8x3honey

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テーブルの上の巨大パフェは既に半分近くなくなっていた。これでもかと乗っていた苺は残り僅か。今しがた生クリームの海に溺れていたミカンが顔を見せたところである。
最後にコーンフレークだけ残るなんてことにならないよう計算してバニラアイスを食べている由仁は、流星隊の面々が見守る中『巨大パフェ食べきりチャレンジ』に挑戦していた。


「でもほんとによかったのか」

千秋の問いかけに、由仁は目だけを上げた。

「ライブを手伝ってくれたお礼がバケツパフェだなんて。」
「いーんですよ。一度挑戦してみたかったんです。でもほら、さすがに食べきれなかった場合の3000円を払うのは嫌でしょ?皆さんが奢ってくれるなら、5人だから、ほら。ひとり600円。」
「由仁が時間内に食べきったら0円になるんだぞ」
「じゃあその時はまた別に考えます」

喋りながらもスプーンで生クリームを掬い、パフェは一部、また一部と由仁の口の中へ消えていく。

「なんだか ほんとうに たべきれそう ですね?」
「時間、まだ半分くらい残ってますしね……」
「俺見てるだけで気持ち悪くなってきたっスよ〜」

由仁を応援している間小腹が空くだろうと注文したフライドポテトはほとんど手がつけられていない。パクパクと食べ続けているのは由仁だけなのに、由仁以外の面々の方が顔色が悪かった。
対する由仁は1口食べるごとに本当に幸せそうにしているから、これはマジで食べ切るかもしれないぞ、と五人の応援にも熱が入る。
「あと少しでござる!」
「イケる!イケるっスよ由仁さん!!」
1日の総摂取カロリーを気にして朝から何も食べてこなかったという由仁は絶好調だ。
食べながら左の握り拳を差し出してきたので、千秋は頑張れの念を込めた握り拳をつくってコツンとやった。




結局由仁は4分と26秒を残し見事パフェの器を空にした。
「おなかぽんぽこりんなんですけどー!」「ふぐみたいです〜」と奏汰と笑ってる。

お会計の必要はない。何となく全員が全員勝ち誇った顔で店を出て、そこでようやく由仁に対するお礼がお礼でなくなったことにハッとした。

「どうする?由仁。何かあるか」
「えー。何かって言われても特に何も……」

チャリのブレーキを上げる由仁が思案して黙った。

「……あの、」
「おう!何でも言ってくれ!」
「…………ヒーローショウ。」

神妙そうに呟いたのは聞き慣れた単語。言葉足らずのそれに首を傾げると、由仁は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「……ヒーローショウ、やりたいです。あたしが主役で、みんなが、その…………、」

千秋はなるほど!と手を打った。

「由仁が主役で、俺達が悪役だな?わかった!みんな、いいだろう?」

肯定の返事が全部で4つ返った。
「悪役するのも勉強になるんスよね〜」「俺、着ぐるみがいい……ゆるキャラ系の。」
「うまくできるでござろうか」
賑やかな中で由仁ひとりが、そっと…………ほんとうにちいさく、ため息をついた。





◇◇◇◇




「ねえ」

ヒソヒソと声をかけてきたのは鉄虎だった。

由仁がパフェを食べきってしまったので、次会う約束をしてひとまず『由仁さんにお礼をしようの会』は解散だ。忍は放送委員の仕事、先輩ふたりは用があるとか言って学校に向かったので、残っているのは鉄虎と翠だけだった。
「……どうしたの?」
2人しかいないのに、何故かヒソヒソ話す鉄虎につられて翠も小声になる。鉄虎はイタズラっ子の顔をしていた。

「由仁さんのこと追っかけてみないっスか?」
「ええ?なんで?」
「由仁さん、いっつも用事あるーって言って先に帰っちゃうのに、何の用事かいーーーっつも教えてくれないじゃないっスか。」
「……まあ、確かに。気になるよね。」

商店街の向こうに目を向ければ、チャリを引いて歩いていく由仁の背中が見える。人が多いところでは自転車に乗らないあたり由仁も律儀だ。
こういうところがたぶんリーダーに似ているのだなと考えていたら、「この間隊長もこの道自転車引いてたよ」と翠が呟いたので吹き出しそうになった。

