8x3honey

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「とんだ隠し玉を持っていたものですね。」


珍しく話しかけてきた日々樹渉はにやにやと笑っていたが、生憎と千秋には何のことかさっぱりだったためリアクションは取らずにいた。
それと分かる行動を取らずとも、まるで黙ると死ぬかのように喋り続けるのがこの男だ。勝手に喋り続けてくれるだろうと思っていたら、案の定フフフと上機嫌に笑って、「憂木由仁。」
聞き慣れた名前を口にした。


「私立夢ノ咲学院演劇科2年。身長155センチ、体重は……おーっと、これは黙秘しておきましょうか。役者としては小柄ながら、スーツアクターとしては恵まれた体型だと言えるでしょう。去年の中頃から妙に身が軽いことで有名になり、以降殺陣やアクションのある劇では主役級を総嘗めにしている演劇科期待の星。一番最近演じた主役は巴御前で、ええ、そうです、観に行きましたとも。実は私彼女のファンでして。」

嘘だかホントだか分からない情報がツラツラと並べられる。

「ただの役者にしてはなかなかにアクロバティックな動きをすると思っていましたが、なるほど、貴方のお仲間だったのですね。」
「ああ。バイトの後輩だ。」
「バイト……というと、スーツアクターの!ああそれならば納得です。最初は何かスポーツでもやっていらしたのではないかと思っていたのですが、彼女の動きはあくまで『魅せる』もの。スポーツのそれとは明らかに違いましたからね。先日のあの展開はどこからどこまでがアドリブだったのです?」
「どこから、と言われても……」

ほとんど全てアドリブのようなものだったから、千秋は苦く笑った。

「リハーサルと違ったのは、由仁が登場してから退場するまでの全部だな。」
「やはりそうでしたか!フフ、素晴らしい才能ですねぇ。楽しかったですよ。彼女が私の仮面を持っていってしまった時には、何事かと思いましたけれど」
「そういえば、あの仮面はおまえのものだったな?由仁が失礼した。早く返すように言おう。」
「いえいえ、あれだけ楽しい即興劇を見せてもらったのです。褒章としては十分。アレは彼女に差し上げましょう。なぁに、構わないのですよ。私は同じものをあと4つ持っていますから」

ウインク。
気にも止めずに「そうか、ありがとう」と告げると、機嫌よく笑顔を返される。

笑顔は仮面だった。
表情は変えぬまま、声のトーンだけが不意に下がる。

「……気をつけてあげてくださいね。」

道化の面を貼り付けた男は言う。

「あの子は私と同類ですよ。日常的に仮面を被り、それが己であると己すら錯覚させようとしている。友に、自分に、愛する人に嘘をついて、ついて、ついて、つき続けた結果、彼女は彼女として立っている。」
「……何が言いたい?」
「気付いているでしょう!見ないふりはおよしなさい。建設的ではありませんよ。」

手後れになる前に、手を打つことをお勧めします。

言いたいことを言うだけ言って、日々樹渉はB組の教室に消えた。
残された千秋は考える。

『センパイ』

脳内の由仁があけすけに笑った。
千秋への信頼が透けて見える顔。

勿論、今の関係になるまでにはそれなりの時間があって、それなりの出来事があった。嫌われているとは思ってないし、先輩として好かれている自信は大いにある。
しかし、由仁が意識して千秋に何かを隠していることは事実だ。

(話してくれるなら、聞いてやりたいが……なんというか、うーむ……)

女の子の悩みなんて何て言って聞き出せばいいかすら分からない。
千秋はアイドルのたまごで、流星隊のリーダーで、バスケ部の部長で由仁の先輩であるが、何より高校生男子であった。





「あ、そうそう」

日々樹渉の声。B組の出入口から顔だけを出している。
「憂木さんはどこかいいお家の出身で?」
唐突すぎる質問に眉を寄せる。

「……いや。そういう話は聞いたことがないが」
「ふぅむ。おかしいですねえ。いえ、なに。別に大したことではないのですけれど。この前、巴御前を演じていらっしゃったと言ったでしょう?役柄上、彼女は古式ゆかしい敬語を使ってらっしゃって。それが実に使い慣れた様子でしたので、もしかしたら、と思ったのですけれど。」

