名付けるとするなら其れは

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「……おえぇ……っ」
「見てるだけでもしんどくなってきたぞオイ……」

 寄り添うことしかできないというのも歯痒いものだ。げっそりと窶れた面持ちで洗面器に突っ伏すパートナーの背中を摩りながら、花礫は張り詰めた面持ちで息を落とした。

 夾迦のお腹に次なる生命が宿ったと知ってから、およそ九週間もの時日が経過した。それは月数で表すと約三ヶ月だ。つまり、多くの妊婦が体験するという"アレ"のピークだ。
 ――そう、悪阻だ。彼女は例に漏れず酷い悪阻に苛まれる日々を過ごしていた。起きては吐き、寝ては悪心に悩まされ、また急いで洗面器に突っ伏し、吐く。日常の常住坐臥も儘ならない、まるで地獄のようなルーチンを八週目に入ってからというもの繰り返し繰り返し味わっていた。 
 自分が留守にしている日中は梛とメディカル用途の羊が側についてくれているため、さほど心配はいらないと周りからも言われているが、夜遅くまでこのような姿を見せられたら気を揉まないわけがない。ましてお腹にいる子は(特に梛が)待望した子供なのだ。目の届かないとこで無茶でもされたらたまらないと危懼し、『大丈夫だよ』と空元気に言い張る夾迦の意見を押しのけて、花礫は本日の仕事の休暇を半ば強引にもぎ取った。
 しかし男にできることは限られているのが現状だ。夾迦が辛いとき、自分には背を摩ったり髪を梳いてやることしかできない。それでも夾迦は心底ホッとしたように表情を和ませるため"これでいいのか?"という疑問が頭を過るが、いちいちの動作があまりに辛そうなため、してほしいことをわざわざ本人に訊ねるのも気が引けた。
 コレばかりは機転を利かせて、自ら意欲的に汲み取るしか術のない問題だった。

「ぱぱ、お水持ってきた」
「ん、サンキュ」

 その点、梛は小回りが利いた。この状態の夾迦といる時間が比較的長いからだろうか。求めているタイミングで正しく欲しいものを持ってきてくれて、花礫は礼を述べて水の入ったコップを息子の手から譲り受けた。
 貰った水をこぼさないように配慮しつつ、刺激しないよう緩やかに夾迦の上体を起こし、片方の腕で身体を支える。梛も微力ながら夾迦の背後から両手で力添えをした。すると閉じていた瞳が億劫そうに開かれる。意識がこちらに向いたことを見計らって花礫が口元にコップを持って行くと、夾迦は非常にゆっくりとした動きで水を口に含んだ。
 ふたりに支えられたまま口内を濯ぎ、なんとか自分の力で上半身を起こして洗面器に水を吐き出す。が、うがいを終えるとすぐに力なくして再び花礫にもたれかかった。花礫はそれを難なく受け止める。
 もはや起きているのもしんどいのだろう。すでにバーンアウトしている様相の彼女は、しかしへにゃりと相好を崩して虚勢を張った。

「あー……ふたりともありがとう……みっともない姿見せちゃってごめんね」
「いいから、無理して話そうとすんな。体調悪いの分かってるし、みっともねえとも思ってないから。それより自力で立て……そうにねーな」
「じゃあボク、羊とお布団ととのえてくるね」
「ああ、頼んだ」

