それは、とある本丸の、とある刀剣男子たちの、とある厨でのお話。 Hidden, Unravelling 朝靄が立ち籠め、蒼暗い明るさが世界を包む中。 とある一室にカタカタと小さな生活音が響いていた。 「うーん、あとはこれくらいかな」 周囲の部屋にひんやりと漂う朝特有の冷気。 然しそれとは一線を隔てるように、その部屋だけは柔らかな温かさに包まれていた。 コトコトと聞こえる耳障りの好い音。 その後に続くのは、トントンと懐かしい記憶を掻き立てられるような音。 どこかずっと耳にしていたいような音たち。 そんな穏やかな音が溢れる空間に、ガタリとひとつ、粗い音が届けられた。 「おはよう、伽羅ちゃん。今朝も随分と早いね」 「……当番だからな」 「そっか、ありがとう」 「……」 厨に続く木製の引き戸。 馨しい香りに華やぐ室内に徐に顔を覗かせたのは、打刀の一振り、大倶利伽羅だった。 釜の蓋に手を掛けていた燭台切光忠が彼の姿を捉えると笑顔を漏らす。 その表情を見止めた大倶利伽羅はどこか居心地が悪そうにため息をこぼすと、次には「それで…何をすればいい」と訊ねていた。 「今朝は主の好きな細魚(さより)を使って椀物をいくつか作ったんだ」 「…」 「あと、カブと里芋、大根の炊き合わせも作っておいたから。そうだなぁ後は盛り付けとご飯の炊き上がりを待つくらいかな」 「…そうか」 「今日はなんだか気合が入っちゃってね、早起きし過ぎたんだ。よかったら座敷の方にお皿の準備してもらえるかな?盛り付けも手伝ってもらえると助かるよ」 「わかった」 「よろしくね」 燭台切の言葉に端的な言葉を返す大倶利伽羅。 短い言葉のやり取りに燭台切は思わず微笑んでしまうが、胸中では安堵したように大きな笑みを落としていた。 食器棚から大倶利伽羅が丁寧に皿を取り出していく。 その様子を横目に入れながら、燭台切はふと思い浮かんだ話題に口を開いた。 「あ、そういえば伽羅ちゃん」 「…?」 「昨日加州が教えてくれたんだけど。主って実は菓子作りが趣味らしいんだ」 「……それがどうした」 「いや。なんていうか、本当はつくりたいのかなって思ってさ」 「?」 「ほら、主って部屋から出ないけど。それってたぶん僕たちがいるからで。どちらかというと『出ない』んじゃなくて『出られない』のかなって思って。もしそうなら、趣味も『しない』んじゃなくて『できない』の間違いなんじゃないかと思ったんだよ」 「……」 「そんな風に考えてたらなんだか申し訳なくなってきてさ」と憫笑を浮かべる燭台切。 大倶利伽羅は棚上の椀に伸ばしていた手を止めると、ゆっくりと背後に振り返った。 普段から努めて落ち着いた姿勢で立ち振る舞う昔なじみ。 けれど、今だけはなぜかその彼の言葉の端々に、自嘲じみた息漏れを感じた。 大倶利伽羅は心ともなく眉間を寄せると、視界の先に捉えた男の背に「おい」と小さく声を掛けた。 「え…伽羅ちゃん?」 「……お前が落ち込む必要はないだろ」 「え」 予期していなかった言葉の投げかけに、思いがけず目をパチクリと瞬かせる燭台切。 常ならば決して言われないであろう口上に瞠目してしまった。 然し己のそんな態度に気づいたら、大倶利伽羅はきっとこれから言わんとしていることに歯止めを掛けてしまうだろう。 燭台切は急いで居住まいを正すと、せき止められていた息を静かに吐いた。 そして、口を閉ざして大倶利伽羅に向き合う。 「アイツが部屋から出ないのは元からだろう。誰のせいでもない、アイツ自身の問題だ」 「……」 「それに作りたくなったら作りに来る、それだけのことだ」 「…それは、そうだけれど」 大倶利伽羅の真っ直ぐな瞳が相対する男を貫く。 同じ金色を宿す瞳、然し自分のモノよりも幾らか淡い色を落とす大倶利伽羅のそれに、燭台切は目を伏せた。 「お前の気にすることじゃない」 「、そうだね」 彼なりに自分を慰めてくれているんだろう。 決して表立って感じることはない優しさだけれど、僕は昔から知っているよ。 燭台切は伏せていた目を開けると、ゆるりと口角を上げた。 「うーん、少し考え過ぎちゃったみたいだね」 「…」 にこやかな笑みを載せ、細めた視界に大倶利伽羅を捉える。 決して返されることのない笑みだけれど、きっといつか返してもらえる。 そんなことを思いながら、燭台切は大倶利伽羅に向けて笑顔を落とし続けた。 「……」 でも、きっとそれが原因だったんだろう。 いつもなら顔になんて出さないのに。 周りの誰にも気づかれることなんてないのに。 どこかで燻っていた想いがふと漏れてしまったんだ。 だから、伽羅ちゃんの眉間が歪んで、僕を射抜く瞳が鋭くなってしまったんだ。 燭台切はくるりと調理台に身体を向けると、鍋を覗き込んで背後から感じる視線に気づかないふりをした。 「……光忠」 「…、」 けれど君には通用しないみたいだ。 関わらないなんて言っているくせに、こういうところばっかり鋭いんだから。 ほんと、恰好つかないよね。 菜箸を掴んだ手に力が入る。 トクリと胸の板を叩いたこの音は何だろうか。 「…会いたいなら会いに行けばいい」 「え…」 カランと乾いた音を立てて鍋に落ちた菜箸。 燭台切はこれまでにないほど大きく眼を見開いた。 …なんだって? 「好きな菓子でも作って持っていけ」 それだけ言うと、大倶利伽羅は再び食器棚に手を伸ばした。 そして、未だに茫然と佇む燭台切の微かな震えに目を伏せて、厨から大広間へと食器を移動させ始めたのだった。 「…っは、はは」 コトコトと釜の蓋が躍る音だけが響く厨。 一人きりになったその場で漏れ出る笑いがどこか掠れていく。 「まいったな」 そう呟きながら、燭台切は片手で両目を覆った。 まさか、そんなことを言われるなんて思ってもみなかったよ。 ほんと困っちゃうなぁ。 だけど、本当にそうだと思うよ。 思うから… 「…うん、それもそうだね」 いつか、主と一緒に笑い合えたらいいな。 もちろんその時は、君も一緒だよ。 そうして大倶利伽羅が戻ってくるまでの間。 燭台切は、一人静かに微笑んでいたのだった。 【厨と言えばこの二振りですよね】