Holy light,Lonely night



 誰と共に食べようと、それが一人で食べていたとして、美味しいものは美味しい。少なくとも、昊希にとってはそうだった。
 だから、昊希の味覚に関わるとすれば、それはきっと誰が作ったか、ということになるのだろう。

「やあ、昊希。人捜しは順調かい?」
「……ジョン」
「その様子だと、見つかっていないな。それでも、諦められないって顔だ」

 その通りだった昊希は肩を竦める。
 暇さえあれば、億泰達を見かけた通りやその周辺をうろつき、時に不埒な輩に絡まれながらその姿を捜すのだが、一度として彼らの姿を見つけられた試しはない。ジョンは柔らかく微笑んだ。

「そうだね。でも、昊希本人が捜しに行くのはもうやめた方がいい。悪い大人に目を付けられている、君が危険だ」

 穏やかな声で告げられる、穏やかでない話に、昊希は目をぱちくりとさせた。
 不思議と、冗談や嘘の類には聞こえなかった。あのような調子で人探しをしていれば、起こり得ると予想していた範疇の出来事だ。それよりも、何故彼がそれを知り得たのか。そのことの方が気になった。
 そんな疑問が昊希の顔に出ていたのだろう。ジョンはそれに答えるように、彼の知ることを話し始めた。

「この間、君をモデルにした人形を作ってもいいか訊いただろう?」
「僕は何も聞いていないことにする」

 許可を求めてきたジョンに、昊希は自身の精神衛生のため、やるのであれば与り知らぬところでやってくれと頼んだばかりだった。断ることも考えたが、その場合人形があればそちらに向けられるであろうジョンからの諸々を、昊希自身に向けられる危惧もあった。
 ジョンは爽やかで愛想良しのお兄さんだが、服屋で向けられた彼の視線を昊希は忘れていないのだ。自分の形をしたものが作られれば、それがファンシーな衣服とフリルに塗れることは想像に難くないが、その姿を自ら進んで想像したいとも、ましてや現物を見たいとも思わなかった。
 だからこそ、できることならば二度と話題にはしてほしくなかったのだが。
 ジョンは困ったように笑った。

「昊希の安全に関わることだからね。まあ、聞いてくれ」

 座るかい? とジョンが椅子を引く。昊希はありがたくそこに座りつつ、長い話になるのだろうと背凭れに体重を預けた。
 ジョンは二人分のコーヒーを机上に置いた後、昊希の向かいの席に座る。

「君の許可を得たから、大手を振って人形師に依頼したんだけれどね。君の写真を見せたら驚いていたよ。君にはどうやら、非合法な連中がいるような黒い界隈で高額の懸賞が掛かっているらしい」

 昊希にとって考えられる範疇の出来事だったとはいえ、その情報をジョンが運んできたことが意外だった。おそらく、その人形師がアンダーグラウンドな世界にも関わりのある人物なのだろうが。そんな人形師との人脈があるあたり、ジョンの人形趣味が一気にきな臭くなってくる。
 可能性に思いを巡らせるほど、精神衛生上よろしくない考えが浮かんでくる。それ以上ジョンの闇を覗くのは、今後に差し障りがありそうだったため、昊希はジョンについて考えることをやめ、目の前のコーヒーカップを手に取った。

「幸いその人形師とは懇意でね。俺の持っていった写真はその場で処分して、口止めにも応じてもらった。脳抜きには対処しようもないけれどね」

 脳抜き。HLに来てから聞くようになった単語だ。異界の技術では、人体から脳を摘出し、そこからその人の記憶および情報を得ることができるらしい。
 そうはいっても、噂の範疇でしかしらないことであったため、そんな事象が身近に話題に出てきたことに、昊希はまた一つこの街の『日常』に新鮮さを覚える。

「その懸賞に関しては、布を被った東洋人の少女だという情報と、解像度の低い写真一枚しか出回っていないらしい。
 それで昊希に訊きたいんだけれど、悪い人に睨まれたり、狙われたりすることに心当たりはないか? もしくは、君によく似た少女がいるとかね。もし後者なら、俺にその少女を紹介してほしいな」
「そんな少女は知らないかな」
「それは残念」

