人生薔薇色






この世界は正直いって、娯楽がない。



「あーあ、ひまだな」



わけもわからず平成の世からなんと!三国時代にタイムスリップしたヒトミは、運よく「良い人」に保護され、生きるすべを何一つ持たないながらもこうしてなに不自由ない生活ができている。

にもかかわらず、ヒトミの表情は暗い。
なぜなら、重大な問題が一つあったから。



「スマホもとっくに電池きれちゃったし、女の人たちは仕事が忙しいし…あー、暇」




現代で青春を生きてきたヒトミにとって、ここの環境に慣れるのはすこし難しかったようだ。

おまけに年の近い女性たちはみな働きにでている。

最初こそ自分も働こう、と思っていたのだが、炊事も掃除もお裁縫も、畑仕事だってなんにもできないことが判明してからは、むしろ何もしないほうが助かる。とまで言われる始末。

なにもすることがない。

遊び道具も、話し相手もいない。

子供だし、お金もない。


「……今日はどうやって暇潰そ…」


命があることは有難い。
何不自由なく暮らせていることも。


しかし、毎日の「孤独」。
贅沢な悩みなのはわかっている。
でも、それは確かにヒトミを苦しめているのだった。


ヒトミはつまらなさそうにうつむき、あぜ道をとぼとぼ歩きながら、ふいに道端の石ころを蹴飛ばした。

小石はころころと前方に転がっていき、やがてコツンとなにかにぶつかった。


「?」


はて、なにかぶつかるようなものでもあっただろうか。そう思い、ヒトミはゆっくり顔をあげた。そこにはーーー



「楽進さん!」
「ヒトミ殿。お久しぶりです」



大きな体にやさしい笑顔。
ふだんは魏の武将として許昌に住んでいる楽進が、今日は普段着姿で、おまけに腕になにかをかかえて立っていた。


話し相手を見つけたヒトミはすっかり上機嫌になり、小走りで楽進に近づいた。


「楽進さん、ひさしぶり!今日はお仕事お休みなの?」

「ええ、すこし落ち着いてきたので。1日だけですが」

そう言って楽進は腕にかかえていた袋をヒトミの目の前に差し出してきた。


「よければご一緒にいかがですか?さきほど買ったばかりですので、まだあたたかいと思いますよ」


袋の中を覗けば、ほかほかとあたたかな湯気とともに鼻をくすぐる甘いかおり。

ヒトミは頬がゆるむのを抑えきれずに、笑顔を浮かべてうなずいた。


「ありがとう楽進さん!食べたい!」

「よかった。ではあちらの川辺で食べませんか?」

「うん!」


ニコニコするヒトミを見る楽進の顔も優しげな笑顔。

今日は天気がちょうどよくて、きっと川のせせらぎを聞きながら楽進と一緒にたべる饅頭はとても美味しいんだろうな、とヒトミは思った。



「ここで食べよ、楽進さん」
「はい」

景色のよい川辺に腰掛けると、その隣に楽進が微笑みながら腰を下ろした。




楽進とヒトミの出会いは至極簡単だ。
この世界に落ちてきたヒトミを拾ってくれて、そしてこの村でなに不自由なく生活させてくれている夏候惇という男が

「適当に相手してやってくれ」

と楽進に紹介したところから知り合った。


ヒトミはここから動けないため、まじめな楽進はたまたま任務の帰り道だったり、暇潰しだったり、こうやって休みの日に顔を出してくれていた。


最初は頬の傷や大きな体がすこし怖かったけど、見た目に反してとても紳士的でやさしい性格のおかげでヒトミはいつしか楽進のことを兄のように慕うようになった。
楽進も、自分のことを無邪気に慕ってくれるヒトミのことを良く思っていた。


