上司の恋人
私の上司はとても可愛い。
可愛い上に、なにごとにも一生懸命だし、私のような下っ端の女官にだってまるで友人のように(と言うとなんだか失礼だけど)接してくれて、なにかと世話も焼いてくれる。部下なのに!こないだは素敵な髪飾りのお下がりを頂いた。
私の仕事は、そんな素敵な上司のお部屋を掃除したり、仕事で汚れたおしゃれなお洋服を洗濯したり、最近話題だっていう甘味処に一緒に行ったり、あとは…
「ヒトミ!これ、飾ってくれる?」
「鮑三娘様。はい、わかりました」
慌しく部屋に入ってきたのは私の上司。
手には美しい花束があった。それをそっと受け取って、合いそうなかびんを探す。
「…今日も素敵なお花」
これも私の仕事。
上司が恋人に毎日もらう、四季折々色とりどりのお花をお部屋に飾ることとか。
上司の恋人
小さなつぼみが可愛らしい黄色いお花を、細身で繊細な花瓶にさす。
城内の女官、侍女たちからも、城下の淑女や街娘たちにだって大人気の上司の恋人はどうやら花が好きらしく、毎日こうして新しい花を恋人である上司へ贈っているみたいだ。
この花をもらった時の上司の反応は想像するにたやすく、きっと毎日とっても喜んでいるんだろうなとクスリと笑った。
「ヒトミ、できた?」
「鮑三娘様。はい、こちらの花瓶に生けてみました」
「やっだー、超可愛い!さすがヒトミ、いつもありがとうっ!」
あたしじゃこんなに可愛くできないもん。と、花瓶をなでながら笑う。
机に飾ってくる!と鮑三娘が背を向けて、その楽しそうな背中を見ながらヒトミは微笑んだ。
本当に可愛い上司だと思う。この人の下で働けて本当に幸せだ。
「……ほんとしあわ………せ!???!?!?」
そう思っていたら、なぜか急に腰にズキッとした痛みがきた。な、なんで!?
「いっっ…たあ〜〜〜〜……やだもう、急になんで…いたた…」
ヒトミは急に痛み出した腰に手をそえ、もう片方の手を壁についてぐっと痛みを堪えた。
壁によりかからないと立ってられないほど、ズキズキと針を刺すような猛烈な痛みが止まらない。
ヒトミはじんわりと目に浮かんだ涙が頬をつたったのが分かった。
「い、いったい……はあ……」
腰に負担をかけるような仕事はしてないはずだ。というか、上司がそんな仕事は回してこない。
「自分でいうのもなんだけど、まだ若いのに…」
「何!?ヒトミ!?えっ!?やだ!どうしたの!?」
花瓶を飾ってきた鮑三娘が、なかなか戻らないヒトミを心配して様子を見に来たが、その異様な光景に大きな声でヒトミの名前を叫んだ。
バタバタと近寄って来て、「大丈夫?」とヒトミの腰をさすってくれる。
そんなことしなくていいですってば、すみません…。そんな言葉すら声にならない。
なんだか脂汗も浮かんできた。
しばらくそうしていると、だんだんと腰の痛みがやわらいできた。
はあはあと荒くなった息が少しずつ落ち着いていく。
未だに腰をさすり続けてくれる鮑三娘の手に自分の手をそっと添える。もう大丈夫ですという気持ちをこめて。
「あぁ……すみません、鮑三娘様。もう大丈夫です。ご心配おかけしてすみませ…」
「ヒトミ」
鮑三娘はいつになく真剣な表情でヒトミの名前を呼んだ。
細い指がヒトミの肩に軽く食い込んだ。その気迫に気圧される。
「は、はい」
「腰、痛むの?」
「え、ええまあ…こんなに痛いのは初めてでしたけど」
「……キツいなら…仕事…、休んでもいいんだよ…?」
人事の人に…言ったげる…。と言う鮑三娘の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「えっ、鮑三娘様泣いっ…!?」
上司の、恋人関連以外の涙を見るのは初めてだ。
ヒトミはギョッとして笑顔をつくろい、声をかけた。
「えっあ、そ、そんな!大したことではありません。きっと、運動不足でしょう。むしろ、仕事をしないほうが体に悪いです」
「……ホント?…無理しないでいいし…」
「本当です!…私、まだ、鮑三娘様のお手伝い辞めたくないです」
だから、泣かないで下さい。
ヒトミは鮑三娘の目をじっと見て言う。これは間違いなく本音だ。
今更辞めたところで他にあてもない、実家に帰っても場所はない。
いつか本当に体を壊してしまったとしても、それまでは頑張って働きたい。
それくらい、ヒトミにとって鮑三娘のそばは居心地がいいのだ。
そうすると、鮑三娘の大きな瞳には更に涙がぶわっと浮かんでいく。
「……ヒトミっ!」
「うわっ」
感極まった鮑三娘がギュッと抱きついてくる。ふわふわな髪の毛が顔にかかる。
つい抱き締め返してしまったが、こ、腰がすごい細い…。
鮑三娘はしばらく抱きついたままだったけれど、そのうちゆっくりと離れると、濡れた目元を指先でぬぐった。
「あの…鮑三娘様、大丈夫ですか?」
「ヒトミ…。今日の夜、空いてる?」
鼻をすすりながらそう聞かれた。夜!?この流れで夜の予定聞くってどういうこと!?
