09
籠の中にはレジャーシートも入っていた。林の近く、日陰になっている場所にシートをひいて、おやつを広げる。
小さいコップに水筒から麦茶を注ぐ。鳴は氷入り、郭嘉は氷なしだ。
かずが気を利かせてくれたようで、籠にはもうひとつつばの大きな帽子が入っていた。鳴はそれを郭嘉の頭にかぶせると、郭嘉は黙ってそれを受け入れた。

焼きたてのクッキーを1枚とって、ぽりぽり食べていると隣からも手が伸びた。
郭嘉も同じようにクッキーをかじりながら、ぽつぽつと喋りだした。


「私は許昌に住んでいると言ったね」
「うん、うちに来たときに聞いた」
「許昌というのは魏という国を統べる曹操殿がおわす都で、…大きなお城があるんだよ。私はそこで軍師としてお仕えしていたんだ」
「軍師って?」
「戦術を考えたり、戦で司令を出したり、あとは政治とか人事とか…まあ色々頭を使うお仕事。戦があれば、私も戦いに出ていたんだ。こう…長い棒と球で戦ってたんだ」
「球!?け、剣とかじゃないんだ…」
「剣を使う人間もいるよ。戦場では…たくさんの人間が死んだ。私もたくさん殺した」
「………」
鳴は郭嘉の目をじっと見て黙ってしまった。

そんな鳴をの耳にそっと口を寄せ、郭嘉は内緒話をするようにささやいた。

「そして不思議なことに…本当の私は30歳を超えているんだ」

鳴は目を見開いて郭嘉の顔を凝視した。
「うそ」
「本当だよ」
郭嘉はいたずらをした子供のように笑った。

そのままぐっと背伸びをして、背中からレジャーシートに倒れこんだ。
郭嘉の言う本当の年齢と、今の見た目年齢を推測すると、優に20以上も若返っていることになる。

「こんな子供が戦場に出たり、頭を使う仕事をしていたと思う?」
「…思わない。せいぜい木の枝振り回して遊んでるくらい」
「……うん、物分りが良くて嬉しいよ。まあ、私もずいぶんあせったけどね…女性に間違われるし」

そして郭嘉は自分の胸に手をあてた。

「私は、私の体は…大分病に冒されていてね。ここに来る前は結構…いや、大分あぶない状態だったんだ」
「うちに来た日の翌朝も死にそうだったよね」
「そうなんだ」

鳴の言葉に大きく頷いた郭嘉は上半身を起こし、コップを手にとって麦茶をひとくち飲んだ。

「体が若返ったんだから、病にかかる前の状態に戻っているものだと思ったのだけれどね…残念だった」
「…じゃあ、こっちでしっかり治療してから元の時代に戻れば…」

そうすれば、健康な体で仕事ができるかもしれない。
鳴が言った言葉に、郭嘉は微笑んで「そうだね」と返した。

そうすれば、なによりもいいだろう。

自分のやれることはまだまだある。
天下統一をするためにも、した後も、曹操殿の手助けとなれる。
それが一番いい。
この時代に来てしまってからも、自分をとりまく人々、国の情勢、敵国のことを考えていた。それらが頭から離れたことはなかった。
遥か遠く離れた土地にきても、染み付いた生き方は変えられないのだなということを自覚する。

しかし、最近の郭嘉には予想外の事態が起こってしまっていた。

郭嘉には声をあげて「好き」と言えるものがある。それはうまい酒と美しい女。そして最近、それにひとつ鳴という存在が付け加えられてしまったのだ。

ひとつ異色を放つ鳴という存在が、郭嘉の頭にこびりついて離れないのだ。

だけど、郭嘉はずっとこの時代にいるわけにはいかない。それは感覚でわかっていた。
この時代の人間と相容れることはないだろう。

その現実がなんだかひどく残酷で……耐え切れなくなった郭嘉は「ところで」と話を変え、思考を無理やり断ち切った。

「私は酒が好きでね。月の見える夜にうまい酒を飲んで、隣に美女がいれば何も言うことはない」
「へーあっそ」
「そう急に興味をなくされると悲しいな…。私は結構、女性に人気があったほうなのだけれど」
「え、郭嘉ってモテたんだ。まあ、顔だけはいいしね」
「どうやらそのようだね」
「否定しろや、本当そういうとこムカつく」
「そういう鳴は…どうなのかな?恋人はいたの?」

「あーこないだふられた」

たいしたことなさそうにケロッと言う鳴。
恋人がいたことすら知らなかった郭嘉はかすかな動揺をさとられまいと、できるだけ平静を装った。

「それは見る目がない男だね…こんなに美しいあなたを振るなんて、かわいそうに」
「…毎日さっさと帰ってたせいで愛想つかされただけ」

「…………私は鳴に謝るべきかな?」

鳴が語った理由とは、まさに郭嘉が理由だと物語っていた。
かずの言っていた言葉によれば、毎日のように遊び歩いていたという。
それが実は友人と会っていたのではなく、恋人との逢瀬であったのであれば…愛想をつかされるのも仕方が無いだろう。

「別に。どうでも良かったし、むしろ感謝してる」
「そう、なら良いのだけど…」

「それで?郭嘉は結局何が言いたいの?」

知られたくない。でも、知って欲しい。
鳴にはこんな、小さい子供の姿をした自分ではなく、本当の自分を知ってほしかった。

どうしてなのかわからない。

認めて欲しいからなのかもしれない。どんな面倒ごとも文句を言いながら受け入れてしまう心優しき鳴に、本当の郭奉考という存在も受け入れてほしかったのかもしれない。


「……私は今、子供のような見た目をしてあなたと近い距離にいるけど、本質はあなたよりずっと年上の男だし、人を殺したこともあるし…」
「それに、女をとっかえひっかえの大酒飲みだしね」
「いや、あ…うん…まあ…間違ってはいないけれど…」

鳴はじっと郭嘉の顔を見ている。真剣に話を聞いてくれている証だった。
最近はめっきり薄くなった化粧。休日の今日は就寝間際のようにすっぴんで、年相応のあどけない目元に見つめられると、郭嘉はどうしようもない気持ちになってしまう。

「平和な時代に生まれたあなたは…本当の私を見て、幻滅するかもしれないけれど…」
「…幻滅なんてしない」
「……え?」

鳴の発言に虚を突かれた郭嘉は隙だらけの顔をしてしまう。

「は?なにその反応。せっかく体がよくなったのに今度は耳が悪くなったの?」
「ち、違うけれど…」
「ていうかね、あんな現れ方された手前、今更何言われても驚かないっていうか…」

鳴は急に恥ずかしそうにもじもじし出した。
いじいじと手遊びする手元を見つめながら、言いにくそうに言葉を続ける。


「わ、私は…郭嘉が結局どんな人間だとしても、私…郭嘉は郭嘉だと思ってるから」


「…………そうだね、そうだ…」


一人で納得したように頷いている郭嘉ははたから見るととても怪しい。


「…郭嘉?どうしたの?なんか変だよ」

鳴は怪訝な表情で郭嘉の顔をのぞきこむ。鳴のコップに浮かぶ氷がじんわり溶けていた。



「…鳴。私は…あなたが好きだよ」



一番ほしい言葉をくれた目の前の女性のことを、郭嘉は本当に好きになってしまった。



空は相変わらず広い青空だった。

自分がいずれ元の時代に戻った時も、空を見上げれば鳴のことを忘れずにいられると思った。


空はいつまでも鳴と郭嘉の二人を包み込んでいた。

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