 或いは、昊希の母親ならばよく似ていただろうが、この街にいるとは思えず、ジョンに話すこととも思えない。昊希がわざわざそれを口にすることはなかった。
 何にせよこの件は、昊希本人が狙われている可能性が高いのだろう。

「僕が狙われているという話なら、心当たりは幾つかあるけれど、どれが該当するのかは分からないな」
「ヒューッ、やるね」

 ジョンは楽しげに口笛を鳴らした。そんな反応でいいのか。

「しばらくは人捜しを控えた方がいい。心当たりがあるなら尚更だ。外出するにも、誰か大人を連れて行くことを勧めるよ。俺……では荒事に対応できないだろうから、非番中のテリーとかね」

 コーヒーカップを片手に、昼下がりのコーヒーブレイクを楽しむようなにこやかさでジョンは言う。空になったカップを持て余しながら、昊希は曖昧に微笑んだ。
 ──その忠告をもっと真面目に聞いておけば、こうして命の危険を感じながら、街中を逃走する羽目にはならなかったのだろうか? 


 その日はHLにとっては特段珍しくないWいつもの昼下がりWで、昊希はジョンに忠告を受けた後の、何度目かも分からない虹村親子捜索に出ていた。
 道行く人への聞き込みはしない、下手にできない。昊希がどんな人物を探しているという情報が流れては困るからだ。故に昊希は、非効率的な捜索に甘んじていた。
 この広い街中、一度見掛けた場所の近辺に絞っているとはいえ、目的の人物を捜し出すというのは、人ひとりの力では難しい。
 昊希が視線を落としたのと、その小動物が路地裏に入り込んできたのはほぼ同時だった。

 ――かわいい。
 白い……猿、だろうか? くりくりと大きな瞳は昊希の視線に気がついたようで、じっと昊希のことを見つめ返してきた。猿の目に浮かんでいた警戒、怯えの色は、昊希が見ているだけだと分かると、すぐに好奇に変わる。
 しばらく見つめ合う時間が続き――、猿の方がこてん、と首を傾げた。仕草まで愛らしい。
 これが小動物に擬態した異界生物であれば、人々はこのまま捕食されてしまうに違いない。そんな物騒な生き物ではないと思いたいが。

 しゃがみ込んだ昊希は、その白い猿にそっと手を差し出してみる。白い猿は不思議そうな様子で、黒い手をてちっと昊希の上に置いた。昊希の手が取れたり壊死したりするようなことはない。一先ず害はないようだった。

「野良、にしては毛並みが綺麗だね。お洒落にしてるのかい?」

 昊希がそう言うと、その猿は得意げに胸を張るので、昊希は小さくぱちぱちと拍手した。
 なるほど、この猿は人語を理解している。そういう方向で異常な生き物だったらしい。HLなら珍しくないのだろうが、昊希には未だ興味深い事柄だ。この小さな身体の小さな脳容量で、何がそれを可能にさせているのだろう。言語が理解できるということは、それだけ高度な思考も可能だということだ。
 最初に警戒してみせた割には、人慣れしている様子もあるので、仲のいい人間がいるのだろう。先人がいると分かれば、昊希もコミュニケーションを試みたくなる。

 ここで互いに興味のありそうなことといえば、……食、だろうか。昊希は自身の服のポケットをまさぐり、ドライフルーツを取り出した。自分で食べてみせてから、もう一つ取り出して、猿へと差し出す。
 猿はその小さな手を伸ばしてドライフルーツを受け取った。昊希がどうぞ、と示せば、可愛らしい仕草でかじり付く。その味がお気に召したのだろう、目を輝かせた彼は、ぺろりとひとつ食べ切った。まだ足りない様子で、昊希をじっと物欲しそうに見つめてくる。
 二つ、三つとあげれば、それもまたぺろりと平らげて、猿は満足そうにケフと息を吐いた。

 すっかり警戒も解けたのか、猿は昊希が手を差し伸べると、心得た様子で手の上に乗っかり、腕の中を駆け回った。小さな命が腕の中で動いている。確かに活動している。それが妙にこそばゆい。

