8x3honey

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5


由仁は自分の部屋にいた。
昨日、今日と二日続けて学校を休んでいるが、今年度はまだ一度も欠席していないから問題は無い。
問題はお母様だ。



二日前。

由仁初主演のヒーローショウが終わった後、引きずられるように家に連れ戻されて部屋に押し込まれた。日本家屋の2階はそれでも時代に合わせて何度か改築してある。由仁の部屋は洋風だった。

ガチャリ。背後でドアが閉まる。
冷たい声は些かくぐもって響いた。

「反省なさい。」

ただ、それだけ。
たった一言そう言われただけで鍵をかけられたわけではないのに、由仁は部屋から出ることができないでいる。




何もやる気が起きなかった。
1日中ほとんどベッドに寝たまま。食事はお手伝いさんが1日3度きっちり部屋の前まで運んでくれる。昔から自室待機を命じられた際にはこうだったから、由仁が子供の時からこの家に仕える彼女らは慣れたものだろう。食欲がないことを見越してご飯を少なめによそってくれる気遣いが有難い。


ひたすら部屋に篭もり続けていると段々時間の感覚がなくなってくる。今何時だろうと思ってスマホを見たら、千秋から連絡が来ていた。
最初の一行。

『大丈夫か?』

今更になって泣きそうになって、慌ててスマホを放り投げた。



嘘をついた。

センパイにも、お母様にも。
お母様は由仁が日曜講習に出ていると信じて疑っていなかっただろうし、センパイだって由仁は貧乏な家の子で、生活のためにバイトをしているのだと思っていたことだろう。
ズキリと胸が痛んで、自分が傷つくのは違うだろうと思い直した。裏切られたのはセンパイや流星隊のみんな、それからお母様であって、由仁ではない。

由仁は座っていたベッドに上半身を倒した。帯が体に食い込んで痛い。着物を着たまま寝転ぶと変な皺がついて怒られるけれど、今はもうどうでもよかった。

「……嘘ばっかりついて……センパイ、怒ってる、かな」

じわと涙が滲みそうになった時、コツンと何かが窓に当たった。
弾かれるように振り返る。
そのままじっと窓を見つめていたら、今度は小石が窓に当たる所がしっかり見えた。

恐る恐る窓に近づいて、見下ろした先に、




目が覚めるような赤。




****



由仁が学校に来ない。
メールの返信も来ないので演劇科まで行って訊いてみれば、友達とも連絡をとっていないという。

「うーむ」

休み時間だというのに机に座ったままで、何かを考え込むように腕を組んで唸っている守沢千秋は珍しいらしい。級友たちが遠巻きに「アイツどうした?」「変なものでも食べたんじゃないの」と噂する中、千秋は至極真面目に考えていた。


あの時。
母親だという綺麗な女性に腕を取られて引き摺られ、振り返った由仁の視線は助けを求めていた。手が出せなかったのはそれが母親だったからだ。親子関係に他人が口を出すのは良くないと思って――嘘だ。言い訳だ。彼女と由仁が親子だと知ったのは、ふたりが立ち去った後だった。

それなのに手が出せなかった自分は、多分『ビビっていた』。あれが由仁の母親であることに頭の何処かで気付いて、それなのにどう考えても和やかな雰囲気ではないことだとか、由仁の目の奥に明確に浮かんでいた恐怖だとか、そういうものに、ビビったのだ。

「正義のヒーローが聞いて呆れる」

独り言のつもりで呟いた声は吐き捨てたみたいになった。



バン!と突然隣で音が弾ける。
見れば瀬名泉が机を手で叩いたようだった。

「あ〜〜〜もう、うっっざい!なんなの?さっきから。隣で辛気臭い顔すんのやめてくんない?」

クラスメイトたちはその空気を読まない蛮行を心の中で褒め讃えた。すかさず援護射撃の体制に入る。
「そーそー。らしくないんじゃない?」と羽風。
「ああ。溜息が鬱陶しい守沢より、いつもの暑苦しい守沢の方が幾らかマシだ。」次の授業で使う教科書とノートをきっちり用意した蓮巳が言う。
「僕は静かなこっちの方がいいがねッ」
「ちょっと斎宮空気読んで」
瀬名に言われちゃおしまいである。

