8x3honey

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《 code:F》も四度目となった。
白い部屋の壁には先週やった青い花束が、ブリザーブドフラワーとなって飾られている。何でも「先生」にやってもらったとか。医者というのはそんなスキルまであるのか、と感心しつつ、そうまでして大切にしてもらっていることにむず痒さを覚えた。

変化したことがもうひとつある。
今日ユウマが訪れた時、由仁の部屋の窓が閉まっていたのだ。開いているものだとばかり思っていたから開口一番に小言を言おうとして肩透かしを食らった気分ではあるが、がみがみ言い続けてきたことがようやく実を結んだのだと思うと、任務を完遂した時と似た達成感があった。


フリルのついた赤いリボンを白い髪に結んだ由仁は、今日はベッドに横になっていた。
具合が良くないらしい。
『良くない』だけで『悪い』わけではない、というのが本人の主張である。

「でも、ちょっと。ちょっとだけなの。明日になれば全然元気です。」
「はいはい、分かりましたよ。」

先程からこの調子で、今のセリフは七度目である。熱で頬を火照らせた由仁が明日になったらすっきり元気になっているなんてあるはずがないことくらい、医者でないユウマにも分かるのに。

「今日は帰りますから、安静にしていてください」
「ええっだめ!」
「だめってあなた……」
「お願い!此処にいて!わ、わたしはベッドから出ないから……お話するだけ。ね?」

必死な顔に絆された。そもそも、優しくしてあげるのは仕方の無いことなのだ。週に1度の慈善事業の日だから。
仕方の無い子ですねとまるで年上のように呟いて、いつもの椅子をベッドサイドまで持っていく。中途半端に上半身を起こしていた由仁を寝かせようとして、その肩の薄さに背筋が凍った。なんて弱々しい。今にも死にそうじゃないか。咄嗟にそう思っただけなのに、おそらくそう間違っていないから嫌になる。

胸の中で渦を巻く気持ちの悪い何かに蓋をして、ユウマはポケットから写真を取り出した。

「これを」
「なんですか?」
「竜の写真です。見たいって言っていたでしょう」
「わたしが見たいのは竜じゃなくてユウマさんなんですけど」
「僕のは駄目です。国家機密なので」
「国家機密?それじゃあ、しょうがないですねぇ」

彼女に渡した写真には、この間遭遇したリトルドラグが写っていた。比較的小柄で、竜の中では可愛らしいと思われる部類だ。由仁は女性だし可愛らしい方がいいだろうと、若干ズレた方向に気を使った結果である。
由仁はまじまじとリトルドラグを見つめて、「鱗が硬そう」「鋭い爪。こんなもので引っ掻かれたら死んでしまいますね」「頭が大きい」と好き勝手に感想を言っていた。そのまろい額の上に、胸ポケットから取り出した小さな紙を載せてやる。

「わ、」

リトルドラグは哀れにも床の上に落ちた。代わりに由仁の細い指が額の上の小さな紙を持ち上げて、前髪の下の目が瞬く。

「これ……」
「国家機密ですよ」
「国家機密……。」

由仁にやったのは、任務の書類を提出する際に貼る証明写真だった。仏頂面をしたユウマの胸から上が写っている。
由仁はその小さな写真を、凄く大切なものを持つかのように両手で包んだ。

「……大事にします」
「そうしてください。国家機密ですから。」
「そう、国家機密ですもんね。」

由仁はその国家機密を、リトルドラグの上に重ねて、サイドチェストの一番上にしまった。
「写真立てがあればよかったのに」と残念そうに言った由仁が、貰えないかどうか看護士さんに聞いてみると言うので、次来た時には白い写真立てが増えているのだろうなと思った。




翌週、《 code:F》第5弾。思った通り、サイドチェストの上に飾り気の無い写真立てが増えていた。色は白。一眼レフで撮ったリトルドラグの写真の上に重ねるようにして、ユウマの証明写真が入っている。

