12

風呂から上がり、就寝準備を全て済ませた鳴が部屋に戻ると郭嘉が窓際に立っていた。
じっと月を見つめている。

郭嘉の美しい横顔が月明かりに照らされ、照明もつけていない部屋でぼんやりと光っていた。

なんだかその光景が、郭嘉がうちの林に落ちていたときのことを思い出させて鳴は急に不安になった。


「郭嘉…」


鳴は思わず郭嘉に抱きついた。
その体は、鳴の腕でようやく腰を一周できるくらいにがっちりとしていた。
…ここに来たときとは大違い。郭嘉はもう子供の体ではなかった。

「鳴。どうしたの、甘えん坊だね」

振り返って鳴を見つめる顔はどこかあどけなさを残しているのに。
頭をそっとなでる手が大きいことも、厚い胸板も、ぐんぐん伸びていった背も、もうこの世界にいる必要はないと物語っているようだった。


「郭嘉…いかないでよ」


郭嘉は何も応えなかった。
その反応が悲しかった。

せっかく出会えたのに。せっかく仲良くなれたのに。せっかく好きだと言ってくれたのに。


「私も郭嘉が好き」


せっかく郭嘉のことを好きになれたのに。

どうしてこんなに悲しい思いをしなければならないのだろう。


鳴はおもむろに郭嘉の腕をつかんで、自身の胸元へと導いた。
その手のひらを自らのふくらみの上に押し付ける。

「…鳴、」

小さくとがめた郭嘉の声を鳴は無視した。


「あんた、中身はおっさんなんでしょ。私みたいな子供の考えることくらい、わかるでしょ」


鳴の口元も、つむがれた声も、郭嘉の腕をつかむ小さな手も震えていた。
ただ郭嘉を見つめる目だけが強く輝いていて、自分への確かな気持ちを感じた郭嘉はゆっくり手をほどき、ぎゅっと鳴を抱きしめた。

「あなたはずるいひとだよ」
「…ずるくてもいいよ」

「あなたのぬくもりを一度でも感じてしまったら、私はあなたなしではいられない。離れられなくなってしまうよ」

郭嘉はそう言って、より一層強く鳴の体を抱きしめた。
柔らかい髪の毛に顔をうずめる。鳴は頭のてっぺんに郭嘉の息の熱を感じた。


「…郭嘉、ずっとうちにいいなよ」
「…いけない子」
「…もともといい子じゃないもん」

「だから、」と鳴は顔をあげ、くちづけをねだるような仕草をした。
郭嘉はそんな鳴のおでこにやさしくキスをして、やわらかな前髪をなでた。

「…鳴。今夜はおやすみ」
「郭嘉!」

小さいこどもをあやすように言われて憤慨した鳴は悲痛な声をあげる。

「…人が寝てるうちにことわりもなく抱きしめるくせに」

ジト目の鳴がそんなこと言ったものだから、郭嘉は少しあせった。

「…起きてたの?悪い子だね」
「うるさい、悪い大人のくせに」
「……あなたの言うとおりだね。私は悪い大人だ」

郭嘉はやさしい。やさしいからひどい。やさしくてやさしくて、悪い大人。
こんなことになるのなら、いっそ冷たくしてくれたほうがよかった。

どうして私たちは生きている時代が違うんだろう。

どうして私たちは出会ってしまったんだろう。

どうして私は…郭嘉のことが好きになったんだろう。

どうしてこんなにも苦しいんだろう。人を想うだけなのに。

ただ郭嘉が好きなだけなのに、どうしてそれが許されないんだろう。

結ばれなくてもいい、ただ一緒にいるだけでいい。

それすら私たちにはできない。


ずるい女でもいい。いけない子でも、悪い子でもいい。それでもいいから、郭嘉のそばにいたい。


「ここが元いた時代なら、私は迷わずにあなたを抱いて、わたしのものにしているよ」

鳴を見つめる郭嘉の瞳は、間違いなく大人の男のそれだった。


「私は鳴が本当に…好きなんだ。…私がいなくなった後、寂しい思いをさせたくないんだよ」


「郭嘉…私…やだ。郭嘉…やだ…やだ…!」


「鳴。どうか、私のことは忘れて。…でも…忘れないで…。……忘れて……」

自分のことなんて忘れてほしい、忘れて幸せになってほしい。でも…心のなかから追い出さないでほしい。
あなたの人生の一部分にしてほしい。でも自分の自己中な気持ちに、大好きな鳴を振り回したくない。

そんな気持ちがないまぜになって、意味不明な言葉をうわごとのように呟く郭嘉。
鳴はただ、泣きながらふるふると横に振り続けた。

郭嘉はもう一度だけ、鳴に口づけた。唇と唇が静かに触れ合う。
鳴は目をつむる。涙が止まらない。郭嘉、いかないで。そう言いたいのに、塞がれた唇を離したくなかった。


それは10分だったかもしれないし、3秒だったかもしれない。
一瞬で終わったかもしれないし、一時間、ずっとくっつけたままだったかもしれない。

郭嘉のくちびるのやわらかさをまだ鮮明に覚えてる。
鳴が目を覚ましたのは、次の日すっかり日が昇ったあと。

ベッドの半分隣はからっぽで、すっかり冷たくなっていた。

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