「何か悩み事でもあるわけぇ?話くらいなら聞くけど。空気が淀んでるとお肌まで荒れそうだしぃ」

不器用な瀬名の言葉に少し笑って、千秋は大丈夫だと返した。

「そもそも、俺の話ではなくてな。知り合いの女子の家庭の話だ。勝手に人に言えることではないし、俺がどうこうできる話でもない。」
「なになに?女の子の話?」
「急にやる気を出したなおまえ」

羽風薫はブレない男だ。

「他人の家庭の話か……まあ、確かに吹聴はできんな。俺達に協力できることはなさそうだ。となると、どうにか出来るのは当事者である守沢だけということになるが。」
「……そうだな。」弱々しく笑う。
「実はもう、自分がどうしたいのかは分かっているんだ。ただなぁ。デリケートな問題だから、俺が首を突っ込んでいいことかどうか」



「何を言っているんだい?」



口を挟んだ生徒会長を、その場にいた全員が振り返った。自分の席で組んだ手の上に顎を載せた天祥院英智は大変不機嫌そうだ。秀麗な眉の間に皺を寄せ、目の奥には嫌悪が滲む。

「正義のヒーローが動く理由なんて、いつだって『自己満足』だと僕は思うんだけど」

静かな声に、頬を打たれたような気がした。

「自己満足……。」
「おや、違うのかい?君が助けたいから助ける。君が救いたいから救う。誰も君にそんなこと頼んではいないのに。ヒーローってやつはお節介だよね。大いなる余計なお世話だ。」

反吐が出るね。と笑う英智に周りは戦々恐々としていたが、千秋としては目から鱗であった。
そうか、と思う。

「俺が、助けたいから、助ける……」

考えてみれば、いつもそうしてきたはずだ。

「……よし、決めた!今日由仁の家に行く!」

スクっと立ち上がった千秋に、羽風は「がんばってー」と拍手を送り、瀬名は呆れた一瞥を寄越し、入ってきた佐賀美先生は特に何の感慨もなく言った。

「守沢座れー」





****



高く聳える塀は要塞の如く、さながら悪の組織の根城である。
ユニット衣装を着た流星隊の面々は、塀の外側で作戦会議を行っていた。

「いいか、よく聞け。」

珍しくヒソヒソと小さな声で話す千秋はナップザックを背負っている。

「目標は由仁。由仁の無事を確認し、外に引き摺り出すことが今回のミッションとなる。しかし、俺達はアイドルだ。不法侵入なんかして問題を起こすわけにはいかん。そこで、まずは正々堂々、インターホンを押してみようと思う。」
「え」

声を上げたのは鉄虎だ。

「えーっと、そのぉ……由仁さんのお母さん、『開けてくださーい』で開けてくれるような人には見えなかったっスけど……?」
「なぁに、問題ない。許可が貰えなくとも、『俺達が今から入ります』と伝えられさえすればいいわけだからな。」

自信満々で言うので任せてみる。
「……押すぞ。」
ピンポーンと間の抜けた音に続いたのは、三日前に聞いた絶対零度の声だった。
『はい、どなたでしょう』
忍が息を呑んで、千秋は唾を飲む。

「こんにちは。おれ……僕達は由仁さんの友達です。学校を休んでいるようなので、お見舞いに来ました。会わせて貰えませんか。」

返事はすぐにはなかった。
たっぷり30秒は黙って、由仁のお母様は溜息をつく。

『あの子は謹慎中です。お帰りください。』
「一目だけでいいんです!お願いします!門を開けてください!!」
『開けません。お帰りください。』
「そこをなんとか!」
『お帰りください。』
「開けてくれなきゃ、俺たち勝手に入ります!」
『お好きにどうぞ。』

ガチャ、とインターホンは切れた。
千秋は満足気に振り返る。

「許可が出たぞ!」
「いや、許可っていうか……」
「うーん……」
「『おすきにどうぞ』だそうですよ。ぼくききました〜」
「そもそもどうやって入るんですか……門開いてないのに……」

ボソ、と呟いた翠を千秋が見た。キラキラした目で。

「……えっ?」




軽く跳んでウォーミングアップし、千秋は塀に向かって走り出した。向かう先には手を組んだ翠が立つ。
「行くぞグリーン!」
「ああもう!」
いつだか由仁が見せた逃走劇の技。カッコイイと忍がはしゃぐので、練習しておいたのがここで功を奏した。

