昊希にはスタンドで充分だ。よく伸びるしよく広がる。分裂はできないが。

「え、なになに。人体改造? 生体兵器取り付けられちゃった?」
「そういうものではないから、大丈夫だよ」
「ふうん? あんまり危ない真似しちゃダメよ」
「善処する」

 昊希は神妙に頷く。尤も、確約は致しかねた。それはカダも分かっていたようで、仕方ないなと言わんばかりに苦笑する。
 それから、思い出したように一度室内へと入り、手のひらほどの大きさの小瓶を持って戻ってきた。瓶の中には、少し緑味がかった琥珀色の液体が詰められている。

「お酒かな」
「そう。ベイリーフ酒、って言って分かる?」
「いくつかの種類の香草が、どれもベイリーフと呼ばれていた気がするよ。この場合、ローリエの風味がつけられた薬用酒、かな」
「正解。ローリエ、もとい、月桂樹の葉っぱで風味付けられたお酒」

 小瓶が揺らされ、中の液体がたぷんと揺蕩う。店には並んでいなかった酒だ。彼女はその小瓶を昊希へと差し出した。

「キミにこれをあげる。飲んじゃダメよ? アルコール度数は大したことないシロップみたいなものだけど、そういう用途で渡したんじゃないから。これは、私から昊希を守る為のものなの。
 端的に説明すると、この中身を私にぶちまければ、私を無力化することができるわ。私と同種の異界人以外には効かないはずだから、これがお酒だって問題さえ除けば、昊希が持ってても心配ないものよ」
「……ええっと、異界の防犯アイテムか何か?」
「異界の技術とは関係ないわね。私の種族限定の特効毒といったところかしら。私も、どういう原理でコレが私達に効くのか、きちんと理解しているわけではないのだけれど、半日は動けなくなる。命を脅かすほどのものではないから、実用性のある魔除け虫除けの類ね」

 カダがその効果に気付いたのは、料理の風味付けにキッチンに備え付けられていたベイリーフ酒を使った時らしい。効果のことは、既に支配人と情報共有されている。

「月桂樹を用いていて、薬であるというのがポイントでね。種族の興りに組み込まれた呪いが、月桂樹の霊性や薬の属性と概念的に相性最悪だから、成分的には問題あるものでなくとも、それが作用するんだと思う」
「オカルトの匂いがするね」
「昊希の好きそうな話でしょ」
「ああ。そういうことには興味がある」

 カダの差し出した小瓶を、昊希は指先でちょんと小突く。彼女の話からして、シロップ呼ばわりということは砂糖が随分入っているのだろう。昊希の好みの酒とは異なる味が想像されるので、飲み物としてより、不思議な効果のあるものとして気になった。
 カダは小瓶を手渡そうとするが、その前に昊希は手を引っ込める。

「しかし、これがなくとも、僕はカダに危害を加えられたりしないと思うよ」
「いつも慎重なキミはどうしちゃったの? 保険は持ってた方がいいでしょ! ママの賛同は得ているわ。ほらっ、受け取るの!」

 逃げる昊希の手を、カダの触手が捕まえる。その手に押し付けるように、昊希は小瓶を握らされた。なかなか強引だ。

「そう簡単には割れないから、ポケットにでも忍ばせておけばいいと思うわ。危ないと思ったら、躊躇せずに使うのよ」
「カダがそれを説くのか……」

 安全装置があれば、危険を冒してもいいというわけではないはずだが。この小瓶の存在は、これからもカダと昊希が行動を共にするために、必要なものなのだろう。昊希がそれを所持している事実が、重要だというべきか。
 昊希が手を握り込めば、小瓶のフォルムはその大半が隠れてしまう。昊希は形を確かめるように、手の中で回転させながら何度も握り込んだ後、自身のポケットにそれを収めた。
79/84
←前  次→
< 戻る  [bkm]