 可愛い生き物だ。
 肩にまでのぼってきて、頬にてちっと手のひらを当ててくるその猿に、昊希の心はほっこり和む。
 しばらくの間戯れて――、ふ、とその表情を固くする。

 何者かがこちらに近付いている。

 昊希のスタンド射程範囲は10m。昊希は半径10mの範囲に自身のスタンド像を広げていた。索敵に引っかかったその何者かは、細く入り組んだ路地を、迷うことなく昊希の居る方へと突き進んでいる。
 昊希の『お願い』は、相手に聞かせなければ有効ではない。相手の姿が見えていない現段階では使用できない。
 腕の中にいた猿を、昊希は地面へと下ろす。

「どうやら僕にお客様のようだ。君が巻き込まれてはいけないからね」

 真剣な様子で伝える昊希に、キリッとした顔で猿は頷いた。
 居なくなるのは一瞬だった。空気を裂くような音がしたかと思うと、猿の姿はもうどこにもなかった。
 えっ、早い。
 しかし昊希に、驚いている間はなかった。

「ようやく見つけたぜ、ったく手こずらせやがって」

 男は歯を剥き出しに笑う。彼の吸っていた煙草の煙が、ゆらりと揺蕩った。昊希は男を観察する。
 形状は人、浅黒い肌に銀の髪、白寄りのモノトーンな服装。猿をちょうど擬人化したらこんな感じだろうか。否、あの生き物はこんな刺々しさはもってなかった。同種族の別形態等でなく、別の生き物だと昊希は推測する。

「大人しくしてもらおうかぁ〜!」

 男は端正な顔立ちをゲスく歪めて、手をわきわきと動かした。嫌すぎる要求だ。
 昊希は男の表情に、ふと既視感を覚える。どこで見た姿かと記憶を探れば、なるほど、目の前の彼は、いつぞやに路地裏で危ない目をして笑い転がっていた男だった。
 ――逃げよう。
 昊希の判断は早かったが、男が昊希に追いつく方が早かった。待て待て待て、早すぎる。
 脚のリーチ差は顕著だった。男のたった三歩が昊希を追い詰めている。落ち着いて『お願い』をする暇もない。
 慌てて身を翻すも、昊希愛用の布を掴まれ、捕まえようとする彼と抜け出そうとする昊希で揉み合いになる。

 スタンドを絡みつかせようとすると、男はすぐさま跳び退いた。予想外の動きだ。お陰で昊希は男と少し距離が取れた。
 男は、昊希のスタンド影響下にはない壁に足を掛け、こちらを警戒するように見つめている。

 スタンドが見えている? いや、野生のカンらしい。昊希がスタンド像を揺らめかせても、その視線は追いかけてこない。しかし、ひと度男に触れようとすれば、男はひらりひらりとそれをかわすのだった。なんて末恐ろしい存在だろうか。
 何度スタンドを伸ばしても避けられる、それどころかスルスルと赤色の触手? いや、液体? のようなものをこちらに伸ばしてこようとするので、昊希は慌ててスタンドで弾く。
 スタンド像に干渉できないようであるから、やはりあれはスタンドではなく、彼はスタンド使いではない。これだからHLは! 万国びっくり人間ショーが日常茶飯事で開催されるから困る。

 駆け出したところで、視界を逃れた液体が身体を絡めとろうとする。昊希の意識の外までは、スタンドではカバーできない。もがき、すんでのところで布を脱ぐ形ですり抜ける。昊希愛用の布は、どうやらここでお別れらしかった。
 惜しむのは後だ。昊希はまた、路地裏を駆け出した。そうして追い掛けっこを始めてそう経たず、正面に人影が現れる。

「いたぞ! 例のガキだ」

 その声に反応して、人影はぞろぞろと増えていくのだから笑えない。今日はとことんついていないらしい。ここで足を止めては、後ろから追いつかれてしまうだろう。
 一か八か。昊希はくるりとUターンし、駆け出した。目指すは銀髪の男の正面突破だ。自身の正面にスタンド像を持ってきて、例の赤い液体には捕まらないように注意を払う。