1番手の千秋が塀の向こうに消えた途端、「きゃあ!」と女性の悲鳴が聞こえたが、まあ女性受けはいい隊長だ。何とかするだろう。踏み台にされた翠は踏み台としての役目をひたすらに果たすこととする。鉄虎、忍と続いて、最後に奏汰。無事に全員送り届けて、少しだけヒリヒリする腕を擦りながら声をかけた。

「大丈夫ですかー」

返事はすぐに返る。

「おう!全員怪我はないぞ!」
「さっき悲鳴聞こえましたけどー」
「問題ない!ここの家のお手伝いさんだそうだ。こっそり由仁の部屋まで案内してくれることになった!」

うまくやったらしいな、と溜め息をつく。

「……それじゃあ、俺はここまでってことで。あとは皆さんで頑張ってください。」
「ああ!お前の犠牲、忘れないぞ!グリーンッ!」

なんか俺死んだみたいだな、と思いながら塀に凭れる。
「……ふふ。」なんだか笑えた。
数日前、初めてこの家を訪れたときには、まさかこの高い塀を飛び越えて侵入することになるとは露ほども思っていなかったというのに、なんだこれ。
「相変わらずめちゃくちゃだな……」
そんなめちゃくちゃな先輩に愛想を尽かさない自分も、大概めちゃくちゃだ。




****



お手伝いさんはトミタさんというらしい。
背が小さな可愛らしいおばあさんで、由仁が子供の頃からずーっとお世話をしているのだそう。
だだっ広い庭を迷いなく進む彼女に付いていく道すがら、彼女は由仁の様子について話してくれた。
曰く、由仁は昔から聞き分けのいい子で、厳しい母親の躾のもと、たくさん我慢をしてきたらしい。そんな由仁も高校に入ってからは毎日が楽しそうで安心していた矢先、先日の事件。それからは塞ぎ込んでしまって、ご飯もろくに食べていないとか。

「わたしは、お嬢様のお弁当を拵えていますからね。こっそり、『本当はヒーローショウをしているのよ』って教えてもらっていたんです。皆さんがそのお仲間なんですね。お嬢様と仲良くしてくださって有難う。」
「感謝をされるようなことじゃないです。俺は……俺達は、アイツが好きだから、一緒にいるんですよ。」
「そうっス!由仁さん、明るいし楽しいし、いい先輩っスよ。」
「フフ、そうなの。よかったわ。」

ニコニコと笑うトミタさんは、不意に眉を下げると、申しわけなさそうに謝った。

「ごめんなさい。奥様に見つかると困るから、家の中には入れてあげられないわ。お嬢様の部屋は、ここを突き当たりまで真っ直ぐ行って、右に曲がった一番奥の2階よ。」
「はい、ありがとうございます。」
「わたしは掃除に戻るけれど、うまくやってね。」
「はい。」

お上品に手を振るトミタさんと別れ、4人は歩き出した。



幾許も歩かず、「あー!」呼び止められる。

「しらないひとがいるー!だあれー?」

この小学生低学年くらいの男の子は、時折遊びに来る由仁のイトコのケンちゃんだったのだけれど、そんなこと知らない四人は大いに焦った。
「おにーちゃんたちだれー!?」
「しっ!しーっ!」
「お、お兄ちゃんたちは、由仁さんのお友達っスよ!」
「ともだちー!?」
「しーってば!!!」

いち早く動いたのは鉄虎だった。
見知らぬ坊ちゃんの傍にしゃがみ込んで担ぎ上げる。
「うおお!すげー!」
「俺が遊んであげるから、大人しくしてるんスよ。」
「うん!」
「……ってことで、隊長。スミマセン。俺はここまでッス。」
「分かった。由仁は俺が必ず救い出そう。安心して任せてくれ。」
「……必ず由仁さんに会ってくださいね。約束っスよ。」