私の勘違いですかね、と言って、鬱陶しい長髪は今度こそ引っ込んだ。
いつの間にやら授業が始まる数分前で、廊下には誰もいない。

千秋の胸に小さな凝り。





◇◇◇◇




練習室のひとつを貸し切って顔を付き合わせ、考えているのは今度の『ふたりヒーローショウ』についてだった。
とはいえ今度のショウはふたりではない。
最早なんと呼べばいいのか分からないので、ホワイトボードには『ふたりヒーローショウ』の『ふたり』の部分に棒線を引いた上、『6人』『みんなで』『週末の』『オールスターズ』とたくさんの案が書かれたままどれも可決されていない。
名称なんてなんとでも。目的は、いつもいつも流星隊に協力してくれる由仁への恩返しにあった。

「由仁さん、どういうのが好きなんスかね。」
「んー、いつも怪獣役でござるから、やっぱり偶には活躍したい!と思っているのでは?」

忍の言葉に、確かにねと翠も頷いた。

「じゃあやっぱりみんなで敵役をして、由仁さんにやっつけてもらう感じがいいのかな?」
「由仁さんなら1人でもアクションで見劣りすることはなさそうだし、それがいいんじゃないスかね?」
「問題は、五人分の衣装をどうするか、か……」
「ちゃんとしたライブでもないし、転校生さんに頼むのは気が引けるっス。かと言って大将も忙しいだろうし……」
「そもそも由仁さんの衣装はどうするのでござるか?」
「「「………………。」」」

鉄虎は腕を組んで首を捻った。
根本的な問題だ。そもそも由仁は女の子。となれば必然的にピンクがあてがわれるはずで、流星隊にはピンクはいないのである。

「俺のじゃダメか?」

言ったのは千秋だった。

「由仁はたぶんピンクであることには拘りを持っていないと思うぞ。アイツがなりたがってるのは『ヒーロー』であって、ピンクではないからな。」
「だからってレッドにしちゃうんスか?」
「由仁が主役なんだから、由仁がレッドでいいだろう?俺は今回敵役だから、俺の衣装は使わないし」
「サイズはどうするんですか……?」
「そのあたりは大丈夫だ。さすがに自分のサイズより小さなものは着れないが、大きなものを着るための工夫には由仁はとても詳しいからな。」

バイト柄、と言われるとその話には納得できた。
由仁はもともと凄く小柄だし、衣装のサイズが合わないことも多いのだろう。

「じゃあとりあえずその路線で由仁さんに聞いてみます?」
「ああ。たぶんもうすぐ来る」
「「は?」」

コンコン、とノックの音。
出入り口とは反対側から聞こえた。音速で振り返る。

「こんちわーっ」

窓の向こうで由仁が手をひらひらさせていた。

「それどういう状況っスか!そこ窓っスよ!ドアじゃなくて!」
「ここ2階なのにどこにどうやって足かけてるの」
「危ない!!危ないでござるよ!!」

慌てて駆け寄り窓の鍵を開けた1年3人に迎え入れられ、由仁が窓枠を飛び越える。

風に煽られてあちこちだらしなくなっている制服以外に以上は見当たらない由仁の姿を見てホッと息をついた翠と鉄虎は、そのタイミングで先日のことを思い出した。高級住宅街。黒のアウディ。和服の由仁。
別れ際に見た寂しそうな顔に勝手に気まずさを感じていたが、ドタバタしている内に着物の由仁など忘れたまま会ってしまったなと思う。

鉄虎が翠をこっそり見上げれば、翠も鉄虎を見下ろしていて、無言のままに応酬があった。
……このままいつも通りに戻ってしまおう。きっとそれが一番いい。

制服の埃を払う彼女は練習室を見回して、「深海さんは?」と聞いた。

「たぶん噴水」
「あー、なるほど。寄ってくりゃよかったかな」
「奏汰に用事か?」
「まあ、用事といえば。聞きたいことがあったんです。コレ」

そう言って、腕に下げていた紙袋から取り出したのは見覚えのある仮面だった。例の飛び入り参加のあと、「それはわたるのですね。かりたんですか?」と奏汰に言われたのを覚えていたのだ。
名も聞かず、顔すらよく見ないまま仮面だけをひったくった由仁にとって、奏汰が仮面の持ち主の唯一の手がかり。

「ああ、それ。返さなくていいと言っていたぞ。」
「えっマジっすか」
「イイものを見せてもらったお礼に、由仁にくれるらしい。ちなみに本人は同じものをあと4つ持っているそうだ。」
「えー……じゃあコレどうしよう。」