 パタパタと寝室のほうへ駆けていった頼もしい背を見送り、視線を落とした花礫はコップを置いて夾迦の額に張り付いていた前髪をそっと除けてやった。意外にも冷静なその手つきに安心したのか、夾迦は深く息を吸って、瞼を閉ざす。……どこからどう見ても歩く気力なんて残ってなさそうだ。この有様でよく『大丈夫』だなんて言えた物だと、花礫は呆れて言葉も出なかった。やはり休暇を取って様子を見ることにしたのは正解だったとつくづく思う。放っておけば夾迦は限界まで我慢していただろう。そうなれば、最も己を責めるのは側にいながら気づいてやれなかった花礫自身だ。
 考えただけでも頭が痛くなる事態にしかめ面をした花礫は、されど夾迦の赤みが失われた頬に己の指の背を滑らせた。触れた皮膚から感じられるのは、予想外の冷たさ。
(――体温が低い。汗かいたからか? 後で湯たんぽでも羊に持ってきてもらうか…)
 夾迦の脈を測りながらふむ、と一考する。食事は無理させず食べれるときに食べさせている。水分もまったく摂れていないというわけではないので入院には至らないだろうが、吐いたり発汗したりしているぶん、体内から失われていることを考慮すると脱水症状には厳重な注意が必要だ。
 念のため今の容態を夾迦の主治医に連絡しておくべきだろうか。ちょうどウィルスの抗体を調べる血液検査もしなければならない時期だし、近々診察を受ける予定も入っている。自分が先にある程度話しておけば、苦しそうな夾迦が当日喋る負担もちょっとは軽減されるだろう。
 そうするかと花礫がひとり思い定めた頃、自分に寄りかかっている身体が徐々に重みを増していってることに気がついた。眼下に見る夾迦はずっと瞼を閉ざしたまま。しかし先ほどとは打って変わって、呼吸も表情も穏やかになっている様から、これは夢の中に片足突っ込んでんな、と察しがついて安堵混じりのため息を吐いた。
 このまま寝かせてやりたいのはやまやまだが、せめて着替えさせてからではないと風邪を引く。花礫は撫でていた指の爪先で夾迦の頬を軽く小突いて、呼び起こした。

「夾迦。辛いのは分かっけど、ここで寝んな。身体冷えてんぞ」
「……ぅ、ん……」
「…限界だなもう……。梛、そっちは?」
「もうちょっと!」

 梛と羊一体ではそう簡単に終わらないか。
 若干息を切らした梛の声を聞いて、無理もないと納得する。三人になってからベッドのサイズをダブルからクイーンに変えたのだ。シーツから掛け布団まで整えるとなると、子供の身には倍の労を要するに違いない。なんなら花礫が今から向かって手を貸したっていいのだが、そのあいだ夾迦をひとりで寝させるわけにもいかないので、ここは"兄"となる息子の根性を信じるとして。
 さてそれまでどうするか、と今にも寝そうな夾迦を支えたまま花礫は所在をなくした。できることなら蒸しタオルで汗を拭ってやりたいが、不安定な場所で妄りに動かせばまた夾迦が悪心を催すかもしれない。かといって梛もメディカル羊も手一杯なので、花礫は身動きが取れずして。
 今いる場所から地味に遠いキッチンを睨みつけるように見据えていると、眼中の外、謂わば花礫の死角となっていた物陰から、ひょっこりと黒い物体が蠢いた。

「――メェ?」
「、うわっ?!」
「お困りメェ?」
「必要なら手を貸すメェ」
「メェ」
「いや……確かにどうすっかなとは考えてたけど……つーかお前らどっから出てきたんだよ……」

 鏡餅のように重なってこちらを覗き込んでいる三体の羊に戦きながらも、けれど僥倖だと着意する。花礫は分かりやすいように腕の中の夾迦を指で示して、思いを巡らせていた行動を羊たちに代わりに頼んだ。

「こいつの汗拭いてやりてぇから、悪いけど、どいつか蒸しタオル作ってきてくんない?」

 了解メェ、と一番上に重なっていた羊が頷いた。
 奇麗に着地して一体がキッチンへ向かったのを機に、縦に重なっていた二体の羊も身体を起こして起立する。そのうちの一体がおもむろにきゅるきゅると機械音を立てて、夾迦の体調チェックを試みた。それにあわせてもう一体の羊が共鳴するようにくい、と鼻先をあげる。
 発条を巻き締めるような音がしばし響いた。一拍置いてその音が止むと、二体の羊は抑揚のない声を淡々と発する。
『心拍基準クリア』『血圧平常値、以下。正常範囲内』『体温5.6分』『脱水ノ傾向ヤヤアリ』『睡眠不足二ヨル疲労ノ蓄積ヲ確認』『休息モード、不可』『通常モード、継続』
 マニュアルのようにつらつらと並べ立てられる専門用語をひとつも漏らさぬように海馬に叩きつける。のちほど主治医に報告する際に要となる情報だ。
 だが鼻先をあげていた羊が「研案塔にいる夾迦の主治医のデータベースに今の結果を送信したメェ」と申したことで、花礫が海馬に叩きつけたものはすべて不発に終わった。……これは、なんというか。連絡する手数が省けたと気を抜いていいのだろうか。
 彼らの素早い連携プレーに、呆気にとられる花礫だった。