心配そうな鉄虎と別れ進んだ先で、


「ウーーーーー、ワン!」

大きな犬が待ち構えていた。

「ひええ、なんでござるかこの犬!でか!」
「か、金持ちの家にはいるよな、こういう犬……」
「『おおかみ』みたいです〜」

犬は繋がれてはいたが、リードの長さは屋敷と塀の距離を悠に超える。
「ウ゛ーーーーー」
騒がれては堪らないとジリジリ後退する千秋の前に、意を決した忍が歩み出た。

「いっ、犬というのはっ!忍犬としてっ!ふ、古くから忍者と繋がりが深いものでござるからしてッ!」
「イエロー!危ないぞ!」
「だっ、大丈夫でござる、隊長殿!ささ、拙者の後ろを通って、早く先へ!由仁殿が待っているでござるよ!」

冷や汗をダラダラ流しつつも漢気を見せた忍の意を汲んで、千秋は頷いた。

「武運を祈るッ!」


あっという間に、2人。





正直滾っていた。
だってこの展開は熱い。悪の組織に攻め込んだヒーローみたいだ。1人ずつどんどん仲間がいなくなって、それを苦しく思いながらも、みんなの想いを胸に振り返らず進むリーダー。熱い。滾る。やばい。


由仁の部屋と思われる建物はもう目と鼻の先だった。恐らくあの角を曲がればすぐだ。
あと少しだぞ、と声をかけようとした千秋を遮って、奏汰が言った。

「どうやらぼくのでばんみたいですね。」

縁側に、見覚えのある和服美人が立っていた。


「あっ……アナタたちッ、どうしてこんな所に!?」

マズイ、と思ったのも束の間。奏汰がどんどん進んでいって、鮮やかな手つきでお母様の手を取る。

「ちょっとぼくと、『おはなし』、しませんか?」

ニコ、と微笑んだ奏汰に羽風の影を見た。身近にレディーファーストの見本があると、知らぬ内にあそこまで出来るようになるらしい。
ポッと頬を赤らめたお母様を部屋の奥に促しつつ、呆気に取られた千秋を振り返って、奏汰が口パクする。

『たのみました』

うむ、と頷いて、目的地へと駆けた。





****




由仁の部屋は分かりやすかった。窓から流星隊のステッカーが見えたから。自分たちに内緒でグッズを買ってくれていたことがこんな時だと言うのに嬉しくて、思わず笑ってしまう。

本格的な球技の経験といえばバスケくらいのものであったが、野球にしてもソフトボールにしても、コントロールは悪くない方だという自負があった。小石を拾い上げて、窓に向かって投げる。
綺麗な放物線を描いた小石は迷いなく飛んでいき、見事狙った窓へと命中した。誰も出てこないからもう一つ投げる。
三つ目を投げようとしたところで、由仁が姿を現した。

3日ぶりに見る由仁は、見たことのない和服姿であった。柄の善し悪しは残念ながら千秋には分からない。けれど伸びた背筋の美しさに見蕩れて、由仁の所作の美しさの由来を見た。
一方由仁は己の目を疑っているようだった。下ろした黒髪に縁取られた小さな顔が驚きに彩られる。

慌てて窓を開けた由仁の髪が、ふわりと風に煽られた。


「セっ、センパイっ?どうして……?」
「おまえを!!!!!!」

肺いっぱいに空気を吸い込んで、ここ数日の葛藤と共に吐き出した。





「迎えに来たッ!!!!!!!」






悪役の被り物も、バタフライマスクもないから、由仁の目が見開かれたのがよく見える。
千秋は由仁の目が好きだ。好きなものについて語っている時のイキイキした目。今は潤んで今にも零れそう。「き、来て欲しいなんて、言ってないっ」絞り出すみたいにそんなことを言うから怒鳴りつける。



「知らん!!!!!!!!」



正義とは自己満足のことだ。
天祥院英智はそう言った。確かにそうだと思う。目の前に居る一握りしか救えないのに『助けたいから助ける』なんて傲慢もいいところ。
けれど、それでも、目の前の誰かを助けることなら出来るのだから。


「おまえが好きだから、俺の好きで助けに来た!悪いか!!!」


潤みはついに零れ落ちた。


「わ、わたしっ、センパイに嘘ついて……!」
「気にしてない!!!」
「ヒーローになりたいって言ったけど、なれるかどうかも分からなくてっ」
「そんなの!!!」


二階分の距離がもどかしい。大事な女の子が泣いているのに手が届かない。





「……そんなの、自分で掴みに行け。由仁はヒーローだろう?」
「………………うん。」
「いつまで囚われのお姫様でいるつもりだ。着物姿も綺麗だが、おまえはステージの上にいるときが一番綺麗だぞ。」
「……うん。」