「あなた、この飾り方はどうかと思いますよ。俺、食べられそうじゃないですか」

そもそも国家機密はどこにいった。いや、冗談だけれども。

「でもユウマさん強いんでしょう?返り討ちです」

愉快そうに笑う白い顔の向こうで、窓はきちんと閉まっている。風は吹かないから、カーテンも揺れず、ユウマが目を釣り上げる必要もなかった。
笑顔。あちらも、こちらも。
吸い込んだ空気はとてもあたたかい気がした。


「ねえ知ってますか、ユウマさん。今日でもう五回目なの」

ベッドの上で上半身を起こした由仁は、ティーポットを持ち上げようとして失敗した。まるで力の入らない指には気付かない。慈善事業だから。彼女が気づいて欲しいことに気づいて、気づいて欲しくないことには気づかない、そういう任務だから。
「俺がやりますよ」手伝いを申し出たのは親切心からだ。そういう設定。

「ありがとう」と微笑んだ由仁にカップを渡そうか悩んで、結局テーブルの上に置いた。赤茶色の水面を覗いて、由仁が言う。

「もう半分ないの。」

紅茶の話ではなく、《 code:F》についてであった。もともと二ヶ月間の計画であるから、病院訪問は8回。由仁の言う通り、今日で折り返しである。

「寂しいですか?」
「……そうね。とても寂しいです。ユウマさんは?」
「俺は、特には」
「ひどい!」

そう言う割に由仁は気の抜けた顔で笑っているから、冗談だと思われたらしい。そうでないなら、ユウマの答えなんてどうでもよかったか。

さっきまでほわほわと脳天気に笑っていたくせに、茶菓子を探してユウマが後ろを向いた途端、由仁は飛び切り切ない声を出した。

「わたし、最後までもつかなぁ」

聞こえなかったことにした。
聞いていて欲しくなさそうだと思った。

何かを言う代わりに、ユウマは今日のお土産を進呈した。お土産、というほど大したものではない。軍から支給された記念品のようなものだ。
ISDFのロゴがプリントされたノートとボールペンを、由仁は大層喜んで受け取った。

「何を書こうかしら」
「何でも好きなことを書いたらいいんじゃないですか?」
「好きなこと?」

由仁は力の入らない指で黄緑色のボールペンを握り、よろよろした曲線を幾つか書いた。

「なんですか?これ」
「好きなもの」
「わかった。紅茶だ」
「正解!」

おお、当たったとユウマは内心驚いた。歪な二重の丸に半円がくっ付いたナニカはとてもじゃないがティーカップには見えない。由仁の好きなものというのが、紅茶しか思いつかなかっただけである。
由仁は次に隣のナニカを指さして言った。

「これはクッキー。こっちはリボン。」

その隣。

「これは、リトルドラグ」
「リトルドラグ?」

竜斑病患者が何を言う。この少女は皮肉なんて言えるような性格じゃなかったはずだ。
「……好きなんですか?」眉を顰めて訪ねれば、由仁はにこにこ笑って言った。

「本物は嫌いです。でも写真は好き。」

どうやらユウマがやったものたちのことを言っているらしいと気が付いて、ユウマはぽわぽわした笑顔から目を反らした。なんだか直視できない。でも悪い気分ではない。
不可解なことに何故だか緩みそうになった口元を抑えたら、噴き出しそうなのを我慢しているみたいになった。由仁が「……なによぅ」と不満そうに顔を赤らめる。
勘違いにノった。

「いえ、随分ヘタク……可愛らしいリトルドラグだなと思って」
「だって、絵なんて初めて描いたんだもの。そんなに言うなら、ユウマさんが見本を見せてよ」
「いいですよ」