紙袋からクッキーの詰め合わせが出てきた。

「おっ由仁さん差し入れっスか!?あざーっス!」
「このロゴ、駅前のケーキ屋さんのでござる。確か……1袋700円」
「ひええ、高い」

わらわらと集まってきた1年生3人に、由仁は少しばかり考えて、「……ま、いっか。はい」とクッキーを渡してしまった。歓声が沸き上がる。

「もうひとつあるな。もしかして、人質にか?」
「あ、はい。そうです。」
「創くんなら多分、屋上で洗濯物取り込んでると思うっス」
「屋上?危険だ。由仁、やめておけ。この間は副会長だったから拳骨程度で済んだが、椚先生に見つかったら夜中まで反省文だぞ。」
「センパイ拳骨されたんですか」

妙なところに食いついた由仁が申し訳なさそうに眉を下げたので、「うむ。ものすごく、痛かった。」と深刻そうに言って笑いを誘う。
企みは成功し、由仁はクスリと笑った。笑みが引っ込む前に、気にするなと頭をわしわししてやる。由仁の髪は柔らかい。女の子だからだろうか。こんなにサラサラなら寝癖なんてまったくつかないんじゃなかろうかと思って、毛束を摘んで捩ってみたら「何してるんすか」と手を叩かれる。

1袋700円のクッキーを頬張る鉄虎が挙手をした。

「紫之創くんっスよね。俺渡しとくっスよ〜。同じクラスなんで。屋上行くのはやめた方がいいっス。」
「そう?じゃあお願いする〜」
「うっス!任せてくださいっス!」

そうして2袋目のクッキーは鉄虎に渡った。由仁が「今日の用事、なくなっちゃいました」と笑う。

「いや、まだある。今度のヒーローショウについてだ。」

大回りして漸く話が戻ってきた。
ホワイトボードの『6人』『みんなで』『週末の』『オールスターズ』ヒーローショウの文字をペンの尻でコツコツ叩く。

「由仁は主役で、でもピンクがないから、俺の服を貸そうということになったんだが」
「あ、ハイ。」

ビックリするほど軽い返事があって、一口あたり50円はしそうなクッキーに夢中だった1年生たちは目を剥いた。千秋ばかりがほら見ろとでも言いたげな顔をしている。

「そうなると、今度の問題は俺達の方だ。怪人役の格好はどうすればいいと思う?」
「とりあえずうちに3人分はあります。ゾウとキリンとカメレオン。」
「あと2人分は、バイト先にでも頼んでみよう。もう使わなくなった着ぐるみがあるだろうから、著作権に触らない程度に弄って、元の形が分からないようにして」
「弄るって、センパイ裁縫とかできるんでしたっけ?」
「何を言う。由仁がやるに決まってる」

由仁は「ですよね〜」と笑い、千秋は満足そうに頷く。

いつも通り。

いつも通り、だ。

俄に安堵して、鉄虎は胸をなでおろした。
きっとあれはパンドラの箱だったのだ。
開けてはならず、触れてもならない、由仁の心のやわらかい部分。そこを土足で踏み付けたことを、鉄虎は静かに猛省した。いっそのこと大将に殴られてしまいたいと思ったけれど、そんなことしたら多分死ぬ。




由仁はその日、最後まであの日の片鱗どころか米粒ほどの名残も見せなかった。もしかしたらもう忘れているのかもしれない。
ならばこちらも忘れてしまおうというのが狡い考えであることは分かっていたが、そうする以外に正しい反応が見つけられなかったもの事実。

鉄虎も翠も、あの日のことなどなかったような振る舞いをした。
きっとこのまま忘れていくのだろう。




それから数日後。

「……何をなさっているのですか」

たった一言の厳格な声で切り離された世界は繋がってしまうことを、鉄虎と翠はまだ知らなかった。





◇◇◇◇




『6人』『みんなで』『週末の』『オールスターズ』ヒーローショウの日は快晴であった。

「絶好のヒーローショウ日和だな!」と嬉しそうな千秋を適当にいなしつつ、隙あらばぷかぷかしようとする奏汰を引きずって漸く辿りついたいつものステージ裏で、由仁は些か緊張した顔をしている。