手を広げる。

「来い!!!」

由仁はもう迷わなかった。
中途半端に開いていた窓を開け放ち、そのまま屋根に出てこようとするから、
「あ、ちょっと待った」
制してナップザックを放り投げる。
由仁は顔で受け止めた。

「ぷわ、なんすかこれ」
「あけてみろ。我らがプロデューサーに無理を言ってな。作ってもらった!」

簡単な作りの入れ物から出てきたのは、見慣れた形の衣装だった。ツルツルテカテカ。
防水加工済み。
「これ……!」
ただその色だけは、見慣れぬピンク色。

「……悪かったな。俺達はアイドルで、由仁は女の子だから、どうやっても流星隊には入れないだろう。中途半端に仲間にしては傷つけてしまうんじゃないかと思っていたんだ。だから知らないふりをしていた。由仁、ずっと、仲間を欲しがっていたのになぁ。」

お礼に何をして欲しいかと聞かれたあの時。
本当は、自分だけがヒーローのショウではなく、みんながヒーローのショウがしたいと言いたかった。敵役が一人もいなくなってしまうから口に出せなかった。

仲間に入れて欲しかった。ずっと前から。

「今日だけ特別だぞ!」

階下で太陽が笑っている。
赤いスーツのヒーロー。あの隣に、同じ衣装で立てる……?


由仁はたった数秒で着物を脱ぎ捨てた。ベッドの上に放ったらかしてヒーロースーツに袖を通す。これはヒーロースーツであり、彼らのユニット衣装だ。その重みを勘違いしてはならない。今日だけ。この限られた時間だけ袖を通すことが許された、特別な衣装。
サイズはピッタリだった。流石敏腕プロデューサーの作品だ。同い年のあの子のサムズアップを脳裏に浮かべてクスリと笑い、届くはずがないと分かっていても「ありがとう。」感謝の言葉が口をつく。
下は千秋らのズボンと違い、女の子らしいヒラヒラがついたスカートタイプになっていた。可愛い。履こうと広げると、小さなメモ帳がヒラリと落ちた。拾い上げ、目を通して我慢出来ずに笑う。

「まったく、末恐ろしいプロデューサーだな!あの子!」






改めて窓辺に出れば、階下のヒーローが満足そうに頷いた。
大きく手を広げる。

「来い!!!」

別に部屋のドアに鍵がかかっているわけではないけれど、センパイが来いと言うならば。
由仁は笑って、2階から飛び降りた。この程度のアクションは日常茶飯事。しっかりと受け止めてくれたセンパイに、感謝の念を込めたハグを送る。思っていたよりしっかりと抱き返されて、ツルテカのジャケットがキュっと鳴る、それすら嬉しくて堪らない。


千秋に手を引かれ、由仁は走った。
「どこに行くんですか?」
「中庭だ。おまえの、お母様のところ。」
息を呑んで、心を決める。
「……あそこにいるの?」
「多分な。ブルーが一緒だ。」
「深海先輩が?」

それはあのおっかないお母様相手に時間稼ぎをしてくれたということだろうか。
由仁も頑張らなくては。

一度大きく深呼吸して、閉じた障子の向こうまで届くよう声を張り上げた。


「おかぁぁぁぁぁあさぁぁぁぁぁあん!!!!!」


奥の部屋から、お母様が出てきた。ニコニコ笑う奏汰が続く。
お手伝いさんたちも何事かと集まってきていたから、そこはまるで小さなステージだった。


「わたし、夢があるの!!!」

玉砂利を蹴散らす音がして、奥から鉄虎とケンちゃん、忍と武蔵(※ハスキー犬)が駆けてきた。翠はトミタさんと一緒だ。外で独りぼっちは寂しかろうと、通用口から通してもらったらしい。
沢山の人に見守られながら、由仁は叫んだ。

「わたし!ずっと!昔から!ヒーローになりたいの!!!誰かを助けてあげられる、ヒーローになりたいの!!!」

お母様が嫌そうに眉を顰めたのに怯みかけて、千秋に背を叩かれた。ハッとして目を瞑る。長年の刷り込みは今更変えられないから、いっその事見るのをやめてしまおうとしたのだった。
お母様のことは見ずに、声だけを張り上げる。