 羊たちによる"ほう・れん・そう"は日頃から完璧だが、その個体の万能さを改めて思い知らされた。これなら周りが『心配いらない』と言い聞かせてきたのも頷ける。
 平門たちが事前に用意した"何かあったときの備え"は、花礫の想像を上回るレベルに盤石だった。その事実を知り、花礫も過保護だなんだとヤイヤイ突っ込まれる立場だが、(あいつらもぜってー負けてねぇだろ)と心の中で悪態をつく。
 自分がなかなか構ってやれていないぶん、その過保護さは有り難い、とは口が裂けても言わないけれど。

「ぱぱー! こっち終わったよー!」
「……今行く!」

 とりあえず主治医に伝わったのなら良しとしよう。今は夾迦をゆっくり休めるところに運ぶのが先だと、梛の呼びかけに応えた花礫は夾迦の膝裏に腕を回して造作もなく抱き上げた。
 浮遊感に眉を寄せた彼女を慮って、なるべく揺らさないよう用心深い足取りでフローリングの上を歩く。その後ろに、羊たちも列を成してついて来た。どうやら引き続き介抱を手伝ってくれるようだ。ちょうどいい、夾迦の着替えも手伝ってもらおうと思いながら、ドアが開かれている寝室に入る。
 メイキングの済んだベッドの横でメディカル羊と待機していた梛は、その光景を目にして「ふえてる……」と開口一番に呟いた。まさか羊が増殖しているとは思っていなかったようで茫然としている模様だ。致し方なく梛、と今度は花礫が呼びかけると、彼はハッとしたように花礫の腕に抱かれている母を見上げて、大慌てで布団を捲った。
 そしてようやく広々としたスペースに夾迦を横にさせ、花礫も一息つく。だが自分も休憩する前に夾迦の替えの服出さねぇと、と思い起こしクローゼットのほうに踵を返すと、折り良くもキッチンで作業に取り掛かっていた羊が数枚のタオルを乗せたお盆を手に戻ってきた。

「花礫。蒸しタオルできたメェ」
「助かる。着替え出すからそのへんに置いといて」
「……ぱぱ、この子たちどうしたの?」
「……。いや、聞かれても俺も分かんねーんだよ。いつの間にか手近にいた」

 訝しげな面持ちをした梛の質問に、花礫も眉を曇らせて言葉を濁した。『いつの間にか手近にいた』。これが限度である説明であり、これ以上の仔細は花礫も知らない。おそらくは平門たちが『もしも』を懸念して近くに屯させていた羊たちだろう、ということだけは分かるのだが。まあ羊なんて貳號艇にはそこら中にいるし、と、はっきり言って等閑視さえしていた。
 でも梛は気に掛かるようで、「なんで?」と後続の羊たちに直接問いかけている。それから何やらボソボソと話し始めたが、耳を欹てて盗み聞きする趣味は持ってないので、花礫は我関せずといった素振りで夾迦の衣類が仕舞われている引き出しを躊躇いもなく開けた。
 替えのパジャマは記憶が正しければこの段だったはずだ、と丁寧に収納されている服を掻き分けて探す。すると即座に目当ての物を発見した。すぐ隣にはネグリジェもあったが、今の夾迦には締め付けがない服のほうがいいだろう。もっとも彼女が立てるか分からないため、上下セットの物とは別にいちおうワンピース型のパジャマも取り出した。そこでいっさい用のなくなった引き出しを閉める。
 とするとそのとき、「えっ?!」と素っ頓狂な声が花礫の背後から聞こえてきた。声につられてちらりと一瞥すると、彼らはまた身を寄せ合ってこそこそと話し込んでいる。どことなく触れてほしくなさそうな雰囲気を感じ、花礫は何も言わずクローゼットを閉じたが、振り向いて梛の顔を視界に捉えると、その面差しがみるみるうちに真っ青なものへと変貌していくのが見て分かった。

「? どうしたんだよ」
「……じきとのやくそく、すっかり忘れてた……!!」
「アイツはいい。そのまま忘れたフリしてろ」

 にべもない花礫の返答に、梛は涙声で「でもぉ……!」と言い募った。幾ばくもなく泣き出しそうな表情に思わず唖然とする。何でそんなに行きたがるんだ、と面妖な心証を抱きつつも、花礫は頑なに梛の意向を是とはしなかった。喰だけはどうしても長くなるためかっこ割愛。
 過去に受けた仕打ちを連鎖的に思い出して忌々しげに眉を顰めた花礫は、吐き捨てるように梛に言い含めようとする。――が。

