02


曹操に仕える軍師郭嘉は、ここ数日体調が思わしくなく床から動けないでいた。
自分の体が終わりに近づいてきているのは前から分かっていた。

今回の病状も、前からくどくど言われていたものだ。
お願いだから酒をお控えください、それに夜出歩くのも、激しい運動も、お命が大切ならば考えてください。
と、城に勤務する医者に言われていた。それでも郭嘉は自分の行動を改めなかった。

どうせ死ぬならこの世の楽しみをすべて味わって死にたい。
酒におぼれるのも女で遊ぶのも、戦のことを考えるのも郭嘉は大好きだった。

そろそろ潮時なのだろうか。

自分で意識しなくても瞼が自然と落ちていく。重たい胸で呼吸するのがつらい。
ここで死ぬのかな。それもまあ…いいか。郭嘉はいつものようにかすかに微笑んで、意識を手放した。




「あ、起きたよ、かずさん」
「お嬢様、行儀が悪いですよ」
「痛っ」

スプーンをくわえながら子供を覗き込む鳴の頭をかずはペシッとはたいた。
はたかれた場所をさすり、口からスプーンを外して鳴は「大丈夫?」と声をかけた。


…どういうことなのか、ちょっと頭が追いつかない。


見知らぬ人物に見下ろされていたことを考えると、自分はどうやら素材のわからない、なにかふわふわした台に寝かされているようだ。その台をそっとさする。とても手触りがよくてびっくりした。

郭嘉はゆっくり目の前の人物を見つめた。…少女のようだ。年齢はわからないけれど、10代であることは確かだと思った。
女性には珍しく肩のあたりで切りそろえられた髪の毛は郭嘉ほどとは言わないが明るい色で、全体的にゆるい曲線を描いている。耳にはキラキラした耳飾がぶらさがっており、化粧も施されているようだ。
それに、後ろのほうで家事をしているらしい初老の女性に「お嬢様」と言われているあたり、この少女はどこか裕福な家庭の娘なのだろうと思った。

それにしたって、自分がここに寝かされていることには全く繋がらない。

ああ、いつもはあんなにめまぐるしく動く頭が全く働かない。明るすぎる室内に目がチカチカしてきた。

そんな郭嘉の様子に少女もしびれをきらしたようだ。ぐるっと回り込んで正面に立ち、膝をついて郭嘉と目線を合わせた。


「ちょっと、聞いてるの?あんたもしかして、口もきけないの?」


少女はなにやら怒ったような顔だった。後ろからもう一度「お嬢様!林で倒れていた方に対して、そのようなことは言ってはなりませんよ」と声がした。

…倒れていた?林で?郭嘉はとうとう頭がくらくらしてきた。

「…私は…倒れていたの…?」

「?なんだ、口聞けるんじゃない。そうだよ、あんたはうちの裏にある林にぼんやり光ながら倒れていたの。土まみれになってね。どうしてあんなところにいたの?」

郭嘉が口を開いたことに安心し、少女は台の上に腰を下ろした。そこは郭嘉の足があるはずで、まさか足の上に尻を乗せられるのかと郭嘉は少し身構えたが、そのようなことはなかった。少女は丁度良く空いた場所に腰を下ろしたようだった。
そのことに多少の違和感を覚えた郭嘉だったが、とりあえず今は目の前の少女の質問に答えるのが先だと思い、意識をそちらに集中させた。

「…私には、何もわからないよ。覚えているのは…自室で寝ていたことだけ」

「あんたの部屋からあの林まで連れ去った人がいるってこと?まさか…そんな人、いるわけないよね」

少女は口元に指をあて、なにやら考えている様子だった。
この住居の、裏の、林…。郭嘉には全く覚えのないことだった。
自分の家の周りに林などもないし、ましてやこのような美しく清潔で明るい家などどこにもない。城にだって存在しない。

郭嘉は目を覚ました頃からひそかに思っていたことが、だんだん現実なのではないかと思えてきた。


「ていうか、あんたどこの子?街に住んでるんならかずさんが帰る時車で送ってくれるって。てか家の電話番号覚えてる?親御さんに連絡してあげるから」


「車」「電話番号」全く聞き覚えの無い単語がでてきた。
それにしても、先ほどから子供に話しかけるような口ぶりが気になる。

これはいよいよ…自分の想像が当たっていたことになるのだろうか。
郭嘉は意を決して口を開いた。


「私は…曹操殿の治める許昌というところに住んでいたのだけれど…あなたはご存知かな?」


郭嘉がそう言った数秒後、少女が「……どこそれ?聞いたことないし、ていうか、それ誰?」と間抜けな声を出したので、郭嘉はとうとう笑顔がひきつったのを自分でも感じた。
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