本来なら月曜日のはずなのに。 まだ日曜日……、長い。 それがいつも思うことだった。 「本日は学校をお休みとさせていただきます」 「……」 のそりと上半身だけをベッドから起こせば、タイミングよく掛けられた声。 扉から顔を覗かせたハルトが伝えた言葉は、「今日は病院の日」という旨だった。 「昨日の食欲もそうですが、帰宅された際顔色が優れませんようでしたので一度担当医にご連絡をいたしました」 「……」 「簡単な身支度だけされましたら、お声掛けください」 カタカタと震える両腕。 私はその様子を見つめながら、ハルトに返事を返した。 「……わかった」 ハルトはそんな私の両腕を撫ぜるようなしぐさで包み込む。 そして「扉向こうにおりますので」と一言告げると、その場を離れていった。 「……」 ――そう、この世界での私は身体が弱い。 詳しく聞かされてはいないけれど、遺伝子や血液、神経系に関連する完治が不可能な病を持っているらしい。 大層なことがない限り死に至ることはないみたい。 でも、高頻度で身体が使い物にならなくなるから、そこが難点かな。 私は小さくため息を吐くと、着ていた夜着をベッドボードに掛け置いた。 「…まぶしい」 そして、ハルトが準備した服に袖を通すと、静かに部屋を後にした。 「先生をお呼びしてまいりますので、それまでこちらに」 「どうもありがとうございます。よろしくお願いしますね。あぁ、それと申し訳ございませんが湯のご用意をお願いできますか」 「はい」 病院に着けば、慣れたように通される部屋。 一階の最奥に位置する部屋は、いつ見てもキレイに整えられていた。 「ルカさま、体調はいかがですか?優れないところがありましら…」 「…大丈夫」 「さようでございましたか」 ハルトは私の衣服を詰め込んだバックをクローゼットに据えると、私をベッドに座るよう促す。 サイドテーブルにどこからか取り出した茶器セットを準備すると、笑顔でこちらに振り向いた。 気のせいかお茶を準備するハルトはいつもどこか嬉しそうだ。 「お湯をいただいてまいります。ルカさま、本日は菊花茶をお入れいたしますね」 「……」 返事の代わりに小さく頷いて見せる。 すると、肯定を確認したハルトは「すぐ戻ります」と一言微笑み、嬉々とした様子で部屋を後にしていった。 「……静か」 ハルトがいなくなった部屋は一瞬にして静寂に包まれる。 病院と一口に言っても、隔離されたように離れているこの一室には、巨大な爆発音でもない限り外の音は聞こえてこない。 私は、芝の庭を望むテラス続きのフレンチ窓にそっと足を延ばすと、鍵の開けられた扉を開いた。 足元まで垂れるレースのカーテンが、入り込む風に一気に揺らされる。 少しだけ湿った空気が頬を撫ぜ、届けられる芝の香りが敏感に鼻を擽った。 「……っぶわ!!」 そうして窓を開け放ったまま波打つレースを鑑賞していれば、不意に庭先の低木が揺らされる。 それに驚くも束の間。 私は、振動する垣根から真っ赤な何かが飛び出してくることに気がついた。 「……っ」 思わず一歩後退して、レースカーテンの裏に姿を隠す。 大分大きさのある赤い物体は、どうやら人の形をしているようだ。 私は、僅かに跳ね上がる胸に手を置いた。 「ってェ……、っあれ?ここどこだ?」 「……」 しばらくそのまま様子を窺っていると、蹲るように身体を起き上がらせた人物。 頭を強く打ったのか、赤く見えていた髪を乱雑にこすりながら声を漏らしていた。 きょろきょろと辺りを見回し、困惑した様子で頭をさすっている。 何がどうしてこうなって、ここに飛び込んできたのかはわからないけれど、どうやら当人が一番驚いているようだ。 遠目から見ても、ひどく狼狽えている様子が見て取れた。 「…ぁ」 けれど、そんな人影を観察しているのも束の間、不意にぶわりと大きく風が吹き込んできた。 途端、突風に煽られ、身体を隠していたレースカーテンが巻き上げられていく。 大きく揺れ動いたそれに咄嗟に目を瞑るものの、運悪くバランスを崩した私は、そのまま背後のベッドに倒れ込んでしまった。 