「あっ」

遠ざかる由仁が右に曲がった。

「行くっスよ!」
「ちょ、ちょっと」

走り出した鉄虎に少し遅れて、翠も駆け出した。


男子高校生の足で曲がり角まではあっという間に辿り着き、そろーっと顔だけ出して様子を伺う。
由仁はまだチャリをカラカラ引いていた。好都合だ。

「由仁さんの家ってどの辺?」
「学校挟んで駅の反対方向ってくらいしか知らないっス」

由仁が振り返ってもすぐには気付かれないくらい、かつチャリに乗られても見失わないくらいの距離を保って歩く。

すれ違った散歩中の犬に気を取られた由仁が振り返りかけて、慌てて路傍の車の陰に隠れた。
ぐいと押される。
ほとんど自分の方に突っ込むようにしてきた鉄虎の肩を押さえて支えてやって、顔を見合わせた。

「……なんだかちょっと」
「……楽しくなってきたね」

気分は探偵だ。


「でもどうして急に?」
赤メッシュの入った黒髪を見下ろして問う。
鉄虎はだって、と口を尖らせた。

「由仁さん、何か悩んでるっぽいのに全然言ってくれないんスもん。せめて何に悩んでるか分かれば力になれるのになって」

翠は感心した。
もっと下世話な理由かと思っていたのに、想像より幾分も優しいそれはじんわりと心をあたためる。
自慢の友達。
「……わかった。最後まで付き合うよ。」
そう来なくっちゃ。と鉄虎はにっこりした。




人混みを抜けると由仁はいよいよ自転車に跨った。

「本番はここからっスよ」
「……うん。」

空手部とバスケ部が本気で走って、自転車を追いかける。
十字路、左。ローソン、GEO、すき家を通り過ぎてもう一度左。閑静な住宅街。

幸い由仁は余り速度を出さなかったので、そう苦労せずに追いかけることができた。
赤信号で止まる由仁の10mほど後ろで息を整える。

「はぁ……あれ、ねえ。この辺りって……」
「あ、青っスよ翠くん!」
「ひ、ひええ」

遮られてうやむやになった言葉の先は、「高級住宅街だよね?」。
右も左も敷地がとんでもなく広い家が続く。


ふいに由仁の速度が上がった。
「げ。」気付いた鉄虎が顔を顰める。

道の先は長い下り坂であった。




◇◇◇◇



「どこ行ったんスかねー」

坂道の間にぐんぐん差を広げられたふたりはすっかり由仁を見失ってしまった。しかし諦めきれず、クールダウンも兼ねてゆっくりと知らない道を歩く。

「見つからないね……」
「たぶんこの辺だと思うんスけど…………それにしても、」

鉄虎は右を見た。翠は左を見た。
右にも左にも高い塀。
歩き続けていると時折大きな門が見える。

「なーんか由仁さんのイメージじゃないような……?」
「まあ、此処に住んでるって決まったわけじゃないしね。通りかかっただけかも。」

初めて歩く道は物珍しく、ふたりはここに来た目的も半ば忘れてキョロキョロした。
日本家屋、と言うのだろうか。石や木の塀に囲まれた瓦屋根。時折見える敷地内には砂利が敷き詰められた庭がある。
「俺、あれ知ってるっス。『枯山水』って言うんスよね。」
うん、と頷いて、由仁のイメージとの合わなさに首を捻る。


「──それではお招きありがとうございました。」
「いえいえ、お気になさらず。」
「由仁ちゃんも、ありがとうね。」

聞こえてきた会話に二人してハッとした。
目の前には高そうな車が停まっていて、声は塀の向こうから聞こえる。

「本当に、立派になられたこと。ついこの間まで赤ん坊だった気がしますのに。歳もとるはずです。」
「子供の成長とは早いものですからねぇ。」
「可愛らしくてしっかりした跡継ぎがいて、宗家も安泰ですね。」