「でももクソもあるか。アイツと関わるといつもロクなことがねーんだかっ……あ"?! オイ梛! どこ行く気だ!」
「ごめんぱぱ!! ボクは! ままの!! しゃしんがほしい!!! ちょっとだけままのことよろしくね!!」
「ハァ?!?」

 子供は風の子、とはよく言ったものだ。伸ばした手は寸のところで空を掻き、花礫は息子の首根っこではなくすり抜ける風をつかんだ。…逃げ足が速いのも夾迦譲りだ。ウィンクをして去った梛は、あっという間に扉の向こうに消えていった。

 ぽつんとその場に取り残された花礫はこめかみに青筋を立てる。これほど憎たらしさを感じるのも久しぶりだ。「また凶悪な顔になってるメェ」という羊の指摘には反応せず、花礫はわなわなと怒りに身を震わせながら「理性よりも欲望を優先しやがったなあのクソガキ……!」と自分の息子へ向かって盛大に毒づいた。折しも『してやったり』と片笑む夾迦の幼馴染みの顔が脳裏に浮かべられて、さらに行き場のない怒りは助長される。
 しかしどこかに八つ当たりできるような状況でもない。夾迦は依然としてベッドに伏せているのだ。腹を立てるよりやることがあるだろうと自分に言い聞かせた彼は、眉間にしわを寄せつつも思いっきり嘆息を落とすことで憤りを紛らわせ、夾迦の横に腰を下ろした。さすがに具合が悪い人間の近くで子供にくどくどと説教を垂れる真似はしない。そのくらいの常識・分別は弁えている。
 だがもし、譲歩した姿を目の当たりにしたのが羊ではなく金髪の彼だったなら、きっとこう言って涙ぐんでいただろう。「大人に……なったね……」と。

 ――閑話休題。
 出て行った梛のことはそのうち帰ってくるだろうと早々に諦めて、花礫は夾迦の身の回りの世話を再開した。
 まず袋に詰められていた蒸しタオルを表に出し、人肌にあてても熱くない具合に冷ます。人が"気持ちいい"と感じる適切な温度はだいたい三十八度から四十二度の間だそうだ。なのでおおよそだが『これくらいか』と自分の肌でさじ加減を確かめ、いい塩梅の頃になると、手始めとして夾迦の顔周りから着手していった。
 手際こそは拙いものだった。しかし今までにないくらい、花礫は夾迦に慎重に触れた。額の髪の生え際から、耳の後ろ、頬骨、うなじから顎のラインまで。夾迦という個体を形作る、パーツのひとつひとつを懇切丁寧にタオルでなぞっていった。
 されども首のところに差し掛かったところで、パジャマのボタンをまだ外していなかったことに気がつく。夾迦が元気なときだったら確実に抵抗されていただろうが、彼女は今や夢路を辿っている最中。このまま起こさないほうがスムーズに事が進むと思った花礫は声も掛けず、黙々と夾迦のパジャマのボタンを外していった。
 ほどなくして最後のひとつが外されると、まろやかな胸と肌が露わになる。が、花礫は注視することもなく、すぐさま横の羊たちに目を配った。

「羊、コイツの背中を少しだけ持ち上げられるか?」
「お任せあれメェ」

 夾迦の左右に二体ずつ分かれた羊が渦巻き状に巻いていた羊角をフルに伸ばし、横になっていた夾迦の上半身を少しだけ浮かす。その間に花礫が袖を通すだけとなっていた夾迦のパジャマの上着を脱がし、新しい蒸しタオルで思い通り汗ばんでいた背中をさっと拭いた。
 すると心なしか夾迦の表情がさっぱりしたようにも見える。その微妙な表情の変化に花礫は愁眉を開きつつ、引き続き前の清拭に移り、夾迦が目覚める前に手早く終わらせて、ワンピース型のパジャマを頭からかぶせるように着用させた。
 なお下のパジャマは一体の羊が引っ張って脱がせ、ズルズルと先に脱がせた上着もろとも手に携えて部屋から撤収していく。おそらくあの羊の行き先はランドリーだろうとその小さな背を見送り、やっと、花礫は一仕事終えて落ち着くことができた。