「一度だけでいいから!挑戦するチャンスをください!!!!お願いします!!!!」


沈黙は一瞬だったはずだけれど、由仁には1分にも1時間にも感じる一時であった。綺麗に敷かれていた玉砂利を無遠慮に踏みつける由仁と縁側のお母様ではそれなりに距離が開いているのに、溜め息の音はやけに大きく響く。

「三年だけ待ちます。結果が出なければ戻ってきなさい。」

意味を理解する前に千秋に飛び付かれ、体制を崩したところに忍と鉄虎が飛び込んでくる。最終的には翠と一緒に奏汰に抱き込まれ、庭のど真ん中で団子になった。お手伝いさんたちの拍手。
信じられない思いで見上げたお母様は、「仕方の無い子ね」とでも言いたげな、優しい顔をしていた。深海先輩何言ったんだろ。劇的ビフォーアフターだ。

「よし!それでは!」

由仁の髪をもしゃもしゃやっていたセンパイが立ち上がる。



「赤い炎は、正義の証!
真っ赤に燃える生命の太陽!
流星レッド! 守沢千秋……☆」

お手伝いさんらとお母様を観客に、千秋が高らかに吠えてポーズを取った。マジか、という顔をする翠と由仁を他所に、残り3人はその意を得たりと目を輝かせる。

「あおいほのおは、しんぴのあかし!
あおい『うみ』からやってきた〜♪
りゅうせいぶるう!しんかいかなた……きら☆」
「黒い炎は努力の証!
泥で汚れた燃える闘魂!
流星ブラック 南雲鉄虎……!」
「緑の炎は、慈愛の証……。
ゆるキャラとかで、みんなを癒す……。
名前が『翠』だから流星グリーン…… 高峯翠……」
「黄色い炎は希望の証!
闇に差しこむ一筋の奇跡!
流星イエロー! 仙石忍……☆」

5人で完成するはずのフォーメーション。今は不自然に真ん中があいている。
さあ来い、と語りかけてくる五対の視線。

「……ふふ、」

センパイの隣。左右対称になるようにポーズを取る。



「桃色の炎は絆の証!
愛の力でついに降臨!
流星ピンク!憂木由仁……待たせたわねっ!」



「我ら、五人……いや。六人揃って!」
「「「「流星隊!!!」」」」


隠れ夢ノ咲ファンのお手伝いさんたちがはしゃいで歓声と拍手を送る中、由仁は鉄虎にバシバシ背中を叩かれていた。

「やだな〜〜〜も〜〜〜〜由仁さんってば。いつの間に口上考えてたんスか〜〜〜」
「わたしじゃないよ。気の利く君らの敏腕プロデューサーさんからのプレゼント。」

指に挟んだメモを見せる。

「マジっすか?プロデューサーさん、どこまで予想してたんスかね……」
「さあ。頭が上がらないことだけは確かだけどね」
「違いないでござる」

1年ズとボソボソ喋る由仁の頭を奏汰が撫でた。

「わすれないでくださいね。『いるか』と『くらげ』はちがういきものですが、どちらもうみのなかま。ぼくたちは『りゅうせいたい』で、由仁は『りゅうせいたい』ではないですけれど、それでも、ぼくたちはきみの『なかま』ですよ。」

「当たり前だろ!」

センパイがカラリと笑って拳を突き出した。
由仁はプロデューサーの愛が詰まったメモごと手のひらに閉じ込めてグーをつくり、日に焼けた拳にコツンと押し当てた。





****



楽屋のテレビを熱心に観ていた鉄虎が、「あ!」と突然大声を上げた。

「みんな!今日の『マカロニのきもち』、ゲスト由仁さんみたいっスよ!」

あっという間にテレビ前は満員になった。押し合い圧し合いしながら見やすい位置を取り合う……ように見せかけつつ、年少組3人は横目で合図しあって千秋が一番見やすい位置に来るよう動く。

『本日のゲストは、この春から始まった「おさかな戦隊シンセンジャー」のサーモンピンク役、憂木由仁さんですっ!どうぞ〜!』
『こんにちは。』
「ぼくこれみたいです〜」
「しー!深海さん、しーっ!」