「楽しみか?」

千秋が変な訊き方をして、由仁はビックリした顔をした。けれどもすぐにニヤリと笑う。
ヒーローというより悪人の笑顔で、悪人というよりイタズラっ子の笑顔だ。

「勿論。」

赤いヒーロースーツ姿の由仁は忍の目から見たら十分に凛々しかったけれど、翠の目から見るとサイズの合わないスーツは少しばかり不格好で、けれどもそれが不思議と似合っていた。ずり落ち防止に止めてある安全ピンが陽光を反射してキラリと光る。

客寄せはみんなで頑張ってしたから、観客の入りは上々だ。あちこち汚れた公園の屋外ステージ裏から覗けば、こども、こども、こども、時々大人。
由仁とは反対袖にいる千秋が、コクリと頷いた。頷き返す。精悍な顔つきはパオゴンの顔で隠れた。いざ。

怪物が飛び出す。
セットを蹴飛ばす乱暴な音。
子供の悲鳴。


「『そこまでよ!!!』」


その時、由仁は一人きりの正義の味方だった。





ヒーローショウは大成功だったのに、余韻に浸る暇はなかった。

「……何をなさっているのですか」

静かな声。
決して怒鳴ったわけでもないそれに、着替え終わったTシャツハーパン姿の由仁の肩があからさまに強ばって、弾かれたように振り返る。


立っていたのは和服美人。
黒髪を一つにまとめて粛々と佇んでいる姿に小さく声を上げたのは鉄虎と翠の二人だ。由仁は固まった。耳と髪を伝ってポツリと落ちた汗が止まらなかったことが不思議に思えるほど静止していた。

「お、おか……」

みっともなく声が震えたから黙る。3m先でこちらを見下ろす絶対零度の瞳。隠れようにもパオゴンの顔は今日に限って由仁の手にはなく、突然自分が恥ずかしくなった。ヒーローなのに。……ヒーロー、だから。

「由仁さん、聞こえていますね。なにをなさっているのと訊いているのです。答えなさい。」
「……ヒーローショウを、」
「何のために?」
「…………こどもたちの、ために、」
「くだらない。」

一蹴して、お母様は1歩前に出た。

「貴女が日曜の午前は学校で特別授業があると言うからお稽古も中止にして、暇にしてあげていたのです。まさか貴女、毎度毎度こんなところであんな恥ずかしいことをやっていたんじゃないでしょうね?許せないわ。空き時間はなくします。文句は言わせませんよ。ほら、なにをやってるの。帰ります。」
「お、お母様、でも、」
「反論を許した覚えはありません。まったく。だから夢ノ咲になんて入れたくなかったのよ。貴女の道は決まっているのだから、わざわざあんな浮ついた学校に行く必要なかったでしょう。」

冷たい手のひらに腕を掴まれて、口から出るはずだった由仁の言葉は胃の奥に落ちた。強い力で引かれているわけではないのに逆らえないのは幼い頃からの刷り込みか。
ひきずられるように歩く中で、喘ぐ様に振り返った由仁の視線が千秋を捉えた。
金縛りは漸く解ける。

「……っ、由仁!」

由仁は答えず、道路脇に停めてあった高級車に押し込まれた。
咄嗟のことで声は出ず、満足に止めもできないまま、由仁を乗せた車は走り去ってゆく。

残された5人はそれぞれに怪物の頭を抱えてただ立ち尽くした。
やがて千秋がぼんやりと口を開いて、

「……なんだ、今の」

と問うた。

「……由仁さんのお母さんっス。由仁さん家、サドーのイエモトとかってやつらしくって。跡継ぎの件を巡って、お母さんとは喧嘩中だったみたいっス。」
「ちょっと、鉄虎くん」
「……確かに言わないでとは言われたっスけど、こうなってしまった以上、黙ってるのは最良だとは思えないっスから。」

翠は少し考えてから頷いた。

「…………由仁さんに言わないでと言われたので黙ってました。すみません。」
「すみません。」

千秋は答えなかった。






翌日、校門前で待ち伏せていたのに由仁には会えなかった。放課後にも寄ってみたら気にして声をかけてくれた子がいて、その子経由で同じクラスらしき女生徒に今日は学校を休んだと聞いた。
仕方なしにケータイに電話した。出なかった。
家電にかけるのは流石にまずかろうと思って、初めて家電を教わっていなかったことに気がついた。
胸の真ん中あたりがひどく重たい。この感情は何か。
突き詰めるのは虚しいからやめて、代わりにメッセージを送った。読んでくれるといい。



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