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朝起きて、まず今日も自分が生きている確認をする。
腕は動くか、足は動くか、視界は良好か、声は出るか。

でも、そんなことも必要なくなってしまった。

郭嘉の病気はもうすっかり治ってしまったのだから。


十数日の夢のような出来事を体験した後、郭嘉の体は何事もなかったかのように許昌の自宅に戻っていた。
ゆっくり目を覚まして、視界に飛び込んでくる天井を見てひどく懐かしい気分になった。
部屋の様子、寝台の寝心地、何もかも記憶どうり。時間の経過もない。本当に長い夢を見ていた気分だ。

一つだけ違うのが、体が驚くほど軽いということ。
呼吸をするたびに胸が痛くならない。頭痛もしない。ひどい咳もでない。

「これは……」

それを自覚するや否や、みるみる力がみなぎってくるようだった。
あの夢のような数日間は、夢のようであって、夢ではなかったんだ。

それは、この体と記憶が証拠。

忘れたくても忘れられない、大好きな少女の笑顔と涙。

結局離れ離れになってしまったが、けれどそれも仕方のないことなのだろうか…。

この時代に戻ってから数日が経っていたが、郭嘉は今日まで一度も女性を部屋に呼んでない。

以前は毎日のように違う女性と一夜を共にしていたというのに…、あまりの変わり様に郭嘉の周りの人間は男女ともにひどく驚いた。
「郭嘉よ、おぬしのような者が……一体どういう心境の変化だ」と曹操自ら声をかける始末。

郭嘉にはすっかりその気が起きなくなってしまったのだ。

なぜなら、鳴の顔がいつだって頭にちらついて、離れなくなってしまったのだから。

鳴に会いたい、触れたいという気持ちが、あんなに好きだったものへの興味をなくしてしまったのだった。




郭嘉は今日もすっきり目を覚まし、気分が良さそうに城へ向かった。
すると長い廊下で顔の見知った女官に出会う。

「おはようございます、郭嘉様。今日も顔色がよろしくてなによりでございます」
「ああ、おはよう。朝から美しい人に会えたから気分がいいよ」

まあ、郭嘉様ったら。女官は口を隠して控えめに笑うと、礼をしてその場をあとにした。
誘うことはなくなったとは言え、女性は相変わらず愛でる対象であり、好きだ。
だんだん小さくなっていく後ろ姿をぼんやり眺め、鳴より少し尻が小さいな。なんて思っていると…


「夜の噂はなくなったというのに軽口は相変わらずですな、郭嘉殿」


天井の高い廊下に男の声が響いた。
郭嘉は微笑みながら振り向いて、男の名前を呼んだ。

「やあ、おはよう賈ク。いい朝だね」
「おはようございます。今日もすがすがしい程顔色が良いですね。分けてほしいぐらいですよ」

そう言って目頭を押さえる賈クは最近与えられた大きな任務に四苦八苦しているらしい。

「今日も徹夜かい?ご苦労様」
「いえいえ、ありがたいことで」
「その姿勢は素晴らしいけど…もっと体を大事にしないといけないよ」
「郭嘉殿からそんな言葉を言われる日がくるとは思いませんでしたよ…」

賈クが愉快そうに笑う。

そんな中、第三者の足音が聞こえた。
感覚の短いそれは走っている様子で、その音はどんどんこちらに近づいているようだった。


「しっ、失礼します!」


一人の兵卒がやってきて、その場に肩膝をつき拱手する。
さきほどの足跡はどうやらこの兵士のものだったようだ。

「あわただしいね。なにごとかな?」
「少々郭嘉将軍のお耳にいれたいことがありまして」
「…どうしたんだい?」

「はっ。先ほどわが小隊の兵が城下の偵察を行っていた際、妙な格好をした女が郭嘉様の武器と良く似た球を持っていたとの報告がありまして」

「…え?」


郭嘉は目を見開いた。


「少し待って。詳しい話を聞かせてくれるかな」

だんだん早くなっていく心臓の動きを悟られまいと、できるだけ平静を保つ。
それでも隣の軍師仲間には興奮を隠せてはいないだろう、が、それはもう諦めることにした。


「はっ。年の瀬は10代半ばかと。その…随分と足を露出した格好をしており、妙に目立っておりまして…って、郭嘉将軍!?」


兵士の言葉を最後まで聞かず、郭嘉はその場を飛び出した。
驚いた兵士が声を上げるが、郭嘉は振り返らない。
一人賈クだけが、これは面白いものを見たというふうに笑っていた。


「あははあ、早い早い。まるで少年のようだ」


すれ違う者皆が振り返る。

あの郭嘉が、走っている。裾をひるがえし、額に汗を浮かべて、ただ前だけを向いてひた走っている。

その表情は晴れやかで、瞳は子供のようにきらきらと輝いていた。


鳴に会いたい。

鳴に会いたい。会って、抱きしめたい。



「待っていて、鳴。今度は絶対に離してあげないよ」



郭嘉の夢は今、さめた。





「郭嘉のながい夢」おわり
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