すると、見計らったかのようにスプリングが嬌声を上げる。 「……?」 「…っ」 私は別の意味で高鳴った鼓動に手を添えると、どくどくと逸る心臓に目を瞑った。 落ち着け、落ち着け。 ゆっくりと持ち上げた瞼の先。 全開になった窓先の景色が、はっきりと視界に飛び込んだ。 「……」 「……」 こちらを見つめる双眼。 いまだに吹きつける風に、赤い髪が踊らされている。 「……」 「…っ」 私は合い見(まみ)えた視線に、瞬きを落とした。 「……」 「…に……」 時間が止まったように思える数秒間。 その間にも、窓の両脇に押されたカーテンはひらひらと揺れていて…。 私は、捉えた人物を茫然と見つめた。 「…っニンゲン、か?」 「…」 そして、芝生に尻もちをついている男性をはっきりと視認すると、私は固まったように動かないその人の、こちらを指差す姿に首を傾げた。 彼は何を言ったんだろう。 小さ過ぎて聞き取れなかった。 「……あ、あああアンタ動いて、るよな?」 「……」 漏らされた声はどこか動揺しきった声色だ。 ぎこちない動きでぱちぱちと瞬きを続ける少年に一瞥を投げると、私は小さくため息を吐いてベッドシーツに手を掛けた。 「…う、動いてる」 「…」 「…ああ、アンタって…あ!悪ィッ!!」 庭先であたふたとし始める少年を横目に、するりとベッドに足を入れる。 わいわいと聞こえる声はまるで教室全員分の声量だ。 先ほどまでの静けさなどお構いなしとでもいう風に慌てふためく少年は、申し訳なさそうに、けれどゆっくりとこちらへと近づこうとしていた。 「……ッ、その勝手に入っちまって悪かったな。えっと、アンタはここの人か?」 「……」 完全に開ききったレースが部屋の内側に流れ込む。 テラスに立ち尽くす少年は、おずおずとした様子で窓枠近くからこちらを覗き込んでいた。 ゆっくりと顔を向けて、頷く。 すると、その少年はどこかホッとしたように肩を下ろすと、視線を彷徨わせながら頬を掻いた。 「…っそうかよい。…そのなんつーか、驚かせちまっただろい?」 「……」 「本当に悪かっ…すみませんでした」 ぺこりと下げられた頭に、彼の背後から光が差し込んでくる。 穏やかな風に揺らされた真っ赤な髪は、まるで燃えているようだ。 思わぬ眩しさに目がくらみそうになる。 「、アンタあんまりキレーだから一瞬人間かと思わなかったぜ…って…えっとなんつーかだな……変な意味はないんだぜ?」 「…」 「…あッ!!それよりも…勝手に入ってきて迷惑かけたこと本当にすまなかった」 きょろきょろと、よく目が動く。 「けど、そのー迷惑ついでじゃねーんだけど。って、俺別に不法侵入とかじゃねーからな?!悪いことなんて一切する気ねェしよ!だから、良かったらここからどうやって病院の方に行くか教えてもらえねーか?!」 「……病院?」 「ああ!」 謝ったり、慌てたり、視線を彷徨わせたり。 登場してから随分と忙しない動きを見せるその人。 未だにどこか慌てた様子を隠しきれてはいないけれど、どうやらここへ来てしまったのは彼の本意ではなく他意だったようだ。 その人は頭後ろを掻きながらもう一度頭を下げると、困ったように笑った。 「今日、創立記念日で学校が休みだからよい、入院してる仲間に切原っつー後輩と会いに来たんだ。そしたらそのバカが近道知ってるとか言い出して、勝手に進んでいっちまうからあわてて俺が追いかけたんだ。そしたら垣根ん中彷徨ってここに出ちまった、ってわけなんだ」 「……」 「だから、できれば病院に戻りたいんだけど……教えてもらえねーか?」 未だに一回も合わされることのない視線。 テラスの先からこちらへと近寄って来ないその姿は、どこか怯えた小鹿を彷彿とさせた。 「頼む!!」 「…」 両手をパンッと叩き合わせ、眼前に掲げるその人。 その眼は固く閉ざさられ、こちらを見ることはない。 私は枕に背を預けながらそっと右手を持ち上げると、その人の震える睫毛をじっと見つめた。 「ここも病院だけど……」 「え?……っ」 すると、私の声に合わせてパチリと開かれた薄紫色の瞳。 それは一瞬戸惑いのような雰囲気を漂わせて。 