「え!?よ、夜ですか!?えっと…うーん、空いてるような、空いてないような…」
「空いてるよね?」
「……空いてます…」
跳ね上がったキャットラインがつり上がる。その迫力にはどう頑張ったって勝てない。
ヒトミがそう言うと、鮑三娘は涙の跡もなんのその、ニッコリといつもの笑顔を浮かべた。
「んじゃ、今日の夜宿舎に迎えに行く。早めに寝る準備、済ませておいてね」
「ね、寝る準備?寝巻きで鮑三娘様と会えと言うのですか?」
「あっ、嫌?でも絶対そのほうがいーよ!まあ、い〜とこ連れてってあげるから!」
こ、こちらの意見を全く聞いていない…。
てっきり呑みにでも連れて行かれるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
さっきまでベソベソ泣いていたのに、今はやけにニコニコと嬉しそうな上司。
「あ、今日はもう仕事ないし帰っていーよー!お疲れさまー!」
挙句の果てには帰宅命令。まあ、よくあることなのだが。
私、今日、床の掃き掃除とお花生けるくらいしか仕事してないや。
「………はあ。では、失礼致します」
泣き出した時はどうしようかと思ったが、結局いつもと変わらない様子に少しだけほっとした。
…でも、今夜のことを思うと不安が拭えない。とりあえず夕飯買って帰ろう。
…
「やっほー、ヒトミ。さっきぶり!」
「鮑三娘様…こんばんは…」
夜がとっぷり更けた頃。
同室の同期達より少し早めに寝る準備を済ませたヒトミの元に現れたのは、上司である鮑三娘だった。
昼間に約束したとおり迎えにきてくれたらしい。
扉の前で手をふってニコニコ笑う鮑三娘は、寝巻きの上に厚手の上着を着ているようだ。
ものは大分劣るが、ヒトミも同じような格好をしている。同性といえど上司、なんとなく気恥ずかしくて、上着のあわせをきつく締めた。
その様子に鮑三娘は満足そうにうなずいた。
「うんうん、ちゃんと言われたとおりの格好してんじゃん!それでこそあたしの部下!えらいえらい」
「ほ、鮑三娘様…本当にこのまま外に出るのですか?」
「あったりまえじゃん!ほらっ」
未だにもじもじと恥ずかしそうに身をよじるヒトミの手を強引にとった鮑三娘は、無理やり廊下に引きずり出した。
「ぎゃーっ」
「もう!今更恥ずかしがっても遅いっつうの!どうせ誰にも会わないから安心しなってば!」
ヒトミの後ろで不安そうにこちらを伺っていた同期たちの顔が目にうかぶ。
その細い腕と腰からどうやって、と思うくらい強い力でぐいぐいと腕を引っ張り、無人の廊下を進む鮑三娘。
どうしたもんかと困っていると、急に鮑三娘の動きがぴたりと止まった。
「?鮑三娘様?どうしました?」
「…ヒトミ、本当に嫌なら言ってよ?今なら部屋に帰してあげる」
「鮑三娘様…?」
「ヒトミ。あたし、ヒトミのこと大好きだから嫌われたくないの。嫌ならはっきり言ってよ…」
「………」
…は、はっきり言ってよって言われても、自分がこれからどこに連れて行かれるのか、何をされるのかがわからない。
もちろんこの格好は恥ずかしい、けど…いつになく真剣な上司の言葉に、ついついヒトミはほだされる。
「…嫌じゃないです、恥ずかしいだけ…。鮑三娘様が、私のこと想ってくれてるってわかってますから」
「…ヒトミ!わかってくれてありがとう!部屋はもうすぐそこだから、もうちょっとだけ我慢してね」
「…はい」
鮑三娘は元気を取り戻したようで、再びヒトミの腕を引っ張って廊下を歩き始めた。
気にしてないみたいだからいいんですけど、あの、胸が当たっています………。
そうして連れてこられた場所はある一室の前。
ヒトミが生活している女官宿舎よりずっと城の内部にあって、なんだか外装も豪華な場所だ。
「ここは…?どなたのお部屋でしょうか?鮑三娘様のお部屋ではないですよね?」
「うん、あたしの部屋じゃないよ。ねえ、入るよー?」
ヒトミの質問に答えたあと、鮑三娘は控えめな声で扉のむこうに声をかける。
そして、返事を待たずに勢いよく扉をあけてズカズカと中へ入っていった。
一体誰のお部屋なんだろう。
中から「ヒトミもはやくおいで」と鮑三娘の声を受け、扉を閉めながらゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れた。
「し、失礼致します…」
そして顔を上げた、そこには……
「やあ。今夜は素敵なお客様が2人もいるのだね」
「か…っ、あ!? 関索様!?」
「関索、約束どうりよろしくね」
わずかばかりの明かりで照らされた端正な顔が、にこりと微笑んだのがわかった。
その部屋にいたのは関羽将軍のご子息で、何を隠そう上司である鮑三娘様の恋人、花関索との呼び名で知られる関索様だった。
まさか関索様にお会いしてしまうなんて。しかもこんな格好で。というか、なぜ鮑三娘様は私をこの部屋に?
色んな思いで頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。ヒトミは震える手で上着のあわせをギュッと握る。
その動作を見て、関索は何が面白いのかクスクスと小さく笑った。
「…こんばんは、ヒトミ。…今宵は三人で、忘れられない良い夜にしよう」
どんな女官も侍女も、街娘も、淑女の心さえも掴んで離さないその微笑みを受けて、ヒトミはなぜだか背筋が凍りつくような気持ちになった。
……今すぐ宿舎に帰りたい。
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