姿は見えない。
ふたりは聞こえてくる会話に耳をそばだてた。

「それでは、また参ります。由仁ちゃんも、御見送り有難う。」
「いえ。」

息を呑む。
聞き間違えたのでなければ由仁の声だった。

これは確実に塀の向こうに由仁がいると踏んで、背伸びをして向こう側を覗き込んだ翠が不自然に固まった。
「……翠くん?」
首を傾げた鉄虎の後ろを黒のアウディが走り去って行ったが、ふたりにとってそれは然して重要ではなかった。鉄虎の呼びかけに、翠は油をさしていないブリキのオモチャのような動きで振り返る。

「…………ゆ、夢を見てるのかも」
「何がっスか」
「だって、由仁さんが、」



「鉄虎くん……?翠くん……?」



弾かれたように振り返った。
立派な門の向こう。鉄虎にとって世界を隔てるようにすら感じる境目の向こう側に、上品な着物を着た由仁が呆然と立ち尽くしている。

「由仁さん……?」
「どうして……ここに…………」
「えっ、いやっ、あのっ、これはそのっ」

驚きで動きを止めていた由仁の時を進めたのは、敷地内からの呼びかけだった。
「由仁さん?どうなさったのです?」
丁寧な言葉遣いだ。誰だろうと首を捻った鉄虎の疑問は由仁によって解消された。
「お母様……」
顎が外れるかと思った。それくらい驚いた。『お母様』なんて呼び方、綺麗な着物、まるで昔話のお姫様みたいだ。

お姫様はにこと微笑む。

「学校の後輩です。道に迷ってしまったみたい。大通りまで送ってきます。」
「そうですか。由仁さんがいつもお世話になっております。由仁さん、しっかりお送りしてさしあげるのですよ。」
「はい、お母様。」

行きましょう、と声をかけられた。
鉄虎と翠はすっかり何も言えなくなって、黙って由仁の後に続いた。






無言のまま、今度はお姫様姿の由仁に連れられて来た道を戻る。
何も言われていないのに、由仁は何も言ってはいないのに、ひどく傷つけてしまった気がした。
沈黙に耐えかね、鉄虎が口を開く。

「あの、由仁さ」
「センパイには言わないで。」

前を向いたまま食い気味に言った。

「お願い。」

懇願であった。

鉄虎と翠は顔を見合わせて、「はい」と返事をした。
由仁が言う『先輩』がどちらの先輩のことなのかなんて分かりきったことだけれども、どちらの先輩にも言わずにおこうと決意させるほどには、なにかに怯えた小さな背中だった。


由仁はまるで懺悔をするように、道すがらポツリポツリと自分のことを話してくれたけれど、鉄虎にも翠にも話の半分も分からなかった。
分かったことと言えば、由仁の家が凄くお金持ちで、由緒正しき茶道のナントカ派の家元だということ。必ず世襲制でなければならないという決まりがある訳では無いが、由仁が跡を継ぐだろうことがほぼ確定していること。由仁はひどくそれを嫌がっていること。それくらい。

学費を払うためにバイトをしているのだとか、用事があって忙しいとか、将来は役者を目指してるだとか、小さな小さな嘘をいくつもつかれていたことは大して気にならなかった。きっと嘘をつかれていた自分たちより、ついていた由仁の方が傷ついた顔をしていたからだ。

大通りまですぐそこというところで立ち止まり、「嘘、ついてて、ごめん」と笑った由仁の顔が頭から離れない。

「何であんなこと言ったんスかね」
「あんなこと?」
「『センパイには』」

必死な声色が思い出されたせいで皆まで言うことはできなかった。

「……否定されると思ったんじゃないかな。」
「何を?」
「隊長、変なところで現実的だから。茶道の大きい家の跡取りって決まってるなら、そっちを優先しろって言われると思ったんじゃないかな。」

有り得なくはないと思った。
いつも通りのあの笑顔で、『こんなところにいていいのか?おまえにはやることがあるだろう』。絶対に言わなそうにも思えたが、言っているところも容易に想像できる。

「……そっかぁ。」

鉄虎は鬼龍紅郎を思い浮かべた。

「憧れてる人にそんな事言われたら、確かにすっげーツラいっスね。」

夕暮れ。橙色に染まる道を歩きながら遠ざかっていく由仁の背中を思いだす。

萎れたようなその姿に、身勝手な罪悪感が疼いた。




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