私の瞳と初めて重なったことを確認すると、すぐさま他方に逸らされてしまった。 「……ッ、えっと…ここも病院ってどういうことだ?」 「……」 バッと片手を上げて、両目を隠すその人。 すでに顔が背けられているのに、目まで隠す必要があるのだろうか。 人と会うと必ず三者三様で目を逸らされるけれど、ここまで大仰な人は初めてだ。 私は、見慣れた反応に気を削ぐことなく、彼の質問に答えた。 「ここも病院。ここは病室」 「そうか……はっ?!」 「…っ」 けれど、この人は今までの人たちと少し違ったみたい。 「ってそれっておまッ……病人なのか?!」 「……」 逸らされていた顔が一気にこちらへと向けられ、瞳を隠していた腕はいつの間にか彼の胸元へと落ちている。 先刻まで自らが視線を逸らしていたのというのに。 そのことすら忘れてしまったかのように、彼はグッとこちらを見遣っていた。 久しぶりに見るハルト以外の瞳にコクリと咽が鳴る。 私は小さく頷きながらも、薄紫色の瞳をじっと見つめた。 「そうだったのかよ……って俺入ってきても大丈夫だったのか?!変な菌とか別に持ってるつもりねーけどよ、人に会ったりしても平気なのか?つーか勝手に転がり込んできたのは俺だけど…、死んだりしねーよな?!」 「………」 先ほどまで怯えた小鹿に見えていた彼はどこにいったんだろう。 両手に拳をつくり、胸元でそれを震わすその人は、なぜか今はその顔に必死な表情をのせている。 それに、テラスの下で躊躇っていた彼の足は、今ではすでに窓の枠を超えていて…。 遠かったはずの彼の顔が、いつの間にかすぐそばまで近づいていた。 「……あ……すすすすすすすすスマねェッ!!」 「…」 「なんで俺入ってきちまったんだ?あああッ土足じゃねーか?!ほんとーに悪ィ!!」 謝ったり、慌てたり、視線を彷徨わせたり。 やっぱり忙しない人。 赤い髪が、室内に入ったことにより、わずかにほの暗い色になっていた。 百面相を浮かべる彼に静かに呟く。 「別に構わない……」 「…っ」 すると、なぜか硬直したように直立不動になるその人。 ベッドの脇からほど近いところで、赤い髪をなびかせ目を真ん丸にしている。 身体を小刻みに震わせて、今にも瞳がこぼれ落ちそうだ。 「……っぅ、あ」 私はそんな彼の方へと手を伸ばし、本当に零れてしまいそうなくらいに見開かれた瞳を掬い取ろうと、そっと手をかたどった。 同時に、なぜか決して触れない距離に立つ彼の顔が一気に上気した。 ボフンと音を立て、頭頂から幻の湯気が立ち昇っている。 こちらをじっと見据え、全身を震わせ始めた少年は、パクパクと口を動かしては必死に何かを言葉にしようとしていた。 なんだろう。 何か言いたいのかな。 「ッぅ、ぁ…ぁ……」 けれど、口の代わりに体が動いてしまったのか。 じっと見つめていた彼の顔がさらなる真っ赤に染め上がったとき、いったいどこから取り出したのか。 硬直した彼の手が僅かに動いたと思った次の瞬間、その人は真っ赤な包み紙に巻かれた大量の飴玉を突如シーツの上にばら撒いたのだった。 「……」 「…」 ポタポタポタ、と体の周りに飴玉が転がる。 「……っ」 「…」 コロコロコローっと、布団の波を越えて。 「あ、落ちる」、そう思った刹那。 「ただいま戻りました」と、病室の扉が開けられた。 「…っあ」 「……貴様っルカさまに何をしている!!」 「あああ…っえ?、えええ?!……あ、違っ…」 一時の間ののち。 タイミングが良いのか、悪いのか。 湯を抱え戻ってきたハルトが、真っ赤な彼に激高を露にした。 そのときの、直立不動だった彼の慌てぶりは、出会い頭の比ではない。 先ほどまで真っ赤だった顔が一気に急速冷凍され、今では見るも無残なほどに真っ青になっていた。 私は、自身の上に撒かれた大量の飴玉をひとつ手にすると、ベッドを挟んで繰り広げられ始めた抗争に目を遣った。 「不法侵入者ですか?ルカさまに不貞を働きましたね」 「ちちちちち違ェよ!つか不法侵入って…!あ…間違ってねーのか?」 「なんですか?!」 「いやいやいや!違うから!!