「……ん……」
「夾迦?」

 だが使用済みのタオルの後始末をしていると、メディカル羊に布団をかぶせられた夾迦が微かに呻いて肩をすくめた。もしや、と手に持っていたタオルを放り、洗面器の代わりにもなる空のゴミ箱を持って夾迦の側に寄っていくと、花礫の声が聞こえた夾迦はうっすらと瞳を開ける。しかし視線の高さから彼女が真っ先に目にしたのは彼ではなくゴミ箱だったため、妙な可笑しさに目元を綻ばせた。

「だいじょうぶ……吐き気は今はおさまってる…」
「、そうか。ほかにどっか気持ち悪いところは?」
「今は大丈夫…。何から何までありがとうね、花礫くん」
「……別に、当然のことしてるだけだろ」

 微笑む夾迦から、目を背けた。相変わらずの素っ気ない態度に、見ていた夾迦は苦笑する。
 当然のこと、とあたかも花礫は大したことじゃないように言ってのけるが。その当然のことが最も難しく、そして手間の掛かることだと承知している夾迦は、迷惑を掛けてしまって申し訳ないという気持ちを引き摺りながらも、嬉しいという喜びの感情が隠しきれずにいた。昔の彼からは想像もつかない頼もしさ。面に出せるようになった心優しさ。どれもが今の夾迦にとって、非常にかけがえのなく愛おしいものだった。
 表情筋を緩ませたままゴミ箱を見下ろす花礫を見つめていると、何見てんだよ。と厳しい冷眼を浴びせられる。その眼差しにごめんって、と追従笑いでうわべだけの謝罪を述べると、花礫は深くため息を吐いた。悪いと思ってないな、とばかりに。
 そんな花礫のほうからそうっと手が伸びてくる。手は夾迦の頬に触れて、頬骨と顔の輪郭をなぞりながら顎に伝い、やがて耳たぶをもてあそんだ。くすぐったさに夾迦が肩を縮ませる。……と。

「メェ!」
「うわっ!!」
「!!」

 奇しくも本日二回目だった。
 花礫と夾迦の間に、眼中の外から羊が割り込んでくる。思ってもいない展開に目を瞬かせる夾迦と花礫に、羊はどこに仕舞い込んでいたのか、イエローカードをふたりの前にかざした。

「イチャイチャし出したら即刻止めるよう喰に命じられてるメェ」
「よってイエローカード一枚メェ。あと一回行った場合、花礫はこの部屋から速やかに退場するメェ」
「あ"ぁ??」
「……喰……よけいなことを……」

 『してやったり』と片笑む幼馴染みの以下割愛。
 せっかくの雰囲気をぶち壊された夾迦と花礫はそれぞれに異なるリアクションをしながらも、まさか退場させられるわけにはいかないので、不承不承と従った。どうやら後続の羊たちは、喰の代わりのお目付役を担ってこの部屋に訪れたようだった。
「あれ、そういえば梛は?」と夾迦が部屋を見渡して訊ねると、放ったタオルを拾った花礫が「ウワサの妖怪コジュートのとこ行ってる」と告げた。妖怪コジュート……喰か、と合点がいって、なるほどだから機嫌が悪いのかと疑問が着地した。彼(喰)は何かと夾迦関係の話をダシに梛を呼び寄せている。今日はいったい何をやっているんだか、と夾迦はほとほと呆れ返った。これでは花礫に妖怪扱いされても文句は言えまい。素直に納得した。

「それより夾迦、飯は食えるか? 食えそうなら何か持ってくるけど」
「いや、ご飯よりも花礫くんがそばに……」

 言いかけて、ハッとした。羊の懐から黄色いカードが覗いている。これ以上口に出したら掲げられてしまうと察した夾迦は一度口を結んで、泣く泣く食事を選んだ。
 運んできてもらえるまで横になっていようとすごすご布団に潜ると、その様子を見ていた花礫は乱暴に頭を掻く。そしておもむろにベッドへ近づいては、羊たちの視界をタオルで覆い隠し――隙を見て、夾迦の額に唇を落とした。

「…!」
「静かに待ってな」

 彼はすでに彼女の宥め方を心得ている。片頬を上げて笑い、去っていった花礫の後ろ姿を眺めながら、夾迦は耳まで真っ赤になった。……そういうところがずるい。そう、まにまに呟いた。
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