06




「どうして病気だって言わなかったの?」
「……」
「無視禁止」

小十郎先生は薬を用意するため、一旦自らが営む診療所に白衣を翻しながら帰っていった。
そして今、人口が一人減った部屋では鳴による詰問が行われている。
郭嘉はかたくなに鳴のほうを見ようとせず空を見つめていたが、鳴が一層低い声を発するとゆっくりとそちらを向いた。

「…伝えても伝えなくても結末は一緒だとするのなら、あなたを無意味に不安にさせる必要はない」
「あんた先生の話聞いてた?その耳はかざりなの?つーか治るっつってんじゃん」
「私のいた時代ではもう手遅れだと言われていたんだ」

郭嘉はどこかむきになった様子で言った。
鳴はそんな郭嘉に向かって、腰に手をあてて見下ろしながら言った。

「あっそ。あんたがうちにいる以上、私は無理やりにでも薬を飲ますから。そうでなきゃ裸にひん剥いて林の中に捨てる」

「………」
「返事は」
「………」

「…もういい」

何も言わない郭嘉にしびれを切らした鳴はそのまま部屋を出て行ってしまった。
乱暴に扉を閉めて去っていく。いらだったような大きな足音がこちらにも響いてきた。
郭嘉は本当にあれが女なのかとここに来て数十回は思った。昨夜風呂場で目に入ってしまった体は幻覚かと思うほど。

今の郭嘉はひどく混乱していた。

いきなりこのような場所にやってきて、しかも精神はそのままに、体だけが幼くなっている。
しかしこの体を蝕む病気は進行中で、今朝もひどい咳に襲われた。
体が若くなっているのだから、病気になる前に戻っていると思ったが…そううまくはいかないみたいだった。

しかしこの時代の医者はわずかな触診と自覚症状を聞くだけで、郭嘉の病状を察してしまった。
そのうえ、薬の処方だけで完治すると言った。

自分があれほど苦しんだ病がこんなにも簡単に治るものだったなんて。

今まで病に苦しんでいた自分はなんだったのか…。

気持ちの整理がつかなくて、つい鳴に大人げない態度をとってしまった。大人げないというか、今はまさに子供なのだけれど。

それでも鳴は決して自分を見捨てないのだろう。




林の中で倒れていたらしい自分を拾ってくれた女性、鳴は幼く、全く慎みが無い。口も悪いし足癖も悪い。
そのくせ見ず知らずの自分を拾って介抱してくれるような優しさを持っている。
言葉は乱暴だし突き放したような喋り方をするが、それはきっと自分を守る鎧のようなものなんだろうと思った。


「…悪いことを言ってしまったな」
「大丈夫ですよ。お嬢様はああ見えてお優しいですから」

ぽつりと呟いた言葉を、たまたま部屋の扉を開けた使用人に拾われてしまったようだ。
使用人は「かずと申します」と一礼して部屋へと入ってきた。
郭嘉が気まずそうにするのも気にしてない様子で、手にもったお盆をベッドサイドに優しくおいた。

「おかゆです。食べられますか?」
「………」
「…お薬を飲むように伺っておりますので、一口だけでも」
「……すみません」

郭嘉はれんげを手にして、一口おかゆをすくってゆっくり食べた。
れんげ一杯分のおかゆを、郭嘉はだいぶ時間をかけて食べきった。

郭嘉かられんげを受け取ったかずは「どうぞ」と言って常温のお水を手渡す。
透き通ったガラスのコップをめずらしそうに見た後、郭嘉は一口お水を飲んで、またかずへ戻した。

郭嘉はこれで食事は終わりだと言う様に目線を窓の外へ向けた。青々とした葉の向こうにぼんやりと街並みが覗く。
色とりどりの屋根や色んな形の家があり、かなり高い建物もある。家の中だけでなく外観さえもここは時代が違うのだと実感する…。

「…?」

食事を終えても部屋を出て行かないかずに疑問を抱いていると、ふいにかずが口を開いた。

「お嬢様のことはお嫌いですか」
「……いいえ」

丸い背をさらに丸くして、「ここからは私の独り言でございます」とかずは言った。

「このお屋敷の奥様…鳴お嬢様のお母様は…お嬢様が小さい頃にお亡くなりになっているのです」

「なんと…」

郭嘉ははっとしてかずを見つめた。

「奥様は重い肺の病気でございました…治療の甲斐なく、お亡くなりになられたのですが…」
「………」
「きっとお嬢様は、少なからず奥様と郭嘉様と重ねてみている部分がおありになると思いますよ」

かずはそれだけ言って、お盆を手にとると「どうかお体をお大事になさってくださいませ」と言って部屋を出て行った。
郭嘉は鳴のベッドの上でしばし天井を見つめていた。

体を大事にしろという言葉を何度言われたかはもう思い出せない。思い出せないほど、言われてる。

それでも…昨日会ったばかりの鳴にそう思われていると思うと、元の時代の人間に言われるよりずっと心に響くのは何故だろう。

鳴が郭嘉のことを何も知らないからだろうか。

本当は鳴の年よりも1回り以上年上であることも、軍師として働いていて結構な地位にあることも、毎晩違う女性と床をともにしているということも、信じられないくらい大酒飲みだと言うことも、病で体全体を冒され、いまわの際だったということも。

自分のことを何も知らない鳴の真っ直ぐな気持ちが心に突き刺さる。
と同時に、子供扱いされる自分に情けなさを感じる。元の自分のことを知ってもらいたい…本当のことを言ってしまいたい。
ああ、なんでこんな気持ちになるんだろう。こどもみたいだ。
両手で顔を覆うが、その手が小さくなっていることを忘れていた。

体が小さくなると、厄介な部分ばかり子供のようになってしまうんだろうか。

「………子供というのはめんどうくさいな」

大人のように酒を飲んでいやなことを忘れることができない。
仕事に没頭できない。好きなときに女を抱けない。

「…寝てしまおう」

子供の体はやけに眠たくなるものらしい。郭嘉は布団をすっぽり被って、静かに寝息を立てはじめた。


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