由仁がお母様相手に見栄を切ってから約半年。夢ノ咲卒業と同時に、千秋がヒーロー戦隊の主役に抜擢された。由仁は大層悔しがって、目に涙まで湛えながら、「先に歴代ヒーロー一覧に名を連ねて待っててください」と言って千秋を祝福してくれた。
あれからだいたい二年が過ぎ、あの頃の流星隊の面々が全員夢ノ咲を卒業したこの春、由仁がヒーロー戦隊のピンクに選ばれたのだ。千秋から数えたら二世代後。情報解禁となるまで誰にも言えずに相当ヤキモキしていたことだろうと鉄虎は思う。

『話に聞くところによると、由仁さんはずーっとヒーローに憧れていたらしいですね』
『そうですね。昔からよく真似をして遊んでました。』

「……なんだか由仁殿、心做しかキレイでござるな」
「目がイキイキしてるからじゃない?」
「本当に嬉しいんスね、きっと。」

見慣れた先輩の立派な姿は心にクるものがあるが、何よりもやはり嬉しさが先に立つ。

『女の子でヒーローって珍しかったでしょ〜?どんなところに憧れてたんですか?』
『うーん、どんなところ……改めて言葉にしようとするとなかなか難しいですけど、たぶん、一番最初のキッカケはド派手なアクションだったんじゃないかなと思います。うちは母が厳しくて、女の子はお淑やかであるべき!って感じだったので』

「分かる……。」

呟いた翠に大半が頷く。


『正義感の強い子供だったの?』
『うーん、人並みだったと思いますけど……でも身近に「ヒーロー」の目標がいたので、そうあろうとは心掛けていました。』
『ヒーローの目標?』
『ふふ、はい。わたしと同じで本気でヒーローを目指してた、暑苦しくてお節介なセンパイがいたんですよ。』

「コレ隊長のこと……」

じゃないっスか、と茶化す声は途中で消えた。
画面を見つめる千秋の横顔が見たことないくらい静かで、穏やかなものだったから。

黙っていればイケメンと名高い隊長の真面目な顔にびっくりした鉄虎は聞き逃したが、番組は司会であるベテラン女芸人の巧みな話術により、『憧れの先輩へメッセージをどうぞ!』という流れになっていた。
カメラが照れてはにかむ由仁に寄る。
どうやら逃げられないと悟った由仁は苦笑して、腹をくくったようだった。


『センパイ、わたしついにここまで来ましたよ。』


千秋は応えない。


『……あの日、センパイが仲間に入れてくれて……わたし本当に嬉しかったんです。多分これからもずっと忘れない。アレがあったから、わたしは、ヒーローに憧れ続けることができた。ヒーローって本当にいるんだって、信じ続けることが出来た。』

由仁は笑った。
女優の顔ではない、見慣れた後輩の顔だった。

『「サーモンピンク」にとってのレッドは「ツナレッド」ですけど、忘れないで下さい。「憂木由仁」にとってのレッドは、これからも永遠にセンパイです。』

拳を突き出す。


そこで漸く、千秋が微笑んだ。

「……おう。」

聴いたことないくらい小さな声で返事をして、画面に映る由仁の拳にコツンとやる。


例えるなら、父親と母親がキスするところを見ちゃったような、そんな妙な羞恥心。千秋の一挙手一投足を見守っていた年少3人は一瞬で顔を背け、ドキドキ言う心臓に顔を強ばらせた。

一人飄々とした千秋はサッと立ち上がると出口に向けて歩き出す。

「さ、そろそろ行くぞ!やっと本番だ!頑張ろうっ!えいっ、えいっ、おー!!」
「お〜〜〜!」

のんびりと立ち上がる奏汰に続いて、「ぅあっ」「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」「あっ、ちょっとっ」3人も慌てて立ち上がる。

「そういえば、さっきかいじょうをみにいったとき、いちばんまえのみぎがわに、由仁のおかあさんがすわってましたねぇ」
「マジでござるか!?」
「ぼくのうちわもってました〜」
「あの時か!あの時ちゃっかりファン増やしてたのかおまえは!流石だな!!」

楽屋を出る直前で、気づいた鉄虎がリモコンを持つ。

プツンと消えるその瞬間、由仁がこちらに手を振った。




(170129)

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