絶妙にダサいISDFボールペンを手に取る。
数分と絶たずにやたらリアルなリトルドラグを描いてやれば、それをまじまじと眺めた由仁がぽつんと言った。

「かわいくない」

白い頭に手加減に手加減を重ねた手刀を落としてやった。





その週、ユウマにとある計画が持ちかけられた。
提案者はアクツ総司令。ISDFのトップに君臨する男である。

計画の名称は《 Dインストール》。
地球に存在するすべての種の頂点は人類であることを証明するために、第5真竜フォーマルハウトの遺伝子情報をユウマに取り込む計画だった。







一週間後、6回目。

ユウマは病室の前で躊躇っていた。出来れば会いたくなかったなと思う。
今の自分の心の余裕の無さは、誰より自分が分かっていた。

こんなはずじゃなかったのに。今日だって先週と何も変わらず、やあ、一週間ぶりですね、元気でしたかなんて思ってもいないことを事務的に形成した笑顔で言って、そうしたら由仁はすごく嬉しそうな顔をして。それを見てあぁ今日も平和だななんて思って、お土産を渡して、少し話をして帰るのだ。それだけ。

それだけなのに、どうしてこんなに、足が重い。


躊躇って躊躇って躊躇って、腕を上げたままノックの形で硬直していたユウマの前で、病室のドアが開いた。
蜘蛛の糸のように細くて白い髪。白い顔がユウマを見上げて、「もう!いつまで経っても入って、来な、い、か……ら……」くずおれた。

「ちょっと、大丈夫ですか!?」
「だ、だいじょうぶ、大丈夫です。全然だいじょうぶ。ただちょっと、その、2週間ぶりくらいに歩いたので、」
「全然大丈夫じゃないです、それ」

しゃがみこんだ軽い体を、ユウマは難なく抱き上げた。訓練用のダンベルほどもない軽さが目に見えない刺になって胸の何処かに刺さったけれど、それには気付かないフリをしてベッドの上にそっと下ろす。白いタオルケットの上から掛け布団も掛けて、それからいつもの椅子に腰を下ろしたところで、入り渋っていたことを思い出して項垂れた。
やられた。
流れでつい入ってしまったし、座ってしまった。
まさか計算ではないとは思うが、由仁は真っ白い顔でにこにこ笑っている。

「それで、今日はどうしたんですか?」
「何がです?」
「やだ、しらばっくれて。部屋の前で40分も立っていたんですよ。何かあったんだってことくらい馬鹿でも分かります。」

にこやかに圧力をかけられて、ユウマは降参するしかないことを緩やかに悟った。この少女は常にほけほけと笑っているからバカのように見えるが、常日頃本を読むくらいしか出来ることがないからか頭はいい。しらばっくれてもすぐにそれと知れるなら、重要なところはぼやかしつつ適当に説明するのが一番。

言おうと思って口を開く。何て言えばいいのか分からなくて口を閉じる。意気地の無いことに何度かそれを繰り返した。開く。閉じる。開く。閉じる。由仁はにこにこと笑ったまま、根気強く待った。

「……もうここには、来れなくなるかも知れません」
「嫌です」

間髪入れない返答が理解出来なくて固まったユウマに、由仁が重ねる。

「嫌、です。」
「……そう言われても」
「ユウマさんは軍人さんで、この訪問は慈善活動という名の軍人の義務なのでしょう?ならば最後まで成し遂げてください。途中放棄など認めません。」
「……そう、言われても」

Dインストールが完了したら、ユウマは今よりずっと強くなる。けれどきっと、それはもうユウマではないのだ。ユウマのかたちをした、何か別のモノ。

「来てください。変わらず。ずっと。」

穏やかな笑みのまま、由仁は柔らかに圧をかける。



「わたしが、死ぬまで。」



それはとても軽い調子の、けれどもまったく身動きのとれない、完璧な重石であった。
「きっとそう時間は取らせませんから」とまで言われてしまえば拒否を唱える言葉など出てこない。

「……仕方の無い人ですね。」

苦笑を滲ませたはずの己の声の響きがやけに優しくて耳を疑ったけれど、零れ落ちた言葉はもう戻らない。目を丸くしたユウマを見て、由仁が声を上げて笑った。









(151201)


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