楽進はヒトミがここに住みだした頃からずっと、ちょこちょこ顔を出してくれていた。
そのたびに他愛もない話をして穏やかな時間を過ごした。

小さな村で静かに暮らすヒトミにとって、楽進が話してくれる色んな土地の話は夢のようで、いつしかヒトミは楽進が村に顔を出す日を心待ちにするようになった。



そうしてすっかり仲良くなったふたりは、今日も川をながめながら並んで座り、饅頭をもぐもぐ頬張っていた。




「楽進さんってさぁー」

「ふぁい」


ヒトミが袋から二個めの饅頭を取り出しながら楽に問いかけた。楽進の頬張っている饅頭はこれで4つめだ。



「彼女いないの?」



「ぶっ!!」


「うわっ楽進さん大丈夫!?」


なんとなく聞いた質問にしこたま驚いた楽進は、口に詰め込んでいた饅頭で喉をつまらせかけた。


「げほっ、げほ……」

「ちょ、楽進さん…!?」

「だ、大丈夫、大丈夫ですから……」


少々涙目になりつつも、ヒトミに背を向けて咳払いをして落ち着きを取り戻す。
申し訳なさそうにするヒトミに、気にするなとの気持ちを込めて振り向いた。


「はぁ……す、すみません…驚いてしまって」

「変な質問してごめんね。でも楽進さん、結構カッコいいし………」

「えっ」

カッコいい。と言われた楽進は一瞬恥ずかしそうに頬をゆるめたが、次の言葉で顔色を変えた。


「もしね、あの…いい人がいるなら、もう無理して来なくて良いよって言おうと思って。あ、夏候惇さんのことなら気にしないでいいし…」


「無理など!しておりません!」



その言葉を聞いた瞬間、楽進は血相を変えて怒鳴った。

ヒトミは楽進が大きな声を出すところを初めて見たものだから、目をぱくちりさせて驚き、言いかけていた言葉も忘れてすっかり閉口してしまった。

一方の楽進はすぐにハッとして、やばい、という表情をした。困ったようにおろおろしだして、ヒトミの顔色をうかがっていたが、なんて言えばいいのかわからない様子だった。


「…………っ、」


「…え…、えっと…無理してないなら……よかった……です」


「あっ………いえっ、あの…………っ、し…っ、失礼しました!!!ヒトミ殿に向かって大きな声を出すなど……申し訳ありません」

今にも土下座してしまいそうな勢いに、ヒトミは慌てて声をかける。

「いっ、いいよ別に。私が変な質問をしたのが悪いんだし。ゴメンね?楽進さん」


「た、確かに少し驚きましたが、変な質問などとは思いません。
ただ、ひとつ言わせて頂きたいのは、私がヒトミ殿に会いに来るのは、きっかけこそ夏候惇殿に言われてのことでしたが…今は自分の意思で会いに来ているということです。
それだけは覚えておいて頂きたいのです」


楽進がこの言葉を心から言ってくれているのが痛いほど伝わる。
ヒトミよりずいぶん年上なのに、丁寧な言葉を選んで気持ちを伝えてくれたことに嬉しさが溢れる。


「そうなんだ…ありがと。私も楽進さんがきてくれて嬉しいよ。話し相手になってくれるし、楽進さんの話面白いし」


そう言うと楽進は、一瞬驚いたような顔をしたあと、とても嬉しそうな、優しい顔で微笑んだ。
楽進さんのそんな顔を見ると、私も嬉しくなって自然と笑顔になってしまう。


「…私の話を面白いと言ってくださるのは、ヒトミ殿だけです」
「えー?そんなことないよ。ねえ、さっきの話のつづきしていい?」
「つづき?」

「彼女とはいかなくても、好きな人はいるの?」


「その話ですか………」


楽進は微笑みをサッと引っ込めて、ぐったりした顔になってしまった。
そんな楽進を見て、なんだかわがままを言いたくなってしまったヒトミは、楽進の腕をぽんぽんと叩いて駄々をこねた。


「ねーえ、いいでしょ、教えてよー!わたしのお饅頭一個あげるから!はい!」

「む、むぅ…」

そして、手に持っていた饅頭を楽進の口の中にむりやり突っ込んだ。
あげるもなにも、元々楽進が楽進の金で買った饅頭なのだが、そのことは饅頭と一緒に飲み込んでくれたらしい楽進は、観念したように声をしぼりだした。