俺は……なんつーか、そう!!見舞いだ見舞い!!」 「嘘を吐かないでいただけますか?ルカさまがここに居らっしゃることは旦那様と奥様以外は知り得ません」 「はぁ?!……まじか」 「些細な衝撃も避けなければならないというのに、こんなものを投げつけるなど…!!もしルカさまに何かあったら許しませんよ」 「……っ」 飴玉を拾い上げると、ハルトはそのいくつかを真っ赤な彼に見せつける。 少年は、そんなハルトの態度に驚いたような表情を浮かべクシャリと眉間を寄せた。 「……ハルト」 「…ルカさま、大丈夫でしたか?どこかお身体に異変は?どこも何もされておりませんか?」 「……」 そんな二人を見遣り、私はハルトに声を掛ける。 変わり身の早さで私へと手を差し伸べたハルトは、散らばった飴を払いのけながらひどく眉尻を下げ、私の顔を覗き込んだ。 「ルカさま…申し訳ございません私が離れている間にこのような輩を……」 「ハルト…」 視界の端に映った彼の手がぎゅっと握られる。 私は目端でそれを捉えると、目の前のハルトに飴玉を差し出した。 「…ルカさま……?」 「彼、迷ったみたい」 「は…迷った……ですか?」 「…」 虎を突かれた表情を浮かべるハルトにコクリと頷く。 「一般の病院内に連れて行ってもらってもいい?」 「え……この少年を、ということでしょうか?」 「…お願い」 ギシリとスプリングを鳴らしながら、ベッドに着いていた片手を持ち上げるハルト。 その眼は怪訝さを表していたけれど、私はハルトに向かってしっかりと首を縦に降ろした。 「……」 「……、わかりました」 数秒、ハルトと視線をぶつけあう。 けれど私の言葉が嘘ではないことを悟ったのか、ハルトの表情から強ばった空気がゆるやかに霧散されていった。 「ルカさまが仰るのであれば、そういたしましょう」 「ありがとう……」 やさしく微笑み、ハルトにいつもの柔和さが戻ってくる。 私はハルトの表情を確認すると、いつの間にか俯いていた少年に振り返った。 呼びかければ、不意に上げられた薄紫色が向けられる。 「……っ」 「彼が病院まで案内してくれるから…」 薄紫が左右に揺れる。 「飴、ありがとう」 「…っ」 私は、飴玉の一つを掲げ彼に見せた。 そしてそのままハルトに視線を移すと、小さく「よろしく」と伝えた。 「そこのあなた、ここは本来一般の方は立ち入り禁止の場所です。本棟の病院までお送りいたしますので私についてきて頂けますか」 「………えっ、あ」 「行きますよ」 「え、あ……は、……はい?」 少年の元に向かったハルト。 先ほどまでの憤りはなくなっていたけれど、どこかピリピリとした空気は完全には消えていない。 ハルトは、呆然とたたずむ少年の腕を軽く引っ張ると、私に微笑んでから「いってまいります」と彼を連れて病室を後にした。 「……」 そんな二人の背中を見送り、パタリと軽快な音を立てて閉まった扉。 私は二人がいなくなった部屋で深く息を吸うと、風に揺られて再び閉じ始めたレースのカーテンに目を遣った。 嵐が過ぎ去ったような気分だ。 「……静か」 ポツリと漏れ出た言葉がよく響く。 膝に掛けられたシーツを掴むと、私は身体をベッドに横たえた。 直接耳に触れる枕の布ずれ音以外、聞こえる音は何もない。 私はようやく静かになった部屋でスッと瞼を降ろすと、眩みそうになっていた目をきつく閉じた。 「あっ……、おーい!」 「っ!?」 けれど、目を閉じてからほんの数秒。 微かに届いてきた声に、私は閉じていた目を開けてしまった。 「俺、丸井ブン太っつーんだ!!」 扉の向こう、廊下のずっと先。 反響する声がはっきりとこの耳に届いてくる。 「ありがとなー!!元気になれよ!!」 「静かにしなさい!!」 「……」 途切れた声に瞬きが落ちる。 私は、横たえた身体を再び持ち上げると、ふと違和感を覚えた右手に目を向けた。 「……あか」 すると、そこには真っ赤な包みにくるまれた飴玉が転がっていた。 「……」 … 甘そうだ 5月21日。 長い日曜日の先で出会った彼は、この世界で初めて私を笑わせてくれた。 延長線上の少年