「おっと、いいぜ。こいよチビっ子、守ってやる。お礼は五年後に――」

 男は大手を広げて何か言っているが、昊希がその言葉を聞くことはなかった。
 ただで擦り抜けさせてはもらえないことは分かっている。その腕が昊希の方へ伸ばされているのをいいことに、昊希の方から腕に飛び込みしがみつく。
 だらしなく頬を緩ませた男は、次の瞬間には、何かに気付いたように目を見開いたが、もう遅い。昊希のスタンド像が、男に触れていた。

「『お願い』だ、ここで彼らを足止めしてほしい」

 用も済んだところで、昊希は男の腕から飛び降り、逃走を再開する。

「うわっ、クソ、待て!」

 声を張り上げながら伸ばした手は、当人は昊希を追おうとしたのだろう。しかし、迫る人影たちを掴む。少しの混乱の声がしたが、銀髪の男がそのまま人影たちを殴るより、『お願い』の時間切れの方が早かった。
 この時間が今の昊希に稼げる精々だ、この間に逃げ道を見つけなければならない。子供の足を必死に動かし、周囲を探す。
 後ろでは、俺が見つけたんだぞと言い合って、揉み合いながら追いかけてくる足音が幾つもあった。そのままいがみ合っていてほしい。

「……まずいな」

 走って、走って、どれくらい走っただろう。
 入り組んだ道を幾つも入った先で、辿り着いたのは、行き止まり。
 この間に幾らか撒けたらしく、追いかける足音は減っていたけれど。あの銀髪の男は野性の勘さながらに、ずっと追いかけてきている気配があった。

「おーい、どこでちゅか〜! ホラ、いい加減出てこいよぉ。何もしねえ〜って」

 そんなわけがあるか! と昊希は心の中で言い返す。
 声のした方からは更に、物の壊される音。昊希が道中でせめてもの妨害にと倒した箱やドラム缶やは大した足止めにはなってくれなかったらしい。精々が鳴子だ。
 このままでは、追いつかれてしまう。

 また『お願い』で切り抜ける? 彼に同じ手が使えるだろうか。咄嗟に触れようにも、あれでいて彼は隙がない。彼の追いかけて来られない場所があれば、あるいは。
 そうして思案に空を見上げた時、壁の穴から伸びてきた手が昊希を掴んだ。

「――ッ」

 昊希の息が詰まる。警戒はしていたはずだった、なのに気付かなかった。
 確かに周囲の建物は、風通しの良さそうな穴が度々空いていた。そこに引き摺り込まれたのだ、と遅れて理解する。そこで見たものに、また混乱の種が投げ込まれることになった。
 肥大化した腕、弛みぶよぶよとした感触が、強く強く腕に巻き付いていた。腕を辿れば、ずんぐりとした肉の塊が視界に入る。黒い瞳と目が合った。

 異界人? いや、違う。
 彼は、虹村兄弟の父親だ。

「親父ぃー? 移動するぞ、ちいとばかし騒がしくなってきたからよお」

 知っている声が耳を打つ。いや、この世界では、昊希は初めて聞く声だった。
 勢いよく振り向けば、知らない位置に目線が届く。そういえば今の自分はそうだった、と、昊希はその顔を見上げる。
 ――ああ。億泰君だ。

「どうしたんだ、そいつ」

 問いかける億泰の声に、ぼろり、と虹村父の瞳から涙が零れた。

「ちょ、ええ!?」

 驚く億泰。昊希も戸惑い身動ぎするが、虹村父は泣いて昊希を抱き締めているばかりだった。
 どうしても手放そうとしない虹村父に、億泰も困ったような様子でいる。ここを離れたいのは昊希も同じだ。足音が路地に入ったのに気付き、急ぎ億泰に声をかけた。

「あの、僕、一緒に行きます」

 だから、このまま連れて行ってください。
 その言葉に億泰は小さく頭を掻いてから、昊希ごと虹村父を抱え上げた。




 そうして、昊希は”彼”と再会するのだ。
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