「………………気になってる女性は、います」

「えーっ嘘っ誰?どんな人?どこに住んでるの?年齢はどのくらい?顔はどんなかんじ?」

「な、なぜ急にそのようにぐいぐいこられるのですか……!!」

いきなりテンション高く食いついたヒトミに楽進は若干引き気味だ。
そんな楽進に対し、ヒトミは何故かドヤ顔で言った。


「楽進さん、いつの時代も女の子はこういう話が大好きなんだよ!ねぇ〜答えられる範囲でいいから教えてよ、楽進さんの恋の話聞きたい!」


ヒトミは久々のコイバナに興味津々だ。
ヒトミのきらきらした瞳に根負けして、楽進はぽつぽつと話し出す。


「………こ、小柄で、純真で、優しくて、頑張り屋な…可愛らしい方ですよ。年齢はわたしのほうがずいぶん上ですが…話していると、年齢を忘れてしまうくらいなんです」

「へ、へぇ……」


思ったより具体的な表現に、ヒトミは思わず表情を固くしてしまった。
あんなに聞きたかった話のはずなのに。

なんか全然、楽しくない……。


「天真爛漫な女性で、何事もはっきり言うし、甘え上手でもありますね」


楽進は少し照れながら言った。


「ふうん…?」


……あれ。

なんだかおかしいな。

楽進が好きな人の話をしている時の顔を見ると、なぜかヒトミの胸がちくりと痛む。
好きな人を思いながら浮かべる笑顔を見てると、なぜか目を逸らしたくなる。


「ですが…」

「?」


「私は今までこのような気持ちになったことがないのです。
だから…彼女にどうやってこの想いを伝えれば良いのか…わからない。
困らせたくもないし、傷つけたくもないのです。
そもそも、気持ちを伝えていいものなのかすら……むしろ、もうずっと…このまま、気持ちを伝えずにいた方が良いのかと……」


「なに弱気になってるの!」


今度はヒトミが大声を出す番だった。


「気持ちを伝える前に諦めちゃだめだよ!それに、ちょっとくらい強引なほうがうまくいくって!

少なくとも私は楽進さんのことカッコいいって思うし、優しいし…、好きになってもらえた女の子はとっても幸せ者だよ!きっと!」

「え…」

ヒトミは、自分でもどうしてこんなに必死になっているのかが分からなかった。
それでも止められなかった。

楽進は、楽進が思っているよりずっと素敵な人だ。

その想いが伝わったのか、楽進はさっきよりもずっと晴れ晴れしい顔をしてヒトミを見つめていた。


「ありがとうございますヒトミ殿、おかげで決心がつきました」

「そっ、か………よかった」


あーあ、もう楽進さんは今までみたいに会いにきてくれなくなっちゃうのかな。

自分で背中押しておきながら、なに勝手にショック受けてるんだろ。


「……ね、楽進さん、また…ここに遊びに来てくれる?」

「ヒトミ殿…もちろんです」

「…えへ、よかった。告白、がんばって」

あ、やば。涙でそう。

楽進さんはいいお兄さん。
私は、楽進さんの優しさに甘えてただけ。
おんぶにだっこじゃだめなんだ…楽進さんには、

楽進さんの人生があるんだから……


「はい。ヒトミ殿」


やば。もう、その声で、名前聞きたくない、かも…………







「私と結婚して下さい」








「………………は?」


予想だにしていない言葉に、今度は私が困ってしまう番だった。


「楽進さんの好きな人って………………私?」
「…はい」

乙女のような反応をした楽進さんがわたしの手をそっと握った。
大きくて、ごつごつして、武骨な手は、実際に触れるとやけどしそうなくらい熱くて、だけど驚くくらい優しかった。

私をじっと見つめる楽進さんの頬は赤いまま。






「…いつか、私と一緒に許昌に来ていただけますか?あなたと毎日、話がしたいのです」






わけもわからず平成の世からなんと!三国時代にタイムスリップした私は、運よく「良い人」に保護され、生きるすべを何一つ持たないながらもこうしてなに不自由ない生活ができている。

最初こそ娯楽がない、青春よいずこ、とさめざめしていた私だったけど、それは大間違いだったことに気付いた。


娯楽がないなんて、うそ!!


楽進さんのほっぺは、私と同じくらい真っ赤なばら色なんだもん。



「楽進さん……大好き!」



この世界はばら色だ。

わたしの人生のこれからも、きっと燃えるようなばら色に違いない。楽進さんがいればきっと。


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